二十八日目:作戦会議3
アズールは美咲に向けて、大げさにおどけてみせる。
「まあやるだけやってみますが、実力行使には出れませんぞ。出たところで返り討ちになるのがオチですからな」
「……ディミディリアって、そんなに強いんですか?」
意外なアズールの言葉に美咲は驚く。
「強いのは間違いないだろうけど、それ以上に相性の問題なのよ、美咲ちゃん」
美咲の思い違いを正したのは、ルフィミアだった。
「私が蜥蜴魔将ブランディールと戦った時もそうだったけど、後衛の魔法使いは前衛に間合いを詰められたら脆いのよ。まあ当然一定以上の経験がある魔法使いはそういう状況に陥った時も想定して切り抜ける手段を用意してはいるけど、ブランディールがそうだったようにディミディリアも力で真正面から多少の小細工はぶち抜いてくるだろうから」
「ホホ、ホホ、訂正が必要ないくらい完璧な説明ですな」
満足そうにアズールは頷いているので、ルフィミアはそう間違ったことを言っているわけではないようだ。
「そういうわけでして、彼女に私にできることといえば、話術で連れ出すくらいですな。そしてそれは、誰が担当しても変わらんでしょう。可能性があるとすれば美咲殿ですが、まさか本人が行くわけにもいきますまい」
確かに、アズールのいうことにも一理ある。
美咲は魔王に対する切り札でもあるので、わざわざ魔将の一人にぶつけるなんてできないし、無駄遣いだ。
「じゃあなるべく長く引き止めてください。戦ってる最中に加勢に来られるとまず勝てないので」
「ホホ。分かりました。善処しましよう」
本当に分かってるんだろうかこの人と、美咲はアズールを疑い深く見つめた。
死霊魔将というだけあって、本人もアンデッドであるアズールは表情が分かり辛い。そのせいだろうか、態度自体は意識的に大仰にしている節があり、案外コミカルな一面もある。
もっとも、それは態度だけでの判断であり、アズール自身が何を考えているかまでは分からない。
アズールはかつて人間に成り済まして人間を洗脳し奴隷に仕立て上げていた前科もあり、裏で何かを企んでいる可能性が無いとはいえない。というかむしろ裏に何もないと考える方がおかしい。
あの時は寸前にアリシャとミリアンという二人の強力な人物の活躍で事なきを得たが、その二人ももういないのだ。
止めるなら、美咲自身が行うしかない。
つまり、戦うのだ。死霊魔将アズールと。
かつて美咲が戦った蜥蜴魔将ブランディールは、肩書きに違わず強大な力を持っていた。
辛うじて勝利できたのも美咲が魔法無効化能力という魔族にとっては天敵とも呼べる反則的な能力の持ち主だからであり、それによるブランディールの弱体化なくしては決して勝てなかっただろう。
実際に、ブランディールの身体強化魔法を解除するまで、美咲は一方的にやられていたのだ。
ブランディールに対して、アズールはどうだろう。
本人も言っていた通り、アズールは後衛の魔法使いだ。ブランディールのように、魔法で身体能力を底上げして近接戦闘を行う剣士タイプではない。
城塞都市ヴェリートに現れた時も、アンデッドを無数に作り出して物量で押す方法を取っていた。
それ以外の攻撃方法もあると考えるべきだろうか。
「ところで、手の内って教えてくれる気あります?」
分からないので聞いてみることにした。
未来は分からないが、少なくとも今は味方なので聞くだけならタダである。
「ひょ?」
まさかそんな質問をされるとは思わなかったのか、アズールはひょうきんな驚き方をした。
「フーム。その話をするためには、まず死霊術とは何なのか、という話からせねばなりますまい」
(あ。これダメな奴だ。話長くなりそう)
講義を始めてしまったアズールを見て、美咲は己の失敗を悟る。
アズールは己の死霊術を受け継ぐ者を探しているのだ。
そして、今のところ、彼のお眼鏡に適っているらしいのは美咲のみである。
であるからして、美咲があんな質問をすれば、この流れになるのは自明の理であった。
「そもそも死霊術という名称は近年についた名称でして、それより以前は様々な呼び名が各所でされておりました。蘇生術、修復術、治癒術、支配術などが代表的ですな。現在は治癒術と支配術に関しては系統分けがなされ、それぞれ治癒紙幣や隷属の首輪などのマジックアイテムの作成に技術転用がなされております。この分野を開いた魔族は定かではありませんが、その者は死者蘇生の秘術を追い求めていたようで、数多くの研究成果を書として残しております」
案の定、アズールの話は長かった。
しかもこれだけ喋ってもまだまだ序の口で、さらに時間が掛かりそうだ。
だが、収穫がないわけではない。
この時点でも、ちょっとしたことが知れた。
死霊術が死者蘇生を主眼として研究されてきた魔法であるということと、治癒紙幣や隷属の首輪といった美咲の使ったことのあるマジックアイテムが、全て死霊術研究によって生まれた副産物だということを。
「死者蘇生……」
口に出してみて、現在元の世界の常識でいえば幻想の中にいる美咲でさえ、現実のこととは思えない現象だ。
死者を蘇らせるなど、本当に可能なのだろうか?
ルフィミアだって、こうしてまた出会えたけれど、蘇ったとは言い難い。
体温がかなり低くて身体は触ると冷たいし、ルフィミア本人の味覚と痛覚はほぼ完全になくなり、触覚もかなり鈍化していると本人の口から美咲は直接聞いた。
生き返ったというと語弊があるかもしれないが、美咲にとってはまさにその通りの方法で帰還を果たしたルフィミアと再会して、美咲は大いに喜んだ。
そうなれば、当然思うのは、それより先に死んでしまった人たちを生き返らせることはできないのかということで。
エルナとルアン。
美咲をこの世界に呼んだ張本人であり、奴隷として、そしてフェルディナントの愛人として人類側についている、同胞たちにとっては裏切り者と言ってもいい魔族の召喚術士エルナ。
彼女は最終的に、美咲が犯した失敗を取り戻すために死んだ。
荷物を全て奪われて、エルナの死と引き換えに取り戻せたのは、勇者の剣一振りのみ。それは、今でも美咲の腰にある。美咲にとって勇者の剣は、エルナの形見と言っても過言ではない。
そしてルアン。
美咲の良き理解者であり、目的を同じくしていた少年。勇者を志し、駆け出し冒険者として日々修練を積んでいた。
おそらくは、この世界で始めて、美咲が恋した少年。
淡い思いでそれが本当に恋だった自信はないし、少なくとも美咲がルアンのことを意識するようになったのは、ルアンが美咲のことを意識するよりもずっと後のことだった。
それこそ、彼が死んでからと言っていい。
「そう。あなたにも生き返らせたい存在はいるでしょう。死霊術の開祖は、それを研究していたのです。まずは死体の研究から始まり、遺体が腐っていくことから、この腐敗現象を克服する技術が開発されました。そのルフィミアにも適用されている技術ですな」
名指しされたルフィミアが、不愉快そうに顔を顰めた。
胸の前で腕組みをするルフィミアの胸の鼓動は、今もなお止まったままだ。
血液も流れずに淀んでおり、本来ならばこのまま身体は腐り落ちていくだけである。
それを防止しているのが、アズールが言う死体の保存技術で、これにより、ルフィミアは生きていた頃と同じように動くことができている。
多少、いや、大いに感覚の違いへの戸惑いはあるが。
「自分のことだとは知っていても、改めて指摘されると複雑なものがあるわね……」
今のルフィミアには、人間としての遊びとでも言うべき部分が大幅に欠けている。
睡眠は必要ないし疲労も感じない。食事だって必要ないしそもそも味覚が機能していない。
性欲もなくなり、生理だって恐らくはもう永遠に来ないだろう。だから子どもだって作れない。
「しかし腐敗を抑えることができるようになっても、遺体は蘇りませんでした。これを、時の研究者たちは身体がきちんと治癒されていないからだと考えました。しかし当たり前ですが、死体は自然治癒能力などありません。術者の手で直接怪我をしている箇所を修復してやる必要がありました。これにより、身体の構造解析技術や肉体的欠損の修復技術が発達しました。これは一部医療分野に技術転用されておりますな」
さすがに専門とする分野とあってか、アズールの口は回る回る。あまりにくるくると回るので、美咲は話についていくだけで精一杯だ。
「こうして技術的に鮮度を保ち、修復された死体に死者の魂を再臨させることができたのですが、それにより判明したのは、死とは不可逆的な現象であるということでした」
「つまり、それはどういうことなんですか?」
「死体に元の魂を縛り付けた程度では、死者蘇生とはいえないということですよ」
何となく、美咲はアズールが言いたいことが少しずつ分かってきた。
「確かに元の意識もある。動いてもいる。されど蘇った死者の五感は大きく欠損し、さらには一度冥府の住人となっているが故に、その意識は未だ冥府から流れる毒に冒されたまま」
「何ですか、その毒って」
「ヴェリートでルフィミアが生者を憎む様子を見ませんでしたか? あれこそが冥府の毒ですよ」
「えっ? あれって、あなたがやってたんじゃ……」
「残念ながら違いますな。むしろ、儂が行っていたのは、彼女が暴走しないように手綱を握るのと同じ行為ですよ。魔法によって意識を上から塗り潰していたのです。そうすれば冥府の影響も関係なくなりますからな」
声のトーンを上げて、アズールは身を乗り出してくる。
「あなたの体質は、冥府の影響であっても打ち消せる。これは儂にとっても大変興味深い事実です。ああ研究したい。少しくらい、研究材料になってくれてもいいのですぞ?」
「お断りします」
「せめて指の一本くらい。二十本もあるんですし」
「一本でも欠けたら大変なことになるのでダメです」
「仕方ありませんのう……」
(この人、本当に本気なのか冗談なのか分かり難いわ……)
しぶしぶ引き下がるアズールに、美咲は内心引き攣った笑いを浮かべた。