二十八日目:人魔将美咲2
明後日の方向に流れていた話題を美咲は軌道修正しようと試みる。
「それで、本題は何だったんですか?」
「ああ、そうだった。大事な話を伝え忘れるところだったわ」
立ち去りかけたところで、ディミディリアがぽんと手を叩いて戻ってくる。
戻ってきたディミディリアがにんまりと笑った。
「喜びなさい、美咲ちゃん。あなたに部下がつくわよ」
「……へ?」
思ってもみなかった展開に、美咲は呆気に取られた。
「お姉ちゃん、さらに出世するの? やったね」
素直に美咲を祝福するミーヤに対し、美咲は戸惑った表情だ。
(この場合は明らかに足枷よね? 魔族軍なんだから部下になるのは魔族だろうし、部下になった彼らが魔王に弓引いてくれるとは思えない。実質的に監視されているのと同じになる)
「んー? あんまり嬉しそうな顔じゃないわね」
「そ、そんなことないですよ! それで、どんな人が私の部下になるんです?」
内心をディミディリアに見透かされそうになり、美咲は慌てて取り繕う。
見た目完全に脳筋なくせして、ディミディリアは案外思慮深いようだ。
「まあ、慣れないかもしれないけど、もうあなたも人の上に立つ立場なんだから自覚した方がいいわね。人っていうか、正確には魔族なんだけど」
くすりと笑ったディミディリアが、美咲に詳しい話を教えてくれる。
「あなたも知っている者たちばかりよ。今集合をかけているから、もうすぐ来ると思うわ」
ウインクするディミディリアは、美咲にとんでもないサプライズをした。
(マジで!? もう来てたりするの!?)
美咲は思わず目を皿のようにして辺りを見回してしまった。
そして、見知った姿を発見する。
狐耳に狐の尻尾、そして金髪を靡かせる女魔族。
「異動の命を受け、本日付けで人魔将様の指揮下に入ることとなりました。狐族のエウートです」
彼女は、本来アレックス分隊に所属していたはずの、エウートだった。
生真面目な彼女らしく、面識がある美咲に対しても、礼を重んじて一歩引いた態度を取り、きっちり上官として敬っている。
しかし、そんな態度が逆に美咲に不気味過ぎた。
何せ最後の方は多少デレてくれていたものの、美咲にとってエウートはツンツンしているのがデフォだったので、物凄い違和感を感じるのだ。
「部下をつけるのは魔王様直々の決定でね。でも、誰をつけるかまでは魔王様がお決めにならなかったから、私が一人選んでおいたわ。残りは美咲ちゃんが自分で勧誘なさい。後九人よ」
「きゅ、九人もですか!?」
「何を驚いているのよ。軍人としてはむしろ少ない数よ? あとこれ、書類。それじゃあ、後はお願いねー」
「ハッ! 了解であります!」
きびきびと返事をして敬礼するエウートに満足そうに微笑むと、ディミディリアは美咲に渡すものを渡して去っていった。
残された美咲は、隣のエウートが不気味に思えてならない。
酷い言い草だが、邪険にされ続けていたのである意味それが当たり前になっていたのだ。
しかも、今のエウートは美咲に対して完全に一線を引いた態度を取っている。
どう接すればいいのか、そもそも分からない。
「えっと……エウートちゃん」
恐る恐る美咲が話しかけると、エウートの表情がピクリと動いた。
「はい。何でしょうか、人魔将様」
「やり難いから、以前みたいな態度で接してくれないかな」
愛想笑いを浮かべてお願いした美咲を、エウートがじろりと睨みつける。
「……ハァ。アンタ、自分の立場について自覚はあるの?」
普通なら怯むところだが、逆に美咲は物凄く安心した。
この対応こそが美咲が知るエウートなのだ。
仲良くなっても美咲に対してずけずけ物言う性格は変わっていなかったし、美咲はそれを気に入っていたから、態度を変えられると困ってしまう。
「一応あるつもりだけど、友達にそういう壁を作られちゃうと、寂しいなぁって」
今までと同じ態度に戻ったエウートに、美咲はほにゃりと力の抜けた笑みを浮かべた。
張り詰めた状態ではない、美咲の素の笑顔だ。
その笑顔を正面から見たエウートが顔を赤くする。
はっきりと友達と言われたこともそうだし、エウート自身美咲に辛く当たっていた自覚はあったので、そこまで気に入られているとは思っていなかったのだ。
むしろ、嫌われていると思っていた。
だからこそのあの態度だったのだが、美咲とエウートの思惑はつまるところ思い切り噛み合っていなかったのである。
「と、友達……」
「あ、やっぱり嫌? 人間とは仲良くできない? なら無理にとは言わないよ。また会えただけでも、私は嬉しい」
「い、嫌じゃないわよ!」
思わず怒鳴ったエウートは己の失敗に青くなったが、もはや引き下がれない。
何しろ今の発言の結果、美咲が目の前で期待に満ちた表情で自分を見ているのだ。
「確かに人間は今でも嫌いだけど、アンタは別よ。私たちを助けてくれたことだって、忘れたことはないわ。だから、嬉しいの。こうやって、アンタに恩を返せることが。人間だからってふざけたことを言う奴が居たら言いなさい。私が力になるわ」
「ありがとう。凄く嬉しい」
美咲がエウートに抱きつく。
再びエウートの表情が赤くなり、尻から伸びる狐の尻尾がピンと伸びた。
ハグされて照れているのである。
(お姉ちゃん喜んでるけど、これ魔王に仕掛けるのほぼ無理になりそうだよね……)
ミーヤは冷静に状況を観察していた。
再会を喜ぶ美咲に、エウートを裏切ることができるとは思えないし、美咲がそんなことができる人間でないことも、ミーヤはよく知っているのだ。
■ □ ■
とにかく、命じられたからには美咲は部下を選ばなければならない。
(とはいえ、ある程度もう候補は決まってるけど……)
何しろ、美咲は魔族兵の知り合いが少ない。
せいぜいエウートを除けばアレックスとニーナ、ルカーディアくらいだ。
アレックスはさすがに隊長だから引き抜けないし、かといってただでさえエウートが引き抜きのような形でこっちに来ているのだし、ニーナとルカーディアまで欲しがるのも悪い気がする。
(まあでも、まずはアレックスさんと相談してみよう。エウートちゃんの意見も聞きたいし)
「ねえ、ニーナちゃんとルカーディアさんも誘おうと思うんだけど、アレックスさんに悪いかな」
「別に構わないと思うわ。アレックス分隊は殉職者が大量に出たからそもそも人事異動で顔触れが変わるのが確定してるし、今なら手続きもやりやすいから本人たちさえ同意してくれるなら難しくないわよ。もちろん、前もって話を通しておく必要はあるけど」
「そうだね。まずは相談に行ってみようか。アレックスさんって今どこにいるか分かる?」
「まだ魔都を発っていなければ魔族軍駐屯地にいると思う。行きたいなら案内してあげるけど?」
「お願い」
エウートに頼む美咲に、ミーヤが疑問を述べる。
「でもお姉ちゃん、三人が入ってもまだ四人だよ? 残りの六人はどうするの?」
「うーん……ねえエウートちゃん」
自分では答えられずエウートに助けを求めると、エウートがまず自分の呼び名の訂正を求めてくる。
「呼び捨てでいいわよ。今はあなたの方が上司なんだし」
「じゃあエウートって呼ぶね。民間人から選ぶのってありなのかな?」
「民間人から?」
美咲の問いに、目を丸くして聞き返したエウートは、次いで少し考え込むと質問に答えた。
「色々書類手続きが必要になるけど、合意が得られれば構わないわ。実際に民間人が志願して臨時に魔族兵になる例も割と頻繁にあるし」
「そんなにあるものなの?」
あまり納得していなさそうな美咲に、エウートは肩を竦める。
「人間とは前提条件が違うのよ。人間だったらまず身体を鍛えて厳しい訓練を積まなきゃいけないから、軍人といえばプロフェッショナルだけど、魔族は魔法の腕さえあればそれだけで戦える。軍人とそれ以外の境目が曖昧なの」
エウートの説明に、美咲は以前に似たような話を聞いたことを思い出す。
話してくれたのは誰だったか。
一方で、ミーヤはエウートを微妙に羨ましがった。
「むー。ミーヤもお姉ちゃんの部下がよかったかも……」
「同格じゃなくて下につきたいの? 変わったガキね」
呆気に取られた表情で、エウートはミーヤを見下ろす。
「ガキじゃないもん! お姉ちゃんの部下ならミーヤをもっと敬うべきだよ!」
人間の、しかも明らかに年下と分かる幼児に敬えと迫られて、エウートがぽかんとした。
「は?」
訳が分からず戸惑うエウートに、美咲が説明する。
「えっとね、ミーヤちゃんは従魔将なの。私と一緒に任命されてお披露目もしたんだけど……見てなかった?」
本人である美咲やミーヤ自身でさえ戸惑う人事だが、魔王が決めたのなら仕方ない。
全く意図が読めないのが不気味ではあるけれども。
「え? ちょっと待って。聞いてないわよ。確かに異動命令受けて準備してたから式典とか見る余裕なかったけど、そんなことになってたの?」
どうやらエウートは知らなかったらしく、仰天して美咲に詰め寄る。
美咲は苦笑しながらエウートに説明した。
「うん。私自身信じられないんだけど、私が人魔将で、ミーヤちゃんが従魔将。一応牛面魔将ディミディリアと死霊魔将アズールとは肩書きでは同格になるのかな。あっちの方が先任だから、そういう意味では向こうの方が上だけど」
改めて考えてみても、ぶっ飛んだ決定だ。
魔王の意図が全く分からない。
殺すのが惜しいから、味方に取り込むつもりなのだろうか。
(……なら、死出の呪刻を解呪してくれてもいいじゃない)
ふと思った考えは、天啓のようだった。
(魔王に協力することを条件にすれば、解呪してもらえるかも……)
天啓というか、悪魔の囁きに近い考えだ。
背負ってきた願いを無碍にするかのような行いだ。
それでも、魔王を倒すのとどちらが現実的か比べれば、答えは一つ。
(駄目だ。考えちゃ駄目だ)
美咲は頭を振り、誘惑を振り払う。
(……でも、どちらにしろ、誰かを裏切ることになることは変わらないか)
何しろ、美咲が心を通わせたのは人間だけではなく、魔族だっている。
目の前のエウートだってその一人で、彼女は魔族兵だ。
自らの選択が、美咲を雁字搦めにしている。
どの選択肢を選ぼうと、誰かにとって裏切り者になるであろうことは、避けられそうにない。