二十九日目:そこへ至る5
浴場で身体の隅々まで磨き上げられたアリシャは、ドレスを着せられた。
娼婦時代はともかく、傭兵としてそれなりに経験を積んだ今ではドレスなど似合わないということを知っているアリシャは、本当はドレスなど着たくなかったが、魔王からの命令だと言われてはその通りにせざるを得ない。
ドレスを着たアリシャを見て何故か絶句したマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人に、アリシャはため息をついた。
似合っていないのはアリシャ自身承知している。
だから嫌だったのだ。
「……えっと、似合っておられますよ?」
小首を傾げてアリシャのドレス姿を褒めるマキリスだが、鉄面皮な表情ではそれが本心かどうか全く分からない。
「下着で調節すれば大丈夫ですよ。コルセットを締めてくびれを強調させて、胸は寄せて上げて下着でこうやって固定すれば、アリシャお嬢さまは立派な姫君に見えますよ」
ぐいぐいとアリシャがつけているコルセットの紐を引っ張り締めたエオリナが、その紐を結んで固定した後、アリシャの胸にブラジャーを宛がう。
もしここに美咲があれば、どうしてブラジャーがあるのかと仰天したことだろう。
理由は至極単純で、魔族では貴族の子女など向けにブラジャーが発明され広まっている、ただそれだけだ。
「……若干、苦しいのだが」
容赦なく締められたといっても、所詮鍛えていない女の細腕なので、アリシャはその実口にした内容ほどにコルセットが苦しいわけではなかったが、コルセットの息苦しさには慣れず、解放されたかったので文句を口にした。
それに娼婦時代を除いては女らしさを今まで出したことがなかったので、久しぶりの感覚に戸惑ってしまったのもある。
「諦めた方がいいですよ。この後も髪を結ったり、お化粧したりとか残ってますから」
にこにこ笑いながら無慈悲に現実を突きつけたのは、ピオリーだった。
グレムリンであるピオリーは、わざとか偶然か、アリシャが知りたくなかったことをピンポイントで教えてくれた。
どうやらアリシャは魔王に面会するために、ドレスアップしなければならないようだ。
ドレスを着させられた時点で覚悟はしていたが、こうしてはっきりと突きつけられるとやはりアリシャはしり込みしてしまう。
娼婦として娼館で働いていた時代に、女として男の意識を引くための振舞い方や装い方を仕込まれていたから、アリシャとて着飾った経験がないわけではない。
しかし当時とは体格が違うし、それなりに長い傭兵稼業で、身体は女らしさからは随分と遠ざかっているはずだ。
手のひらは自分の身の丈ほどの大剣を自在に振るうためにすっかり固くなった豆だらけだし、肌も日に随分焼けた。
娼婦時代に着けていたウィッグももうつけていないから、アリシャは髪の毛だってかなり短い。
これは娼婦は髪を刈るのが常識だからで、アリシャは娼婦に身売りした時に刈られた。
客に応じて、娼婦は様々なウィッグをつけて気に入られるように自らの雰囲気を変えるのだ。
そのためにも、娼婦の髪は短い方がいいのである。
また、普通の女性は髪を切らないのが一般的なので、そういう意味でも娼婦と一般女性を分ける指標にもなっている。
以前美咲がエルナが死んだ当時に宿屋の女将に言われたように、髪が短いのは娼婦だと思われても仕方のないことであり、この世界で娼婦以外に髪を短くしているのは、兵士や傭兵、冒険者といった長い髪が時には命の危機に直結するような職業の女性のみだ。
そんな彼女たちであっても、全員が髪を短くしているのではなく、家の事情や魔法で何とでもなるという理由で、切っていない女性も珍しくない。
「まだやるのか。もういい、好きにしてくれ」
「アリシャお嬢様は背が高いですし、ヒールは低めにしておきましょうか」
げんなりとしたアリシャの心境を察したか、テンリメイが比較的楽に歩けそうな靴を用意してくれた。
「では、化粧室へ行ってお化粧と御髪を整えましょう」
マキリスが先に扉を開けて待ち、アリシャの退出を促す。
アリシャが廊下に出ると、マキリスが先頭に立ち、エオリナとピオリーが横を囲み、テンリメイが背後に立つという再びがっちり前後左右を固められた状態になった。
「それではご案内いたします。花摘みはいたしますか? 通り道にございますので、寄ることもできますが」
花摘みってなんだと言いかけたアリシャは、娼婦時代に身に着けた一般常識の記憶を思い出して答えを引っ張り出す。
まあ、早い話がトイレの隠語である。
「……念のため、寄っておこう」
完全にドレスアップしてしまったらトイレに行くのも一苦労になると思ったアリシャは先に済ませておくことにしたのだが、まさかこの段階ですでにマキリスたちの介添えなしではどうにもならないということまでは、全く分からなかった。
■ □ ■
化粧を施され、ウィッグをつけて髪を結いあげたアリシャは、廊下をしずしずと歩いていた。
相変わらず前後左右は女魔族のメイドに囲まれた状態だ。
(……しかし、見れば見るほど、変な面子だな)
自分の周りを囲む女魔族のメイドたちを見て、アリシャは思う。
容姿は美しい娘ばかりだが、種族としては魔族の中ではあまり隆盛を誇っていない種ばかり集まっている。
先導するのは引き続き和鬼のマキリスだ。
左右についているのが、それぞれ吸血鬼のエオリナと、小鬼族のピオリー。
そして背後を足音を立てずに歩いているのが、幽鬼のテンリメイである。
ミリアンはもちろん、未だ成長途中のアリシャにすら及ばないが、四人の中では、マキリスが一番体格が良い。
これは、マキリスが和鬼であることに起因する。
和鬼は魔族の中でも体格に恵まれた種族なのだ。
魔法の方はそれなりに過ぎないが、強化魔法だけは別で、種族としてこれも全体的に適正が高い。
恵まれた体格に、恵まれた才能に後押しされた強化魔法でごり押しする、魔族の中では珍しいタイプである。
もっとも、和鬼は元々の能力が高い影響か、技術を軽視する傾向があり、その戦い方は性能差に物をいわせた力押し一辺倒になりやすい。
故にある程度戦いに慣れた者であれば和鬼を恐れる者は少なく、また和鬼に近接戦闘以外の攻撃手段がないこともあって、和鬼の中で魔族兵として戦場に出る者は少ない。
魔族兵の戦いは、基本的に遠距離からの魔法によるつるべ打ちである。
和鬼ではどうしようもない距離から一方的に魔法で滅多打ちにされるので、その身体能力を生かせないのだ。
ミリアンのように速度も化け物級であっという間に距離を詰められるならともかく、それができない近接戦闘に適正があるだけの魔族の地位は低い。
そんな種族自体が魔族の落ちこぼれともいえる和鬼であるマキリスが魔王城でメイドをやっているのは、仮にも和鬼が魔族の中でも古い一族であるのと、マキリス自身が和鬼の中では例外の存在で、強化魔法以外にも、補助系統の魔法全般に高い適正を持っているからである。
その代わり和鬼特有の体格の良さは、和鬼の中では平凡な枠に留まっているが、どのみち魔族という括りでは意味がないので問題ない。
一方で、エオリナの種族である吸血鬼は、攻撃魔法の中でさらに一系統に絞って特化したタイプだ。
吸血鬼が扱うのは血であり、血に関する魔法に関してだけ、吸血鬼は魔族語の才能がずば抜けて高い。
それは吸血鬼が普段から血に慣れ親しんでいるからだとか、吸血鬼の子どもは最初に覚える言葉が大概血に関するものだからだとか、諸説あるものの真偽のほどは定かではない。
他にも吸血鬼は変身系統の魔法に優れた才能を持つ者が多く、身体の一部を霧にしたり魔物に変えたりなど、癖のある魔法を用いる。
エオリナは吸血鬼の中でも種族的特徴が強く、単純な魔法の威力でいえば四人の女魔族メイドの中で最も高い。
血を操るものである以上、複数の対象に一度に効果を及ぼすことは難しく、ほとんどが単体を対象としているのが欠点だが、建物内ではどの道派手な広範囲呪文は使い辛いため城の中で戦ういう意味では問題ない。
まあ、裏を返せば敵が少数か、建物内などの閉所でないとまともに戦えないという意味でもあるのだが。
身体能力的にはごく普通で、強化魔法の才能も種族平均は魔族全体と比べて並だ。
そして何より特徴的なのは、何の対策もせずに浴びているとあっという間に火傷を負うほどの太陽光に対する肌の弱さである。
(和鬼に吸血鬼、小鬼、幽鬼……。鬼族自体は決して悪くはないが、その中でも微妙な種族ばかりが集められているな)
鬼という種は多種多様で、それぞれに対する魔法の適正がずば抜けて高い炎鬼、氷鬼、嵐鬼、岩鬼などという鬼もいるのだが、そうではなく敢えて戦闘能力的には微妙な種ばかりが集められているのは何故なのか、アリシャは疑問を抱く。
「……アリシャ?」
「ミリアン姉さん」
声をかけられて振り向くと、別れてから大して時間が経っていないというのに、アリシャとしては無性に懐かしく思えてしまう牛面が目に入った。
「何よ、その格好。あなたの趣味ってわけじゃないわよね」
「当たり前だ。誰が好き好んでこんな格好するものか」
思わずミリアンと話し込んだアリシャは、自分たちを囲むマキリスたちが唖然としていることに気付いた。
「……どうした?」
アリシャの呟きに答えず、マキリスがミリアンに尋ねる。
「……何故、軟禁されているはずのあなたが、普通に出歩いているのですか」
「え? 軟禁だったの? あれ」
きょとんとした表情のミリアンは驚いた様子で問い返し、アリシャが物騒な言葉にぎょっとする中、沈黙が満ちた。