二十九日目:そこへ至る12
謁見の間に入ってアリシャが一番初めに抱いた感想は、とにかく広いということだった。
もっとも、魔王城とて城という建造物であることに違いないから、使える敷地は限られている。
魔法で空間を広げて広さを取る方法があったとしても、それも限界はあるだろう。
(奥行きがかなりある。天井も遠い。空間が魔法で拡張されているのか?)
実際にそうであるかは実際に調べてみないと分からないが、当然謁見の間でそんなことができるはずもなく、アリシャはミアネラたちに従い玉座がある段上から階段を下りた先にある床に片膝をついて待つ。
さりげなく回りの様子を窺うと、ミアネラ、ジャネイロ、ブロン、エルザナ、クロムたちが待つ様子は中々堂に入っていて、アリシャは自分もうまく振舞えているか、少し不安になってくる。
(……あ)
異母兄弟姉妹たちから目を離したアリシャは、死霊魔将アズールと蜥蜴魔将ブランディールを見つけた。
二人で紙束を手に、何やら打ち合わせのようなことをしている。
同時にアリシャはアズールに自分が所属していた傭兵団の団長であり、娼婦という身分から拾い上げてくれた男とその妻になった傭兵団の同僚が、殺されたことも思い出した。
思わず唇を噛み締める。
アンデッドとなってしまった者の末路は悲惨だ。術者に永遠にいいように操られるか、亡者の衝動に飲み込まれ、闇雲に他人を襲うだけの魔物同然な存在と化すか、二つに一つ。
未来でルフィミアが自我を取り戻せたのは、美咲の存在あってこそなのだ。
故に、美咲がこの世界に呼ばれていない今の時間軸では、彼らが救われることは決してない。
やがて話し合いが終わったのか、死霊魔将アズールと蜥蜴魔将ブランディールは離れた。
「フハハハハハハハハ! 我が一番乗りであーる!」
(……は?)
突然開かれた謁見の前正面出入口の大扉から、高笑いとともに聞こえてきた特徴的な一人称と口調に、アリシャは思わず唖然とした。
「阿呆、テメェが最後だ」
呆れた声音で放たれたブランディールの突っ込みに、高笑いの主は大仰に驚いてみせる。
「ぬ!? 何故!? 皆早いであーる!」
高笑いの主は特徴的な身体をしていた。上半身は人間、下半身が馬という、いわばケンタウロスのような形だ。
ミリアンのような二足歩行する人型の牛みたいな感じではなく、人間の上半身が馬の首と頭の代わりについているような感じである。
「俺らが早いんじゃなくてテメェが遅いんだよ」
「いささかとは言わず思い切り遅刻でございますな。ホッホッホ」
蜥蜴顔を歪めて呆れた様子のブランディールに対し、アズールはまるで好々爺のように笑う。
しかしアズールがただの好々爺であるはずがない。過去でも未来でも、アズールは変わらず死体を弄ぶ死霊術師としてのスタンスは変えていないのだから。
この時から既に策略や謀略といったものは好きなようで、未来の行いを匂わせる片鱗が、アリシャとミリアンが所属していた傭兵団の団長と妻を殺してアンデッドとして支配下に置いたことからも窺える。
美咲がいない以上、彼らを解放するには二度目の死を与える以外にはない。
馬身魔将は美咲がこの世界に召喚される少し前の未来で、ベルアニア北部戦線にてエルディリヒトとの一騎打ちに敗れ、討ち取られることになる。
しかしこの時はまだ健在で、アズール、ブランディールと同じく三魔将の一角として君臨していた。
実力も魔将として申し分なく、ブランディールと同等の魔法と魔法を下敷きにした武技を習得している。
もっとも、実力的には同等でも性格には難があり、自信過剰、直情径行、単純馬鹿と、既に性格の時点で敗北フラグが立ちまくっている。
そこへ、謁見の間奥の扉から魔族メイドが一人出てきた。
「魔王陛下の準備が整いました」
「結構。お連れしなさい」
魔族メイドはアズールに報告をし、報告を聞いたアズールが新たに指示を出す。
指示を受けた魔族メイドが戻ると、やがてもう一度扉が開いてメイドたちや魔族兵たちを従えて魔族の男性が一人出てきた。
見た目から年齢を推測できないのが魔族の特徴だが、この魔族は見た目からして老人だ。
途中で成長が止まり外見が変わらなくなる魔族がここまで老いるというのも珍しいが、成長が止まる時間には個人差があるので、老人まで成長、つまり老いてしまう可能性はゼロにはならない。
老人風の魔族は、途中で歩みを止めたメイドたちと魔族兵たちから離れ、一人玉座がある段上へと階段を上っていく。
アリシャは老人魔族が実際に玉座に座るまで、彼が魔王だとは到底思えなかった。彼の姿が、あまりにも想像上の魔王とはかけ離れていたからである。
老齢であることは聞いていた。
しかし人間でもないのに、既に姿がここまで老いているとは思っていなかった。
魔族に見た目で分かる老人は少なく、死ぬ時も若い姿のまま死ぬのが普通だからだ。
老人風魔族、つまり魔王が、玉座に腰かけた。
魔王が口を開いた。
■ □ ■
響き渡る魔法の第一声にアリシャが抱いた第一印象は、随分としわがれた声だということだった。
「皆、この度はよくぞ集まってくれた」
しかし声が細いということもなく、しわがれているが太く張りがある声色をしており、もし若い肉体ならばさぞかし美声だっただろうなという想像が膨らむ声だ。
「余が魔王位について今年で千六百年になる。長らく平和だった魔族領だが、人族領も根強く抵抗を続けておる。彼奴らを滅ぼすにはまだまだ長い時が必要だろう」
当然だが、この時代でも人族と魔族は戦争を続けていた。
いや、一方的な戦況に傾いていた未来よりも、この時代はまだ人族と魔族どちらの勢力も精強で、小競り合いを繰り返している状態だ。
勢力が拮抗している原因は、魔族が魔法で優位に立っているのに対し、人族は数で上回ることにより、魔法の不足分を補っているからである。
被害は人族側の方が大きいが、人族は魔族よりも出生率、成長速度ともに早いので、この損耗戦術が機能していた。
もっとも、この戦法が魔族にとってもろ刃の剣であることは、誰の目にも明らかだ。
戦争するたびに魔王軍もその総数を減らしていっており、そしてその抜けた穴を埋めるのは、簡単に行える人族と比べ、魔族としては中々難しい。
総人数で劣り、成長率でも劣る魔族は、成長してしまえば強いがそもそも新たに生まれる人数が少ない。
魔族の赤子が一人生まれる期間で、人間の赤子は三人生まれると考えれば、その差が良く分かるかもしれない。
その原因には妊娠期間の長さや生殖の低成功率など、魔族ならではの問題がある。
魔族が人間並みに増える種族であったなら、魔族はとっくの昔にこの世界から人間を駆逐していたに違いない。
「発言をしてもよろしいでしょうか」
「許す」
「ありがとうございます。この大陸に残る人間の国はもはやベルアニア一国のみ。もうあの国だけでどうにかなるような状況ではありません。一息に攻め入ってしまえば、滅ぼせるのではないでしょうか」
自らの意見を堂々と述べたのは、魔王の息女の一人、長女であるミアネラだった。
「何故そう思う。理由を述べよ」
「今までお父様率いる魔族軍は、破竹の快進撃で人族の国々を落として参りました。陥落させた国の中には、あのベルアニアよりも国として富み、強固な軍を擁する国もありました。しかしそれらすら我ら魔族軍は飲み込んだのですから、今更なにを恐れる必要がありましょう」
「だが、相応の時間が経ち、儂も老いた。もはや最盛期の力は出せぬ。不測の事態が起きれば、隠れていた様々な不都合が噴出しよう」
「ですが……!」
「聞け。我ら魔族とて、決して一枚岩ではないのだ。ベルアニアは、他の国々が攻められている間に、海を渡り北の大陸と交易を盛んに行っていたと聞く。我ら魔族にも通用するような武器を仕入れている可能性もある」
魔王の言葉に、ミアネラは押し黙る。
押し黙るしかない。
娘といえど、ミアネラと魔王の間に横たわる権力差は絶大だ。
いくら長女といえども、魔王の前でミアネラは己の意を押し通すことはできない。
まあそもそも、ミアネラは他人に自分の都合を押し付けることを良しとするような性格ではないが。
そこへ、次男のブロンが挙手をした。
「父上、僕にも発言の許可を頂きたい」
「良かろう。述べてみよ」
「僕には、父上が少々弱気になっているように思えます。たかが人間ごとき、いくら群れたところで我ら魔族に敵うはずがありません。群れてくれるというのなら、こちらとしてはまとめて叩けばいいだけ。むしろ探す手間が省ける分、親切というものでしょう」
「ブロン、無礼よ! 控えなさい!」
見かねたミアネラが叱責するが、それも魔王が手を掲げたことで止まる。
「良い。ふふ、余の態度が弱気と申すか。面白い子だ」
子ども扱いをされ、プライド高いブロンの表情が朱に染まる。
実際魔王とのアリシャを含むその子どもたちとの間には、物凄く大きな歳の差があるので、子ども扱いされるのも仕方ない。
「お前たち、人族の捕虜となった魔族がどうなるか、知っているか?」
「それはもちろん、自決し一切の情報を渡さず……」
「誰もがどんな状況でも自決することができるとは限らんだろう」
「ならば、わざと降伏することで油断を誘い、寝首をかき……」
「それが通用するのは、最初の一度きりであろうな」
面白がるような魔王の声音に、答えるブロンの顔色は赤から紫色へと変化していく。
「正解を教えよう。囚われた我らの同胞は、その多くが拷問にかけられ魔法についての情報を吐き出させられている」
「そ、それは……まさか!」
思わず口を挟んだジャネイロが、慌てて口を噤む。
「ジャネイロよ。そなたの危惧はおそらく正しい。彼奴等め、我らから魔族語を盗もうとしているようだ」
「そんな、人間ごときが、わたくしたちの言葉を盗もうなどと……なんと恥知らずな! お父様、一刻も早くベルアニアに攻め込むべきです!」
血気盛んにエルザナが叫ぶ。
そんなエルザナを、長女のミアネラが叱責する。
「エルザナ! 許可されていない発言は控えなさい!」
さすがとでもいうべきか、姿はむしろミアネラの方が年下に見えるのに、魔王の長女として振舞うミアネラには、最年長としての風格が漂っていた。
見た目に寄らない、おそらくはアリシャにはまだ知り得ない実績と実力に裏打ちされた風格であることは間違いないだろう。
再び、魔王が口を開いた。