二十九日目:勇者と魔王7
とりあえず今のところは、アズールはディミディリアを引き止めることに成功している。
しかしそれは薄氷の上を歩くようなもので、いつディミディリアが魔王の下へ向かおうとするか分からない。
元々ディミディリアは魔王の下へ向かおうとしていたから、いつまでも引き止めるのは難しいだろう。
ディミディリアが「何が何でも魔王の下へ行く」と決意を固めたら、アズールに取れる手段はあまりない。
強いていうなら、二つのみ。
一つはそのまま見送ること。
権謀術数を駆使して戦う前から勝負を決めるアズールに対し、ディミディリアは真正面からあらゆる障害を排除する生粋のパワーファイターだ。
アズールがディミディリアを相手にするには事前の用意が絶対であり、今はその準備が圧倒的に足りていない。
ただ単純な力にものを言わせるだけの戦士なら、むしろアズールにとってはいいカモなのだが、ディミディリアはさすがに次元が違い過ぎるので話が変わってくる。
その地力の高さで、中途半端な搦め手はやすやすと食い破ってくるのだ。
というわけで、準備が出来ていない以上戦っても勝てないことは分かりきっている。
もう一つは、戦わずに妨害に徹すること。
あえてディミディリアを見送り、影から彼女を徹底的に妨害する。
これはアズールの仕業だと気付かせないのが大事だ。
今はまだ、明確に魔王に対し裏切り行為を働いたのがばれるのはよろしくない。
なので一番得意な死霊術の使用は控えなければならない。
死霊術しか使えないというわけではないが、やはりアズールは死霊術を得意とするアンデッドだ。
自分の十八番を使えないのは痛いものの、妨害に徹するならばやり様はある。
何より、アズールは致命的なボロを出した。
うっかり憶測で、事実と違う発言をしてしまった。
不幸だったのは、その場に居合わせていてディミディリア自身がその件に関しては関係者になっていて、アズールよりも詳しかったことだろう。
そもそもアズールは、自分が美咲に引き継がせた仕事にディミディリアが関わっていたなど初耳であった。
それは当然だ。ディミディリアがその場に居合わせたこと自体が偶然なのだから。
ディミディリアはその時ミーヤと一緒におり、そのミーヤを頼るために美咲がやってきた。
たまたまディミディリアがミーヤと一緒にいたのは完全に別件で、美咲の用件に関わることになったのは本当に偶然である。
もっとも、ディミディリアは魔王がその件で唯一残った人間の女たちを処理という形で処分することを嫌がっていたのを知っていたので、そういう意味では気にかけてはいた。
(どんな行いが何になって帰ってくるのか、分からないものね)
あの時ディミディリアが美咲に協力したのは、別にあの女性たちを救おうなどと思ったわけではなく、あくまで美咲に恩を売るためでしかなかった。
もちろん同じ女として、憐憫の情が沸かないわけではないが、所詮は敵対種族同士の関係だ。その辺りをディミディリアは弁えている。
「アンタのその矛盾の意味を色々問い詰めたいところだけど、今は予定が押しているから止めておくわ。ご馳走様」
「……どこに行くのですかな?」
感情が消えた静かな声で、アズールがディミディリアに尋ねる。
そこには、先ほどまでひょうきんにおどけていた老人の姿がまるで最初から無かったかのように消えていた。
「そりゃ、アイツのところよ。色々手間取っちゃったけど、元々アイツに会う予定だったんだから」
「前から思っていましたが、魔王様に対して随分と親しげですなぁ」
「……色々、知ってるからね。それこそアイツが魔王になる前からの仲だもの」
アズールの疑問に対するディミディリアの返答には、隠しきれない郷愁が秘められていた。
しかしそれも、すぐにディミディリアの事務的な言葉によって消え去る。
「それじゃあね。お茶、美味しかったわよ」
「……ええ、道を迷いになられぬよう、お気をつけて」
去っていくディミディリアを、アズールは意味深な台詞で見送った。
■ □ ■
体勢が崩れて回避できない美咲は、迫り来る己の死を悟った。
今から魔法を使っても間に合わない。声を発そうと息を吸い込んだ時点で、美咲の身体は両断され腸をぶちまけるだろう。
しかし、それで諦める美咲ではない。そんなことで諦められるくらいなら、美咲はこんな絶望的な戦いなど挑んではいない。
そして何より、美咲は一人だけで戦っているわけではないのだから。
「ミーヤちゃん!」
「むっ!?」
「マク太郎、迎撃して!」
美咲の呼びかけに応え、年端も行かない幼女の声と、魔物の咆哮が響き、振り下ろされかけた魔王の大剣が美咲を肉塊に変える寸前でビタリと制止した。
重量武器を、まるで己の手足の延長線上にあるかのように、完璧に制御している。
大した握力だ。
そこへ、四メートルを超え、五メートル近い大きさのマク太郎が大きな地響きを立てて走り込む。
地響きは足音だ。足音が大きく響くのは、マク太郎が完全に戦闘態勢に入った証である。
振り上げられたマク太郎の前足と魔王の大剣が激突する。
「……ちっ。さすがに硬いな」
驚いたことに、魔王の大剣はマク太郎の前足を切断できず、巨大な前足に相応しい大きさのごつい鉤爪によって受け止められていた。
「お姉ちゃん、今のうちに早く!」
ミーヤの声で我に返った美咲は、魔王がマク太郎の妨害に遭っている間に体勢を整え、仕切り直す。
「面倒な奴だ!」
「え?」
マク太郎と打ち合っていた魔王は地を蹴り、ミーヤ目掛けて走り出していた。
どうやら一番弱いミーヤを狙う腹積もりらしい。
肝心の狙われたミーヤは全く魔王の行動に反応できていない。
このままでは、ミーヤは為す術もなく魔王の大剣で斬り殺されるだろう。
しかし、そんなことを、体勢を整えた美咲が許すはずもなく。
「ヘェアゾォイキィエルゥ!」
攻撃魔法で勢いを乗せた美咲が猛スピードで走り寄り、ミーヤを抱き上げ魔王がミーヤに大剣を振り下ろす前に離脱する。
一拍送れ、つい先ほどまでミーヤがいた場所を、魔王の大剣が粉砕した。
「あ、ありがと、お姉ちゃん」
「どういたしまして。ミーヤちゃんの方こそありがとう。これでお相子ね」
抱いていたミーヤを地面に下ろし、美咲は再び魔王目がけ攻撃魔法で勢いに乗って走り寄る。
「ミーヤちゃんよろしく!」
「マク太郎、お姉ちゃんに合わせて!」
美咲の声に正しく意図を理解したミーヤが、マク太郎に号令を出した。
再びマク太郎が吼え、魔王に対してその巨体で襲いかかる。
魔王はすぐさまマク太郎の迎撃を選択し、大剣を振り被った。
鉤爪の一撃を大剣で打ち払うと、すぐに振り向いて美咲に相対する。
大した対応力だ。
だが。
振り下ろされた美咲の剣を魔王がはね飛ばさんと大剣を振った刹那、美咲の腕がビタッとと止まった。
「何っ!?」
次の瞬間勇者の剣を握る美咲の腕が霞み、別の角度から大剣を掻い潜って最短距離で突きが放たれる。
「フェイントは得意なのよ!」
美咲の腕というよりも、勇者の剣の特性とでも言うべきであったが、確かに美咲は剣術において相手の攻撃をわざと誘って後の先を突く攻撃を得意としている。
これは勇者の剣の重量がとても軽く、剣の重量に振り回されることなく逆に縦横無尽に振り回せることが理由だ。
虚を突くのに、勇者の剣の軽さはとても都合がいい。
無茶な切り返しも身体に負担が掛からないし、軽いだけでなく威力もあるので、一撃の威力も申し分ない。
この世界に来てから長らく共にしてきた勇者の剣は、正しく美咲の愛剣になっている。
(このまま攻め続ける!)
立て直す隙を与えてはいけない。
そう判断した美咲は、果敢に魔王を攻め立てた。
同時にマク太郎も魔王にプレッシャーをかけ、対応を美咲に絞り集中する暇を与えない。
「やあああああああああ!」
咽喉から迸る気合は、美咲の興奮と、命のやり取りを行う恐怖を吹き飛ばさんとする美咲の意思の現れだ。
まずは気迫で上回らなければならない。
元より魔王の方が圧倒的に強いのだ。
今のうちに、最大限の成果をもぎ取る。
「ちぃっ!」
魔王が大剣を掲げ、美咲の振り下ろしを受け止めに回った。
甲高い金属音とともに、勇者の剣が弾かれそうになる。
「非力だな!」
「まだまだ!」
美咲は泳ぎそうになる腕にぐっと力を入れると、完全に弾かれる前にそのまま勇者の剣を押し込んだ。
「ベェアカァウヘタルゥ!」
魔法の発現場所は、すぐ至近距離。
勇者の剣と魔王の大剣を挟んで相対する、美咲の背中。
爆発によって生まれた運動エネルギーは美咲を避けて魔王にのみ被害をもたらし、初めて魔王の身体を傷付けた。
同時に増大した勇者の剣の圧力に魔王の身体が軋む。
対する美咲は無傷だ。魔法に起因するものなら衝撃なども無効化してしまう能力の面目躍如である。
傷付けることに成功したとはいえ、まだまだ魔王は健在だ。
魔王と勇者の戦いは、なおも続いた。