二十八日目:ディミディリアと3
魔族の武具店に並んでいる武具は、皆何かしらの魔法が掛かっているものばかりである。
以前美咲がイルシャーナに買い与えた『加速』の槍のように、魔族文字で丹念に武器そのものに魔法の性質を持たせた武器。
これらの武器は、ただ武器を魔法で強化しただけの状態とは違い、美咲の体質で無効化されることはない。
より正確にいうと、使うこと自体はできるが、その効果を美咲に向けると無効化されると言った方が正しいか。
良い例は、武器ではないが治癒紙幣だ。
治癒紙幣に刻まれているのは、治癒の意味を持つ魔族文字だ。
当然美咲が触れただけで文字が消えるわけではないから、美咲でも使うことができる。
しかし、その効果を自分に向けた場合は何も起こらず、ただ無為に治癒紙幣が消費されてしまう。
美咲の体質が打ち消せないのは魔族文字と魔族文字が彫られたものに直接及ぼす効果であって、間接的に刻んだ場合は効果の対象から実質的に除外されてしまうのだ。
魔族文字が直接彫られたものに効果を及ぼす代表は、言うまでもなく死出の呪刻である。
もしこれが別のものに刻んで使用することで、他人を呪い殺すようなものであれば美咲に効果が現れることはなかったが、生憎死出の呪刻は美咲の全身に、顔を除いてほぼびっしり刻まれている。
期限が来れば、死出の呪刻は確実に美咲を殺すだろう。
術者が死ぬか、術者が自ら解除しない限り。
「あら、美咲ちゃんじゃないの」
「ひゅっ!?」
出し抜けに声をかけられ、美咲は思わず飛び上がるほど驚いた。
「ひゃ、ひゃあ!」
同じように、カネリアまでも一緒になって驚いている。
「あら、牛面魔将様ではありませんか」
さすがにエリューナは年の功というべきか、驚かず冷静に挨拶をする。
「武器を見に来たの? お姉さんが見繕ってあげようか?」
牛面魔将ディミディリアは、やたらとフレンドリーに美咲に対して絡んできた。
今の時点では味方なのだから何の間違いもないのかもしれないが、一応彼女はアリシャの仇のはずなのだ。
そういう意味では憎まなければいけないはずなのに、彼女が開けっ広げに好意を隠さず接してくるので、美咲は毒気が抜かれてしまう。
それにアリシャの仇というのは結局美咲の想像でしかなく、真実であるかどうかはディミディリアを問い質すしかないし、ディミディリアが真実を口にする保証もどこにもない。
「見つかったわね、探し人」
メイラも最初の方こそカネリアと一緒になって驚いていたが、元々気が強く見栄っ張りな性格なせいか、無理やり立ち直って余裕を装っている。
「思ったより早かったですね」
マイペースで順応性が高く、元来の性格はおっとりしているマリルは、案外すぐに美咲が目当ての人物と邂逅できたことを、自分のことのように喜んだ。
「見れば見るほど、惚れ惚れする肉体ですね……よく鍛えられているのが分かります」
元魔族兵として気になるのか、ミトナはディミディリアの肉体をまじまじと眺めている。
ミトナ自身は特別痩せているわけでも太っているわけでもない至って健康的な肉体の持ち主だが、それもディミディリアの巨体と比べるとインパクトに欠ける。
腕が六本あっても、ディミディリアのはちきれんばかりの筋肉から発せられる印象に負けてしまうのは如何なものか。
「……女、捨ててないね。お洒落」
ルゥがぼそり見たままの感想を口にした。
美咲にはさっぱり違いが分からないのだが、ディミディリアは美咲には分からない部分で女としてお洒落をしているらしい。
「ふうん。部下の魔族たちとも随分仲良くなったみたいじゃないの。良い傾向ね」
美咲と、さりげなく美咲とディミディリアの間に割って入ったニーナ、エウート、ルカーディアの三名を眺めながら、ディミディリアが笑った。
彼女たち三人だけではなく、ミーヤとルフィミアも美咲をいつでも庇える位置にいる。
続々とカネリア、エリューナ、メイラ、マリル、ミトナ、ルゥの六人も集まってきた。
「仲良くなったというか、元から好意を抱いてくれていた人たちを選びましたから」
「自分を好いてくれる異種族は貴重よ。縁を大事にしなさい」
はにかむ美咲の頭を、ディミディリアが軽く撫でる。
頭を撫でられて、美咲は驚いた表情を浮かべた。
まさかそんなことをされるとは思わなかったのだ。
「そういえば、牛面魔将様はどうしてここに?」
ディミディリアが手を伸ばした瞬間全身のばねに力を入れて動こうとしたニーナは、頭を撫でるという好意のためだったことに気付いて脱力しながら尋ねた。
「こいつの調整よ」
にっと笑ったディミディリアは、自分の背後、カウンターの向こうにある巨大なハンマーを親指で指し示して答える。
「おっきい!」
「よくこんなの構えられるわね。強化魔法は使ってるのよね?」
興奮して目を輝かせるミーヤと感嘆するルフィミアに、ディミディリアは肩を竦めた。
「私、魔法は得意じゃないのよ。だから魔族としては元々落ち零れなの。だから使ってはいるけど、ほぼ自前の力で振るうわよ」
エウートがまるでアイドルを目の前にしたかのように目を輝かせた。
「凄い! 努力家なんですね……!」
目がハートマークになっていそうな勢いである。
「どうでもいいけど、あなた、どうして敬語なの?」
さすがに呆れた様子で、ルカーディアがエウートを見る。
「だって、牛面魔将様よ!?」
どうやらエウートは案外ミーハーなようだ。
「あはは。別に無理して敬語使わなくてもいいわよ。今はプライベートだしね」
「あの、相談なんですけど」
美咲は思い切って話を切り出すことにした。
自分の死出の呪刻について、ディミディリアに相談するのだ。
「……立ち話をするって顔でもなさそうね。場所を変えましょうか」
真剣な表情の美咲に、ディミディリアも緩んだ表情を引き締めた。
■ □ ■
魔王城のディミディリアの私室で、改めて美咲は事情を打ち明けた。
当然美咲の事情など知られているだろうが、それにしては美咲への待遇と死出の呪刻をそのままにしておくことの行動がちぐはぐなので、念のためだ。
「ディミディリアさんにも、死出の呪刻を解いてもらえるよう口添えして欲しいんです。このままだと私すぐ死んじゃいますから」
「とはいってもねえ……。魔王様は自分じゃないと仰られたんでしょ?」
頼み込む美咲だが、ディミディリアからは色好い返事は得られない。
それでも諦めず、美咲は食い下がる。
「そうですけど……。この世界に召喚された日に、魔王の妨害を受けて刻まれたってはっきり説明されましたし、私には他に容疑者が思いつかないんです」
「アズールの奴は? あいつも死出の呪刻を刻むことは技術的には不可能じゃないはずよ」
美咲に対し、ディミディリアは別の容疑者の名を上げる。
確かに、怪しいといえばアズールも怪しい。
だが、彼は今一応美咲の協力者だし、いくら魔将とはいえ、そこまでの力があるとは思えない。
死出の呪刻を刻むことができるというだけでは、足りないのだ。
「遠く離れた地で行われた召喚に介入して召喚者を変更して、なおかつ死出の呪刻を刻むことがアズールに可能なんですか?」
「……まあ、無理ね。死出の呪刻だけならともかく、そんなことそれこそ魔王様でないと不可能だわ」
そのことについてはディミディリアも把握しているらしく、自ら挙げた可能性を打ち消した。
「なら、魔王以外に容疑者はいないじゃないですか」
「でも、魔王様自身は否定しておられるわ。それに、あなたも言っていたけれど、魔王様はあなたを魔将にしたのよ。すぐに死ぬ人間にどうしてそんなことをする必要があるの?」
再び美咲は考え込んだ。
今指摘された疑問は、美咲自身が訝しく思うことだ。
美咲には魔王の考えが読めない。
死出の呪刻を刻んで殺す気なのに、どうして助命嘆願を受け入れて美咲を生かしたばかりか、魔将という地位につけたのだろうか。
「……人気取り、とか?」
「そんなこすっからい真似せずとも、魔王様は絶大な人気があるわよ。魔族の命運を背負って立っておられるのだもの」
苦し紛れな美咲の予想はディミディリアによって切って捨てられる。
口にした美咲自身もそれはないと思ってしまったほどなので仕方ない。
「殺して確かめる、っていうわけにもいかないよね……」
話を聞いて考え込んでいたミーヤの呟きに、ディミディリアが反応した。
「さすがにそれは私が止める。見過ごせないからね」
「死出の呪刻を美咲ちゃんの身体から他のものに移し変えるとか出来ないかしら?」
続いたルフィミアの質問も、ディミディリアは否定する。
「無理ね。確かに身代わりの魔法は存在する。でも、美咲ちゃんの体質じゃ本人の身体を対象にした時点で無効化されるわ」
「異世界人の体質ですよね。……厄介ですね」
「そうね。厄介よ。戦う意味でもね。まあ、私は相性的に楽な方だけど」
ため息をついたニーナに、ディミディリアは肩を竦めてみせる。
「私はディミディリアさんには勝てる自信が皆無なので戦いたくないです」
「少なくとも今は味方なんだし、戦わないで済むならそれが一番よ」
取り繕わず本心を明かした美咲に、ディミディリアは己の牛面を歪めて苦笑した。
「死霊魔将様にも事情を聞いてみるっていうのはどう?」
「聞いた事情が本当だってどうやって判断するのよ?」
エウートの提案に、ディミディリアの突っ込みが入れられる。
「嘘をつかれて丸め込まれていない保証はどこにもないものね……」
うぐ、とエウートが口篭る横で、ルカーディアが悩ましげに蛇の下半身をくねらした。
「こっそり見張ってみるのはどうでしょう。突然悪事を大声で叫び始めたりとかするかも……」
カネリアの提案は突飛過ぎた。
「どういうシチュエーションよそれ」
ディミディリアが呆れた表情を浮かべる。
「さすがにそれはないんじゃないかしら」
エリューナも苦笑を隠しきれない。
「不自然すぎるわよ。ていうかそんなことがあったらもう完全にギャグじゃない」
メイラの突っ込みも厳しい。
「擁護できません……」
マリルはそっとカネリアから目を逸らした。
「みんな酷いです……」
カネリアがべそをかく中、ミトナがフォローを入れた。
「でも、確かに見張るのはいいかもしれないわね。もちろんそのままやったら不自然だから、差し入れとかする名目でちょくちょく様子を見にいくとかの形にした方がいいと思うけど」
「ところで、その差し入れって誰がするの?」
ルゥの疑問を受けて、一同は目を見合わせ、そのほとんどが美咲を見た。
「え? 私?」
まさかそうなるとは思わなかった美咲は、素っ頓狂な声を上げた。