八日目:ゴブリンの巣壊滅作戦14
牢から出たグモに、美咲は話しかけた。
「ねえ、グモ。もしあなたが嫌じゃなければだけど、私と一緒に来ない?」
思いも寄らない誘いに心底吃驚している様子のグモは、唖然とした口調で答える。
「いいんですかい? そりゃ、わしとしてはこのまま待っていても処刑されちまうだけですし、願ってもない話ですが……。わし、ゴブリンですよ。わしなんか連れて行ったら、美咲さんが白い目で見られちまいますよ」
さすがに美咲のこの提案にはエドワードも呆れたらしく、嗜めるように諭してくる。
「正気か。地図の真偽だけ確認して放っておけばいい。その後のことはゴブリン間の問題だ。私たち人間には関係ないだろう」
美咲に対して、ゴブリンであるグモと人間であるエドワードが意見を一致させて説得に当たるという、奇妙な構図だった。
それだけ、美咲の提案は予想外だったのである。
常識外と言い換えてもいい。
確実に群れを根絶するため、基本的に皆殺しが常識であるゴブリン退治にとって、これほどのゴブリンを生かしたのでは意味がない。
クエスト失敗が確実な今、皆殺しに拘ることにあまり意味はないが、それでも今後のことを考え一匹でも多くゴブリンを殺そうと思うのが普通だ。
数を減らした群れは同族相手の縄張り争いに不利になるだろうが、勝手にゴブリン同士が殺しあうのなら、人間側としてはそれこそ願ったり適ったりなのである。
「関係あります。元々グモが私たちに協力したのは、脅されて仕方なくですから。少なくとも私には、彼を安全な場所にまで送り届ける義務があります」
他人の命を尊重するのは美咲からすれば当たり前のことで、道徳云々を語る以前の問題だったが、それは美咲が元の世界にいたからこそ通用する常識だった。
この世界での常識は、『度を過ぎた助命は身を滅ぼす』というものであり、敵同士ならば騙し騙され合うのが当然で、騙されれば本人の責任とされるのが普通だ。
「君のその慈愛は美徳だと思うが、正直そこまでする必要があるかどうかは疑問だ。我々人族は魔族と現在戦争状態にある。それくらいは君でも知っているだろう。そしてゴブリンを初めとする知恵ある魔物たちは、魔族陣営側に属している。下手をすれば、君は居場所を失うぞ」
魔族の中で人間に味方しているのは、エルナのような酷い待遇から救い上げられ、人間という種族に対してではなく、あくまで個人に仕えることに決めた者や、人間に捕まって奴隷の身に落とされ、その境遇から抜け出せないでいる者、そのどちらにも当て嵌まらない一部の変わり者だけである。
それらの事実が示すのは、人間にとって魔族はあくまで差別の対象でしかないということだ。差別するというのはその実劣等感や恐怖、偏見などの裏返しでしかないのだが、多くの人間はその事実に見てみぬ振りをする。
現状において、人間とゴブリンの間には対等という言葉など存在しようがないのだ。
懸念を抱いたルフィミアが美咲に質問する。
「ゴブリンにとって安全な場所っていったら、それこそ魔族領くらいしかないわよ。美咲ちゃん、まさかそこまで行く気なの?」
「グモが望むなら。どの道私とルアンはそのうち魔王を倒しに魔族領に行くつもりですから。ね、そうだよね? ルアン」
美咲のその発言には、蚊帳の外で事態を見守っていた他のメンバーも仰天する。
真っ先に反応したのはシスターであるピューミだ。
話を振られたルアンと美咲を交互に見つめつつ、驚愕の表情を浮かべている。
人族領を旅するのとは訳が違う。危険に満ちた旅になるだろう、死人だって出る可能性が高い。
「ま、魔族領に行くつもりなのですか!? しかもたった二人で!?」
ピューミが信仰する宗教は、この世界ではとても有名でたくさんの信者を抱える、いわゆる美咲の世界でいうキ○スト教のようなものだ。
異教徒や異種族に対しては排他的だが、その中では珍しく、ピューミは比較的穏健だった。
だからこそある程度は美咲の行動を微笑ましく見ていたし、ルアンの魔王を倒すという大口も実現できるかどうかはさておき歓迎していたのだが、さすがに無謀な蛮行とも呼べる所業を見逃すわけにはいかない。
行おうとしているのが自分たちにとっての恩人ならばなおさらである。
「悪いことは言いませんからお止めなさい。今のあなた方では若い命を散らすだけです。このピューミ、そうと知っては黙って見過ごすわけにはいきません」
並々ならぬ決意を固めたピューミを見て、ディックがげぇっと嫌そうな声を出す。
「またピューミの病気が発病しやがった……」
「無事にこの洞窟から脱出した暁には、説法を聞かせて差し上げます。もちろん、私の真心を病気などと表現するどこかの誰かにもたっぷりと」
「お、俺もかよ!?」
うかつな失言によって巻き込まれた形のディックは、隠そうともせず心の底から面倒くさそうな顔をしている。
聖印を握り締めるピューミに睨まれ、ルアンは慌てて弁解した。
「べ、別に今すぐってわけじゃねーよ! 俺だってそこまで命知らずじゃねえ! 美咲も勘違いさせるようなこと言うな!」
「ごめん、ルアン」
唾を飛ばす勢いで美咲に怒鳴るルアンに、美咲は素直に謝り、皆に改めて説明する。
「ここを出れたら一度ヴェリートに行ってみようと思うんです。様子だけでも見ておきたいし、今の私たちでもできることがあるかもしれない。それに、魔族領との国境に近いヴェリートなら、グモも逃げやすいはずですから」
美咲の説明を聞いたルフィミアはしばらくの間考え込み、何かを決心したかのように顔を上げた。
「うーん……あなたたちをそのまま行かせるのはちょっと心配ね。ねえエドワード。このクエストが終わったら私たちもヴェリートに行きましょうよ。このままにしておくのは後味が悪いわ」
話を振られたエドワードは、渋面になるとルフィミアの提案を却下する。
「駄目だ。ヴェリードは最前線に近過ぎる。行けばそのまま戦争に巻き込まれかねん」
「だけど、このまま美咲ちゃんたちを放っておくわけにもいかないでしょう。赤の他人ならまだしも、あの子たちは命の恩人よ。恩を借りっ放しのまま捨て置く気?」
「それはそうだが……物事には限度というものがある」
「あら、あなたは自分よりも年下で、なおかつ未熟な子たちが明らかに無茶なことをしようとしているのに、見て見ぬ振りをするの? 私は嫌よ、そんなの。いいじゃない、たまにはこんなのも」
エドワードは困りきった顔でルフィミアを諭すが、ルフィミア自身はすっかりその気になっているようで、頑として自分の意見を曲げようとしない。
「あの、私たちだけでも行けますから、お気になさらず」
言い合いを始めてしまったルフィミアとエドワードに美咲は恐縮して断ろうとするが、ルフィミアに止められる。
「ああ、遠慮しなくていいのよ。今回のクエストは失敗に終わりそうだし、どの道損失を何かで穴埋めしなきゃならないの。ヴェリートに行くなら傭兵として戦場に出れば充分取り戻せるわ。冒険者として働くよりも危険だけど、その分見入りはいいから」
その後もルフィミアの剣幕に押され、エドワードはついに要求を飲む。
「……仕方ない。お前はこうと決めたら梃子でも動かんしな。分かった。お前の言う通りにしよう。この洞窟を出たらヴェリードに向かおう。皆もそれでいいか?」
ため息をついたエドワードは、事後承諾で悪いが、と言い添えて他のメンバーに同意を求めた。
「私は構いません。どの道ルフィミアが行わなかったら、私があなたを説得していたでしょう」
にっこりと笑うピューミはルフィミアと同じ思いだったらしく、手間が省けたと思っているようだ。
あまり気が乗らないのか頬を掻いて目を剃らしていたディックは、女性陣が賛成している状況で判断してもしょうがないと思ったのか、反対ではなく賛成に回った。
「本当は冒険の方が性に合ってるんだが。ま、たまには戦働きもいいか。異論はないぜ」
自分から面倒ごとに首を突っ込もうとしているルフィミアたちに、ルアンが呆れたような顔をする。
「……あんたら、案外お人よしなんだな」
「そうかしら。あなたたちが目指そうとしているのも、大して変わらないと思うわよ?」
苦笑したルフィミアに突っ込まれ、ルアンも釣られて苦笑いした。
「そういやそうだな。一番お人よしなのは俺たちだな。何しろ人類のために魔王を倒そうとしてるんだから」
うっかり緊張が解けそうになったルフィミアたちを、グモが引き留めて立ち返らせる。
「あの、そろそろ移動した方がいいんじゃないですかい? デルゴの奴もそろそろ目を覚ましてもおかしくないです」
「いけない。さっさと進みましょう。用は済んだんだし、こんなところ長居は無用だわ」
ルフィミアが緩んでいた緊張の紐を引き締め直した。
「そうだな。先へ進もう。ディック、悪いがまた前方の警戒を頼むぞ。俺は背後の襲撃に備える。ルフィミアとピューミは引き続きフォローを頼む」
「了解」
「任されました」
先輩冒険者四人組が話し合っている間に、美咲はグモに地図の確認をした。
「ねえ、グモ、この地図って信じていいのよね?」
「嘘はもうないですと言えば、美咲さんは信じてしまうんでしょうな。わしとしては美咲さんのために信じるなと忠告したいところですが、今後のことを考えると信じて欲しいと言うしかないのが辛いところです」
難解な発言から、単純な思考ながらも複雑なグモの感情が伝わってくる。
(心配してくれてありがとう)
美咲は心中でグモに感謝を述べると、地図についてグモに確認を取る。
「この地図、どう読めばいいのかな。読めない字が多くてよく分からないの」
「ああ、言葉が通じるので至りませんでした。わし、人間の文字は書けないので読み上げますよ。それでもいいですか?」
「あ、ちょっと待って。メモ取るから」
美咲は道具袋からインクと羽ペンを取り出すと、グモが読み上げる言葉を日本語で地図に書き入れていく。
「できた。グモ、ありがとう。これで何とかなりそうだよ」
地図の余白は美咲が書き入れた日本語で埋まっている。
日本語なので美咲以外には読めないが、これで道に迷う心配はほぼ無くなったと言っていいだろう。
「終わったか? よし、では出発するぞ」
いつの間にか話し合いが終わっていたらしく、美咲が作業をを終えたのを確認したエドワードは号令をかける。
こうして美咲たち一行は、牢屋を後にし来た時とは別の出口を目指して歩き出した。




