二十九日目:そこへ至る7
咄嗟に怪我している手を前に突き出して張った血のシールドごと、ミリアンはエオリナをハンマーで殴り飛ばした。
大きく吹き飛んだエオリナは、勢いそのままに空中を吹っ飛び、壁に叩きつけられて止まる。
そのまま床にずり落ちたエオリナから、苦痛のうめき声が漏れた。
立ち上がる様子はない。
「そんな……エオリナが、一撃で……」
マキリスが表情を蒼白にしている。
「まあ、メイドっていうしそうじゃないかと思ってたけど、戦闘経験はてんでないのね、あなたたち」
対するミリアンは、苦戦していたのが嘘のように平然としている。
いや、実際苦戦していたように見えていたのは嘘だったのだろう。
エオリナの油断を誘うために、わざと苦戦しているように振舞っていたのだ。
その証拠に、動き回っていたミリアンは全く息を切らせていない。
「よ、よくもマキリスを……!」
「先に仕掛けてきたのはそっちでしょうが。こっちだって魔王城になんて用はないのに連れ込まれるし、私もアリシャも散々よ。ていうかもう一度いうけど何その格好」
「……お願い。この姿には何も言わないで、ミリアン姉さん。私も恥ずかしいの」
「え。あ、うん。分かった」
やや男らしかった口調から、女らしい素の口調に戻ったアリシャに懇願され、ミリアンは目を丸くして頷く。
それを隙と取ったか、魔族語を口にしてミリアン目掛け魔法を撃とうとしたテンリメイは、振り返ったミリアンに温度のない視線で射竦められ、動けなくなる。
「止した方がいいわよ。私がそいつをブッ倒したところ見たでしょ? この距離ならあんたが魔法を唱えるよりも早く、私は間合いを詰められる」
テンリメイが知る常識なら、自分とミリアンの間に横たわる距離は、決して一瞬で詰められる長さではないはずなのに、テンリメイは自分に襲い掛かる影を幻視せずにはいられない。
実際に同じくらい距離が開いていたエオリナとの間合いを一瞬で詰めてみせたのだから、テンリメイはその言葉の信憑性を信じざるを得なかった。
「それで、あなたはどうするつもりなの? 私たちは魔王陛下の下へお嬢様を案内する役目を仰せつかっている。それを阻むのは、魔王陛下への反逆、ひいては魔王陛下が治める魔族国家そのものへの反逆と取られかねないわよ」
苦し紛れの言葉は口にしたマキリスですら思わず屈辱で赤面するほど恥も外聞もなく他力本願に満ちた内容だったが、ミリアンは思わず押し黙った。
「ふざけろ。私は仲間を取り返しに来ただけよ。いきなり人の親友を無理やり連れて行っておいて何が反逆だ」
しばらくして返されたミリアンの言葉には、隠しきれない苛立ちが乗せられている。
一触即発になりかけていた空気を吹き飛ばしたのは、新たにかけられた別の声だった。
「それくらいにしておいて欲しいですな。やれやれ、脳まで筋肉でできている輩はこれだから困る」
「ああん?」
しわがれたその声にはアリシャもミリアンも確かに聞き覚えがあって、アリシャは何かに気付いたかのように小さく口を開けて「あっ」と声を上げ、ミリアンはドスの利いた声を発する。
「……爺さん、そうやって煽るの、止めねぇ?」
新たに現れたのは、死霊魔将アズールと、もう一人の蜥蜴人だった。
「こ、これは、死霊魔将様と蜥蜴魔将様。申し訳ございません、すぐお嬢様をお連れいたします」
慌てて畏まるマキリスに続き、エオリナを助け起こしたピオリーとテンリメイも、慌てて跪く。
そんな彼女たちに、ブランディールはひらひらと手を振って気にするなとジェスチャーする。
「構わねえよ。で、用件なんだが。俺は陛下から直々に二人に理由を説明することを命じられてここに来た。この爺さんは自分がやったことの尻拭いだな」
「ブランディール。人聞きの悪いことをいうものではないですぞ」
ひょうきんな態度で突っ込みを入れてくるアズールに、ブランディールは呆れた表情で苦言を呈する。
「事実じゃねえか。大体爺さんはえげつない手を使い過ぎなんだよ。陛下もドン引きするレベルだぞ」
「何と心外なお言葉」
台詞の割には、アズールにショックを受けた様子はない。
「説明、してくれるっていうの?」
「ああ、そうだ。そういうわけだから場所を変えるぞ。悪いがそっちのメイドたちも付き合ってくれや。適当な茶と茶菓子でも準備して、雷の間に運んでおいてくれ」
「しょ、承知いたしました! 今すぐに!」
背筋を伸ばして返事をしたマキリスは、ようやく復帰したエオリナとピオリー、テンリメイを連れ、慌ただしくその場を去る。
それでも誰一人として走らず、優雅に早歩きなのは、魔王城に勤めるメイドとしての意地だろうか。
「それじゃ、案内するからついてきてくれや」
「ほっほっほ。茶菓子が楽しみですなぁ」
踵を返すブランディールとアズールを見て、アリシャとミリアンは顔を見合わせる。
「説明、してくれるんだって」
「正直訳が分からないわ。とにかく行ってみましょう。……魔将が二人もいる中で逃げられるとも思えないし」
ぼそりと呟かれた最後の言葉には、ミリアンの苛立ちが僅かに含まれていた。
■ □ ■
そういうわけで、魔王城の一室である雷の間という部屋に茶会の席が設けられ、そこでアリシャとミリアンはブランディールとアズール直々に説明を受けることとなった。
マキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人は給仕係だ。
四人がミリアンに向ける感情は様々で、マキリスは中立、エオリナは敵意、ピオリーは興味、エオリナは無関心と、ある意味ではバラバラ、またある意味では種類に富んでいる。
どちらかといえば、マキリスは中立でも好意的な中立に当たる。
これは和鬼という彼女の種族柄、肉弾戦を得手としそれを魔族に対しても通用するほど鍛え上げているミリアンに、マキリスが意識的無意識的のどちらにしろ、尊敬の念を覚えたからだ。
和鬼もどちらかといえば肉体的才能に偏ったタイプだが、少なくともマキリスが知っている同族に、ミリアンほど戦える強さを持つ者はいない。
マキリスに言わせれば、種族としての歴史の古さにばかりしがみつき、現実を見ない馬鹿ばかりなのだ。
(ううん、現実を見ていなかったのは、私も同じ、か)
どうせ魔法には勝てないのだから、肉体なんて鍛えるだけ無駄と、マキリスはさっさと種族的に備わった才能に見切りをつけ、同時にマキリスが捨てたその可能性に惨めらしくしがみつき、彼女に言わせれば無駄な努力を続ける一族を、マキリスは内心冷めた目で見ていた。
ずっと報われるはずなんてないと思って諦めていたのに、報われてしまっている例を見せつけられては、心穏やかではいられない。
しかし和鬼という種族は同時に強者に対して敬意を払う傾向にあった。
それはマキリス自身も例外ではなく、強大な力を持つ魔王に対する崇敬の念は人一倍あったし、腹心である魔将たちも同じように敬っていた。
さすがに今の状況では同じような敬意をミリアンにも抱くわけにはいかないとはいえ、それでもどうしてそこまで強くなれたのか、マキリスは疑問と興味が尽きない。
これが、マキリスの好意的中立な立ち位置の正体である。
対してエオリナの敵意の正体は、まあ単純にいえば己の職務を邪魔されたからである。
他にも筋肉がムキムキで蛮人みたいで野蛮だから嫌いだとか、脳筋の癖にやたら強いところだとか、考えれば理由はいくつでも思いつくだろうが、早い話が気に入らないのである。
四人の中ではもっとも立ち居振る舞いが貴族的なエオリナは、当然相手にも貴族的な優雅さを求める。
マキリス、ピオリー、テンリメイの三人は魔王城のメイドという立場で身分がしっかりしている貴族の娘だから、その時点でエオリナが要求する条件は最低限クリアしている。
実際に三人とも仕事自体はそつなくこなすので、エオリナ自身個々の性格には目を瞑ることにしているのだ。
種族のせいか考え方にやや脳筋な傾向が見られるマキリスも、興味本位で色々なことに首を突っ込み騒動を引き起こすお騒がせ娘なピオリーも、ひたすらマイペースで何を考えているのかいまいち分かり辛いテンリメイも、全てそれぞれ個性ということでエオリナは受け入れている。
だがミリアンは駄目だ。
あれはエオリナには受け入れられない脳筋だ。
貴族どころか、優雅さの欠片もない。
同じ傭兵のアリシャは、傭兵生活が長かったにしても、基本的な所作は娼婦時代に身についていたからか最低限のものは備えていたし、足りない部分はこれから教えていけばいいとエオリナも思っていた。
それに比べてミリアンは豪快といえば聞こえがいいものの、エオリナにしてみれば粗野にしか見えず、態度の一つ一つがいちいち気に障る。
エオリナの感情には魔法の腕が自分よりも劣っているにも関わらず、自分を足元にも寄せ付けない強さのミリアンに対する劣等感と嫉妬が多量に含まれているせいだったが、エオリナ自身がその感情の正体に気付いていなかった。
(気に入らない。大して魔法が使えないくせに、どうしてそんなに強いのよ……)
「ねえ、気のせいかしら。私給仕される側のはずなのに、すっごい敵意向けられてるきがするんだけど」
「み、ミリアン姉さん……」
「日頃の行いですな。筋肉で思考するせいですぞ」
「ぶち殺すわよ骸骨」
「落ち着け。爺さんもいちいち嬉々としてからかうなよ……」
(……わ、笑っちゃ駄目。頑張るのよ私……!)
表面上は平静を保って澄ました無表情を作りつつも、内心では思い切り噴き出して爆笑したくなるのを堪えているのがピオリーだ。
これも全て魔将二人とアリシャ、ミリアン四人で繰り広げられる掛け合いが面白いのがいけない。
小鬼という種族らしく、遊びや悪戯が大好きなピオリーは、メイドとして城勤めをする中でそれなりに我慢することを心得ていたが、それをもってしてもこの誘惑には抗い難い魅力があった。
(……お仕事、お仕事)
三者三様に感情を堪えながら必死に仕事をする中、ひたすらマイペースに給仕に集中するテンリメイだった。