二十九日目:そこへ至る6
当然、その後騒ぎになった。
「誰か! 誰かあの痴れ者を捕まえなさい!」
大声を上げるマキリスに対し、ミリアンは肩を竦めた。
「痴れ者ってひどい言い草ね? これでもアリシャの相棒なんだけど。というか、呼んだってすぐには来ないと思うわよ? ここに来るまでに出会った奴らは全員気絶させてきたから」
何でもないことのように告げられた内容に、マキリスはぎょっとしたようだった。
無理もない。
アリシャはまだ知らないが、マキリスたちがアリシャを着替えさせていた場所と、ミリアンが軟禁されていた場所は、同じ魔王城でも正反対の遠い場所にあった。
当然辿り着くまでには多くの使用人やメイド、警護兵などに出会うのが当然であり、また事実でもあった。
しかし、その全員をミリアンは気絶させてきたと言ったのだ。
多くが軍人ではないとはいえ、軍民の境界が曖昧な魔族は、一般人という概念が薄く、軍人でなくとも強力な魔法を行使できる魔族は比較的多い。
特に魔王が治める本拠地たる魔王城は、使用人やメイドですら魔法の種類による役割の違いこそあれ、有能な魔法使いたちが揃えられている。
まあもっとも、メイドという仕事は貴族子女の礼儀作法を学ぶ場でもあるため、有能であってももっとも才能があるというわけでもないのだが。
「ミリアン姉さん……」
有無を言わさず引き離されたことで若干心細かったのと、頼もしい味方が現れたことによる安心感でアリシャが感動していると、ミリアンはアリシャを囲むマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人に改めて問いかけた。
「で、君たちは私の相棒兼妹分のアリシャをこんな風に着飾らせて、どこに連れて行くつもりなのかな?」
対する四人は答えない。
マキリスはミリアンを見据えながら、もしこの場で自分たちがミリアンを取り押さえようとした場合、どうなるかを頭の中でシミュレートしていた。
ミリアンは魔族としては、牛人族という種族に該当する。別名をミノタウロスともいうが、美咲が聞けばそちらの方が馴染み深い名に聞こえるだろう。
小さく魔族語を呟くと、マキリスは頭の中に言葉を強く思い浮かべる。
(……どう思う? 私たちで勝てるかしら)
魔族語の力によって、エオリナ、ピオリー、テンリメイの三人に、マキリスの言葉が転送された。
念話の魔法だ。
補助系統の魔法の中でも難易度が高い魔法で、四人の中で使えるのはマキリスだけである。
術者であるマキリスと対象となった人物の間で言葉を送受信できるようになるが、これは本来双方向のものでしかない。
これを、マキリスは自分が中継することで自分と誰かだけでなく、誰かと誰かでも念話のやり取りをすることを可能にした。
これだけ聞けば物凄い大発明のように思えるが、実際は面と向かっていないと使えないというどうしようもない欠点があるので、内緒話程度の役にしか立たなかったりする。
(相手は見るからに物理攻撃偏重の脳筋タイプよね。懐に潜り込まれたら対処が面倒だけど、こっちは四人いるしいけるんじゃない?)
最初に念話を返してきたのはエオリナだった。
三人分の念話を同時に繋げていることになるが、マキリスは補助系統魔法の適正が高いのでこの程度なら問題ない。
楽観的なエオリナに対し、マキリスは種族的特徴が似通っているせいか悲観的だった。
(でも、ここの来るまでに何人も気絶させてきた相手よ。中には魔族兵だっていたでしょうに)
種族的特徴が似ているからこそ、ミリアンの異常さがマキリスには良く分かった。
見た目からして、ミリアンは魔族としては異常だ。
鍛え上げられた身体は筋肉の鎧に覆われ、魔族としては異常なほどに発達している。
手にしている獲物は何でも叩き潰せてしまいそうなほど巨大なハンマーだが、魔族ならばそれを見て誰もが思うはずだ。
どんなに重量級で破壊力を持つ武器を持とうと、当てられなければ意味がないと。
確かにミリアンの武器は物凄い威力があるだろう大きさを見せつけているが、同時にその重さも容易く想像できる。
重量武器を持っていればその分動きが鈍くなると考えるのも当たり前で、それは遠距離攻撃手段として魔法を扱う魔族全般にとっては的の動きが鈍くなるとの同じ意味を持つ。
だからこそ、ピオリーもミリアンの強さをそれほど高くは見積もらなかった。
(でもそれ、本人が言ってるんでしょ? 私たちを怖気付かせるために、わざと誇張して言ってる可能性もあるよ)
近接戦闘ではできるごとに限界があると分かっているからこその判断だ。
(どの道、単なるパワータイプなら怖くない。距離を取って魔法で押して行けばいいだけ)
テンリメイも同じ判断をしている。
だが、エオリナ、ピオリー、テンリメイの三人ほど、マキリスは楽観的にはなれなかった。
なまじ、近接戦闘で勝ち続けるということがどんなに難しいか、和鬼という種族の常識として知っているからこそミリアンの異常さが際立つのだ。
マキリスにしてみれば、近接戦闘のスペシャリストである傭兵という時点で、何かがおかしいのである。
そしてマキリスの危惧は、正しいのだった。
■ □ ■
先手を取ったのは、メイド側だ。
エオリナが懐からナイフを取り出し、手のひらを傷つけた。
血が流れ、ぽとりと雫が落ちる。
「自傷? ……どういうつもり?」
「どういうも何も、こういうことよ」
怪しく微笑んだエオリナが傷付けた手のひらをミリアンに向け、魔族語を唱えて魔法を発動させる。
すると、ミリアンへ赤い弾丸が射出された。
赤い弾丸の正体は、エオリナの血液だ。
傷口から流れ出たエオリナの血が、弾になって撃ち出され、着弾地点ではじけ飛んで再び血に戻る。
「こいつは、血魔法……!? アンタ、吸血鬼か!」
「ご名答。私の種族を知っているなら、一対一を挑む愚も、分かっているわね?」
吸血鬼であるエオリナは、特殊属性特化型の魔法使いだ。
有効な範囲攻撃こそ苦手としているものの、その代わり単体を相手にする手段が豊富で、一対一にはめっぽう強い。
血を必要とするというのが最大の欠点だが、使い過ぎに気をつければ失血で倒れるようなこともないし、使った血は造血薬を服用すればそれほど身体に負担をかけずに増産できる。
実際、エオリナは造血薬を普段から常備し、持ち歩いているくらいだ。
血魔法を使う吸血鬼にとって、造血薬は必需品なのである。
「ほらほら、どうしたの? のろのろした動きだと、避けられないわよ」
手のひらから流れる血が雫となって落ちるたびに、それは空中で弾に生成されてミリアンを襲う。
それを機敏な動作で冷静に避けていくミリアンだが、遠距離から行われる一方的な攻撃に全く反撃できていない。
「もしかして、私の失血を狙ってるのかしら? でも残念」
微笑んだエオリナは、懐から造血薬を一つ取り出し、口に含んだ。
「あいにく、補充分はまだまだたくさんあるのよ。持久戦なんて無意味。それを教えてあげるわ」
潤沢な補給を生かし、エオリナは次から次へと血の弾丸を放つ。
その様子を、マキリス、ピオリー、テンリメイの三人は引き続きアリシャの傍につきながら眺めていた。
「エオリナ一人でカタがつきそうだねー」
ピオリーはもはや完全に観戦気分なようだ。
しかしそれも無理はない。
戦闘が始まってからエオリナはずっとその場を動いておらず、対するミリアンは血の弾丸を避けるために縦横無尽の移動を余儀なくされているのだから。
「いかに名があれど所詮は野蛮な傭兵風情。私たちメイドにすら勝てない相手です」
テンリメイもまた、ピオリーと同じくエオリナの勝利を信じて疑っていないようだった。
元々貴族たちはミリアンのような傭兵を、戦争時は大量に雇用して利用こそすれ、平時はあまり好まない。
それは貴族たちが傭兵を下賤と見下しているからであり、それは貴族の子女である彼女たちも例外ではないのだ。
傭兵が見下される理由は、彼らが戦場で略奪行為を働くことが多いからである。
しかしそれも裏を返せば、雇い主が支払う給料が、仕事の割に合わないということの裏返しなのだが。
何しろ戦争でもっとも消耗が激しいのは傭兵だ。
金さえ払えばいくらでも補充が可能で、また一人一人の質の差が激しい傭兵は、精密な用兵に適さない。
基本的な行動は、全軍前進か全軍後退くらいしかできないのである。
しかもこの二つも、雇ってから訓練しなければ軍隊らしく綺麗には揃わない。
当然高度な戦術など取れるはずもなく、数の暴力という手段以外に取れる方法がないのだ。
(……確かに、エオリナが押しているように見えるけど)
ただ、ピオリーもテンリメイもエオリナの勝利を疑っていない状況の中、マキリスだけが嫌な予感を抱いていた。
とはいっても、マキリス自身その予感はあやふやなもので、確たる自信があるわけではない。
実際マキリスの目から見ても、状況はエオリナが終始優勢に攻め立てているように思えるし、対するミリアンといえば、巨大なハンマーを振り上げることもなく、連射される血の弾丸に追い立てられている。
しかも、余裕をもってかわしていた最初の頃に比べ、追い詰められてじわじわと紙一重の回避になってきているように思える。
それでも回避し続けるミリアンに業を煮やしたか、エオリナは血の弾丸の射出を中断した。
「本当に良くかわすわね。そうね。その逃げ足の速さだけは褒めてもいいかもしれないわ」
「そりゃ、どうも」
対するミリアンも、いたって平常な様子で答える。
「でも、既にあなたは私が展開した檻の中。この意味が分かる?」
「……! 今までのは全て布石か!」
目を見開いたミリアンが、回避行動に移ると同時に、エオリナはさらなる魔法を発動させた。
「ご名答! もっとも、今気付いてももう遅いけどね! タァウヅゥオイェ!」
壁、床、柱、様々な場所に着弾して飛び散った血が、再び血の弾丸となり四方八方からミリアン目掛けて撃ち出された。
そして血の弾丸たちがミリアンを蜂の巣にするであろうと見ていたメイドたちの誰もが思った瞬間、紙一重でミリアンの姿が掻き消えた。
次の瞬間エオリナが見たのは、何故か自分の眼前で、血の弾丸を全て置き去りにしたミリアンが、巨大なハンマーを振り被る姿だった。