二十八日目:やらかした4
中庭に着いた。
植木や花壇によって整えられた景観の一角に、整備された練兵場がある。
当然のことだが、利用しているのは魔族兵だ。魔族の王が治める魔王城なので当然である。
今も何人もの魔族兵が鍛錬をしていて、中々の熱気が伝わってきた。
「んー、ここのどこかにいるかしら?」
美咲は目を皿にして見渡すが、少なくとも見える範囲にディミディリアの姿は見当たらない。
彼女の巨体なら、凄く目立つに違いないのでいればすぐに分かるはずだ。
同じように、ニーナたちも探してくれている。
「外れかな? それとももっと奥にいるのかな?」
きょろきょろと視線をあちこちに向けて、見つからなかったらしいニーナが首を傾げる。
「練兵場もここから全部見渡せるわけじゃないから。死角もあるだろうし、実際歩いてみないと分からないわ」
エウートがそう言って肩を竦める。
この練兵場には一度来たが、さすがに一度くらいでは全ての地理を覚えられるほど狭くない。
というか魔王城の敷地面積そのものが広いので、自然と魔王城の中庭も広くなり、その一角にある練兵場も広くなっている。
これほど潤沢に土地を使えるのは、異世界ならではだろう。
土地の広さに比べて、人口がまだまだ少ないのだ。
特に魔族の場合、出生率が低いので人口そのものが増えにくく、その割には領土拡張に舵を切っているから土地が余っているに違いない。
これは美咲の想像だが、それほど間違っていないはずだ。
その理論でいくと、人族の国、特に現在進行形で領土を削り取られている国などは土地が減って人口が密集してしまいそうだが、この場合は人口そのものも戦争で減るので、そういう意味では問題にはならないらしい。
まあ、兵士に取られて若い働き手がいなくなって生産性が低下したり、治安が悪化したりとそれはそれで別な問題がありそうだが。
「とりあえず見て回りましょうか。このままこうしていてもいいけれど、美咲ちゃんは時間を無駄に出来ないでしょ?」
ルカーディアが、死出の呪刻によって明確に期限を切られている美咲を気遣う。
この世界に召喚されてから、今日で二十八日目。明後日にはもう時間切れになってしまう。
本当なら、今すぐなりふり構わずに魔王の下へ向かい、戦いを挑むべきだ。
でも準備もなしに勝てるとは思えないし、魔王と一対一の状況を作るためには時間が必要だ。
それに、死出の呪刻を刻んだことを、当の魔王自身が否定しているという点も気になる。
しらばっくれているだけだと思いたいが、もしそうだった場合は誰がかけたのかという疑問が出てくる。
実力的には、魔王か死霊魔将アズールくらいしか、死出の呪刻を刻める者は魔族の中にはいないと聞いている。それほど古く、刻むのが難しい呪刻なのだという。
もっとも、術者は呪刻そのものの他にも、遠く離れた地に居ながら召喚術に介入し、召喚対象者を強制的に変更して呪刻を刻むという離れ業をやってのけているので、そういう意味でも可能なのは魔王か死霊魔将アズールだけだろう。
「な、何だか注目されてませんか? 方々から視線を感じるんですけど……」
練兵場に足を踏み入れると、カネリアがそわそわとあちこちに視線を向ける。
カネリアは新しく仕立てた魔族軍の軍服に身を包んでいる。
魔将の部下である親衛隊員は厳密に言えば軍属ではないが、一から新しい制服をデザインして仕立てる時間もないので、既成の軍服を着用している。
まだ着慣れていないカネリアはまだ服に着られている印象が強く、羊のようにふわふわカールした髪型やどこかおっとりした印象もあって、軍人のコスプレをしているという印象が拭えない。
実際、魔族だから魔法が使えるというだけで、それ以外は全くの素人なのだから間違っていないのだが。
人間ならばただの素人を護衛につけたところで肉壁以外の活躍は期待できそうにもないが、魔族は魔法という大きな武器があるので、軍人でなくとも結構戦える。それほど魔法というものが与える影響力は大きい。
もっとも、魔法を使うという前提が同じならば、当然軍人の方が強いのは道理だ。
カネリアたちの故郷である村が、魔法を習得した人族軍部隊に攻め込まれて占領されてしまったように。
「まあ、美咲ちゃんは今凄く有名だものね。人間でありながら魔将になったんだもの。注目されるのも納得だわ」
エリューナはカネリアと違って落ち着いたもので、着込んでいる軍服も様になっている。
年の功というべきか、堂々とした態度で振る舞いながらも、美咲に害意を抱いて近付く者がいないかしっかりと気を配っている。
そういうところは、やはり経験の差というものが出るのかもしれない。
とはいえ、カネリアと同じくらいの年齢でもメイラは割と似合っているので、やはり性格によっても似合う似合わないというものはあるのかもしれない。
「そうそう。私たちにまで視線が注がれるのは鬱陶しいけどね」
そのメイラがカネリアとエリューナの会話に口を挟む。
会話をしながらも、きっちりと美咲の回りにいていざとなれば庇える位置をキープしている辺り、護衛をしているという自覚はあるようだ。
視線も会話している相手ではなく、他に向けられている。
「注目されるのは慣れてませんから、ちょっと緊張しちゃいます」
自分たちに向けられる視線が気になるようで、マリルが少し困った顔をして苦笑した。
そんなマリルに、ミトナがアドバイスを行う。
「自然体でいればいいのよ」
そのアドバイス通り、ミトナは注目される中でも堂々としていて、一般人らしからぬ落ち着きを出している。
もっとも、ミトナの場合は元軍属という肩書きがあるので、完全に一般人であるとはいえないかもしれないが。
エリューナもそうだが、ミトナも実年齢は魔族でも老境の域に達しており、美咲の何十倍、何百倍もの年月を生きている。
それでありながら、見た目は精々三十代前半程度の容姿なのだから、アンチエイジングなどというレベルではなく若々しい。
これでも本人に言わせれば、色々身体にガタが来ていて全盛期のようには動けないのだという。
だからこそ、村の攻防でも不覚を取って捕まってしまった。
「身体から余計な力を抜いて、ゆるーく振る舞うべき!」
視線が気になってガチガチになっているカネリアやマリルに対し、ルゥが気楽に助言した。
ルゥの場合、既に身体から力が抜けていてというか、元から力が抜きやすい体質というか、そんな感じで全く視線を気にしていないようだ。
そもそもルゥの身体は人間とは全く違い、身体が物凄く柔らかく、骨格なんてないんじゃないかというレベルで全体が柔らかく、巻貝型の貝殻の中にぴったり納まることができてしまう。
一応人型に近い姿をとることもできるが、関節も骨も無視してしまえるくらい柔らかいのは変わらないので、行動は中々ホラー染みている。
普通の人間は絶対に入れないような隙間に潜り込んだり、腕を固結びにして遊んでいたり、手の指を全部手の甲にくっつけてみたりと、無邪気に遊んでいる様が少し怖い。
それでもルゥの精神はまだまだ子どもで、カネリアやマリルなどよりもさらに幼く、ミーヤほどではないがそれでもあまり変わらないくらいじゃないかと密かに美咲は思っている。
(さすがに、注目されてるわね……。目立つのは仕方ないけど、ちょっと居心地悪いな)
美咲に注がれるのは、好意的な視線ばかりではない。
というか、どちらかといえば、好意的な視線の方が少ない。
そうでない視線が全て悪感情かといえばそうでもないのだが、興味に満ちた視線を向けられるのも、少々鬱陶しい。
まあ、敵意ばりばりの視線を向けられるよりはずっといいけれども。
「ミーヤたち、見世物じゃないんだけどなぁ」
少し不満そうに、ミーヤがそんなことを呟く。
どうやら、早くも向けられる視線に辟易し始めているらしい。
「さっさと見つけて、場所を変えた方が良さそうね。鍛錬の邪魔になるし」
自分たちに向けられる視線に気付きながらも、ルフィミアは落ち着いたものだ。
元々がそこそこ有名な冒険者だったし、注目されるのには慣れている。
そもそも用があるのは練兵場ではなくてディミディリアであって、姿が見えないのならばとっとと立ち去るべきだ。
何をしているのかと勘ぐられる可能性もある。
美咲が魔王を殺すというやましい目的を抱えているので、変に腹を探られるのも困る。
しばらく集団で練兵場を練り歩いたが、ディミディリアの姿は影も形も見当たらなかった。
最終的に、ぐるっと回って入り口にまで戻ってきてしまう。
「端から端まで見て回りましたけど……」
徒労に終わったことに、ニーナががっくりして項垂れる。
「見当たらなかったわね」
やれやれとばかりに苦笑して肩を竦めるのはエウートだ。
「ここにはいないのかしら?」
ルカーディアが不思議そうに首を傾げた。
空振りに終わった今、どうしようか少し考えた美咲が次の行動を提案する。
「じゃあ、鍛錬してるうちの何人かに心当たりがないか尋ねてみようか」
異論は特に出ず、次々に賛同の声が上がった。
特にやる気だったのがカネリアたち元村人だ。
それまではどちらかといえば、ルフィミアやニーナ、エウート、ルカーディアたちの方が積極的に動いていたので、今度は自分たちの番だとばかりに意気込んでいる。
「あっ、私たちがやりますよ。その方が相手も口を割りやすいでしょうし」
名案だとばかりに、カネリアが笑顔で手を合わせる。
「そうね。その方がいいかもね。少し待っててくれる?」
エリューナもその気になったようで、美咲たちに待機しているよう願い出た。
当然、反対する理由もないので美咲は快諾する。
「手分けしてやりましょ。その方が早いでしょ」
早くもメイラは聞きにいくべき対象を見繕うべく、魔族兵たちに視線を走らせている。
「が、頑張ります!」
マリルが緊張のあまりガチガチになりながら叫んだ。
「そっちの三人は美咲ちゃんたちの護衛、お願いね」
そんなマリルの様子に苦笑しながら、ミトナがニーナ、エウート、ルカーディアの三人に美咲についているよう頼む。
当然彼女たちも、それを断る理由はない。というか、いわれずともそうするつもりだ。それが仕事なのだから。
「ルゥ、聞きにいくね!」
元気よく宣言して真っ先に移動し始めたルゥだったが、あまりに歩みが遅かったので全員に追い越された。
貝娘の歩みは、亀の歩みに等しかった。