二十九日目:勇者と魔王3
死闘の開幕は、魔王が放った極寒凍結呪文によって行われた。
かつて、イルシャーナ、マリス、ミシェーラ、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アヤメ、サナコ、タゴサクたち十三人の命を一瞬で奪った大魔法だ。
この魔法を美咲に対して魔王が放ったのはこれが初めてで、美咲にとっては初見殺しもいいところだった。
いくら強くなっているとはいえ、まともに吹き荒ぶ氷雪の中に突っ込めば氷の彫像になって凍死するのは間違いない。
(……でも、いける! 私なら!)
美咲は自らの体質を信じて、大自然の猛威にすら見える目の前の恐怖を捻じ伏せて突貫した。
一気に体感温度が下がる。身体の芯まで冷えていくのを感じる。
だがそれだけだ。
異世界人であるが故の魔法無効化体質は、それが多くの味方を屠った魔王の大魔法であっても、正常に作用した。
勇者の剣を握る手をかじかませることもなく、美咲は極寒氷雪を突破して魔王を剣の間合いに捕らえた。
──悪寒。
考えるより前に、美咲は魔法を破裂させて身体を投げ出していた。
魔法を暴発させた衝撃を利用して素早くその場を離れた美咲は、転がりながら、その光景を見た。
「なっ!?」
ついさっきまで美咲がいた場所の床から、鋭く尖った細い円錐形の何かが飛び出している。
(何かの罠!? いや、違う! あれは、尻尾!?)
魔王が立っている背後で、その尻尾が床に突き刺さり、床下に潜り込んでいる。
その尻尾が床下から美咲を強襲したのだ。
「ふむ。完全に不意を突いたと思ったが。中々どうして第六感が働くじゃないか」
再び尻尾が床下に消え、地面に突き立っていた尻尾自体が床から離れる。
巨体に相応しく長い尻尾で、それそのものが意思を持っているかのようにゆらゆらと蠢き、やがて美咲に尻尾の先を向けた状態でぴたりと止まる。
「やはり、魔法は通じんか。──ならば、肉弾戦だな」
呟いた魔王が、腰を落とす。
ぐっと床が踏み締められ、魔王の体重によってかはたまたかかった力によるものか、その部分だけが小さく陥没する。
その瞬間。
攻撃魔法を利用した美咲以上の速度で、魔王が突っ込んできた。
「くっ! ヘェアジィエルゥ!」
地を蹴ると同時に、咄嗟に魔族語で攻撃魔法を足元に爆発させ、その衝撃を利用して美咲は跳ぶ。
その距離、約二十メートル。
普通の人間なら、そして美咲も言うに及ばず、魔法の恩恵なしには成し得ない距離だ。
それを、魔王はその身体能力だけで上回った。
跳躍中で魔法を使わなければ動けない美咲だが、驚きで言葉を紡げない。
魔王の拳が振り下ろされる瞬間、猛烈な羽音が美咲を連れ去っていく。
その一瞬後、魔王の拳が何もない床を砕き、クレーターを穿つ。
「あなたたち……ベウ子!?」
美咲を救ったのは、大型の蜂のような魔物、ベウ子率いるベウの群れだった。
反射的に美咲はミーヤを見る。
魔物を率いているのはミーヤだ。ならばこれは、ミーヤの指示に他ならない。
「マク太郎はセンター! ゲオ男とゲオ美は両サイドから十分距離を取って飛び掛かる振りをして牽制! ペリ丸とペリトンたちはさっきの魔法に十分注意して、一網打尽にされないように散開して全方向から突撃準備!」
少しでも魔法の的にならないように努力してか自らも小走りに走り回りながら、ミーヤが魔物たちに指示を出す。
最も攻撃力と耐久力が優れているマク太郎を盾役に、素早い動きで一撃離脱に優れるゲオ男とゲオ美で敵の行動の兆候を読んで先んじて潰し、ペリトンたちはその数を生かして全て突撃させ、その物量で圧殺する準備をする。
自分たちの被害すらも度外視した、ミーヤの本気が窺える戦法だ。
「お姉ちゃん!」
立ち上がる美咲の背後から、魔王の呼び笛を手にしたミーヤの鋭い声が飛ぶ。
「あいつの攻撃はミーヤたちが抑える! お姉ちゃんは攻撃に集中して!」
「分かった! ──ミーヤちゃん! 私の命、預けるね!」
「──うん!」
この短いやり取りには、美咲とミーヤの多くの感情が篭められていた。
共に相手を相棒と認め、その行動に己の全てを託す。
年齢の差なんて関係ない。
まだ子どもであるという理屈なんて、この世界の現実では通じない。
ミーヤが美咲の力になりたいと望み、貸し与えられたアイテムの力なれど、それに追いついた。
ただ、それだけのこと。
美咲が走る。
その横をマク太郎が追い越す。
両翼をゲオ男とゲオ美が駆け抜けていく。
「数を揃えたところで、無意味だということを教えてやる!」
「させるか、チィエンケェ、ヘェアタァゥソォイヨェァ、ハァウアゥフゥオアゥデェアン!」
小さな爆発を連鎖させて再び宙に跳んだ美咲の背後の空間で、風が集い、圧縮されていく。
轟音と共に撃ち出されるそれはまさに、風で出来た砲弾だった。
そして、美咲の体質で魔法のダメージ自体が消されても、魔法がもたらす衝撃は消えない。
故に、美咲は砲弾となって空を駆け、その勢いと全体重を乗せて、魔王に勇者の剣を振り下ろした。
■ □ ■
ディミディリアはアズールの他愛無い世間話に付き合いながら、何で自分はこんな無駄な時間を過ごしているのかと疑問に思い始めていた。
「それでですな。意気消沈しているゾンビに儂は言ってやったのです。『お前はまだ死んでない! ちょっと心臓が止まって身体が腐ってるだけだ!』と」
「でもそれってつまり結局死んでるんじゃないの」
「アンデッドジョークですぞ。真面目な突っ込みはご勘弁を」
アズールの笑いのツボが分からず、ディミディリアは笑えない。
というか今の話のどこに他人を笑わせられる要素があったのだろうか。
少なくとも、最後のオチの部分には見受けられないのだが。
「……で、そろそろ帰っていい? 私、まだ魔王陛下への定時連絡がまだなんだけど」
「ややや、もう少しこの死にかけな爺の戯言に付き合ってくだされ!」
「死にかけって、アンタ完全に死んでるアンデッドじゃない」
「ハハ。アンデッドジョーク。笑うところですぞ」
(ぶっとばしたい)
何が悲しくて、反りが合わない同僚のつまらないギャグを延々と聞かせられなければいけないのかと、ディミディリアはかなり真剣に悩んだ。
こう見えても、ディミディリアは魔将である同僚たちに気を使っている。
蜥蜴魔将ブランディールも生きている時はディミディリアは暇があればよく手合わせをしていたし、自信過剰で性格最悪のクズな魔将だった馬身魔将とも険悪な仲ではあったが手合わせは欠かさなかった。
ちなみに馬身魔将は美咲がこの世界に召喚されるよりも早く、ベルアニアの北部戦線で第二王子エルディリヒトによって一騎打ちの末討ち取られている。
美咲が与り知らぬことだが、この馬身魔将という魔族は、自分から一騎打ちを申し込んでおきながら伏兵を忍ばせ不意討ちを狙い、しかもそれがばれていたのに気付かず誘い込まれてカウンターで致命的な一撃を貰うという命を張った大ポカをやらかしている。
蜥蜴魔将ブランディールの方は美咲が死闘の末、大きな実力差を恐れず己の魔法無効化体質で喰らいつき、執念で勝利をもぎ取った。
そんなこんなで二人が死に、代わりに美咲とミーヤが人魔将、従魔将として魔将になったわけだが、ディミディリアはこの二人とももちろん良好な関係を気付いている。
特にブランディールを倒した美咲とは手合わせを行い、その実力をきっちりと確認した。
それで分かったことは、美咲は間違いなく魔族にとっては脅威。これ以上ないくらいの鬼札であるということ。
しかし同時に、ディミディリアは自分であれば十分対応できる範囲内の強さでしかないこともまた、しっかりと手合わせの中で理解した。
実力的には決して高いとはいえない美咲が魔族にとっての鬼札足りえているのは、美咲が異世界人で魔法無効化体質であるという一点が多くを占めている。
魔法無効化体質のお陰で人族と魔族の間に横たわっていた魔法という一番の大きな差を作る要因を強引に消し去り、強化魔法すら無効化することで接近戦で絶対的に有利な状況を作り出す。
代償として、己を対象とする強化魔法や治癒魔法といった一切が効かないが、美咲は逆に魔法によるダメージとそれに付随するダメージを受けないという特質に着目し、攻撃魔法が生み出す運動エネルギーを利用する方法を編み出した。
強化魔法とは違い複雑な動きをするのは難しく、ダメージは受けずとも衝撃自体は発生するため筋力がないと武器が手からすっぽ抜けるという欠点があるが、それでもこの戦い方は美咲にとって切り札といっていい効果がある。
利便さを考えるなら強化魔法に軍配が上がるだろうが、使えないものは仕方ないし、むしろ攻撃魔法のみを鍛えればいい分、時間がない美咲としては効率的に強くなれる方法だ。
だが、この戦い方は魔族が魔法に頼った戦い方をしていることを前提にしている。
もちろんほとんどの魔族がそうであることは間違いないし、そんな一般的な魔族にとって美咲が有利に立つことは間違いない。
全ての能力が高い水準にある魔王すら、それでもその能力の半分以上は魔法あってのものだ。
だからこそ、美咲は魔王を打倒し得る。
しかし、美咲はどう頑張っても、ディミディリアにだけは決して勝てない。
ディミディリアは魔族語の才に恵まれていないため、ほとんど魔法に頼っていないのだ。
代わりに身体能力を限界まで鍛え上げ、ほぼその身体の能力のみで魔将という地位まで駆け上がった。
ないよりはマシと低位の身体強化魔法こそ使っているが、そんなのあってもなくても大した差はなく、美咲とディミディリアが戦えば、ものを言うのは圧倒的な地力の差である。
強くなるための時間がたったの三十日未満である美咲と、魔族特有の長い寿命、少なくとも三桁に達する年月を己の身体能力を高めることにつぎ込んだディミディリアでは、逆立ちしても美咲は勝てないのだ。
基本的に美咲は弱者である。美咲自身それは承知している。だからこそ、美咲の武器は強者に突き立てる弱者の牙であり、強者をその頂から引き摺り下ろすための鎖だった。
この二つの強みが、ディミディリアには通用しない。
それを自覚しているからこそ、ディミディリアは念のため魔王と打ち合わせた上で美咲を見張っていたいのに、アズールの意味不明な世間話で出鼻を挫かれた。
(……ん?)
そこまで考えて、ディミディリアは何か違和感を覚えた。