二十九日目:そこへ至る9
現在、魔王には五人の後継者候補がいるという。
そのうちの四人は母親がきちんとした貴族で、庶子であるのはアリシャだけだ。
さらに言うならば、完全に見た目が人間と同じなのも、アリシャだけである。
「ほう、本当に人間にそっくりなのだな」
やってきた魔族の青年は、アリシャを一目見るなりそんな言葉をアリシャに投げかけた。
青年は大勢のメイドと数人の魔族兵を引き連れており、それだけで地位の高さを窺わせた。
「……誰よアンタ」
半ば強引にアリシャの傍にいることを勝ち取っていたミリアンが、訝しげな表情で魔族の青年を上から下までまじまじと見る。
「まあ、次の魔王陛下になられるブロン様に対してなんて口の利き方なのかしら」
「育ちが知れますわ。これだから野蛮な傭兵は嫌ですのよ」
「所詮、庶子に従う者などその程度のものばかり。たかが知れていましてよ」
背後のメイドたちが、これ見よがしに囁き声で嫌味を投げかけてくる。
「やめたまえ。僕はそんなことでいちいち腹を立てるほど、器が小さくはないのだから」
「素晴らしいですわ!」
「さすが次期魔王に相応しいお方!」
「魔王という地位が相応しいのは、やはりブロン様以外にはおられませんわ!
止めたブロンという名の魔族青年を、メイドたちが口々に褒めそやす。
ブルン自身もまんざらではないようで、得意げな笑みを浮かべていた。
対するミリアンは、ブロンの態度を鼻で笑った。
「メイド風情が煩いわね。アリシャにつけられたのもそうだけど、ちゃんと教育してるの? 随分と質が悪いみたいじゃない。あなた自身はそうじゃないといいわね」
「ミ、ミリアン姉さん……」
明らかに喧嘩を売りに行っているミリアンを、はらはらする思いでアリシャは止めようとするが、ミリアンは止まらない。
今でもアリシャとミリアンの間では、ミリアンは姉貴分であり、アリシャは妹分なのだ。
「傭兵風情が。口を慎むこともできないのかい?」
「さっそく化けの皮がはがれかけてるわよ。自制しなさいよ。そんなことでやっていけると思ってるの?」
随分プライドが無駄に高そうな男だというのが、ミリアンがブロンという魔族青年に抱いた印象だった。
メイドたちもアリシャに宛がわれたマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人比べると誰もが高圧的な態度で、メイドでありながら他人に命令しなれた者特有の傲慢さが感じられる。
それは、魔王城に勤めるメイドたちが皆貴族の子女であることが大いに関係しているだろうが、それ以上にメイドたち自身の権力が関係している。
ブロンという魔族青年についているメイドたちは、いわゆる上級貴族の家柄出身者ばかりなのだ。
それらに比べればマキリスの家柄は歴史ばかり古いだけの木っ端貴族だし、エオリナの家柄は没落しそうなのを商家との繋がりで持ち応えている貧乏貴族である。
ピオリーは小鬼という種族自体が悪戯好きで子どもっぽいという点から既に種族からして舐められがちで、さらに本人たちの気質自体も権力争いより楽しいことを優先するものだから、権力争いからはとっくの昔のドロップアウトしている。
テンリメイは既に種族的特徴として話し言葉に訛りがあるので、その時点で田舎者として見られている。さらに本人は全くそれを直そうとも思っていないので、影で馬鹿にされているようだ。
「で、結局アンタはどこの誰なのよ」
「……僕はブロン。魔王陛下の長男であり、第一継承者候補でもある。これで満足か」
「ふーん。じゃあ、アリシャとは兄妹なわけ?」
「魔王陛下の血に加え、マクレイア家の血を引くブロン様を庶子ごときと一緒にするなど、なんと無礼な!」
「鏡見ろって言ってあげようか? 無礼を説くならまず自分の態度を見直せよ」
メイドの一人が騒ぎ立てるが、ミリアンは馬鹿にするような目を向けるだけだ。
ミリアンがそれとなく注意を向けているのは、ブロンでも彼付きのメイドたちでもなく、付き従う魔族兵たちだった。
危惧しているのは、魔族兵たちの強さ。
とはいえ。
(……あんまり、強そうには見えないわね)
近衛兵的な立ち位置なのだろうか、装備こそ豪華だが立ち居振る舞いは完全に隙だらけである。
少なくとも、ミリアンのように武術を修めているようには見えない。
もっともそれは当然で、普通は身体能力を鍛えたり身体技能を磨くよりも、魔族語の知識や発声、活舌などを向上させる方が手っ取り早く強くなれるのだ。
蜥蜴魔将ブランディールのようにある程度両立させている方が珍しく、ミリアンのように極端に武に偏っていることの方が異常なのである。
それに何より、魔族兵たちにはミリアンたちを侮る嘲りの表情が浮かんでいた。
「そうだな。確かに彼女は僕の妹といえる。もっとも血の繋がりがあるのは半分だけだが」
「ふうん。異母兄弟ってやつか。もう半分の方が似なくて良かったわね、アリシャ」
「み、ミリアン姉さん……」
攻撃的な態度を取り続けるミリアンに、ハラハラしっ放しのアリシャだった。
■ □ ■
結局アリシャに向かって捨て台詞を吐いて、ブロンは取り巻きのメイドたちと魔族兵を連れて戻っていった。
「何しに来たのよアイツら」
呆れるミリアンに、アリシャは微妙な表情を浮かべる。
「多分、私に嫌味でも言いに来たんだと思う。その前にミリアン姉さんに口で撃退されてたけど」
憶測を告げるアリシャは、微妙に疲れた表情だ。
よくよく考えれば、アリシャは騒動の間もずっと慣れない淑女姿である。
もしかしたら気疲れしているのかもしれない。
「……随分と、口が悪いのですね」
呆れた様子だが、若干尊敬のような微妙な様子を滲ませるマキリスが、ため息をついてミリアンを見る。
視線に気付いたミリアンは肩を竦めた。
「ん? 傭兵なんて大体こんなものよ。お上品さを求められるような職種じゃないしねぇ」
くくくっと唇を歪めて笑うミリアンに、エオリナが噛みついた。
相変わらず、エオリナはミリアンをあまり良くは思っていないようだ。
「下品です! アリシャお嬢様が真似なされたらどうするのですか!?」
残念ながら、その危惧は百年ほど遅かった。
世間知らずの娼婦だったアリシャが娼婦から解放され、さらに才能があるなどと言われれば、救ってくれた団長に恩返ししたいと思うのは当然で、その才能を生かそうと傭兵になるのは自明の理だった。
まだ若干初々しいところは残っているものの、今ではかなり傭兵の流儀に染まっている。
「それはもう手遅れってもんよ。この子も激昂するとクソが! とかいうわよ?」
さすがに実際に口に出されると言葉遣いの汚さを自覚するのか、アリシャは赤面して縮こまった。
「姉さん、さすがに恥ずかしい……」
アリシャにとって、傭兵がよく使うスラングは、半ば憧れのようなものだった。
それを使うことで、自分も傭兵として一人前になったような気に、勝手になっていたのだ。
自覚しているが故に、思い至ってしまうと羞恥心が凄い。
エオリナがそんなアリシャを見て、そっと目元を拭う。
「なんとおいたわしい……あなたはそんな下賤な職業に着かれるべきではないのに」
彼女は彼女で、傭兵を低く見過ぎである。
「そう? 私は面白くていいと思うけどなー」
面白いことが大好きで面白ければ他は割とどうでもいい気質のピオリーは、アリシャが元傭兵だろうが悪い影響を受けていようが気にしない。
まあ言うまでもなく、ピオリーのような考え方は少数派で、エオリナのように心配するのが多数派の意見である。
「あなたは黙っていなさい!」
ややヒステリックに叫ぶエオリナにも、ピオリーは全く怯まない。
「口は、災いの元。君子危うきに近寄らず」
ぼそっとテンリメイが呟いた。
「誰が厄災ですか!」
耳聡く聞き逃さなかったエオリナは、今度はテンリメイに噛み付く。
「そこまでは言っていない気がするけど……」
マキリスとしては苦笑するしかない状況だ。
「で、これからどうするの? 何か変な乱入があったせいでうやむやになりかけたけど、これから魔王陛下と謁見するのよね、私たち」
「あっ、はい」
話を戻したミリアンにマキリスは我に返ると、改めて告げる。
「準備が整い次第死霊魔将様と蜥蜴魔将様が迎えに来るはずですので、それまで控室で待機になります。改めてご案内いたします」
色々あったので忘れがちだが、今も控室を目指す途中である。
「そういえば、今の魔王陛下ってどんな方なの? 私興味なかったからあまりよく知らないのよね」
「な、なんと不敬な……!」
「落ち着きなさい、エオリナ。話が進まないわ」
激昂しかけるエオリナを、マキリスは宥めた。
少し考え込んだピオリーが端的に答えた。
「んー、一言でいえば、お爺ちゃん?」
「かなりの老齢ってこと?」
尋ねるアリシャにピオリーは頷く。
「少なくとももう五百年近く魔王として君臨なされているはずだから、少なくとも五百歳は過ぎている。公式では今年で千歳を迎えるとか」
テンリメイの説明に、アリシャは唖然とした。
全体的に長寿が多い魔族としても、千歳も生きるのは稀だ。
しかも、途中で老いが止まることが多い魔族だから、老齢でも姿は若いことが多い。
にも関わらず、魔王については出てくる印象が老人らしい。
それほど長く生きているということなのだろうか。
「着きました。ここです」
マキリスが到着したことを告げ、扉を開ける。
「アリシャお嬢様、こちらへどうぞ」
エオリナがアリシャよりもよほど淑女らしい動作でアリシャを部屋の中に案内し、ピオリーとテンリメイがテキパキとアリシャが座る椅子とテーブルを整える。
「おーい、私の席は?」
「ありません」
「お願い、用意してあげて……」
ミリアンの問いかけをばっさり両断したエオリナに、アリシャは苦笑しながら頼むのだった。