二十八日目:帰ってきたルフィミア2
美咲は、ルフィミアに今までのことをいっぱい話した。セザリーたちのこと、アリシャたちのこと、自分が今まで出会った人々のことを。
「そっか……。あなたの仲間の死体が死霊魔将の手に……」
「ええ。また、ルフィミアさんみたいに利用されるかもしれません」
「ていうか、利用しない手がないわ。わざわざ欠損部の修復までしたんでしょ? 何かに使うって言っているようなものよ」
あれから夜が明けた次の日、美咲、ミーヤ、ルフィミアの三人は魔都のパン屋で朝食にパンを買い、広場で朝食を取っていた。
「ところで、身体に何か異常はありませんか? ヴェリートでは夜にルフィミアさんの様子が急変したので、心配なんです」
「意識の方は正常よ。ずっと美咲ちゃんが触れていてくれたせいね。死者としての衝動も、死霊魔将の介入も全部抑えられていたわ」
夜の間、美咲はずっとルフィミアの側から離れなかった、常に手を握っているか、寄り添っているかのどちらかだったし、寝る時には抱きついていた。
ちなみにこの状態の美咲をミーヤに置き換え、ルフィミアを美咲に置き換えてもこの関係は正しい。
余談ではあるが。
「ただ、死者であることの弊害はどうしようもないわね。こうしてパンを食べていても、まるでゴムを食べてるみたいな味しかしないのよ。食べれないわけじゃないけど、楽しくないわ」
今も美咲はルフィミアのすぐ側、肩が触れ合うほど近くに座っている。美咲を真ん中にしてその逆側にミーヤが座っている。
「お姉ちゃんがずっと触れてなかったらどうなるの?」
美咲越しに、ミーヤがルフィミアに尋ねた。
手には齧りかけのパン。ミーヤの回りには手懐けた魔物のうちパンを食べる草食の魔物や雑食の魔物がおこぼれを狙って集まっている。
やはり魔族の国の首都であるからか、魔都は普通に魔物が街中をうろついてても騒ぎになったりはしない。
それでいて野良魔物は迷い込めばたちまち処理されているようだ。
どうやって判別しているのか少し気になる美咲だが、やはりこれも蛇足である。
「たぶん、ヴェリートでのことと同じようになると思う。死者の衝動と死霊魔将からの精神汚染に飲み込まれて、私は私でなくなる。……ぞっとするわ」
ルフィミアが持つパンはほとんど口が付けられていない。一口齧った痕があるが、それだけだ。一口だけ食べてみて、味が感じられなかったので食べるのを止めたのだろう。あるいは自らが死んでいると改めて自覚して、食欲がなくなったか。
そもそも死者であるルフィミアに、食欲という機能が残っているのかどうか。
「私が触れていれば防げるっていうことですか?」
現在ルフィミアが正気を保っているのは、美咲が引っ付いているお陰だ。ヴェリートの時はまだそれを理解し切れていなくて、ルフィミアがおかしくなるのを許してしまった。
あの時のことは、美咲にとって軽いトラウマになっている。
まあ、もっともトラウマなんて今まで美咲は嫌というほど精神に刻み込まれてきたのだが。
この世界は美咲に優しくない。人の死は日常茶飯事で、美咲の周りでさえ次々に人が死んでいく。
心を通わせていた人間はほとんどが死に絶えた。今では魔族の友人の方が多いくらいだ。そして、そんな魔族の友人もいつか失ってしまいそうな気がして、美咲は怖い。
いや、それは予感ではなく、確定した未来であり、事実だ。
美咲は魔王を倒さなければならない。そうでなければ身体に刻み込まれた死出の呪刻を解呪できないのだから当然だ。
しかしそうなれば魔族側に混乱が起こるのは必定であり、美咲もまた魔族に追われる立場に逆戻りする。混血の里で中立のミルデなどはともかく、アレックスやニーナ、エウート、ルカーディアといった軍人の面々や、占領されていた魔族の村で助けて知り合ったカネリア、エリューナ、メイラ、マリル、ミトナ、ルゥたちとも、敵対してしまうかもしれないのだ。
それを防ぐためには、魔王を倒すことが魔族の総意という形に持っていかなくてはいけない。
(無理よ。そんなの)
明らかな難題すぎて、美咲には出来る気がしない。
「正確には、美咲ちゃんみたいに魔法無効化能力による結界を常時展開して、死者の衝動と死霊魔将の介入を押さえ込めれば防げるって感じね」
ルフィミアのこともまた、懸念事項だ。今の状態のルフィミアは、美咲が常に側にいないとすぐに死者の衝動やアズールの影響を受けてしまう。
死体にまで逆戻りしないだけマシと見るべきか、むしろどうして死体に戻らないのかといぶかしむべきか、美咲は頭の片隅に疑問を抱きつつも、それで良かったと思ってしまう。
やはり、死んでしまった人たちが戻ってきてくれるのは嬉しいのだ。それが、道理に反しているとしても。
頭では、もう一度死なせるべきだということも分かっている。それでも今の美咲には、その選択肢を取れそうにない。
(魔法無効化能力を、ルフィミアさんに常時かけ続けられればいいってわけよね)
「何とかなるかもしれません」
美咲の言葉に、ミーヤとルフィミアは目を見合わせ、揃って美咲を見た。
■ □ ■
爪を切る。
召喚されてからも普通に新陳代謝は行われるから、髪は伸びるし爪も伸びる。
髪はそれほど心配する必要はないが、爪の方は一週間もすれば気になるくらいには伸びてしまうので、美咲は定期的に切るようにしていた。
今まで二回切っており、そして今三回目を行っている。
あいにく、この世界では爪切りなどという便利な道具はなく、短剣か小さな鋏を使うのが普通だ。
美咲はどうやって切っているかというと、エルナの道具袋に入っていた鋏を使っている。
小さいといっても爪を切る用途に使うには普通に大きいため、切る際には細心の注意を払わなければならない。
当然切るのは明るいうちだ。夜は真っ暗闇なのでとてもではないが行えない。無理してやろうとすればまず怪我をする。
(夜に爪を切ると親の死に目に会えなくなるっていうけど、案外このせいだったりして)
元の世界だって、今の爪切りが発明されるまでは別のもので切っていただろう。
治療技術だって未発達だったろうから、傷口が悪化してそこから別の病気にかかって死亡、なんてこともあったはずだ。
そしてそれは、美咲が今いる異世界でも十分に起こり得ることである。
元々異世界の住人ならば、魔法でさっさと治してしまえるから問題ないだろうが、生憎元の世界から召喚された美咲には魔法が効かない。
ちょっとした怪我でも致命傷になる危険性を孕んでおり、油断できない。まさに油断大敵だ。
傷を治す薬として、魔法による瞬間治癒と同じ効果を持つ魔法薬もあるが、やはりこれも魔法が関係しているので美咲には効果がない。
一応薬草の薬効成分を利用した従来の傷薬なら美咲にも効くが、即効性はなく、軽いちょっとした怪我でも完治には数日を要する。
特にアリシャに鍛錬をつけてもらっていた時は、打ち身や擦り傷などの軽傷は日常茶飯事だった。
掌の皮などはかなり硬くなった自覚があるし、ちょっと血が出る程度の傷で怯むことはなくなった。
まあ、細菌感染が怖いので、どんな怪我でも治療はしっかり行うけれども。
両手の爪を切るのは比較的簡単だ。何しろ目と手元が近いから動かしやすいし、鋏もすぐ側にあるから加減をしやすい。
逆に足の爪を切るのは結構難しい。現代の爪切りがいかに便利だったのかを思い知らされる。
怪我をするわけにはいかないので、美咲はいつも時間をかけておっかなびっくり行っている。
「……できた。ミーヤちゃんのも切ってあげようか?」
「うん。お願い、お姉ちゃん」
自分の爪をしっかり回収した後で、美咲はミーヤの分の爪も綺麗に切ってあげた。
ミーヤはまだ幼いので、自分で爪を切れないのだ。というか、鋏を持つ手つきからして危なっかしかったので、美咲が説得した。
置いていくとかそういう話でなければ、ミーヤは割と美咲のいうことをよく聞いてくれる。
「いつもありがとう」
「どういたしまして」
綺麗に整えられた爪を見せびらかしながら笑顔でお礼を言ってくるミーヤに、美咲も微笑み返す。
「ねえ、皆の爪も切ってあげようよ!」
明暗だとばかりにミーヤが提案してきた。
ここでいう皆とは、ミーヤが手懐けた魔物たちである。
「うーん、あの子達は爪がないと命に関わる場合もあるから、止めた方がいいかも」
「どうして?」
ミーヤには理由がよく分からないらしく、美咲の返答に首を傾げている。
「武器が持てないから、爪や牙が彼らの武器なのよ。爪がちゃんと伸びてないと、いざという時危ないわ。それに爪を踏ん張るのに使う場合もあるから、爪を切っちゃうと踏ん張れなくなって怪我をしちゃうかもしれない」
「そっかぁ……じゃあ、ダメだね」
いい考えだと思っていたミーヤは、納得して意見を取り下げつつもしょんぼりしてしまった。
「平和になったら室内飼いにする子だけ切ってあげましょう。家の中で暮らす分には問題にならないから」
「うん!」
パッと顔を輝かせたミーヤが強く頷く。
上機嫌なミーヤに微笑みを浮かべると、美咲はきちんと回収しておいた自分の爪を、布の切れ端で作った手製のお守り袋に詰め込み始めた。
お守り袋とはいっても、元の世界の神社などで売られていたような立派なものは作れないので、小さい巾着のようなものだ。
しっかり口を縛って、中身が零れないことを確認する。
その間も、美咲は自分の腕をしっかりとルフィミアの腕に絡めている。
両手で作業するために、手を繋ぐのではなくて腕を絡めたのだが、見た目は完全に元の世界で恋人同士が行うそれだった。
もちろん、美咲に自覚はない。ただ、こっちでも特に親しい者同士が行うことであるには違いないようで、ルフィミアが苦笑していたが。
「美咲ちゃん、それ、何かしら?」
「お守りです。中に私の爪が入っています。私自身だけじゃなくて、私が見につけていたもの、持っていたものも魔法無効化能力を獲得していましたから。たぶん、上手くいくと思うんですけど」
「……なるほど。それは、試す価値があるわね。貸してくれる?」
「はい、どうぞ」
ルフィミアは美咲が差し出したお守りを受け取り、髪をかき上げて首の後ろで紐を結ぶ。
「じゃあ、腕を離しますね。失敗だったらすぐ元に戻しますから」
「大丈夫よ、きっと」
ゆっくりと、美咲は組んでいた腕を解いた。
寄り添っていた身体も、少し離す。
しばらく経っても、ルフィミアの様子は変わらなかった。
「何ともないわ。不思議ね。まるで、美咲ちゃんに守られているみたい」
微笑んで、ルフィミアは美咲のお守りを大事そうに服の下にしまい、服越しに手を当てて感触を確かめる。
布越しに感じる小さな異物が、恐らくは美咲の爪だ。
こんな爪で安心してしまう自分に、ルフィミアは小さく笑う。
離れても、ルフィミアはルフィミアのままだった。
実験は成功したのだ。