二十九日目:勇者と魔王2
魔王城を歩く者がいる。
黒いローブを纏い、青白い肌に骸骨に皮がへばりついたような様相の男。
死霊魔将アズールだ。
とある部屋の前で立ち止まったアズールは、扉につけられているプレートを見る。
プレートにはディミディリアの名前が刻まれている。
この部屋は、ディミディリアの私室なのだ。
以前美咲たちが訪れたこの部屋に、今はアズールが訪れている。
アズールは美咲との約束に伴い、ディミディリアと接触しようとしているのである。
扉をノックすると、部屋の中で気配が動いたのをアズールは察した。
どうやら偶然部屋の中に居たらしい。
まあ、偶然というより、ディミディリアが一時的に部屋に戻るタイミングを狙っただけなのだが。
「空いてるわよ。誰?」
「儂ですぞ」
「げっ」
返事をしたのを後悔していそうなディミディリアの声に、アズールは呵々大笑した。
「客人に対して露骨に嫌そうな声を出すのはどうかと思いますぞ」
苦言のように聞こえるセリフの割には、アズールは機嫌が良さそうだ。
他人が嫌がることをするのが大好きなのかもしれない。
そうだとしたら困った性格だが、間違いとは言い切れないのがアズールという男である。
実際、性格は悪い。
扉を開けてアズールが中に入ると、開口一番文句が飛んできた。
「──で、なによ、話って。私も暇じゃないんだけどね」
ディミディリアは牛の顔いっぱいにうさんくさいものを見るような表情を浮かべ、しかもそれを隠そうともしていない。
「ホホ、これは、これは手厳しい。同じ魔将同士、親交を深めようではありませんか」
開けっ広げすぎる態度に、アズールは苦笑した。
とはいえ、この程度の対応は予測の範囲内。これくらいで予定を変更することはしない。
「親交を深める、ねぇ……。私たち、そんなに仲良かったっけ?」
「だからこそでございます。これから先の時代は魔将同士の連携が大事ですぞ。何しろ人間も魔法を手に入れつつありますからな。今はまだ魔族語の理解力の差で魔族が有利ですが、いつか人族の中から魔王様のような突然変異が出ないとも限りますまい」
立て板に流した水のように、アズールの舌は滑らかに動く。
アンデッドとは思えないといったら、それはアンデッドに対する偏見だが、見た者にそう思わせるくらいには淀みない。
「……まあ、人間の中に時たまとんでもない奴が混じっていることがあるのは、私も認めるけど。でもそれなら、新入りたちも集めるべきじゃないの?」
「もちろんそうしますぞ。しかしその前に、まずは儂とディミディリア殿で話を詰めておくべきかと思いましてな」
アズールが嬉々として用件を告げると、ディミディリアは牛の表情でもはっきりと分かるほど嫌そうな顔をした。
いくらなんでも嫌い過ぎである。
もしかしたら、本当にディミディリアはアズールと馬が合わないのかもしれない。
とはいえ、それで接触を諦めるアズールではないが。
「いいわ。じゃあさっさと話を詰めるわよ」
テーブルに案内しようとしたディミディリアを、アズールは押し留める。
本来の目的は、ディミディリアを自分のところに長時間拘束し、美咲と魔王の戦いに手出しをさせないことだ。
そのためには、できるだけ話を引き伸ばす必要がある。
戦いも視野に入れてはいるが、それは最後の手段だ。
正直、アズールはディミディリアと相性が悪い。
「申し訳ありませんが、場所を移します」
言外にお前の部屋にはいられないと言われ、ディミディリアは不機嫌になった。
ディミディリアにしてみれば、喧嘩を売られているのと同じである。
「何よ、私の部屋は嫌なわけ?」
睨んでくるディミディリアに対し、アズールは終始余裕を崩さない。
面倒くさいことに、戦いにおける相性は悪いが、性格自体の相性はアズールが圧倒的に有利だ。
直情径行が強く曲がったことを嫌うディミディリアに対し、アズールは搦め手、謀略、陰謀といった陰険なやり口を好む。
ラーダンで暗躍し奴隷販売組織を手がけていたことからも、その片鱗が窺える。
魔王城に囚われていた女たちの世話も嬉々として行っていただろうし、ルフィミアをアンデッドとして蘇らせ、セザリーたちすらアンデッドにしようとしていることもそうだ。
というか、そんな風に美咲が激怒することを散々行っておきながら、美咲に魔王殺害の協力を持ちかけ、呪刻対策に死霊魔法の継承を持ち掛けること自体が、アズールの性格の悪さを現している。
感情で拒みたくても、何か裏があるのか疑っても、利があり過ぎるので美咲はアズールの提案を飲むしかない。
「申し上げにくいのですが、少し汗臭いですぞ。部屋も汗の臭いが染みこんでますな」
さすがにそんなことを言われるとは思ってもいなかったようで、ディミディリアの顔色が朱に染まった。
「なっ……! 仕方ないでしょ、さっきまで鍛錬してたんだから! っていうか部屋に汗の臭いなんて染みこんでないっての!」
「いいや、臭いですぞ。獣臭と据えた汗の臭いが立ち込めておりますな。儂がアンデッドでなければ悶絶してますぞ。さあ、場所を移動しましょう」
「私別に臭くないわよ! 取り消しなさい! 待て、クソが!」
これだけ煽られてはその場に留まる選択はできず、ディミディリアは獲物の巨大ハンマーを手に取ると、額に青筋を浮かべて踵を返したアズールを追いかけた。
■ □ ■
アズールはディミディリアを引き連れて、おそらく魔王と美咲の戦いの場になるであろう謁見の間から離れるように魔王城を歩く。
最初は獲物を手にして追いかけてきたディミディリアを見て、ぶちのめされるのではないかと心配になったアズールだったが、どうやらディミディリアにもまだ理性が残っていたらしい。
「どこまで行くのよ。アンタの部屋、こっちじゃなかったはずだけど」
「別に儂の部屋に行くわけじゃありませんぞ。どちらかの部屋では不公平ですからな。同じ条件になるように別の場所を押さえております」
カカカカと、アズールはしゃれこうべ一歩手前の口を動かして笑う。
一応、場所を押さえているのは本当だ。
ただし、予約を取るようなところではないので、あくまで下見をした程度だが。
人気がない何もない場所で、そこは魔王城の端にある。
ちょうどいい塩梅に謁見の間からも離れているので、アズールにとってとても都合がいい場所だ。
さらにいえば、そこへ真正直に連れて行くつもりはない。
散々引き回し、焦れさせた後だ。
ついでに散々煽ってディミディリアの意識をアズール自身に向ければ、ディミディリアがアズールの真意に気付き、合流するのを大きく遅らせられるだろう。
困るのは煽りすぎてディミディリアがキレることだが、それはアズール自身が対応に困るだけで、美咲側とすれば悪くない。
美咲とミーヤにとってはディミディリアが冷静になってアズールの意図に気付くことの方が大問題であり、ディミディリアがアズールを追い回すのに夢中になっている限りは問題ない。
「……私が覚えている限りでは、こっちには何もなかったはずだけど」
ディミディリアがアズールに訝しげな表情を向ける。
疑問を抱かれるのは構わないが、冷静になられて思考されるのは困る。
なのでアズールはディミディリアをもっと煽ることにした。
「それはディミディリア殿の記憶力が悪いだけですぞ。鍛え過ぎて脳まで筋肉になりましたかな」
「ああん?」
女性としては限りなく低い、ドスの利いた声がディミディリアから発せられる。
「ねえアンタ、もしかして喧嘩売ってる?」
笑顔で尋ねるディミディリアだが、完全に笑顔の目的が威嚇になっている。
「ああ、気分を害したならば謝罪いたしましょう。これから親交を深めるのですから、仲良くしませんとな」
言葉では謝罪しているが、いけしゃあしゃあと言うあたり全く反省していないのが丸分かりである。
何か言いたげにアズールを睨むディミディリアだったが、やがて目を逸らしてため息をつく。
アズールの性格が悪いのは今に始まったことではない。
目くじらを立てて怒っても暖簾に腕押し、糠に釘。態度を改めないことは分かり切っているからだ。
「……で、まだなの?」
「まだですぞ」
「同じところ回ってない?」
「気のせいですぞ」
「いい加減、そろそろ着くのよね?」
「着きませんぞ」
ディミディリアの口元が苛立ちでひくひくと動く。
対するアズールは飄々としていて、精神的にどちらが優位に立っているかはもはや確定していた。
「おい、いい加減に……」
「着きました。此処です」
怒鳴ろうとして遮られたディミディリアは、乱暴に頭をかいて舌打ちをする。
そして周りを見回して、怪訝な顔をした。
「何処よ、ここ」
「位置的に言えば、魔王城のちょうど端です」
「壁があるだけで、本当に何もないんだけど」
「使い道のないデッドスペースですからな。当然です。物置にするにも位置が辺鄙すぎて使えないという有様です」
ディミディリアに説明をしながら、アズールは魔族語でテーブルと椅子を二脚出した。
「ですが、人気がないということは、誰かに話を聞かれる心配もないということです」
「……まあ、いいわ。此処に来るまでも誰にも会わなかったのは確かだし。さっさと話始めるわよ」
用意された椅子にディミディリアが座ると、椅子のクッションが『キュウ』と可愛らしい音を立てた。
アズールももう一つの椅子に座ると、全く同じ音がする。
無言でディミディリアが立ち上がった。
そして座り直す。
再び椅子から『キュウ』という可愛らしい音がした。
立つ。
座る。
『キュウ』
立つ。
座る。
『キュウ』
どっと疲れたような顔でディミディリアはアズールを見た。
「……何これ」
「キュウキュウチェア。女性に大人気の家具らしいですぞ」
飄々とした態度のアズールは完全に確信犯だが、ディミディリアに対しそんな素振りは全く見せない。
「あー、確かに若い女の子ってこういうの好きそうよね。美咲ちゃんとか、ミーヤちゃんとか」
ため息をついたディミディリアは、アズールをねめつけた。
「でも、今はアンタと私しかいないのにいる? これ」
心底嫌そうな顔のディミディリアに、アズールは満足そうに笑った。
時間は順調に稼げていた。