二十八日目:死霊術2
美咲が衝撃から復帰する前に、エウートが険しい表情でアズールを睨んだ。
「それ、危険なんじゃないの? 頭に刻むとか、いかにも物騒なんだけど」
警戒心を露にするエウートは狐のような尻尾の毛を逆立て、臨戦態勢に入っている。
「そうね。美咲ちゃんが無事で済むとは考え難いわ」
ルカーディアもまた、目を細め爬虫類のような虹彩の瞳をアズールに向ける。
彼女の感情を表すかのように、ルカーディアの下半身の尻尾の先が、苛立たしげに左右に揺れている。
「確かに難しい手段ではありますが、美咲殿なら良い答えを返してくれるとおもっておりますぞ。何しろ、彼女は余命幾許もない身。しかし儂の死霊術を受け継げば、死出の呪刻が発動してもアンデッド化することで生き長らえることが出来るのですから」
回りの雰囲気が変化したことに気付かないわけではないだろうに、アズールは態度を崩さず、その視線は美咲のみを捉えている。
ニーナやエウート、ルカーディアたちには一瞥もくれない。カネリアたちへも同じだ。
ただ、ミーヤとルフィミアの二人には一定の注意を払っているようである。
いや、興味というべきか。
「それに、美咲殿は異世界人であるが故に、アンデッドになっても冥府からの影響を受けることはない。アンデッド化に伴い喪失する五感も儂から受け継いだ死霊術があれば取り戻せる。実質的にアンデッド化することに、デメリットは何もないに等しい」
アズールの説明を聞いた美咲は黙り込んでいる。
蚊帳の外に置かれたカネリア、エリューナ、メイラ、マリル、ミトナ、ルゥの六人は顔を見合わせた。
そして、自然と彼女たちの視線は美咲の方に向く。
「そう聞くと、確かに良いことのように思えますけど……」
カネリアは心配そうに美咲を見つめる。
「美味い話ばかりであるはずがない。そう考えるのが普通よ」
エリューナは露骨に警戒しているようだ。
確かにアズールは姿形からして警戒心を抱かせる容姿だし、実際にラーダンで暗躍していたように謀略の類を好む。
この話にも、美咲たちには伝えてない裏がないとは言い切れない。
とはいえ、アンデッドになるということが死出の呪刻に対する一つの解決法であることは確かで、結局は美咲の意思次第だ。
「それで、美咲はどうするの? あいつは継承して欲しがってるみたいだけど」
理解しているからこそ、メイラは最終的な判断を美咲の選択に委ねた。
「どちらの選択でも、私達は美咲さんについていきます」
マリルは美咲が人間であるかどうかはあまり関係ないようだ。
よく考えればそれは当たり前だ。
人間だから美咲が好きなのではなく、種族関係なしに美咲を好きになったのだから。
「アンデッド化したら後戻りはできない。慎重に考える必要があるわ」
故に、ミトナも美咲にどちらにしろとは決して言わない。
人間だろうと、アンデッドだろうと、ミトナにとっての美咲が変わるわけではない。
「ルゥは人間じゃないから、美咲ちゃんも同じになるのは歓迎、かな」
むしろ、身体のほとんどが人型ではないルゥは、美咲が人間でない方がより共感を抱けるようだ。
とはいえ、元の世界に戻るつもりの美咲にとっては、この選択は元の世界での暮らしに大きく関わるであろうことは間違いない。
アンデッドになれば普通の暮らしなど望めないだろうし、不審を抱かれないうちに家族の下から離れて一人暮らしをする必要があるだろう。
今が既に不本意に親元から引き離された状態である美咲は、帰ったらできるだけ家族と一緒にいたいと思っている。
とはいえミーヤを連れて帰る時点で騒ぎは必至だ。そういう意味では美咲がアンデッドでも問題ないのかもしれない。
どうせアンデッドになったことを隠すように、ミーヤの素性についても隠さなければならないのだから。
そもそも異世界に召喚されたなどと、どう説明すれば信じてもらえるか、美咲には全く分からない。
まだ家出の方が信憑性があるだろう。
答えあぐねる美咲に、アズールは静かに告げる。
「なに、今すぐ答えを出せとは言いません。呪刻の期日が来るまでに返答をいただければそれで構いませんぞ」
笑みの形に歪んだ髑髏顔を見て、美咲は事がアズールの思い通りに進んでいることを悟る。
本当に、アズールの目的は美咲に死霊術を継がせたいだけなのだろうか?
当然、真意は読めない。
「……一つだけ、聞かせて」
「何ですかな?」
口を開いた美咲に、アズールがぴくりと眉を動かす。
「死出の呪刻を私に刻んだのは、あなた?」
尋ねた美咲は、どんな嘘も取り繕いも見逃すまいとアズールを見つめた。
「違いますな。儂はそもそも、面と向かって会うまで美咲殿の顔も名前も知らなかったのですぞ」
答えたアズールが嘘を口にしているようには、美咲には見えなかった。
■ □ ■
結局謎は謎のまま、美咲は返答を保留にしてアズールの私室を出た。
もう何が正しいのか分からない。
美咲に死出の呪刻を刻んだのは魔王か、それとも死霊魔将アズールか。
容疑者はこの二人のどちらかなはずだ。それ以外に存在するとは思いたくない。
もしそうなら、それが誰かも分からない以上、美咲に打つ手はないのだから。
今日は召喚されてから二十八日目。
期日までは後二日。
この二日で美咲は動かなければならない。
魔王を殺すか。
死霊魔将アズールを殺すか。
あるいは両方とも殺すか。
どの選択肢も困難さでは似たり寄ったりだ。
実際には大きな難易度の隔たりがあるのかもしれないが、美咲にとっては富士山とエベレストを比べるようなものである。
どんぐりの背比べの逆バージョンとでもいえば伝わるだろうか。
「お姉ちゃんがどんな選択をしても、ミーヤはお姉ちゃんについていくよ」
伸ばした手で美咲の服の袖を掴むミーヤは、美咲と同じ道を歩むという決意は変わらないようだった。
人間のままでも、例えアズールの勧め通りに死霊術を継承して人間ではなくなっても、側を離れることはない。その意思表示だ。
「既にアンデッドになってる私としては、美咲ちゃんまでなる必要はないと思うのだけれど。死霊魔将のやつ、どうして美咲ちゃんを選んだのかしら。継承するなら私でもいいじゃない」
ルフィミアは、アズールが美咲を継承者に指名した理由を考えていた。
頭に死霊術を直接書き込むという方法ならば、確かに美咲の魔法無効化能力を突破できるかもしれないが、そんな面倒な真似をしなくともルフィミアならば普通に学ぶことができる。
何しろ、アンデッドであるルフィミアには時間による制約が無い。いくら時間が掛かろうとも、確実に継承することができるだろう。
「でも確かに、死出の呪刻を解除できないことを前提に考えられるなら、美咲ちゃんが死霊術でアンデッド化すれば、実質的に解除したのと同然になるんですよね。アンデッドなら死にませんから」
考え込んでいたニーナが、美咲に差し迫っている呪刻の刻限と、術者を倒して解除する以外の対処法を示す。
死出の呪刻で一度死んだ後、アンデッドとして蘇る。
方法としては可能だろう。
時間さえあるなら、ルフィミア自身がいっていた通り、ルフィミアが死霊術を継承して美咲をアンデッド化させるのが一番だろうけれど、生憎時間が足りなさ過ぎる。
多少強引で危険な方法でも、美咲自身が継承して自分自身に死霊術をかけるしかない。
しかも、普通にかけるだけでは魔法無効化能力で弾かれるから、これも頭に刻み込む必要がある。
つまり、術者はアズールになるのだ。
どう考えても余計なことをされそうである。
というかもし話に裏があるなら絶対に行うタイミングだろう。
「もっとも美咲がアンデッド化を望むかどうかはまた別問題だけど。美咲はそこのところどうなの?」
視線を向けてきたエウートに対し、美咲は歯切れの悪い言葉を返す。
「……正直、まだ迷ってる、かな」
迷っているのは本当だった。
アンデッドになんて、ならないで済むに越したことはない。それが美咲の考えだ。しかし、そう言ってはいられないのも事実。
「人間のままでいられるならその方がいい。でも、それで死んだら元も子もない。かといって、人間じゃなくなったら元の世界に帰っても、ね」
美咲の目的は、元の世界に帰ってその後も生き続けることだ。
死出の呪刻が刻まれた状態で帰っても意味がないから、仕方なくこの世界で戦う道を選んだ。
死ぬくらいなら人間であることに拘る必要はない。その気持ちがないわけではない。
しかし、アンデッドになってそれを家族にどう伝えればいい。隠し通す? 友達にも? 数年程度ならそれも有りかもしれない。
でも、皆が大人になって、歳を取っていっても、アンデッドになれば美咲は永遠に若いままだ。
どう説明する? アンデッド化したことを話す? 信じられるとは思えない。美咲自身がかつて向こうの常識に染まっていたから分かる。不気味がられ、居場所を失くす未来がきっと来る。
その時が来て、アンデッド化したことを後悔しない自信はない。
「なら、いっそこっちに留まるのはどうかしら。美咲ちゃんには悪いけど、私達はそっちの方が嬉しいわ」
代案を出してくれたルカーディアに、美咲は微笑んだ。
「ありがとう。……でも、やっぱり家族に会いたいんだ。皆、きっと心配してる」
とても魅力的な提案だった。
この世界に来てから辛いことばかりだったけれど、楽しいこともそれなりにあった。別れが多かったけれど、それ以上に出会いがあった。
元の世界に帰るのなら、その多くをこの世界に置いていかなければならない。それは少し、寂しい。
「……少し、分かる気がします」
カネリアが遣る瀬無い面持ちで空を見上げる。
美咲も空を見上げた。
空は青く澄み渡り、これだけは元の世界とあまり変わらない。
「そうね。私達も戦争で家族を失った。故郷の村を踏み躙られた。もう戻れないと分かっていても、戻りたくなる気持ちは否定できない。幸せだったあの頃に」
エリューナが思い出すのは、人族騎士たちに襲われる前の村での、平和な日々だ。夫である村長と一緒に暮らし、実の子に恵まれなかったから、自分よりも年下の村人たちは実の子ども同然だった。
今では、美咲やミーヤ、ルフィミアのことも、そう思っている。
「でもやっぱり、それって非建設的よ。私は前を向いて、未来に目を向けたい。考えたってどうしようもないことを考えて悲しくなるよりも、楽しくなることを考えたいわ」
メイラは過去を惜しむのが嫌いだった。
だって、いくら思い返したって、既に確定した過去はひっくり返ったりはしない。
死んだ村人たちが生き返るわけではないし、陵辱された事実がなくなることもない。
そして何より、捥がれた翼は永遠に戻らない。
「それに、失ったものは大きいですけれど、得られたものだってあるんです。美咲さんとか、ミーヤちゃんとか、人間のお友達もできましたし、ルフィミアさんともお知り合いになれました」
マリルは若干照れている様子で、自分の指と指をつつき合っている。
その横顔は、綺麗なピンク色に染まっていた。
「確かに、昔なら考えられないわよね。味方として人間と同じ部隊にいて、上司が人間、しかも年下っていう。若い頃の私なら、絶対反発してたに違いないわ」
軍属経験のあるミトナは、若い頃はかなりやんちゃだったようだ。
そして魔族兵として当然のように、人族を嫌っていたのだろう。
「ルゥは、美咲好きだよ? だって、優しいから」
貝殻の中に身体を隠しながら、ルゥが告げる。
反応が返ってくる前に隠れるのを見て、美咲の表情に自然と笑みが浮かんだ。
(……選択肢の一つとして、覚えておけばいいか。こんなのは、最後の手段くらいでちょうどいい)
考えは、決まった。