二十九日目:終わりの始まり4
ルフィミアに抱き上げられる形で宛がわれた魔王城の自室に戻った美咲は、そのままベッドに寝かされた。
すぐに起き上がろうとして、ルフィミアにそっと押し留められる。
「少し頭を冷やしなさい」
頭に血が上っていた自覚があった美咲は、口をへの字に曲げてベッドに寝転がる。
眠気は全くないが、じっとしていれば沸き立つ感情も治まるだろう。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
自分を見つめてくるミーヤの表情を見て、美咲はようやく仲間たちに心配をかけていたことを自覚する。
「ごめん。迷惑かけて」
美咲が詫びると、ミーヤが慌てて両手を胸の前で振った。
「迷惑なんて、ミーヤそんなこと思ってないよ」
ミーヤの慌て振りに少しだけ気持ちが上向き、かすかに笑みを浮かべた美咲は、続いてニーナ、エウート、ルカーディア、カネリア、エリューナ、メイラ、マリル、ミトナ、ルゥたち魔族陣に謝罪する。
「あなたたちも、ごめんなさい。せっかく助命嘆願してもらったのに、台無しにするようなことして」
「心配したんですよっ!」
一番に、ニーナがベッドに飛びついてきた。
続いて美咲が寝ているベッドに歩み寄ったエウートが、美咲の額をデコピンで軽く弾く。
「別に事情は分かってるつもりだし。でもこれきりにしてよね。肝が冷えたわ」
椅子をベッドの前に持ってきたルカーディアが、蛇身をくねらせ座る。
ただ近付くのではなく、椅子を置くことで自然に美咲の正面を占拠している。
「私たち魔族に隔意は無くても、魔王陛下は例外なのね……」
慈しむような口調で言われて、美咲は居心地が悪くもぞもぞとベッドの上で身動ぎした。
「死出の呪刻に関して否定されて、死んだ皆のことを言われて、我慢できなかった。ごめん」
今更ながら申し訳なさと恥ずかしさがこみ上げてきて、美咲はベッドの掛け布団で顔の下半分を隠した。
「そもそも、どうして魔王様をそんなに恨んでるんですか?」
何気なく発せられたカネリアの問いに、美咲は答える。
美咲にとっては当たり前過ぎて、今更深く考えるまでもない問いだ。
「どうしてって、こんな世界に連れて来られて、乙女の柔肌に変なもの刻まれて、しかもそれが三十日後に死ぬ呪いで、さらに仲良くなった人たちを皆殺しにされたら、誰だって恨みたくなるわよ」
実際に口にしてみて、美咲は実感した。
自分はあんまりな身の上で、なおかつ酷い目に遭っている。
「それ、全部魔王様がやったことなの?」
メイラの問いに、美咲は考える。
(……あれ?)
そして気付いた。
召喚されたこと自体は、実際美咲がこの世界に来ているのだから疑い様がない。死出の呪刻が刻まれているのも現物があるのだから事実だ。効果も刻限前起動を薬で抑えている以上、あると考えるべきである。
でも、誰がやったのかというのは、全て他人から教えられたのだということを。
美咲が召喚されたのは魔王の妨害のせいだ。本来なら別の、軍人とかを召喚しようとしていて、対象をずらされてしまったと美咲はかつてエルナに説明を受けた。
そしてその際に、死出の呪刻が魔王によって刻まれたのだと。
ヴェリートでの撤退戦も、美咲は途中で気絶してしまって後から結果を知っただけだ。
(ずっと、全部魔王の仕業だと思ってた。……でも、証拠は何一つないんだ。そりゃ、向こうも否定するわよね)
現代の価値観でいえば、ろくな証拠もない段階の容疑者を犯人だと決め付けるようなものである。
とはいえ証拠固めなんて、美咲にはどうすればいいのか分からない。
何しろ美咲を召喚したエルナが既に死んでいるのだ。
調べるための一番の糸口が既に失われてしまっている。
かつての自分の軽率な行動を、美咲は恨めしく思う。
あの時、不用意に金貨を見せていなければと、自分を恨めしく思わずにはいられない。
「直接私が目にしたわけじゃないし、証拠があるわけでもない。ただ、私はそう教えられたから、そう思って……」
「こんなことを言いたくはないけど、その教えた人たちが偽りを口にした可能性は?」
エリューナの言葉は、全ての前提を覆すものだった。
美咲は自分が奈落の底に落ちていくような感覚に襲われる。
「私を召喚した女の子は、最後に私の失敗の尻拭いをしようとして死んだんです。嘘をついていたとは思えません」
死んだエルナを疑うのは、死者に鞭打つ行為だ。
受けた恩を仇で返す行いだ。
「……そこよね、問題は」
メイラが腕組みをして考え、ため息をつく。
容疑者の誰もが怪しく、誰もが矛盾した行動を取っている。
一体誰がエルナの召喚に介入し、美咲に死出の呪刻を刻んだのか、皆目検討がつかない。
「やっぱり、私は魔王様は無実だと思います」
おずおずとマリルが意見を述べる。
「そうね。本人が否定しているし、同じ魔族として、私は魔王様を信じるわ」
マリルにミトナも同調し、ルゥが美咲に尋ねる。
「……美咲ちゃんは、どう思う?」
美咲は答えられなかった。
■ □ ■
しばらく休んで受けたダメージを回復させた美咲は、ベッドから起き上がる。
元々大した怪我をしていたわけでもなく、魔王に投げられたことで大事を取って安静にしていただけだから、身体はすこぶる快調になっていた。
魔王が手加減していたのか、それとも投げるという行為で魔王にかけられていた強化系の魔法が無効化されたのか、やろうと思えば美咲に大怪我を負わせ、もしかしたら殺すことすら出来ていたかもしれないのに、魔王はそれをしなかった。
その事実は、美咲を助命したことと合わせて、魔王が美咲の死を望んでいない可能性を示している。
だからこそ、訳が分からない。
美咲に死出の呪刻を刻んだということは明確な殺意があることでもあるのに、魔王本人はむしろ美咲が死なないように留意している節さえある。
(どういうことなのよ……!)
理解ができない美咲は頭を抱えるしかない。
もしかして、本当に死出の呪刻を刻んだのは魔王じゃないとでもいうのだろうか。
しかしそれが真実だとしても、美咲の仲間たちをほぼ全滅にまで追い込んだのは、魔王であることにも間違いはないのだ。
(私に呪刻を刻んだのは誰なの……!?)
ずっと魔王だと思っていた。
今もその可能性が一番高いと思っている。
死霊魔将アズールも怪しいといえば怪しい。
しかし、両者とも口ではやっていないと否定する。
当然だが、美咲には信じられない。
どちらかが嘘をついているのだと考える。
その嘘をついている方を特定する手段が問題だった。
どうやって特定すればいいのか。
(確かめるのは、実際に殺すのが一番確実だけど……)
魔王と死霊魔将アズールの二人を殺す。
実力的にいえば、どちらも難しいといわざるを得ない。
それに、魔王を殺せば魔族のほとんどを敵に回すだろう。確実に、ニーナたちも敵に回るに違いない。
アズールを殺したら、彼が示した『アンデッドになることで呪刻による死を回避する』という方法が使えなくなる。
殺すことに対して、デメリットがあまりにも大き過ぎる。
それでも、確実に解呪できる確信があるのなら、美咲は強行したかもしれない。
だが、殺したが濡れ衣だったという可能性も浮上している以上、短絡的な手段は取れなくなった。
二人とも、実は呪刻を刻んでいないという最悪の可能性すらあるのだ。
苦労して魔王と死霊魔将アズールを殺して、どちらも間違いだったなどという結果になれば、美咲はもう死ぬしかない。
(どうする? どうすればいいの?)
感情は、魔王と死霊魔将アズールを殺すことを是としている。
理性は、魔王と死霊魔将アズールを殺すことを否としている。
落ち着いてよく考えれば、感情に任せて魔王と死霊魔将アズールを殺すのはどう考えても悪手だ。
憎み合う人族と魔族の関係と何も変わらない。人族魔族関係なく、自分が助けたいとおもう者を助けると決めた美咲自身の決意を裏切ることにもなる。
魔王や死霊魔将に抱く憎しみ自体を否定するつもりはない。
美咲はそれだけのことをされてきたのだから。
でも、それではいけないこともまた、知っている。
(皆を殺した魔王を許せるか。ルフィミアさんだけでなく、皆までアンデッドにしようとしてる死霊魔将アズールを許せるか)
許せない。
考えるまでもなく、答えは出ている。
だが。
憎み合う人族と魔族のどちらにも与せず、自分の守りたいものを守ると決めた美咲自身が、憎しみを捨てられないというのはでは、説得力はない。
(……最後に、魔王に挑もう。全力でぶつかって、倒せれば、それでいい。倒せなかったら、その時は。呪刻を解くことも、人間として元の世界に帰ることも諦めて、この世界で暮らそう。どの道、アンデッドになったら、元の世界でまともに暮らすことなんてできなくなるんだから)
元の世界に帰れないというのは、絶望だ。
しかしアンデッドになって帰ったところで、どうしようというのか。
もはや、美咲にとって、魔王と戦うということは、未練を断ち切るための儀式といった方がいいかもしれない。
(アズールの奴に、知らせなきゃ。ディミディリアさんを抑えててもらわないと)
未練を断ち切るためとはいえ、負けたいわけではないのだ。
できることはするべきだ。
美咲は覚悟を決めた。