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美咲の剣  作者: きりん
一章 不安な旅路
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三日目:非常識の洗礼1

 夜中に目が覚めて、美咲はむくりと身を起こした。

 厚手の外套に身を包んでいても、寒さが隙間から染み込んでいてとても寒い。


「っていうか、焚き火消えてるし……」


 起きている間はめらめらと燃え続けていた焚き火が、燃え尽きて白い灰だけになっている。

 幸いまだ薪は残っていたので点け直そうと思い立つが、美咲には火種を作る技術がない。

 エルナなら火を熾せるが、そのエルナは美咲の隣でぐっすり眠っている。


「でも、火を絶やしちゃいけないって言ってたし、起こした方がいいのかな……」


 美咲は悩む。

 暗闇というのはそれだけで恐怖の対象だというのに、この世界には魔物がいるのだ。

 魔物というのがどんなものかピンと来ない美咲には、何となくオオカミやトラなどの肉食獣よりも獰猛なこの世界特有の動物という程度の認識しかないものの、それでも危険であることに変わりは無い。

 気付いたら魔物とご対面、などという事態だけは避けたい。


「起きて。エルナ、焚き火が消えちゃってるよ」


 揺さぶってみても、エルナから反応はなく、変わらずすやすやと穏やかな寝息を立てている。


「……起きないし」


 途方に暮れていると、街道がある方角から何かがやってくるのが見えた。

 四足歩行の獣か、それとも魔物か。

 時間が時間なので、美咲が警戒していると、近付いてきた何かの様子が暗闇の中ではっきりとしてくる。

 人間だった。

 薄汚れた旅装に身を包んだ中年の男だ。

 目尻や口元に笑い皺が浮かび、柔和な顔立ちをしている。


「参ったな。先客がいたか」


 男は困った様子で頭をかいている。


「無理して先を急いだら途中で日が暮れてしまってね。嬢ちゃん。申し訳ないが夜明けまで一緒にいても構わないか?」


「あ、はい。どうぞ」


 許可を取った男はその場にどっかりと腰を下ろす。

 火が消えている焚き火の痕を見て、男は眉を顰めた。


「おや、火が消えているじゃないか。焚き火を絶やしちゃならんぞ。魔物が近くにいたら寄ってくるからな」


 自分の道具袋を漁る男は、火打石を取り出して手際よく火種を作り出した。

 残った薪を放り込んで火を大きくし、男は満足そうに頷く。


「よし、これだけあれば朝まで消えまい」


 復活した焚き火の傍で温まりながら、美咲はめまぐるしく頭を回転させる。

 この男は誰だろう。


「ああ、言い忘れていた。俺はディナックという。見ての通りの旅人だな」


 美咲の思考を読んだかのように男が言った。

 男の格好は長旅に耐えうる厚手の服とマントに護身用の短剣という、旅人としてはごく普通のいたって簡素なものだ。

 これなら革製とはいえ鎧を着込んだ美咲の方がよっぽど重武装である。

 男が何かを企んでいても、エルナがいるし、いざとなれば勇者の剣を使えば、リーチがある分自分の方が有利だ。

 戦闘の心得などあるわけがないし、あの剣は軽くて打撃という意味では頼りにならないが、切れ味はそれなりにあるようなので、振り回せば何とかなるだろう。

 自分の方が優位に立っていると気付いて、美咲は少し警戒心を下げた。


「美咲です」


 名乗られたので、美咲も名乗り返した。


「お嬢ちゃんは寝てな。火は俺が朝まで見ててやるから」


 男はしきりに美咲に先に寝ろと勧めてくる。

 露骨に怪しかった。


「いえ、そちらの方こそ歩き通しでお疲れでしょう。私はもうある程度睡眠は取りましたから、遠慮せず休んでください」


「そうか。ならそうさせてもらおうかな」


 意外なことに、あっさりと男は引き下がってマントに包まって横になり、寝息を立て始める。


(盗賊の類かと思ったけど、本当にただの旅人なのかな?)


 無精ひげが生えた男の顔を見ながら、美咲は首を捻る。


(でも、用心するに越したことはないよね。荷物盗まれたらシャレにならないし)


 何せ魔王討伐の旅だ。貴重な品物も入れてくれたみたいだし、大金も持たせてくれている。

 現代でいう銀行のようなものがあれば持ち運ばなくても済むのだが、持たせられたということは存在しないのか、滅亡の瀬戸際ということで機能してないかのどちらかだろうと美咲は判断した。

 もしかしたら普段よりも国全体の治安だって悪くなっているのかもしれない。


(預けて持ち逃げされても、襲われて身包み剥がされてもあまり変わりないもんね)


 後者は命まで持っていかれる危険性があるが、例え持ち逃げであっても待っている結末はそんなに変わりそうも無い。


(とりあえずエルナが起きるまでは起きてよう。何があるか分からないし)


 エルナが起きたら、火の番や見張りについても話し会う必要がありそうだった。そんな話をしないまま二人とも眠ってしまったから、もしかしたらエルナもあまり旅をしたことがないのかもしれない。


(一応あの王子に大事にされてたみたいだしね……愛人だけど)


 旅慣れていないという点では、自分と同じ。

 そう考えると、少しエルナに親近感を覚える美咲だった。



■ □ ■



 朝日が昇り、目覚めたエルナは知らない男がいるのを見て怪訝に思ったようだった。


「この方は何方ですか?」


 まだ寝ている様子の男を手で示して美咲に問いかけてくる。


「さあ。旅人らしいよ。急いでて距離稼ごうとしたら途中で夜になっちゃったんだって」


「そうですか」


 てっきり怪しむかと美咲は思ったのだが、エルナはあっさりと納得したようだった。


「盗賊じゃないの?」


「かもしれませんが、いちいち疑っていたらきりがありません。それにここみたいに街道沿いに設えられた場所じゃないと安全に野宿できませんから、場所が被ることは有り得ます。街道から離れたら火を焚いても魔物が寄ってくる可能性が高まりますし、旅人同士が安全のために即席でパーティーを組むのはそう珍しいことではありません」


 どうやら纏めると、怪しいことは怪しいが、これで怪しんでいると道中で会う人全てが怪しく見えてくるレベルらしい。


「そっかー。じゃあ気にしない方がいいか」


「無駄に構える必要はありませんが、常識としてある程度の警戒は必要です。出会った旅人が追い剥ぎに変わるなんていうのもよくあることですから」


「あるんだ……」


 物騒過ぎて美咲はげんなりした。


「彼が眠っているうちに食事を済ませてしまいましょう」


「そうだね」


 美咲とエルナは男が起きる前に朝食を済ませることにした。

 カチカチの丸パンを食べようとした美咲は口を押さえて悶絶する。

 いきなり歯を痛めそうになった美咲は、涙目になってエルナを睨んだ。


「……ねえ、このパン固過ぎて歯が立たないんだけど」


「それはそもそもそういう風に食べるパンじゃないです」


 湯を沸かしていたエルナが呆れた表情で美咲を見る。

 エルナは沸騰した湯に削り取った干し肉を入れて塩で味を調え、簡単なスープにすると、器に自分の分を掬い取り、石のようなパンを浸してふやかす。


「ああ、なるほど! そうすればいいのね」


 干し肉の切れ端だけの塩スープと固いパンは、現代食に慣れた美咲にとってお世辞にも美味しいと言えるものではなかったが、空腹だったことも相まって、身体が温まるだけでも美咲は満足だった。

 食べているうちに男が起きたようで、スープを見て目を輝かせる。


「いいもの食ってるな。これの代わりに一杯くれんかね? 保存が利くし、腹持ちするぞ」


 男が自分の椀と一緒に差し出したのはいくつかの木の実だった。

 元の世界の木の実で似ているものを挙げるなら胡桃だろうか。人差し指と親指で輪を作ったくらいの大きさで、胡桃と同じように殻を割って中身を食べるもののようだ。


「セレの実ですか。いいですね。どうぞ」


「おお、有り難い」


 ずっしりと中身の詰まった木の実を受け取ったエルナは、男の椀にスープを注ぐ。

 男は自分の道具袋からパンを取り出すと、スープに浸して食べ始めた。美咲たちのパンと違って、男のパンは棒の形をしていた。


「うまい。やはり寒い日は温かい汁物が一番だな」


 スープを吸って柔らかくなったパンを齧りながら、男が舌鼓を打つ。


「そっちの嬢ちゃんには自己紹介してなかったな。俺はディナックという。近くのザラ村に知人を訪ねに行く途中だ」


「エルナです。美咲と一緒に、ラーダンを目指しています。美咲は剣士で、私は召喚術師です」


 ちらりと男を見て自己紹介を返したエルナが、そっと美咲に耳打ちしてくる。


「私たちの目的地と被っていますね。ラーダンに行くための経由地点がザラ村です」


「ザラ村ってどんなところなの?」


 同じく耳打ちした美咲の疑問は、聞いていたらしいディナックの続く台詞によって氷解した。


「牧畜が盛んな村でな。このご時世にしては長閑なもんだ。あそこの家畜から取れる乳は美味いぞ。子どもにはお勧めだ。大人は乳酒を飲むけどな」


「とある本には、乳酒は子どもも日常的に飲むと書いてありましたが」


 冷静に指摘するエルナに、ディナックは苦笑する。


「まあそうだが、一応酒だからな。新鮮な乳があるうちは手をつけさせんさ。それにザラ村の乳酒は他のものに比べて強い。子どもが飲むとすぐに酔っ払うぞ」


 自信満々だったのに間違えたのが恥ずかしかったのか、エルナは顔を赤くして咳払いした。


「むむ……やはり、書物から得た知識ではどうしても偏りが生まれますね」


 エルナの横で、美咲は乳があるならバターとかヨーグルトとか生クリームとかあるのかな、などと考えている。

 脳裏を過ぎるのは現実世界で何度も食べたスイーツの数々。プリンにシュークリームにショートケーキにアイスクリーム。好物なのに、もう食べられないかもしれない。


「聞いた話だが、時には貴族お抱えの料理人も買い付けに来るそうでな。貴族に出す甘味を作る際に使うんだと。機会があれば一度食べてみたいもんだ」


「いいなぁ。私も食べたい」


 現実世界のクリームを使った菓子の数々を思い出しながら、美咲は切なげにほう、とため息をつく。

 しばらく考え込んだエルナが口を開いた。


「菓子なら、確か王都にも専門店があるはずですが」


「そうなの!?」


 喜色を浮かべる美咲に、ディナックが水を差す。


「あるにはあるが、元々が貴族しか食べられないような高級品だからな。値が張るぞ。俺たち庶民の手が届く品じゃない」


 多少高価でも今なら買える。

 目を光らせた美咲の袖をエルナが引く。

 美咲が振り向くと、エルナは黙って首を横に振った。

 今更引き返す時間はないし、無駄遣いはやめろ、ということらしい。


「金が無いなら髪を売る、という手もあるぞ。女の髪は魔力を含んだ貴重なものだからな。それなりの長さであれば高く売れる。お嬢ちゃんの髪は色が珍しいから、大銀貨二枚ほどになるんじゃないか?」


 大銀貨二枚といえば、銀貨で二十枚だから、日本円に直せば二十万円になる。


「そんなに!?」


 自分の髪を話題に出された美咲が驚く。

 エルナの髪は短く肩につくかつかないかくらいしかないが、美咲の髪は腰まであった。

 色もエルナの髪が金髪なのに対して、美咲の髪は鴉の濡れ羽という表現がしっくりくるような、艶のある黒髪である。

 たかが髪がそんなに高く売れるのかと、美咲は自分の髪の毛を一房つまんでまじまじと眺める。

 とてもではないが、美咲にはかつらくらいにしか使う用途を思いつけない。


「とはいえ、髪を切ったら元に戻るまでとにかく時間がかかるからな。売るかどうかはよく考えて決めた方がいい」


 ディナックはそういって、話を締め括った。


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