二十八日目:やらかした2
最初に我に返ったのはエウートだった。
「バッ、馬鹿じゃないの!? どうしてそんな約束を軽々しくしちゃうわけ!?」
つかみ掛かる勢いで、エウートが美咲に詰め寄る。
「だって、その時はまさかこんなことになるなんて思ってなかったんだもの。魔将になるだけで驚きだったし」
自分の判断が間違っていたことを承知の上で、美咲は反論した。
美咲としてはばつが悪い思いだ。
本当に、部下を持つことになるとは思わなかった。
(そもそも、親しい人たちを部下にするべきじゃなかった)
今更ながら、そんなことを思う。
裏切ることが確定しているのだから、心が痛まない人選をすべきだった。
そうすれば足止めをアズールに任せて自分は心置きなく魔王に挑めたのに、相手が彼女たちではその手が使えない。
殺害という、短絡的だが一番手っ取り早い手段が取れない。
「魔王様本人が知らないなら、誰か他に術者がいるんでしょうか?」
顎に手を当てて、考え込んでいたニーナが疑問を述べる。
「分からない。というか、魔王じゃなかったら他に誰がいるのよ。そもそも誰でも刻めるようなものなの? 死出の呪刻って」
ため息をつき、美咲は他の皆にも意見を求める。
美咲は魔王が犯人だとばかり思っていたので、それを否定されたらどうすればいいのか分からなくなってしまう。
それに答えたのはニーナだった。
「誰でもではないですよ。魔法の中でも凄い古いものですから、それなりの力と知識がないと。魔王様以外には、それこそ魔将クラスにしか」
ニーナの意見に、ルカーディアが反論する。
「でも、そうなると死霊魔将様が真犯人ということになってしまわない? こういっては何だけれど、牛面魔将様は脳筋のきらいがあるし」
ディミディリアはよくも悪くも裏表が無く、魔法についてもあくまで一般的な魔族の域を出ないので、死出の呪刻を刻めるとは誰も思っていないようだ。
本人が聞いたら憤慨しそうである。あるいは、本当だから仕方ないと苦笑いするだろうか。
「本当にそうだったら、美咲さんに魔王の殺害をさせるのはおかしくありませんか? 殺したら刻んだ犯人が自分だってばれちゃいますよ」
疑問は尽きることがなく、今度はカネリアの口から飛び出てきた。
「後は市井に魔将に匹敵している魔族語使いが紛れている可能性だけれど、そんなの噂にならないはずがないし」
困った様子で、エリューナも腕を組んで考え込んでいる。
人生経験が長い彼女といえど、心当たりはないようだ。
「日常会話の発音とかでも魔族語の腕って結構分かっちゃうものね。崩し方とかで」
メイラの言う通り、魔法の腕には魔族語の発音が関係するので、日常会話の崩し方でも割と綺麗な発音になるのだ。
癖の無い、全体的に聞き取りやすい音になるのである。
「本当に、誰が犯人なんでしょうか。美咲ちゃん、心当たりない?」
「私はそれこそ魔王しか……」
マリルに尋ねられ、美咲は肩を竦める。
今まで魔王だとばかり思っていたから、新たな可能性を示されて美咲は混乱してしまっている。
「可能性で言ったら、人間側がわざと刻んだ可能性もあるわ。魔族語自体は向こうにも伝わってしまっているし、知識も捕虜になった魔族から取れなくはないはずだもの」
ミトナの発言に、美咲はぎょっとした表情で彼女を見た。
美咲としては、根本を揺るがしかねない問題発言である。
「でも、それが事実だとしたら、美咲ちゃんは人間側について戦ってたのに味方にそんなことをされてたってことになっちゃうよ」
ルゥの言う通り、美咲は足元からがらがらと足場が崩れていくような心持でいる。
「……可能性としては、意識の誘導と手綱を握るため、かしらね」
「どういうこと?」
呟きを聞きつけ、ミーヤは美咲の様子を気にしながらもルフィミアに尋ねる。
「何も知らない美咲ちゃんは、魔王の仕業だと教えられれば、それを信じざるを得ない。それによって、美咲ちゃんは魔王討伐に行くしかなくなる。同時に、事が終われば後腐れなく始末できる駒になる」
「まさか、私が騙されてるっていうんですか」
「怒らないで。あくまで可能性の話よ」
むっとしてルフィミアを睨む美咲に、ルフィミアは申し訳なさそうに微笑んだ。
俯く美咲を、エウートが強い眼差しで睨みつける。
「とりあえずは、これらを踏まえて一度魔王様に話を伺うべきよ」
「うん。その方がいいと思う」
おずおずとニーナもエウートに賛成した。
「その上で、死霊魔将様を問い詰めるべきね。魔王様でないなら、一番怪しいし、魔王様の殺害をほのめかしたのなら、美咲ちゃんに魔王を殺させるために呪刻を刻んだとしても不自然じゃないわ」
暗に、アズールこそが犯人である可能性が高いと、ルカーディアが告げた。
■ □ ■
助言を受けて、美咲は魔王に謁見を申し込むことにした。
とはいっても、魔王城に来てまだ日が浅い美咲には必要な手続きなどは分からない。
なので、ディミディリアに助力を仰ぐことにした。
困った時のディミディリアである。
(まだ練兵場にいるかな?)
そう考えたところで、美咲の隣で誰かの腹が鳴った。
振り向けば、ミーヤがお腹を押さえて照れている。
「ミーヤ、お腹空いちゃった」
「そういえば、もうお昼時か」
視線を外し、美咲は一人ごちた。
城の窓から覗く太陽はもう真上に昇っていて、ちょうど今が正午であることを指し示している。
それを裏付けるかのように、時刻を告げる鐘の音がした。
この世界では元の世界のように時計が発達していないので、時刻を知る方法は主に砂時計や日時計といった原始的な時計の他にはこうした鐘の音しかない。
お昼ということで、美咲の回りが一気に騒がしくなった。
皆がお昼の相談を始めたのだ。
「どこかに食べに行きますか?」
「そうねぇ。美咲は嫌いなものとかある?」
ニーナと話していたエウートが、美咲に話を振ってくる。
「私は特にないわ。ミーヤちゃんは?」
「ミーヤもないよ!」
二人の返事を聞いたルカーディアがほんわかした表情になった。
「好き嫌いがないなんて偉いわねぇ。私はヴァルレが駄目だわ。違うって分かってるんだけど、何だか共食いしてるみたいで……」
「ヴァルレ……?」
「蛇のことだよ、お姉ちゃん」
聞き慣れない名前に首を傾げた美咲に、ミーヤが翻訳して伝えてくれた。
翻訳している本人も蛇のことを知っているわけではないし、蛇という単語そのものも知らないだろうが、それでもミーヤがつけている翻訳サークレットはきっちりと仕事をしてくれている。
(普通滅多なことがないと蛇は食材としては名が挙がらないと思うんだけど、さすが異世界……)
美咲の知っている常識では、食肉といえば鳥牛豚が一般的で、その他の肉は一般的な食肉とはいえない。
一部では山羊とか羊とか猪とか鹿とか兎とかが食用とされているのは知識として知っているが、少なくとも美咲がよく行くスーパーで一番取り扱う品数が多いのはやはり鳥牛豚の三種だった。
しかしこの世界では元の世界でいう動物はおらず、全て良く似た魔物に過ぎない。
それに世界が違えば常識も違い、この世界では毒が無ければ、あるいは調理することで無害になるのなら比較的なんでも食材にする。
選り好みできるほどの飽食だった元の世界に比べ、この世界では食材確保はシビアなのである。
もっとも元の世界でも飽食だったのは一部の国だけで、世界中で見ればそうでない国の方が多かっただろうが。
この世界の食材は魔物。そして魔物はグラビリオンのような無害なものから、ゲオルベルを始めとする人間すら襲うものまで千差万別である。
しかし、食べられるなら何でも食肉として並ぶのも事実であり、実際以前美咲はアリシャがラーダンまでの道中で仕留めたゲオルベルの肉を売り払ったのを見たことがある。
元村人組も、話が弾んでいるようだ。
「私は特にありませんが、強いていうならムロでしょうか。生理的に無理です」
「羊のことだよ、お姉ちゃん」
カネリアが口にしたムロという魔物のことを、ミーヤが教えてくれる。やはり翻訳サークレットは偉大だ。
「好き嫌いは特に無いわね。何でも食べられるわ」
「私も同じよ。嫌いなものは無いわ」
エリューナとメイラは何でもいいようだ。
しかし、一見すると無機物みたいなエリューナはともかく、今は翼が無いとはいえ、元々は白く大きな翼があったメイラにも好き嫌いがないというのは美咲には少し意外だった。
「砂鳥とかギッシュも食べられるんですか?」
「どうしてそこでその選択肢が挙がるのよ。食べられるわよ」
美咲の疑問に、メイラは意図が分からず怪訝な表情を浮かべる。
ミーヤがぼそりと答えを言った。
「……共食い」
「翼族を砂鳥やギッシュと一緒にするな! 翼があることしか共通してないじゃないの! このおちび!」
「ミーヤちびじゃないもん!」
「どこからどう見てもちびでしょうが!」
「むかーっ!」
メイラとミーヤの微笑ましいやり取りに苦笑した美咲は、残りの人物たちに視線を移した。
「私は海の幸全般が駄目ですね……。食べ物というより、ペットとか、家族感覚なので」
申し訳なさそうな顔のマリルに、美咲は尋ねる。
「あ、じゃあ全員魚とかは止した方がいいのかな」
慌ててマリルが首を横に振った。
「いえ、別に他人が食べている分には構いませんよ。そこまで私が口出しするのは違うと思いますし。ただ私が食べたくないだけで」
「特に好き嫌いは無いけど、量が多い方がいいかな、私は」
六本腕を持つミトナは、その神秘的でオリエンタルな美貌とは裏腹に、結構な大喰らいであるらしい。
これはあれだろうか。腕が三対あるから胃袋も三人分あるとかそんな感じなのだろうか。
「ルゥ、貝大好き! いっぱい食べる!」
「えっ」
最後の最後で投げ込まれた爆弾発言に、美咲は凍りついた。