二十九日目:勇者と魔王8
先手を取ったのは、ルフィミアだった。
「フゥオヌウォヌネェアワユ、フゥオベェアカァウシィエユ!」
朗々と綺麗な発音で魔族語を発すると、手にした杖先から一条の炎が飛び出す。
炎はのたくる蛇のように空中を滑り、ニーナ目がけて襲いかかった。
「モォイザァウユゥ!」
ニーナもまた魔法で対抗し、水を生み出して炎を消化しようとする。
しかし、ルフィミアの炎はまるでそれ自身が意思を持っているかのように、身をくねらせて浴びせられる水を回避した。
「嘘!?」
「お生憎さま! この魔法は小器用に動けるのが売りなのよ! オィキィ!」
ルフィミアの号令で、のたくっていた炎の縄が今度は一直線にニーナ目がけて飛ぶ。
羽を広げてニーナは空を飛んで逃げようとするが、炎の縄も空中を滑るように追いかけ、ニーナを追尾する。
「わわわ、モォイザァウテェアチィエユゥ!」
かわせないと判断したニーナは、咄嗟に右手を突き出して叫んだ。
右手正面に、掌を中心として水でできた丸い盾が浮かび上がる。
「小器用に動けるって言ったでしょ! メェアワロォイクゥオミィ!」
ルフィミアが魔族語を唱えると同時に杖を振ると、炎の縄が軌道を変えてニーナが作り出した水の盾を迂回して突っ込もうとする。
「器用に動かせるのは、手だって一緒だよ!」
ニーナは炎の縄の動きに合わせて右手を動かし、炎の縄を水の盾で受け止める。
激しくのたうつ炎の縄にやや押されながらも、炎の縄を消火し切ってみせた。
「オィワェアヌゥオヨロォイユゥ!」
今度はエウートが魔族語を発し、魔王城の壁材の一部を削り取って巨大な槍を作り上げる。
ルフィミアの胴体を容易に貫いて床や壁に縫い付けてしまいそうな大きさの岩槍が、エウートの眼前で穂先をルフィミアに向けて静止した。
「今度はこっちの番よ! タァウレェアナキィ!」
エウートの号令で射出された槍が、猛烈な勢いでルフィミア目がけて発射された。
対するルフィミアは、杖を構えて槍を迎え撃つ。
「コォインロユゥォカァウベェアオィズゥオアゥ!」
瞬間、飛んできた岩の槍をルフィミアは杖を振り上げ振り下ろすことによって叩き折った。
真っ二つになった槍は地面に落ちることでさらに砕け散り、ただの瓦礫と化す。
「強化魔法……!」
無力化された自分の魔法を見て、エウートは口惜しそうに臍を噛む。
人数では勝っているとはいえ、魔族という種族の性質状、ニーナもエウートもルカーディアも近接戦闘はあまり得意とはいえない。
無論近接戦闘を得意とする魔族がいないわけではないが、統計としてはやはり遠距離からの撃ち合いを得意とする魔族が多い。
例に漏れず、エウートもその一人である。
能力に多少の違いこそあれ、ニーナやルカーディアも似たようなものだ。
自分たちも強化魔法を使うことはできるが、近接戦闘技術に乏しいので、接近戦に持ち込まれると厳しそうだ。
とはいえ、遠距離からの撃ち合いは相手も得意なので、悩ましいところだ。
「美咲ちゃんが持ってる勇者の剣ほどじゃないけど、私の杖も結構な代物なのよ。自爆魔法でも壊れないくらい、頑丈なのが取り得なの。それに」
「サァウオィヅゥオカヌゥオコォイベァユ!」
「スゥオカァウヅベェアオィズオゥ!」
不意討ち気味にルカーディアが放った水と毒の複合魔法を掻い潜り、ルフィミアは魔法を放ったばかりのルカーディアの眼前に躍り出た。
「アンタたち程度なら、私の近接戦闘技術でも十分通用する!」
杖によるルフィミアの突きを顔を逸らすことで辛うじて避けたルカーディアは、手首の返しによって振り上げられた杖元に顎を跳ね上げられた。
一瞬硬直したところにこめかみに今度は杖先がヒットし、完全に意識朦朧状態になったルカーディアは力なく床に倒れ込む。
「これで一人」
「……一人といったって、ちょっと気絶してるだけじゃない」
苛立たしげなエウートに、ルフィミアは肩を竦めた。
「止めは刺せないからね。あなたたちが死んだら、美咲ちゃんのことだからきっと悲しむだろうし」
「今更そんなことを……!」
「じゃあ、美咲ちゃんは魔族を裏切ったわけじゃないんですか?」
声を荒げようとしたエウートを、どこか願うような眼差しでニーナが遮る。
「それ、勘違いしてるわよ」
驚いた表情でニーナを見るエウートと、ニーナを見比べて、ルフィミアは苦笑した。
「そもそもあの子にはもう、どちらかに明確に肩入れするつもりはないんだと思う。だから、今はただ、あの子自身の感情にケリをつけようとしているだけなんじゃないかしら」
魔王を殺したその結果が、正しかったとしても、過ちだったとしても、一つの区切りにはなるだろう。
■ □ ■
美咲とミーヤが魔王と、ルフィミアがニーナ、エウート、ルカーディアの三人と激闘を繰り広げている時、ディミディリアは別れ際にアズールが言った言葉の意味を思い知らされていた。
重い足音を立てて走るディミディリアは、見覚えのある通路に差し掛かり歯噛みする。
「また同じ道……! アイツ、魔王城内部の空間を捻じ曲げやがったわね! そんなに私を魔王様のところに行かせたくないの!?」
間違いではない。
見覚えがあるのは当然だ。
ディミディリアはもう、この道を五回は通っている。
そのくせ、どんな魔法のからくりなのか、五回ともが別の場所に出て、結局同じこの通路に戻ってきてしまった。
魔法が得意ならばアズールの魔法に対抗しようと考えたり、迷わせている原因である魔法の排除を試みたりするだろうが、生憎ディミディリアの魔法の才能はかなり低い。
一般的な魔族よりも低く、実は美咲よりも低いほどだ。
ああ見えて、美咲の魔族語に対する親和性はかなり高い。
理由などディミディリアには分からないが、召喚されてからたった三十日間足らずでここまで使えるようになったのが、その証拠だ。
魔族語に対する親和性が高いというのは、魔族語の文法や発音など、知識と技術のどちらともレベルが高いということだ。
異世界の人間であるはずの美咲が魔族語に堪能なのは明らかにおかしい気がするが、かといってその理由がディミディリアにわかるはずもなく。
(まあ、本人も分かってなさそうだったし?)
走りながら、ディミディリアは苦笑する。
突き詰めればちゃんとした理由があるのだろうが、今のディミディリアには関係ないし、そんなことを考えている場合ではない。
今は一刻も早く魔王に合流しなければならないのだ。
しかし、そのためにはアズールの魔法をどうにかして打ち破らねばならず、それができるほどの魔法をディミディリアは扱えない。
(まったく、これだからさっさと後腐れなく殺しておくべきだったのよ)
下手に助命せず処刑していれば、こんなことにはならなかっただろうに。
アズールがやたらと魔王との合流を邪魔してきたことから、ディミディリアはほとんど本能的に、今回の騒ぎの裏側を察していた。
おそらく、間違いなく今現在魔王は美咲たちと戦っている。
ディミディリアにしてみればどうしてよりにもよってそんな奴とと思ってしまうが、美咲たちはアズールと手を組んだのだろう。
アズールは元々人間だ。
同族に帰属意識を持つような性格ではないが、目的を達成するためなら手段を選ばない危険人物でもある。
その性格の一端は人間でありながら魔族側についたことからも窺えて、彼は自らの目的を果たすためならば、例え同族だろうと構わず積極的に敵対する。
はっきりと本人の口から聞いたわけではないが、アズールの目的は死霊魔法を極めるためだというのが通説だ。
本人がアンデッドになったのも、自らアンデッドになって寿命を超越することで、マジックキャスターとしてより高みに上るためだと思われている。
(それが本当だとすると、今回もそのせい? アイツ、まさか魔王様よりも強くなろうと思ってる? でも、どうやって?)
走り回りながらも、ディミディリアは思考を加速させる。
どうせどうやって抜けようか頭を捻っても、直情的なディミディリアではアズールの思考を読み解くのは難しい。
ならば、とりあえず足を動かして、頭は別のことに使った方が建設的である。
あまりにも脳筋的な考えだが、ある意味ではディミディリアらしいといえるだろう。
ディミディリアは魔法の才能はないし智謀合戦など出来ようはずもないが、決して馬鹿ではない。
特に直感は鋭く、時に予知染みた正確さで物事を予測することがある。
(……もしかして、アイツ、魔王様の遺体を狙ってるんじゃ?)
こうやって、本能的にアズールの目的をずばり思い当ててしまうほどに。
(うん。あいつ、死霊術師だし有り得そう。となるとますます早く合流する必要があるわね。魔王様は強いけど、美咲ちゃん相手に本気を出せるかといったら甚だ疑問だし。……何だかんだいって、駄々甘だったからねぇ)
苦笑するディミディリアの脳裏に過るのは、いかなる光景か。
(となると、アズールの奴はこのまま私の妨害に集中するか、私を放置して加勢に行くかの二つに一つ。アイツを行かせないためには、私についていないとまずいと思わせるのが一番。でも、方法は?)
考えても答えは出ないので、代わりにディミディリアはニヤッと笑った。
「まあ、何があっても全部壊しながら真っ直ぐ最短距離を突き進めばいいわよね」
ハンマーを振り上げ、手近な壁に振り下ろす。
轟音とともに壁が吹き飛び、瓦礫となって崩れ落ちた。
開いた穴の向こうには、今までとは別の道がある。
「うん。こっちは捻じ曲げられてないわね。魔王城を壊し過ぎたら後で魔王様に怒られそうだけど、緊急事態ということで許してもらいましょ」
一歩踏み出して別の道に移動したディミディリアは、再び壁を壊して真っ直ぐ前進を続けていく。
まさか、魔法をかけたアズールとて物理的に直進されるとは思っていなかったのか、それ以降ディミディリアが道に迷うことはなかった。