二十九日目:そこへ至る13
始め、アリシャはそれが自分に向けられた言葉だとは思わなかった。
「お前ならば、人間に対し我ら魔族はどう動くべきだと考える?」
顔を伏せて話を聞いていたアリシャは、その言葉も自分以外の誰かに向けて発せられた言葉だと思っていた。
「アリシャ。お父様からの質問です。顔を上げなさい」
ミアネラに返答を催促され、そこで初めてアリシャは自分が注目されていることに気付く。
緊張から、震える声でアリシャは意見を述べた。
「……魔族が人族に対して勝っているのは、魔法に裏打ちされた圧倒的な個の力。逆に総人数では劣っています。もし人族が我らと同じように魔族語を学び、魔法を扱うようになれば、彼我戦力差は縮まることはあれど、決して広がることはないでしょう。そうなれば、人数で劣る私たち魔族の敗北は必至。ならばその前に、ベルアニアの攻略をすべきでありましょう」
「だが、そこで勝ってどうなる。ベルアニアの背後には、新大陸に渡った人間どもがいる。彼らが援軍を出さんとも限らん。いくら魔法が強いとはいえ、百の兵士が万の兵士に勝てる道理はないのだぞ」
即座に魔王から反論が来る。
おそらく魔王はこの意見が出ることを前もって予測していたのだろう。
反論に淀みがない。
もしかしたら、魔王自身も同じことを一度は検討したのかもしれない。
その可能性は大いにあると言える。
アリシャは一介の傭兵に過ぎないが、魔王は魔族を率いる指導者なのだ。
傭兵が思いつく程度の方針など、既にいくつも吟味していることだろう。
そして魔王が反論した内容は、アリシャもまた予想していた。
傭兵として戦地を巡っていたから、アリシャは戦況について他人よりは詳しい自信がある。
それでも当然魔王に敵うとは思わないが、圧倒的な数の差というのは、何度も戦場で実感していた。
今までは魔法でつるべ打ちにして減らし、そこから開戦に持ち込めたから個々の戦力差と合わせてそれで数の差を覆すことができた。
しかし、魔法を人族も扱うようになれば、当然先制攻撃は防がれる。逆に先制攻撃される危険性すらある。
条件自体は同じになるだけなので、魔族側も同じく魔法で防げばいいだけだが、そうなると人族側の兵力を全く減らせないまま、開戦することになる。
それだけでもまずいというのに、人族が魔法を使ってくるということは、魔族のアドバンテージも消え去るということだ。
そうなれば、残っているのは数の蹂躙である。
魔族は狩り尽くされ、永遠に地上から姿を消すだろう。
何しろ魔族の中には食人種族もいる。人族にしてみれば肉食動物を駆除するのと大して変わらない。
「故に、我らには情報が必要です。ベルアニアと新大陸との関係を探る必要があります。状況に応じて、謀略を駆使し仲違いをさせることも必要でしょう」
援軍が控えている可能性がある以上、正攻法で勝つのはリスクが大きい。
ならば、戦争の形は華々しい合戦から、謀略渦巻く心理戦に移る。
援軍の存在を危惧するのなら、その援軍が出れない状況を作ってしまえばいいのだ。
「ふむ。アズールよ。やれるか」
魔王は背後に控えていた死霊魔将アズールを振り返る。
確かに、こと謀略において、彼ほど向いている者もいまい。
元人族であるが故に人族の事情に精通しているし、彼が扱う死霊術の中には生きた人間に成り代わる邪法もある。
おぞましい術だが、人族の街に潜入するのに有効な術であることも確かだ。
「不可能ではありませんな。ベルアニアの貴族のうち、適当な誰かに成り代わり人族の街に入れば、中から人族たちの結束を揺さぶることは可能です。ちょうどよい材料もあることですし、ご命令とあらば行かせていただきますぞ」
恭しく頭を下げるアズールに、わずかに笑みをこぼして魔王は命じた。
「ならば、やれ」
「御意」
今度は馬身魔将が魔王に尋ねた。
「魔王陛下! 俺はどうすればいいのであーりますか!?」
「お前には引き続き、ベルアニア北部戦線の維持を頼む」
「分かりましたであーる!」
外様で新参のアリシャですら何だか心配になってくる馬身魔将の態度だったが、それでもその立ち居振る舞いは、滑稽であっても隙が見当たらない。
腐っても魔将だということだろう。
魔王になった未来のアリシャならばともかく、このアリシャが勝つのは難しい。
「ちょうどいい。顔合わせは済んでいると思うが、今の内に皆に改めて紹介しよう。最近見つけた、私の娘だ。お前たちにとっては異母妹に当たる。仲良くするように。潜在能力だけでいえば、お前たちの誰よりも高い才能を持つ娘だ。儂は、このまま才能が花開くなら、後継者にこの娘を指名しようと思う」
ミアネラ、ジャネイロ、ブロン、エルザナ、クロム。誰もが息を飲んだ。
彼ら彼女らの表情には驚愕が張り付いている。
(勘弁してくれ……!)
アリシャは、空気が凍る音が聞こえた気がした。
■ □ ■
最後に波乱を投げ込んで、謁見は終わった。
ミアネラたちとは、最低限の挨拶しかかわせないまま別れた。
親し気に振舞うような雰囲気ではなくなってしまったのだから仕方ない。
(気が重い……)
ため息をつきつつ、来た道を戻って宛がわれた部屋へ戻る。
部屋ではミリアンが待っていた。
メイドとして、和鬼族のマキリス、吸血鬼族のエオリナ、小鬼族のピオリー、幽鬼族のテンリメイもそれぞれ控えている。
「大丈夫だった? 何もされてない?」
エオリナがジト目でミリアンを見る。
「魔王陛下との謁見ですよ。何をされるんですか」
「何をって、色々よ!」
言葉に詰まりながらミリアンが答えた。
どうやら具体的に何をされるかはミリアンも考えていなかったらしい。
「大丈夫。何もされてないから」
頼れる姉貴分が心配してくれることに嬉しい気分になりつつ、これからのことを考えると表情が曇りそうになるアリシャだ。
「で、謁見では何があったの?」
「ええっと、私の異母兄姉の人たちと顔を合わせて、少し仲良くなれたと思ったら、魔王に私が一番次期魔王に近いって言われて気まずくなった」
正直にアリシャが薄情すると、ミリアンは苦笑する。
「……ああ、才能は物凄いもんね、アリシャは」
「実感ないよ。ミリアン姉さんにはまだ一度も勝てたことないし」
いくら才能があると言われても、実際に力を実感できなければ己の力に懐疑的になってしまうのが普通だ。
それはアリシャとて例外ではない。
「所詮は時間の問題よ。私が強いとはいっても、結局は個人による武の力だし、魔法があんまり使えないから、状況に応じて戦い方を切り替えるっていうのも苦手だし。それに今は私の技を教えている最中だからね。魔法を本格的に鍛えるようになったら、私じゃ勝てなくなるわよ」
アリシャはまだ納得いかなそうな表情を浮かべているが、それはミリアンの本心だった。
そしておそらく、事実でもある。
ミリアンは確かに強い。成長途上にあるアリシャとは違い、この時点でその戦闘能力はほぼ完成されており、未来で牛面魔将としてアリシャの力になっている時と比べて、劣らない力を持っている。
しかしそれは欠点も全く変わっていないということでもあり、得意の接近戦が通用せず、相手に魔法による攻撃手段があればあるほど、不利になっていく。
今の状態でアリシャとミリアンが戦えば、アリシャが放つ魔法をものともせず突貫したミリアンが、アリシャに接近戦を強要して叩き伏せるだろう。
だが、未来のアリシャとミリアンが戦えば、アリシャはミリアンを決して近寄らせず、またミリアンが賭けに出て突撃して来ようと、冷静に同等の近接戦闘技術でもって受け流し、弾き飛ばすだろう。
そうなれば後はアリシャが一方的にミリアンを狙い撃つだけの展開になる。
そしてミリアンは、今の時点でアリシャが将来そうなる可能性が高いということを見抜いていた。
それほど、アリシャの才能は素晴らしいものだったのだ。
恵まれた身体に、魔族語との親和性が極めて高い頭脳。
身体は見た目が人間だが、中身は魔族のものであり、基礎能力からして違う。そのくせ見た目が人間なので、魔族であるミリアンでは学べるべくもない、人族の間で培われた武術を学ぶことだって可能だろう。
ミリアンの戦い方は我流だ。
がむしゃらに鍛え、実戦に実戦を重ねて無駄を削ぎ落とし、人間相手でも通用する技術へと昇華させてはいるが、おそらくミリアンが戦えば容易く蹴散らせる人間の中でも、技術だけでいえばミリアンを凌ぐ者は多いだろう。
人間と魔族の間には、それだけ戦闘技術の差があるのだ。
これは、種として上回っているが故に工夫を凝らす必要がなかった魔族と、種として劣っているが故に、生き残るため知恵と工夫を凝らさざるを得なかった人間との違いだ。
「大丈夫ですよ。アリシャお嬢様はきっと誰よりも強くなります。それこそ、次の魔王にだってなれるはずです。アリシャお嬢様を名指ししたということは、魔王様も同じことを考えているのでしょう」
にこにこと上機嫌に、マキリスが茶を淹れながら言った。
「そうなったら、私たちは魔王様のメイドね。いいわ! 大出世じゃない!」
エオリナは茶菓子をテーブルに並べながら大喜びである。
「そうなったら、私たちの実家にも箔がつくってものだよねぇ」
にしし、とピオリーが悪戯っぽく笑う。
「特にエオリナの家は落ち目だったし、一番嬉しいかもね。私の家は元々権力とは離れてきたから関係ないけど」
テンリメイは割とどうでも良さそうだった。
「魔王様お付きのメイドとなった暁には、没落貴族とか笑ってたやつらをぎゃふんと言わせてやるわ!」
背後に荒波が立っているような力の入れようで、エオリナは宣言する。
吸血鬼族であるエオリナは基本的な思考が貴族的だ。それはエオリナだけというわけではなく、吸血鬼族の基本的な思考形態である。
いわば、吸血鬼は皆大なり小なり貴族的な選民思想を持って生まれてくるといえる。
その中で家が落ちぶれるというのは、他の魔族よりも重い意味を持つ。
四人の個性的なメイドの会話に、アリシャとミリアンは顔を見合わせて苦笑し合った。