二十九日目:勇者と魔王5
刻々と魔王城で状況が動き続ける少し前、美咲の部屋の内装を整える家具や小物を探して、ニーナたちは魔都に繰り出していた。
当然、彼女らは自分たちがわざと美咲から引き離されたのだということには気付いていない。
予想すらしていない。
敵対している相手ならともかく、まさか美咲自身にそうされるとは想像もしていない。
しかし、美咲の予測は当たっていたといえるだろう。
もし彼女たちがその場に居合わせたなら、確実に美咲を止めようとしていただろうからだ。
美咲は本気で魔王を殺そうとしているが、同時に失敗しても仕方ないという諦観もあった。
以前のように死に物狂いになれないのは、彼女たち魔族と絆を育み、あまつさえ部下として持ってしまったことと、アズールから死霊術を継承することで、呪刻による死後にアンデッドとして復活する道が見えたからである。
もちろん、元の世界に帰ることを第一にしているのだから、魔王を倒して呪刻を解除し、大手を振って帰るのが一番いい。
だが魔王は一番疑いが濃いものの、殺して確実に呪刻が解けると分かっているわけではないし、真犯人がいないと決まったわけではない。
それでも美咲は賭けたのだ。この世界に召喚されてから、今まで歩き続けた旅が正しいのだと信じて。
故に、彼女たちは置いていかれた。
「うーん、まずは何から見るべき?」
「家具からでいいんじゃない?」
「じゃあ、店に入りましょうか。ちょうど近くにあるし」
別れた三班のうち、ニーナ、エウート、ルカーディアの班は軽く話し合いをした後目的地を決めて歩き出す。
三人とも、美咲のために、いい家具を選ぼうと思っていた。
魔族軍軍人としては褒められたことではないことを、彼女たち自身重々承知しているが、彼女たちの中では美咲の扱いは魔王に次いで重いものになっている。
一番が魔王であるのは軍人として当然だが、二番に人間が来るのは、魔族としての常識ではあり得ないことだった。
また、美咲に抱く三人の思いも、それぞれ深い。
ニーナは元々命を助けられて懐き、心を許していったクチだし、エウートはツンツンした態度を取りながらも、美咲の粘り強さに負けて助けられたことを切欠に態度を軟化させた。
一番美咲を憎んで敵対的な態度を取っていたのはルカーディアだが、元々美咲自身を憎悪していたわけではなく、人間全体を憎悪していただけで、占領された魔族の村で命を賭けて囚われていた自分たちを助け、道を切り開いた美咲の姿に、美咲とその周辺人物に関してのみ、好悪の感情が反転した。
理屈としては、良くない噂が流れていて偏見の目で見ていた不良が子猫を拾った姿に、キュンとして見直してしまうのと似たようなものである。当然、スケールは比べ物にならないが。
「まずは収納だよね。あの部屋クローゼット狭いから、男の人ならともかく女の子の美咲ちゃんなら絶対足りないよ」
「机と椅子も女の子らしい可愛いのを見繕うわよ。今あるのは蜥蜴魔将ブランディール様が使っていたものだから、どう見ても美咲には合わないし」
「どうせなら長く使えるものがいいわよね。学習机とか?」
三人は話し合いながら、展示された家具を観察しながら歩く。
もしこの場に美咲がいれば、ニーナとエウートの発言はともかく、ルカーディアの発言については「学習机とか、もうそんな歳じゃないです! 小学生じゃないんですから!」と真っ赤になって拒否しただろう。
小学生の頃に買ったのが残っているなどの事情があればそのままそれを使おうとも思うものの、そうでないのに一から買い直そうとは思わないに違いない。
しかし幸いといっていいのか、学習机が購入されることはなかった。
魔王城の方で、小さな物音がしたのである。
距離があるから小さく聞こえただけで、実際はそれなりに大きい音だろう。
「……戻る?」
「ええ。美咲と合流しましょ」
「あの子が思い余って何かしたのかもしれない。急ぐわよ」
ニーナ、エウート、ルカーディアの三人は、顔を見合わせると店を出て魔王城に戻るために走り出す。
魔王城の物音は魔都の別の店を見て回っていたカネリア、エリューナ、メイラ、マリル、ミトナ、ルゥの六人も聞いており、彼女たちも魔王城に引き返していた。
■ □ ■
ルフィミアは、謁見の間に行くためには絶対に通らなければならない場所である広間に陣取っていた。
背後には、謁見の間に繋がる廊下に出るための扉が出る。
できるだけ長く、この扉を死守することが、ルフィミアの役目だ。
(一応建物内だけど、やっぱり魔族の城だけあって魔法への備えは万全ね。全力を出しても大丈夫そう)
待っている間、ルフィミアは広間にかかっている魔法を調べ尽くしていた。
いや、かかっているというのは語弊があるかもしれない。
ただ魔法がかかっているだけなら、美咲が中に入った時点で解除されていた可能性があるからだ。
しかし、実際はそうではない。
だとすると、城の建材自体にそういう魔法に強い特徴があるか、あるいは基点式の大規模結界がルフィミアも気付けないような隠蔽でもって隠されているかのどちらかだ。
(……どちらもありそうに思えるのが、やっぱり笑っちゃうわよね、元人間としては)
心情的にはまだまだ人間寄り、というより美咲寄りと言った方が正しいが、ルフィミアは肩入れしたい相手とは裏腹に、自分がアンデッドになったことを受け入れている。
冒険者パーティ『紅蓮の斧』として活動していた頃も結構色々な出来事を経験し、大変な思いをした自覚があったルフィミアだが、ここ最近はそれらを全て濃縮したかのように目まぐるしい日々が続いた。
まあ、実際はそれはルフィミアの錯覚で、ルフィミアが経験した事件を起こった順に並べると、『ゴブリン討伐のために巣に潜入』、『ヴェリートで傭兵として戦争に参加』、『魔王城で再び美咲の仲間に加わる』と、大まかなルフィミアの行動はたったの三つだけだ。
ただ、これらには馬鹿でかいターニングポイントがそれぞれ隠れていて、『パーティの仲間が自分以外全滅して事実上のパーティ崩壊』、『美咲を逃がすために単身蜥蜴魔将に挑むも力及ばず戦死』『死霊魔将アズールにアンデッドとして蘇らせられ自我を囚われるも、美咲の手によって助け出される』と、ルフィミア自身が驚くくらいの経験をした。
(うん。美咲ちゃんにはもう足を向けて寝れないわ。本当に)
思わずといった様子で、ルフィミアの口から苦笑が漏れる。
確かに、アンデッドになったことでルフィミアが背負ったハンデは大きい。痛覚が鈍くなったのはいいが、一緒に触覚まで鈍くなってしまったし、三大欲求も消え失せた。代わりにアンデッドの本能ともいうべき生者への食人欲求や攻撃欲求が生まれているが、これは美咲がくれた爪のお守りによって完全に無効化されている。
(これが無かったら、私は今頃本当に心まで化け物になっていたかもしれない。感謝しないと)
胸元に隠した爪のお守りの感触を、服越しに確かめる。
触覚痛覚については消滅の一歩手前まで鈍磨してしまっているし、味覚についても同様だ。おかげで何を食べても木の皮を噛んだような味しかしない。
立ち尽くすルフィミアの耳に、小さな爆音と、僅かな振動が聞こえてきた。
ある程度離れたこの広間にまで聞こえるということは、それなりに大きな音だろう。
この分では、魔王城の他の場所でも聞こえたはずだ。
もしかしたら、外の魔都にまで響いたかもしれない。
実際には響いていなかったとしても、油断はできない。
様々な種の混成である魔族には、人間よりもよほど耳が聡い種も存在する。
通常なら聞き取れない程度の音でも聞き取ってしまう可能性はゼロではない。
この場所を任された以上は、来ると考えて準備をしておくべきだ。
(まあ、準備っていっても、いつでも魔法を唱えられるよう心構えをしておくくらいしか、方法がないんだけどね)
嘆息は、己に対してか、はたまたこれから来るであろう魔族たちに対してルフィミア自身が抱く嫉妬の表れか。
多くの魔族は攻撃魔法だけでなく、様々な用途の魔法を使いこなすが、人間の魔族語使いは大抵使える魔法は限られている。
たとえばかつてルフィミアのパーティメンバーだったピューミは回復系統が主で、他は僅かに支援系統の魔法が使えるだけだった。
ちなみにピューミは信仰心が篤い教会のシスターであったが、特に魔法の使用に信仰心が関係していたわけではない。というか魔法は魔族語によってもたらされるので、ピューミが信じていた神とは何の関係も無いのだ。
ルフィミアも同じようにほとんどが攻撃魔法に特化しており、それも距離を取ることを前提としたいわゆる『砲撃系』に属する。
なので同じ攻撃魔法でもいわゆる設置型の継続的にダメージを与えるような魔法は不得手だし、攻撃魔法以外では身体強化魔法を使えるだけだ。
(欲を言えば一人くらい前衛が欲しいけど、まあ、仕方ないか)
奇しくも独りで蜥蜴魔将アズールと戦った時と同じように不利な状況だが、あの時と違って今は援軍が期待できる。
持ち応えることができれば、機を見てミーヤが己の手勢のペットを率いて駆けつける手はずになっている。
そうしたら、前衛をペットに任せてルフィミアは魔法を連射すればいい。
だから、ルフィミアの踏ん張り所は、ミーヤが来るまでだ。
(美咲ちゃんの状況に比べればよほどマシ。贅沢は言えないわ)
今頃魔王と死闘を繰り広げているはずの美咲を想う。
邪魔者を排除し、美咲を魔王との戦いに集中させることが、ルフィミアの役目であり、望みでもある。
だからこそ、やってきた相手が見知った魔族兵だろうと、ルフィミアは迷わず敵対する。
「悪いけど、しばらく此処は通行止めよ。通りたければ──分かってるわね?」
魔族語使いとして、魔族との魔法の腕比べは願ってもないこと。
故に、ルフィミアはこの状況を歓迎する。
ニーナ、エウート、ルカーディアの三人が、自分の下に現れたこの状況を。