二十九日目:終わりの始まり5
美咲が歩き出すと、心配そうな表情で皆ついてきた。
「お姉ちゃん……大丈夫なの?」
ミーヤが心配そうに美咲の表情を窺う。
「大丈夫よ。ごめんね、心配かけて」
視線に気付いた美咲は、微笑を浮かべると手を伸ばし、隣を歩いているミーヤの頭を撫でた。
「これからどうするの?」
ニーナが予定を聞いてくる。
彼女は何か不安なのか、背中にある甲殻に隠れている柔らかい羽を出し、小刻みに震わせている。
少し考え込み、美咲は答えた。
「……うーん、とりあえず、部屋の家具とか色々揃えたいかな。今だと殺風景過ぎるし」
実際、新しく美咲に宛がわれた魔王城の部屋は、元はといえば蜥蜴魔将ブランディールの部屋であり、美咲の趣味には合わない。
模様替えの準備という名目で、美咲は魔族であるニーナたちに出かけてもらうつもりだった。
そしてその隙にアズールにディミディリアを任せ、美咲、ミーヤ、ルフィミアの三人で魔王に挑む。
当然、魔王に挑むことはニーナたちには秘密だ。
「私たちはそれでもいいけど、美咲は大丈夫なの? 時間が無駄にならない?」
「そういう些事は私たちで済ませるから、美咲ちゃんは呪刻の解除方法についてもっとよく調べた方がいいと思うわ」
エウートとルカーディアから買い物について思いがけない援護射撃が飛んできた。
二人とも、美咲が本当は何をしようとしているかなど思ってもいないようだ。
少し罪悪感を抱きながらも、美咲は二人の善意を利用しようと考える。
(我ながら、最低……)
自らに悪態をつきたくなるのを美咲は堪える。
善意を裏切るような真似をしようとしている。
それでも、決着をつけなければならない。
勝って帰ることができるかもしれない。
絶望に至る敗北を突きつけられるかもしれない。
それでも、動かずにはいられない。
元の世界の出来事を思い返すことはできる。
でも、もう家族の顔の輪郭はぼやけてしまった。
何となく、印象を思い出すことはできる。しかし、詳しい顔の特徴などは忘れ始めてしまっているのだ。
たった一ヶ月足らずでこうなのだ。帰れなければ、これからますます忘れていくだろう。
(会いたいよ……)
泣きたくなる気持ちをぐっと堪える。
帰りたい。心の底から。
「わ、私も行きます!」
おずおずと控えめに、でもはっきりとカネリアが挙手をする。
羊毛を思わせる天然パーマの白髪に、同じく白い巻き角を頭に生やしたカネリアは、羊の印象に違わず穏やかな性格の少女だ。
いや、羊が穏やかというのは完全に偏見なのだが、カネリアの場合はまさに偏見通りの大人しい草食的な性格である。
そんなカネリアが自分の希望を出している。それだけ本気なのだ。
美咲の役に立ちたい、その一心で。
カネリアにとって美咲は異種族の友人で、命と尊厳の恩人で、かつ上司だ。そんな美咲の力になりたいと思うのは、よく考えれば当然で。
「じゃあ、私たちは私たちで別に出かけましょうか。手分けした方が早く済むだろうし」
エリューナがカネリアの意見に同調する。
さすが人生経験豊富なだけあって、協調性にも優れているようだ。
効率も考え、いくつかの人数で別れて手分けすることをエリューナは提案した。
振り向いたカネリアがエリューナを見て表情を輝かせ、そんなカネリアにエリューナもまた微笑み返す。
きめ細かくつるりとした肌は白磁のようで、というか完全に質感は白磁そのものだ。
魔族であるエリューナだが、その中でもエリューナは無機物が命を持ったような種族で、いわばゴーレム族とでもいうべき姿をしている。
自主的に街に出て行くことが決まっていくのは、魔王に挑むつもりの美咲にとっていいことなのだが、やはり騙すことに罪悪感はある。
それに、手分けして行動するというのは、それだけ時間が短縮されるということで、美咲には少し都合が悪い。
とはいえ、美咲に何ができるわけでもない。
「じゃあ、カネリアとエリューナさん、私の三人と、マリル、ミトナさん、ルゥの三人で別れればいいんじゃない? ニーナさんとエウートさん、ルカーディアさんの三人も含めて三班できるわ」
メイラが具体的に班分けの提案をした。
彼女は年上であるということでエリューナとミトナにさん付けをしているが、同時に魔族軍出身のニーナ、エウート、ルカーディアの三人もさん付けをしている。
それは元々は何も接点もない間柄で、村人同士のように始めから打ち解けていたわけではなく心の距離があるのと、村人であるメイラたちに、彼女たち三人は軍人としての心構えなどを説いていたことに起因する。
つまりは僅かだが、ニーナたちの方がカネリアたちよりも立場が上なのだ。
実際、何かあればニーナたち軍人組が村人組を率いることになる可能性が高い。
もっとも、エリューナとミトナは退役軍人なので、彼女たちが率いる可能性も十分にある。
「私はそれで構いません」
「エリューナと私で有事の際にも指揮できるし、いいんじゃないかしら」
「賛成!」
マリル、ミトナ、ルゥが口々にエリューナの意見を支持した。
「じゃあ、悪いけど今からお願いできるかな?」
申し訳なさそうに美咲が頼むと、快く彼女たちは王都に出ていった。
■ □ ■
美咲が内心抱く罪悪感はともかく、これでニーナたちと別行動を取ることは成功した。
彼女たちが帰ってくる前に、行動しなければならない。
「それじゃ、私たちも行動しますか」
「うん……」
「まずはアズールのところでいいのよね?」
立ち上がった美咲に、ミーヤとルフィミアも続く。
ミーヤは普段のような元気の良さはない。
体調が悪いわけではないので、おそらく精神的なものだろう。
多分、美咲のことが心配なのだ。
ルフィミアの方は普段と同じ表情を保っている。
内心を押し隠す機微は当然ミーヤよりも培っているし、美咲が決めた以上自分が口を出す事柄でもないと思っている。
それに、人間ではなくなっても心情的には人間寄りの思考を持ったままのルフィミアは、何だかんだ魔王を倒そうとする美咲の選択を歓迎している。
ただ、問題が複雑化していることも承知していた。
以前のように、犯人を断定するのが難しくなっている。
魔王の他に死霊魔将アズールという容疑者が出てしまったし、魔王もアズールも犯人にしては一部美咲を助けるような行動を取っている。
彼らの気紛れという可能性は十分にあるし、むしろルフィミアとしてはそっちの確率の方が高いと密かに思っているのだが、美咲の予想は違うらしい。
「美咲ちゃんはアンデッドになりたい?」
「ならなくて済むならならない方がいいに決まってます」
「まあ、そうよね。私自身そう思うわ」
憂鬱そうな表情の美咲を見て、全く意味の無い問いかけをしてしまったと、ルフィミアは己に苦笑する。
「ルフィミアさんは、アンデッドになって辛くはないですか」
「そうね。味覚ないって分かった時はそれなりにショックだったわ。でも、死霊術でどうにかできるって分かってからは希望が出てきた感じよ」
「……そうですか」
考え込む美咲は、ちらちらとルフィミアのことを心配そうに見ている。
「自意識過剰かもしれないけど」
何となく嫌な予感がしたルフィミアは、先んじて美咲に釘を刺した。
「まさか、私のためにアンデッドになろうとか考えてないわよね?」
これで外れたら本当に恥ずかしい自意識過剰アンデッド女になっているところだが、どうやらそれほど的外れでもないらしく、美咲は気まずそうな顔をする。
「……少しだけ。私が死霊術を覚えたら、ルフィミアさんの状況も少しは改善するでしょうし」
ルフィミアはため息をつく。
可愛い妹分が、自分ではなく他人を優先しようとしていることを知ったからだ。
軽く、美咲の額にデコピンをする。
「痛いんですけど」
「痛くしてるのよ」
「……ええー」
「あのね。気持ちは嬉しいけど、美咲ちゃんはもっと自分本位でいいと思うわよ」
「十分、自分本位に動いてますよ、私」
後ろめたさがある美咲は、口をへの字に曲げた。
「元々の目的が呪刻を解呪することですから。世界平和とかが目的じゃありませんし。……そりゃ、今は魔族と人間の仲がもう少し良くなったらいいなぁとか思いますけど、それだってここまで環境の変化がなければそう思ってたかどうか怪しいですし」
美咲の理屈は単純だ。
人間だから人間を助けたいと思った。
魔族に良くしてもらったから魔族を助けたいと思った。
仲間の願いを背負ったからとか、魔族の仲間を裏切りたくないとか、そんな立派な理由はあくまで建前で、本当は美咲が好きになった人たちに嫌われたくないだけだ。
問題は、その好きになった人たちが両陣営にいることで。
「お姉ちゃん」
不意にミーヤが口を挟んだ。
「もしミーヤとの約束のことを気にしてるんだったら、気にしなくていいよ。ミーヤはお姉ちゃんと一緒にいられるなら、どこでもいい」
ミーヤの言う約束とは、ミーヤを連れて元の世界に帰るという約束だ。
「うん、ありがとう。でも、まだ向こうが恋しいのも、本当なの」
元々、どちらを永住の地にするかなど、そう簡単に決められるものではない。
元の世界は元の世界で積み上げたものがあり、こちらの世界でも三十日も経っていないが、それでも多くの経験を積み重ねた。
それらは思い出となって今も美咲の胸にある。
それに、思うのだ。
アンデッドになるデメリットさえ何とかできるなら、セザリーたちが戻ってくるし、死出の呪刻にも耐えることができて時間が生まれる。
時間があれば、魔族と人間の間を取り持つことも不可能ではないかもしれない。
人類の大勝利というわけにはいかないが、敗北という形でなく戦争が終わるなら、背負った願いにも顔向けできるだろう。
アンデッド化に対して倫理的に問題があるのは、アンデッドになるのがどう考えても彼女たちのためにならないからだ。
デメリットが少なくなればなるほど、それは蘇生と同じような扱いになる。
(少なくとも時間はできる。皆で人間に戻る方法を探すのもいいかもしれない)
そもそも死霊術自体が蘇生術研究の副産物として生まれ、発展してきたものだ。
ならばその研究を引き継ぐことだって、悪くはない選択のはずだ。
気持ちを固めた美咲は、ミーヤとルフィミアを伴い、部屋を出た。