二十九日目:終わりの始まり1
朝を迎えた。
一番に自覚にしたのは、頭痛と身体全体に走る鋭い痛み。
(何これ……)
思わず痛みに呻いた美咲は、その痛みが何なのか考えて、青くなる。
心当たりなど、一つしかない。
(呪刻の期限前発動を抑える薬の効果が、切れかけてる……?)
自覚した途端にほとんど恐慌状態になった美咲は、這い蹲るようにしてベッドから転げ落ちた。
普通に起きようとしたのに、身体の痛みでろくに動けない。
「お姉ちゃん……?」
同じベッドで寝ていたミーヤが、その拍子に目を覚ます。
それとほぼ同時に、扉が開いてルフィミア、ニーナ、エウート、ルカーディアの四人が部屋に駆け込んできた。
「今の音何!? 凄い音がしたんだけど!」
一番に現れたルフィミアは、床に倒れている美咲を見て表情を険しくする。
「美咲さん、大丈夫ですか!?」
「敵襲なの!? 魔王城のど真ん中で!?」
「抜かった! 窓も警戒しておくべきだったわ!」
ニーナ、エウート、ルカーディアの三人は、倒れている美咲を一目見た途端、扉と窓に別れて陣取った。
エウートが扉の横に立ち、ニーナとルカーディアが窓の側に立って美咲を外から隠す。
「薬……呪刻の薬、取って。私の、道具袋の中に、あるから」
か細く切れ切れになった言葉で、美咲は懇願する。
布団をはね飛ばして起きたミーヤが慌ててベッドから飛び降り、ベッドの下に隠してあった美咲の道具袋を引っ張り出した。
「お姉ちゃん、死なないで……!」
「分かった! すぐ見つけるから、それまで気張んなさいよ!」
ルフィミアもミーヤと一緒に美咲の道具袋の中身をぶちまけ、薬を探し始める。
「わ、私も……!」
「二人いれば十分よ! それよりあなたたちは外の警戒をお願い! 万が一の可能性が少しでもあるなら続行して!」
床に散らばった美咲の道具類に駆け寄ろうとしたニーナを、ルフィミアが一喝する。
「は、はい!」
「薬、あった! お姉ちゃん、飲ませるね!」
マルテルの治療院の袋を見つけたミーヤが、中の薬を取り出す。
薬は懐紙に包まれた粉薬で、ミーヤは続いて美咲の革製水袋を手に取ると軽く振って中身があることを確認し、薬と水袋を大事に抱えて倒れた美咲の下へ駆け寄る。
ミーヤが薬を水と一緒に飲ませると、美咲の容態は急速に落ちついていった。
荒くなっていた美咲の呼吸も、穏やかになる。
「び、吃驚した……」
「吃驚したのはこっちよ!」
痛みが消えて美咲が安堵のため息を漏らすと、即座にルフィミアの叫び声が返ってきた。
汗まみれになったミーヤとルフィミアが床に這い蹲っているのに気付いた美咲は、微笑みを浮かべた。
「心配かけてごめんなさい、ルフィミアさん。ミーヤちゃんも、薬を探してくれてありがとう」
「もう、身体は大丈夫なの? いきなりバラバラ死体になったりしないわよね?」
心配そうな表情で、エウートが窓の外に注意を向けながら美咲に尋ねる。
「大丈夫だよ。今のところはだけど」
「……不吉な言い方されると、不安になるのだけれど」
美咲の身を案じるルカーディアに、美咲は苦笑した。
「ごめんなさい。皆を安心させるためにも、こんな呪刻は早く解かないとね」
何でもないことのように、美咲は立ち上がる。
無論やせ我慢だ。
本当は焦っている。
(……あと二日。もう先延ばしにはできない。今日こそ動かないと)
思いの他、魔王城での生活にも色々馴染んでしまったから、危機感が薄れていた。
つい、呪刻のことを深く考えないようにして現実逃避してしまっていた。
呪刻を刻んだと思われる容疑者は二人。
魔王と、死霊魔将アズール。
どっちも怪しいといえば怪しいし、怪しくないといえば怪しくない。
呪刻を刻んだ本人と考えると、行動がどちらも矛盾しているのだ。
美咲を魔将に据えた魔王。死霊術の継承を持ちかけたアズール。
どちらにしても、己が殺そうとしている者に対して取る行動ではない。
脳裏に最悪の可能性が浮かぶ。
何か見落としをしていて、全く別の相手が犯人なのではないかという、不吉な想像が。
(弱気になるな……! 魔王城から王都にいた私に死出の呪刻を刻めるのは、魔王かアズールの二人だけ……! 魔王自身が言ってたじゃない!)
焦燥に駆られた自分の心を、美咲は叱咤する。
こうして、美咲の新しい一日が始まった。
■ □ ■
朝の騒ぎも落ち着いて、簡単に朝食を済ませると、美咲はディミディリアに今日の予定を聞きに行った。
一応魔将なのだから、何をするべきかくらいは知っておいた方がいいと思ったのだ。
とはいえ、無論美咲にその通りに動くつもりなどないが。
「え? 別に予定なんて決まってないわよ。自分で考えて好きに動きなさい」
「は?」
しかし、ディミディリアからの返答が意外というか、適当過ぎて美咲の目論見は早くも崩れ去った。
「で、でも決まってる仕事内容とかあるでしょう?」
食い下がる美咲だが、続くディミディリアの言葉に、今度こそ開いた口が塞がらなくなってしまう。
「そんなのないわよ。魔将は自分で考えて自分の意志で動くもの。直接命令できるのは魔王様だけだから、魔王様の命令がない限りは基本的に何をするのも自由なのよ」
「てきとーだね」
ミーヤも呆れた様子で、ディミディリアを見上げている。
「そもそもが既存の命令系統に含めるのが難しいからね、魔将っていうのは。基本的に私もアズールの奴も、個人で軍隊規模の戦力保持してるし」
「アズールはアンデッドの軍団を操りますから分かりますけど、ディミディリアさんもですか?」
「ええ。こう見えても強いのよ、私」
力瘤を作ってアピールするディミディリアに、美咲は苦笑した。
「それは見れば分かります」
見かけが完全にミノタウロスのようなディミディリアは、それに勝るとも劣らない頑強な肉体の持ち主だ。
自らの身長よりも大きい超強大かつ超重量のハンマーを獲物として振り回すことからもそれは明らかだ。
「特に魔術語使いに対して強そうね。ブランディールの奴よりも特化してるんじゃない?」
尋ねながら、ルフィミアはディミディリアに対しては完全に相性不利であることを悟っている。
魔法剣士としての特色が強かったブランディールでさえ、本気を出されれば防戦一方だったのだ。
より近接に特化したディミディリアが相手では、一対一を挑むのは無謀を通り越して自殺行為である。
「否定はしないわ。魔術語の才能がない分私はこっちに全振りしてるからね。大抵の魔族は魔法を使われる前に捻じ伏せられる自信があるわよ」
また、ルフィミアだけでなく美咲に対してもディミディリアは強敵だった。
本人の戦闘能力は言うに及ばず、大して魔族語に頼っていないので、美咲の魔法無効化があまり機能しないのだ。
完全に使っていないわけではないのである程度は弱体化するだろうが、それでもその幅は確実にブランディールよりも小さいだろう。
美咲がブランディールに勝てたのは、強化を強制解除されたブランディールが急落した戦闘能力の落差に適応できなかったからだ。
ディミディリアが相手では、同じ方法では例え魔法無効化に成功したとしても返り討ちに遭うだろう。
「み、美咲ちゃんだって強いんですよっ! 魔族兵でも歯が立たなかった人族騎士たちをぶちのめして、私達を助けてくれたんですから!」
何を思ったのか、ニーナがディミディリアに美咲の強さをアピールし始める。
思わず顔を赤くする美咲を見て、ディミディリアが大笑いした。
「あっはっは! そうね、強いわね、確かに!」
肯定するディミディリアだが、美咲にしてみればそれは明らかに間違いである。
身体能力的にも、技術的にも美咲とディミディリアには大きな開きがあるのだ。そのことを自覚しているから、美咲は自分のことを強者だとは思えない。
自分が魔将になったのも、美咲は何かの間違いだと思っているし、地位に見合った働きが出来るとは思えない。
それでもその地位を拝命したのは、その方が魔王に近付けると考えたからだ。
全ては、魔王を殺すために。
「まあ、美咲ちゃんが魔将になった理由も、分からなくはないのよ」
「えっ?」
ぽつりとディミディリアが漏らした言葉に美咲は驚いた。
「どういうことですか?」
エウートはディミディリアに対して尋ねた。
自分よりも立場が上の相手なので、敬語を使っている。
そんなエウートが新鮮で、美咲は思わずエウートをまじまじと見てしまった。
「何よ?」
「ううん、何でもない」
視線に気付いて振り返るエウートに、美咲は慌てて両手を横に振り誤魔化した。
その様子を見ながらディミディリアは続きを説明する。
「私達魔族の大きなアドバンテージだった魔法が、人間にも伝わりつつある。時間が経てば立つほど、広がっていた魔族と人間の差は埋まっていくでしょうね。同時に、魔法の利便性によって人族の間で使われていた飛び道具も廃れていくでしょう。そうなった時、おそらく魔将の中で一番強くなっているのは美咲ちゃんよ」
「……なるほど。異世界人だからですね」
ルカーディアは今の説明で全てを理解したらしい。
当の美咲はどうして自分が一番強くなると断言できるのか、全く分からないのだが。
「つまり、人間が魔族語の差を埋めて魔族に追いついた時、その人間の天敵になるのが、美咲ちゃんなのよ。だから引き入れた。さすが魔王様、先見の明だわ」
ようやく理解が追いついて絶句した美咲に、ディミディリアが獰猛に笑った。