二十九日目:勇者と魔王13
ルフィミアの片腕が使えなくなったことで、状況は完全にディミディリアたち魔族の方へ傾いた。
本来なら激痛は走っているはずだが、アンデッドになったことでルフィミアの痛覚は大幅に減衰しており、痛みはするものの行動を制限されるほどではない。
(まずったなぁ……)
ままならない状況に、ルフィミアはため息をつく。
魔法を使うだけなら腕の一本や二本使えないところで支障はないが、大立ち回りをしながらでは話は別だ。
腕一本の有無で行動の幅は大きく変わる。
ディミディリアのハンマーの直撃を受けた腕は赤黒く変色していて、力を籠めようとしても全く反応しない。
(……まあ、当たり前か。幸い当たっただけで叩き潰されたわけじゃないし、治癒自体はできそうだけど)
問題は、その治癒を行える人間が、周りにいないことだ。
美咲も一応治癒魔法を使えはするが、自分に効果がないので当然優先はされずせいぜい軽傷を癒す程度の効果しかない。
ミーヤは子どもなので言うに及ばず。
あとは魔族だらけなので、反旗を翻したばかりのルフィミアでは頼れるはずもない。
「ふうん。片腕失くしてもまだやるつもりなんだ?」
すっかり落ち着きを取り戻してしまったディミディリアが、目を細めてルフィミアを見る。
「冗談。私は負けてないし、腕は使えなくなっただけでまだついてる」
ディミディリアに言い返しながらも、ルフィミアは必死に頭を働かせていた。
ここからどうやって挽回するかをこの場で考えなければならない。
挽回が不可能でも、ディミディリアの到達を少しでも遅らせ、この場に引き留める。
それがルフィミアの役割だ。
(問題は……)
ルフィミアはディミディリアに目を向けたまま、ちらりとニーナ、エウート、ルカーディアの三人にも注意を向ける。
(万全でもきついっていうのに、片腕が使えなくなった今は、全員相手にするのはまず無理ね)
ディミディリアが相手というだけでも、時間稼ぎが精いっぱいでルフィミアには勝ち筋など僅かにあるかないかでしかないのに、さらに彼女たちまで受け持つのは、さすがにキャパシティを超えている。
(取捨……選択するしかないか)
現状を整理して割り切ったルフィミアは、ニーナ、エウート、ルカーディアについては素通しさせることにした。
ルフィミアが一番にするべきことは、美咲の天敵たるディミディリアを足止めすることだ。
誰も通さないことに固執して簡単に敗北し、全員通してしまいましたでは話にならない。
「まあ、でも、そこの三人なら、通ってもいいわよ」
ルフィミアの言葉に、ニーナ、エウート、ルカーディアの三人は目を丸くする。
「ふうん。私は駄目なわけ?」
鼻を鳴らして問いかけてくるディミディリアに、ルフィミアは答える。
「順番ってわけじゃないけど、割り込むのは感心しないわ。大人しく待ってなさいな」
少しの間、ディミディリアは考え込む。
選択肢は三つだ。
このまま戦闘を続行し、ルフィミアを叩きのめしてから四人でここを通るか。
三人を先行させて、自分が引き続きルフィミアの相手をするか。
それとも、三人にルフィミアの相手を任せ、ここを突っ切り自分が先に進むか。
一つ目はルフィミアを倒す確実性は一番あるが、当然ルフィミアも死に物狂いで抵抗するはずで、激戦が予想される。
負けるつもりは毛頭ないが、ルフィミアも捨て鉢になって今は自粛しているであろう魔王城が壊れるような規模の魔法を使ってこないとも限らない。
二つ目はディミディリア自身は魔王の下へ到着するのが遅れるが、ニーナ、エウート、ルカーディアの三人を魔王の増援に向かわせることができる。
戦力としてはそれでもディミディリアの方が上だろうが、己の肉体で戦うことしかできないディミディリアよりもできることは多いだろう。
三つ目はルフィミアの相手をニーナ、エウート、ルカーディアの三人に任せるのでルフィミアを仕留め切れるかは分からないが、ディミディリア自身が先行して魔王の下へ向かうことができる。
(……まあ、考えるまでもないわね)
ディミディリアは即座に結論を出した。
今一番行うべきことは、一刻も早くディミディリア自身が魔王の下へ辿り着くことだ。
魔族兵が何人行ったところで、美咲には魔法が効かないから取れる手段は限られている。
それに、人数が揃っても美咲の魔法で纏めて吹き飛ばされる恐れがある。
コントロールその他一切を全て放棄しているだけあって、美咲の魔法はかなりの威力だ。
具体的にいえば、ルフィミアの自爆魔法と同程度か、それ以上。
ルフィミアの場合は自分も戦闘不能になりたくなければ威力を抑えなければならないことを考えれば、単純な威力だけなら美咲は一番だろう。
ニーナ、エウート、ルカーディアが魔王につけば美咲にとって精神攻撃にはなるかもしれないが、直接的な援軍戦力としてどうかと問われると疑問が残る。
「アンタたち。ここは任せた。私は先に進む」
ディミディリアの宣言に、ルフィミアが唇を噛む。
「分かりました! 任せてください!」
「ご武運を。一兵士としてお祈りしております」
「ここを片付けたら、私たちもすぐに参ります」
頷いた三人が、ルフィミアに攻撃を仕掛ける。
こうなれば、ルフィミアは三人を迎撃せざるを得ない。
ディミディリアは戦う四人を背後に、美咲と魔王が戦っているはずの謁見の間へ悠然と向かった。
■ □ ■
魔王にかかっていた魔法が、解けていく。
その一部始終を、美咲は呆然と口を開けて見つめていた。
伸びていた角が消え、青い肌は薄まり普通の肌色になり、体格すら一回り縮んだように思える。
まあ、体格は元々がかなり良かった方だから、縮んだところで良いことに変わりはないが。
尻尾も巻き戻されるかのように短くなって、変身が終わった今では見る影もない。
特筆すべきは容姿の変化だ。
禿頭だった頭は短く切り揃えられながらも髪の毛に覆われ、ぎょろりとしていた金眼は翡翠色の瞳に変わった。
禍々しい骨の鎧は武骨な鋼鉄の鎧に、手足につけていた骨の防具も鋼鉄の防具に変わった。
そして翻る、獅子のマント。
知っている。
美咲はその姿の人間を知っている。
忘れるはずがない。
忘れるものか。
(そういえば、あの大剣は)
魔王が手に握る大剣はその巨大な体格からすると片手剣のようだったが、こうして一回り小さくなるとちょうどよい大きさに収まる。
どうして気付かなかったのだろう。
あの大剣を、美咲は今まで何度も見ていたのに。
「……やれやれ。最後の最後で、しくじってしまったか」
聞き覚えがある涼やかな声が、目の前の女性の口からこぼれた。
そう、女性だ。
よく鍛え上げられた筋肉に覆われた体格でも、身体のラインは女性らしさを失っていない奇跡的なバランス。
女性としての美しさと同時に、戦士としての凄みも感じさせる顔の造作。
「アリシャ、さん?」
目の前で目撃したというのに、美咲は信じられなかった。
完全に、思考が停止していた。
何故、魔王に勇者の剣を突き立てたらそれがアリシャに変わるのかが分からない。
いや、本当は薄々理解し始めていたのかもしれない。
ただ、それを信じたくなくて認めようとしなかっただけで。
「ずっと騙していて悪かったね。魔王は、私なんだよ」
美咲は魔王の腹に突き立てた勇者の剣を握り締めたままだった。
握り締めたまま、表情を凍り付かせて目の前の光景を見上げている。
魔王の唇の端から、つうっと一筋赤い血の筋が流れた。
腹を剣で突き破られ、さらに火柱で焼かれてあちこち火傷を負っているのだ。
普通に重症である。
このタイミングで、ディミディリアが謁見の間に到着した。
「アリシャ!」
状況を見て取ったディミディリアは血相を変えて魔王に駆け寄ると、美咲を弾き飛ばし、魔王をかばって美咲から距離を取った。
「ちょっと! どうしてこんなことになってるのよ!」
「ははは……。すまん。やはり私に、あの子は殺せんようだ。殺せるのならば、とっくの昔に殺していた」
ディミディリアに弾き飛ばされて床に転がった美咲は、のろのろとした動きで状態を起こし、床にへたり込んだまま、魔王──アリシャとディミディリアが親し気に会話をしている様を見る。
訳が分からない。
本当に、全くもって意味が分からない。
(アリシャさんが……、魔王? え?)
再会できたのは素直に嬉しい。こんな状況で出会ったのでなければ飛びついていただろう。
混乱する美咲は必死に目の前の光景を認識しようとした。
同時にアリシャ本人が発した言葉を反芻する。
「ていうか、あんた、すっごい重症じゃないのよ! 下手したら死ぬわよこれ!」
「あ、待て。いきなり抜こうとするな。血が噴き出る」
慌てたディミディリアが懐から大量の治癒紙幣を出して魔王の治療を始めるのを、美咲は呆然としたまま見つめた。
ようやく理解が追い付いてくる。
「……全部、嘘だったんですか?」
美咲が思わずこぼしてしまった言葉に、治療をしていたディミディリアの手が止まり、魔王──アリシャが振り向いた。
「私を助けてくれたのも、稽古をつけてくれたのも、あの時、ヴェリートで残ったのも、全部嘘だったんですか?」
「全部というわけではないよ。最初はお前が異世界人だなんて知らなかったし、ベルアニアが異世界人を召喚したこと自体も全く私は関知していなかったからな」
「皆を騙していたんですか? ミリアンさんと、凄く仲良かったじゃないですか」
「ごめん。美咲ちゃん。それ、私なんだ」
ディミディリアが美咲の問いかけを遮った。
再び美咲の思考が止まる。
「う、嘘です! 魔法で姿を変えてるなら私が触れれば解除できるはずです!」
「私はこっちが本当の姿だし、ミリアンはお前の能力で剥がされないように魔法ではなくマジックアイテムで人間に擬態していたからな。マジックアイテムに触れられていたら解けていただろうが、指輪などの装飾品にしておけば触れる機会もほぼない。分からんよ」
静かな口調で、アリシャは美咲に声をかける。
「美咲、少しこっちに来い。今更謝って済む話ではないが、話をしよう」
アリシャからも、ディミディリアからも、敵意は感じられない。
「お姉ちゃん」
ぎゅっと服の袖を掴まれる。
振り向けば、ミーヤが心配そうな表情で美咲を見上げていた。
「ミーヤも、アリシャと話がしたい。聞きたいこと、いっぱいあるから。お姉ちゃんも、そうだよね?」
「……うん。そうだよ」
確かに、聞かなければならないことは無数にある。
今、美咲の思考は疑問符だらけだ。
美咲は、アリシャと話をすることにした。