二十八日目:美咲の部下探し1
アレックスに教えてもらった通り、魔族兵たちの宿舎に向かう。
もちろん女子寮の方だ。間違えて男子寮の方に行ったりしたらどんなトラブルに巻き込まれるか分かったものではない。
何しろ魔族は人族に敵対的だ。
美咲は現在は魔族軍に身を寄せている形だから、ある程度向けられる敵意は収まっているものの、個人の腹の内は分からない。
それに、アルルグやクアンタのようにはっきりと敵意を態度に出す者だっているかもしれない。
その可能性自体は女性の魔族だって同じだけれど、苦労して目的地に辿り着くのと苦労してそもそも行き先から間違えていたのを知るのとでは、疲労感や徒労感が違う。
他にも、魔族でも同じ女性なら、ディミディリアのような近接お化けでなければ美咲はどうにかできる自信があった。
美咲には魔法が効かないから、魔族に対して優位に立てる。
(種族が違っても、女性同士ならそれほど力に差はないはず……)
召喚された当初はへっぽこで、恵まれた環境で生活していた美咲はこの世界の人間の同年代と比べるとはるかに非力だったことは確かだ。
しかし、今ではそんな美咲もかなり筋力をつけ、基礎的な身体能力を向上させている。
技量自体は一朝一夕に身につくものではないので、大幅な向上は見込めないものの、それでも期間の割りには成長が著しいといえるだろう。
女子寮の管理人には、きちんと事情を説明して中に入る許可を貰う。
「ああ、人魔将様と従魔将のお二方じゃないですか。着任のお披露目には私も見学に行ったんですよ! 許可? もちろんよろしいですとも! どうぞどうぞ!」
管理人らしき年齢不詳の女魔族は思いのほかフレンドリーで、美咲は少し驚いた。
まさか、ここまで友好的に接してもらえるとは思っていなかったのだ。
「人間なのに、って驚いた顔してるね?」
表情から思っていることを読まれて、今度こそ美咲は絶句する。
ミーヤも大きく目を見開いて驚き、ルフィミアは感心したような顔で女魔族を観察している。
そして何故かエウートが胸を張って自慢げな顔をしていた。
「魔将になったってことは、私たちに味方してくれたんだろ? 人間でもそんな人なら大歓迎だよ、私は。頭の固い奴らもいるのは確かだけど、私みたいな魔族もいるってこと、忘れないでおくれよ」
思いもしなかった言葉に胸を突かれ、美咲は黙り込む。
(魔王を倒すためには、こんな人たちを裏切らなきゃいけないのね……)
決して目的は変わりはしない。それは絶対だ。そうでなければ、ここまで歯を食い縛って歩んできた意味が分からなくなる。
それでも、罪悪感を感じてしまうのは確かだ。
心配そうな表情で、ミーヤが美咲を見つめている。
こう見えて、ミーヤは聡い。美咲の心が揺れていることを感じているのだ。ミーヤの故郷であるヴェリートはゴブリンたちを傘下に引き入れた魔族たちによって一度占領された。
そのヴェリートは激闘の末に人族の手に戻っているが、住人たちは多くが犠牲になっている。
確認したわけではないが、きっとミーヤの両親もその中に含まれている。
父親は妻と娘のミーヤを逃がして一人ヴェリートに残って兵士としての責務を全うし、妻は母としてミーヤを護るために自らを囮にした。
両親が自らの命が断たれることも厭わずミーヤを護ろうとしたからこそ、ミーヤは死なずにラーダンに辿り着き、美咲と出会った。
両親と離れ離れになってから灰色だったミーヤの世界は、美咲と出会ったことでもう一度鮮やかな色を取り戻した。
まだ夜になると寂しさで泣いてしまうことはあるけれど、それでもミーヤは泣き言を漏らさないし、自分から寂しいとは絶対に口にしない。
何故なら、そういう時には決まって美咲が隣にいてくれたから。
寂しくてミーヤが美咲の服の裾をぎゅっと握ると、美咲いつでもミーヤを引き寄せて抱き締めてくれる。どんな時でも。
だからこそ、美咲の心が弱っている時は、ミーヤが代わりに動くのだ。
「行こう、お姉ちゃん」
いつか、両親に手を引いてもらって歩いた時のように、ミーヤは今度は自分から美咲の手を引いて歩き出す。
靴を脱いで寮のスリッパに履き替え、美咲を先導するように一歩前を歩く。
その姿はまるで、小さな騎士のようだった。
「……良い仲間に恵まれているわね、美咲ちゃんは。良かった」
美咲とミーヤ、二人の様子を眺め、ルフィミアは静かに微笑む。
「他人事みたいにいってるけど、アンタもその一人なの、忘れるんじゃないわよ」
少しツンとした態度ではあるが、エウートにそう言われて、ルフィミアは己が一歩引いて無意識に己自身を除外していたことに気がつく。
(自分が死者だっていう認識が、どうしても拭えないせいかしら)
別に、美咲の味方をしたくないわけではないし、こう見えても、ルフィミアは美咲の姉貴分のようなつもりでいる。
実力的にも精神的にも大きく成長したことは知っているけれど、まだルアンがいた頃の美咲のイメージが強いルフィミアにとって、美咲は可愛い妹分のままだ。
仲間たちが自分を残してゴブリンの洞窟で全滅してしまっているから、余計にそう思えるのかもしれない。
ルフィミア自身も死んで、冒険者パーティ『紅蓮の斧』は事実上崩壊した。
積み上げてきた名声は死者となったことで過去のものになったが、実力に裏打ちされた自負心まで消えたわけではない。
美咲のために、ルフィミアは己の魔法を十全に役立てるつもりだった。
■ □ ■
寮の廊下を歩く道すがら、エウートは美咲と美咲を取り巻く人間たちを興味深く見つめていた。
特にエウートが気にするのはルフィミアだ。
(こいつ、かなり強いわね……。敵として出てきてたらやばかったかも。味方で良かったわ)
人族圏内で轟いていたルフィミアの二つ名や逸話を魔族であるエウートは知らない。
当然だ。ルフィミアは冒険者であって兵士ではなく、彼女が活躍する場は魔族との戦場ではない。
エウートも実際に人族との戦争に駆り出されるよりかは占領した後の街の治安維持に当たることの方が多かったから、なおさら接触する可能性はない。
それでも、エウートは軍人だ。自分が強いと自惚れるつもりはないが、それなりの力はあると自負している。
そのエウートが、ルフィミアの些細な動きを読み切れない。
美咲の横に並ぼうと動くと、必ずルフィミアの背中が邪魔をする。
本当にさりげない動きで、邪魔されているとエウートが気付くまでしばらく時間が掛かった。
(き、気に入らない……!)
気付けばむかっ腹が立つのがエウートという魔族の特徴だ。
冷静に考えれば、魔族ということで警戒されているということくらいは予想がつくが、イラっとくること自体は変わらない。
それにエウート自身には、以前はともかく、少なくとも今は美咲を害そうなどという気持ちはこれっぽっちもないのだ。
隔意も敵意もない。でなければ異動命令など受諾はしなかっただろう。
いや、実際エウートに断れる権限があるかというとそれはまた別の話になるが、少なくともごねにごねたであろうことは確かで、こんなにすんなり異動したりはしなかった。
「ちょっと。美咲と話したいんだけど」
つんけんした声音のエウートに暗にそこを退けと言われ、ルフィミアは澄ました表情で美咲の方を見て判断を仰いだ。
「大丈夫ですよ。エウートさんは信頼できる人ですから」
にこりと笑った美咲を直視したエウートが真顔のまま表情を朱に染めた。
「べべべべ、別に人間に信頼とかされても嬉しくないし!? 今は上官だし魔将だから、敬意を払ってあげてるだけだし!?」
「ありがとうございます。エウートさんが仲間になってくれて嬉しいです」
自分でも支離滅裂であることを自覚できてしまう台詞に悪意なく親愛の情で返されて、エウートは今度こそ二の句が告げなくなった。
「エウート顔真っ赤ー」
子どもの癖に、ミーヤはニヤニヤしながら狼狽するエウートを見て楽しんでいる。
「そうねー、案外可愛いところあるわねー」
しかもそのミーヤに乗っかって、警戒していたルフィミアまで警戒を解いてニヤニヤしている。
警戒されなくなったのは良いことだが、エウートが思っていたのとは全く違う展開だ。
(もう! どうしてこうなるのよ!)
八つ当たり気味に真っ赤な顔のまま美咲を睨むが、当の美咲は笑顔のまま首を傾げていてエウートが何を思っているかなど知りもしない。
「で、どうしましたか、エウートさん」
他に言いたいことがあったはずなのだが、エウートは先にまず訂正させなければいけないことに気がつく。
「それよ、それ! もうアンタの部下なんだし、私に対してさん付けとか他人行儀な敬語は止めてよね! 前も呼び捨てでいいって言った気がするけど、もう一度言っておくわよ!」
「え? でも、私よりも実年齢年上ですよね? 魔族だし」
「私はまだ成長止まってないから見たままの年齢よ! アンタと大して変わらないわ!」
「そうなの? じゃあエウートって同年代?」
気さくかつ親しげに美咲に話しかけられて、エウートは途端にまごまごし出した。
面倒くさい女である。
「そもそも私、アンタの年齢知らないし。私は今年で十七歳になるけど、アンタはどうなのよ」
「それなら同年代だよ。私ももうすぐ十七歳の誕生日だから」
もっとも、美咲が誕生日を迎える時には死出の呪刻は期限が過ぎているので、美咲は死んでいる可能性もあるのだが。
「ちなみにミーヤは八歳だよ!」
「どうでもいいわよそんなこと!」
口を挟んだミーヤは美咲との会話を邪魔されたことに怒ったエウートに怒鳴られ、ブーイングを飛ばした。
「ぶー!」
やり取りを微笑ましく見守っていたルフィミアがさりげなく自分をアピールする。
「私は二十八歳ね。……あ、でも死んでるからもうこれ以上老化はないってことでいいのかしら? だとすると、数少ないメリットではあるわけね」
途中で死者になったことで得た数少ない利点を見出し、喜びと諦観が混じり合った笑みを浮かべたルフィミアを、エウートは一喝する。
「そこも悲しくなるようなこと言ってるんじゃないわよ!」
エウートのツッコミは冴え渡っている。
元々がツッコミ属性なので、気の強さもあって反応がいい。
「で、結局何の用だったの?」
「あ」
首を傾げた美咲の問いに、エウートは自分が思い切り話を脱線させていたことに気付き、再び顔を真っ赤にした。