二十九日目:そこへ至る10
アリシャは引きつった表情で、ミリアンは面白くもなさそうな顔で、控室にやってきた青年とその取り巻きメイドたちを見ていた。
青年とは無論、ブロンのことである。
「どうしてアンタがここに来るのよ」
「まあ! ブロン様に向かってなんと無礼な口の聞き方を!」
入ってくる彼らを見るなり心底嫌そうな表情を浮かべたミリアンに、取り巻きメイドの一人が憤慨する。
「オレとて来たくて来たわけではない。父上に呼ばれて仕方なくだ」
肩を竦めたブロンに、おずおずとアリシャが話しかける。
淑女然とした姿だからか、普段の口調より幾分女らしい。
「あなたも、魔王に……?」
アリシャの言葉に、ブロンは不愉快そうに眉を跳ね上げた。
「愚妹よ。何も知らぬ貴様に一つ忠告してやろう。この魔王城では表向きには父上を敬う姿勢を見せることだな。少なくとも選ばれたいのならば」
「それほどまでに慕われているってわけ? 魔王陛下は」
皮肉げに問い返すミリアンに、ブロンは唇を歪めて嘲笑する。
「慕われているとは温い表現だ。魔王に傅く者の中には狂信的とも言える忠誠の念を抱く者もいる。かれらは次代の魔王に相応しい後継者を見出さんと躍起になっている者たちだ。相応しくない者を排除するのに躊躇はすまいよ」
「その通りです」
澄んだ声が響く。
会話に割って入ってきたのは、一人の少女だった。
正確には、控室に入ってきたのは、か。
もちろん、少女といっても魔族の少女であって、人間の少女ではない。
「やはり来たか、姉上よ」
「当然です。父上の後継者を決める大事な儀式の始まりなのですから」
少女とブロンは会話をかわすが、話が飲み込めないアリシャとミリアンには何が何やら分からない。
「……ところで、ブロン。こちらの方々は?」
「父上が呼び寄せた例の末妹だ」
問いかけた少女に、面白くもなさそうな表情でブロンが答える。
少女はアリシャに向き直り、穏やかな微笑みを浮かべた。
「なるほど。なら自己紹介が必要かしらね。私はミアネラ。我らの父上にして、偉大なる魔王陛下の第一子の座を頂いているわ」
親し気な微笑みを浮かべる少女はミアネラと名乗り、静かにアリシャとミリアンの反応を待った。
アリシャは予期せぬ乱入者に固まっていて、ミリアンも唐突に増えた登場人物に驚いている。
「……えっと、それはつまり?」
先に我に返ったアリシャが問うと、ミアネラは驚いたように目を瞬かせた。
咳払いをして、ブロンが話に割り込む。
「姉上。そいつらには学がない。回りくどい言い方は通じんぞ」
一瞬ミリアンがイラっとした顔をし、機嫌の低下を心配したアリシャがミリアンの様子を窺う。
アリシャとミリアンの様子を見て、ミアネラがくすりと笑った。
見下すようなブロンの笑みとは違い、他意がなさそうな笑顔だ。
「なら簡単に言い直すわね。魔王の息子、息女の中では最年長なのよ。こう見えても」
「……全然そう見えません」
ようやく復帰したアリシャからこぼれたのはそんな言葉だった。
実際、ミアネラは見た目は十四歳くらいの少女で、最年長という言葉が持つイメージからは程遠い。
「色々な人によく言われるわ。私、他人より成長が止まるの早くて。侮られやすいし、困っちゃうわ」
言葉ほどには困っていないのか、くすくすと笑うミアネラはそれで悩んでいるような素振りは見当たらない。
突然控室の扉が大きく音を立てて開いた。
「俺が一番の乗りか!」
中に入ってきたのは、細見の肉体を仕立てのいい服装に身を包んだ美男子だった。
溌剌とした声の持ち主だが、どことなく馬鹿そうにも見える。
彼にもまた、おつきのメイドがついていた。
「三番乗りです、若様」
「いえ違うわマチル。例の子がいるから四番乗りよ」
ただし大勢引き連れていたブロンよりは少なく、双子らしいよく似た姿のメイド二人のみ。
メイド二人は本当に顔がそっくりだが、髪型がそれぞれ違うので間違えることはなさそうだ。
髪型さえ変えなえればだが。
「正式な顔合わせはこれからだけど、どうせだしあなたも自己紹介しなさい」
声をかけたミアネラを見つけ、美男子は表情を輝かせて駆け寄ってきた。
「おお、姉上、ご無沙汰しております! 会えて嬉しく思いますよ!」
「ええ、私もよ」
お互いに親愛の表情を浮かべて抱擁を交わすと、美男子はきょろきょろと辺りを見回す。
「ところで、我らの新しい妹はいずこに?」
「そっちよ」
笑顔のままミアネラが手で指し示した方向を見た美男子は、それまで浮かべていた笑顔を消して怪訝そうな表情になった。
「……何だ、この可憐さの欠片もない筋肉牛達磨は」
声のテンションまで低下しており、それまで纏っていた好青年然とした雰囲気が台無しになっている。
「ぶっ飛ばされたいのアンタ」
「喋った!?」
露骨に驚く青年の反応に、ミリアンの額に青筋が浮かぶ。
「おい」
ミリアンの声は普段よりも一オクターブ低く、ドスが利いていた。
「あ、姉上! まさかアレが新しい妹なのか!?」
「違うから安心しなさい。私たちの妹はそっちよ」
おろおろしながらミアネラに詰め寄る美青年に、ミアネラはまるで馬鹿だけれど可愛い子を見るかのような生暖かい視線を向け、手でアリシャを示した。
■ □ ■
美青年の喜びようは凄かった。
アリシャに抱きつき、抱え上げ、まるで子どもを相手にするかのように高い高いをしてぐるぐる回る。
「や、止めろ!」
恥ずかしさのあまり、アリシャは悲鳴混じりの声を上げて美青年の身体を蹴りつけるが、美青年は全く意に介さない。
よく見ると、アリシャの蹴りがヒットする瞬間、空気の壁のようなものが蹴りを受け止めているのが分かる。
いつの間に魔法を展開したのか、美青年はしっかりアリシャの攻撃をガードしているようだ。
「若様、それはセクハラでございます」
「妹ができて嬉しいのは分かりますが、少し自重するべきかと」
冷めた目でおつきの双子メイドたちが諫めるが、美青年を本当に止める気はないのか、目だけでなく割と声まで冷めている。
「お父様の子どもはあなたを除けば五人いてね。あなたが見つかるまでは、あの子が末だったのよ。だから、妹ができて嬉しいのかしらねぇ」
微笑ましそうにミアネラがくすくすと笑う。
「で、結局何ていう名前なのよ、コイツ」
ミリアンはいきなり筋肉達磨呼ばわりされたせいか、美青年に対する態度が厳しい。
まあ当たり前かもしれない。
「そうね。自己紹介して差し上げたら?」
ミアネラも異論はないようで、美青年に名乗るよう求めた。
「ふん。妹も弟も、一番下は劣等児か。まあ、オレの敵にはなるまい」
ブロンは大勢の取り巻きメイドを連れて控室の一角を占拠し、ふんぞり返っている。
「そういえば、まだ名乗ってもいなかったね! ボクはクロムだ! ボクの妹は何ていう名前なのかな?」
「ア、アリシャだけど……」
「おお、アリシャ! なんて素敵な響きだ!」
やたらテンションが高いクロムに、アリシャは引いている。
そんなアリシャに、クロムはぐいぐいとそのテンションのまま話しかけてきた。
「しかし、ちょっと筋肉が付き過ぎだね? 君はもっと淑女らしくするべきだ」
確かにミアネラもブロンもクロムも皆細見の美形で、三人ともアリシャと比べればとても細い体型をしている。
だが、だからといってアリシャは自分も彼らにならおうとは思わない。
何故なら、アリシャは傭兵で、ミリアンの相棒なのだ。未だ実力的にはミリアンに釣り合っているとは自信をもって言えないアリシャだけれど、せめてミリアンと肩を並べられる程度には、身体も鍛えておきたいと思う。
「いや、私は傭兵だから、筋肉はついているに越したことはないんだけど……」
だから、アリシャはそこはきっちりと否定しておきたかったのだけれど、クロムはアリシャの言葉を思い切り遮り、大げさにポーズを取った。
「でも大丈夫! ボクに任せて! 責任持って、このボクがキミを一人前のレディーに仕上げてみせようじゃないか!」
クロムは自己陶酔に浸っていて、アリシャの方を見てすらいない。
「どうしようミリアン姉さん。この人、他人の話聞いてくれない」
ゴーイングマイウェイ過ぎるクロムに困惑するアリシャは、ミリアンに助けを求める。
「任せなさい。私が殴って言うこと聞かせてやる」
ボキボキと拳の骨を鳴らしながら、ミリアンがアリシャを庇って前に出る。
気付いたクロムが振り向き、ミリアンを見て仰け反り悲鳴を上げる。
「うわあー! 妹が牛女になった!?」
「なるわけないでしょ阿呆か!?」
無視すればいいと分かっているものの、ミリアンはつい突っ込んでしまう。
「……とまあ、こういう感じで、ちょっと困った子だけれど悪い子じゃないから、仲良くしてあげてね」
なんだかいい感じに纏めようとするミアネラに、アリシャはげんなりした顔を向ける。
「……振り回される予感しかしないのですが」
「……」
ミアネラは愛想笑いを浮かべたまま、黙って目を逸らした。
「せめて何か言ってくださいよ!」
アリシャが悲鳴混じりの声を上げた直後、控室の扉が音を立てて開かれる。
「申し訳ありません。少し遅れてしまいましたか?」
「いいえ、大丈夫よ」
入ってきた妙齢の貴婦人らしき女魔族に、年下にしか見えないミアネラが微笑んで首を横に振る。
「今日は新しい妹が来ると聞いていたのですが……」
控室内を見回す貴婦人に、ブロンが顎をしゃくる。
「もう来てるぞ」
「とても可愛いレディだよ! まあ、ちょっと筋肉が付き過ぎてるけど」
「いい加減筋肉から離れてくれませんか……」
クロムの一言多い言葉に、物申さずにはいられないアリシャだった。
「あなたが新しい妹ね? わたくしはエルザナよ。短い付き合いかもしれないけれど、よろしく頼むわね」
にこりとどこか迫力のある笑みを浮かべ、エルザナと名乗った貴婦人が会釈する。
「お、奥様、一人で先行なさらないでください!」
「せ、先導は私たちがいたしますから!」
少し遅れて、メイドたちが控室に入ってくる。
「何だ、騒々しい」
ブロンに睨まれ、入ってきたメイドたちは目を見開いて硬直した。
「兄さま、私のメイドたちを威圧するのは止めてくださるかしら? 怖がってしまうわ」
エルザナと名乗った貴婦人と、ブロンの視線が交錯した。