二十七日目:アズールの企み2
香を焚かれている部屋の中では、懐かしい顔触れが静かに眠りについていた。
永遠に目覚めることのない眠り。
人はそれを、死と呼ぶ。
(まるで、本当に眠っているみたい)
セザリー、テナ、イルマ、ペローネ、イルシャーナ、マリス、ミシェーラ、システリート、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アンネル、セニミス、メイリフォア、アヤメ、サナコ、ディアナ、タゴサク。
総勢二十人もの美咲の仲間たちの遺体が安置されている。
外傷は欠損も含めて全て修復されていて、身体を切断されて死んだセニミスも、身体を氷漬けにされて砕かれて死んだイルシャーナ、マリス、ミシェーラ、ニーチェ、ドーラニア、ユトラ、ラピ、レトワ、アヤメ、サナコ、タゴサクも、皆五体満足の姿に戻っている。
皆の姿を確認した美咲の目からぽろぽろと涙が溢れ出した。
こうして実際に目にして、実感してしまったのだ。
彼女たちは、確かに死んだのだと。
身を挺した彼女たちの犠牲の上に、今の美咲は立っている。
(でも、それで、ありがとうなんて言えるわけないよ……)
魔王に美咲の剣を届かせるまで、後もう少し。後もう少しで、全てが報われる。
けれど、自分の命と皆の命は釣り合うのか?
答えは否。
客観的に鑑みて、一人の命と二十人の命。救われる命は多い方が良い。その判断に疑う余地はないだろう。
本来ならば、美咲の方なのだ。死ぬべきなのは。
呪いを解くために魔王など倒そうとせず、ただ来る日を怯えながら待ち続けて、やがて呪刻によって死に至る。それが誰の迷惑にもならない死に方だった。
でも、美咲はそれが嫌だった。耐え難かった。死にたくなかった。
何よりも、元の世界に帰りたかった。家族や友達と会いたかった。
あのつまらなくも幸せな日常に、戻りたかったのだ。美咲は。
故に、皆を巻き込んだ。沢山の死者出しつつも、歩み続けることを選んだ。全て、魔王を倒すためだった。
だから、いまさら美咲は後悔しようとも、歩き続けるしかない。魔王を殺すしかない。そうして目的を達成できなければ、消費された命に見合わない。彼女たちの献身に報いることができない。
でも、そこへ新たな選択肢が現れた。
もしも、死者を蘇らせることができるのなら。
こぼれ落ちたものを、再び拾い上げることができるのなら。
当然、それが許されないことであるのを知っている。道理に反することであるのも知っている。
「ところで、もう一つお願いがあるのですが」
背後からかけられた声に、美咲は思わず身体を震わせた。
眠れる死者との再会は、美咲を忘我状態にしていた。
(ミーヤちゃんが側にいてくれてよかった……)
しっかりと美咲の側で、アズールを見ているミーヤの横顔は、少し歪んではいるけれど、泣いてはいない。
大声を上げて泣いたりはせずとも、静かに泣きながら嗚咽を漏らしてしまう美咲とはえらい違いだ。
「何? お姉ちゃんが落ち着くまではミーヤが聞くよ」
「大丈夫だよ、ミーヤちゃん。ありがとう」
涙を拭い、美咲はミーヤの頭を撫でた。
「本当に、大丈夫?」
対するミーヤは、頭を撫でる美咲の手をきゅっと掴んで。心配そうな顔を向けてくる。
「平気よ。ミーヤちゃんに、元気を貰ったから」
「そうかな……えへへ」
嬉しそうにはにかむミーヤの頭をもう一度撫でると、美咲は改めてアズールに向き直った。
「それで、お願いとは何ですか?」
「ああ、いえ。儂ももう歳でしてな。死霊術でこうして身体を保たせているのもそろそろ限界なのです。ですので、儂の死霊術を受け継ぐ後継者を探しておりまして。さて、美咲殿。死霊術に、興味はおありですかな?」
最悪のタイミングだと、美咲は思った。
普段なら跳ね除けられる誘惑だ。
第一、受け継ぐっていったって美咲に残された時間はあと少ししかない。たった二、三日で何ができるというのだ。
「ああ、もちろん、魔王を倒してからで構いませんぞ」
けれど、今、美咲の背後には、皆の遺体がある。
死霊術を使えれば、蘇らせられる。ルフィミアのように、再びこの世に魂を呼び戻すことができる。
また、一緒に暮らせるのだ。元の世界に戻れなかったとしても、この世界で。
そこまで考えて、美咲は気付いた。
安置されている遺体の中に、アリシャとミリアンがいないのだ。
「ねえ、アリシャさんとミリアンさんの遺体は見つからなかったの? 特に、ミリアンさんと最後に戦ったのはあなたでしょ? もしかして、生きてるの?」
「フーム……これは、何というべきか」
何故か、アズールは考え込んでしまった。
「死霊の軍勢を呼び出してぶつけたのはいいのですが、結局お二人の遺体は見つからなかったのですよ。あれほど強い人間の遺体なら私もぜひとも入手したかったのですが、残念です」
生きているのか、死んでいるのか分からない。
状況は何も変わっていない。
それでも美咲には、僅かに光明が差した気がした。
■ □ ■
結局美咲は、死霊術については保留にした。
自分がどんな状態になるのかも分からなかったし、正しいことだとも思えなかったからだ。
でも、魅力的な選択肢であるのも確かだった。
一方で、魔王の殺害依頼についてはアズールの真意が気になるものの、美咲は受けることにした。
美咲自身の目的と相反するものではないし、魔将一人の協力を受けられるというのは、大きなメリットだ。
アズールにディミディリアをおびき出してもらえば、その間に魔王に挑むことができる。
「ところで本当に死霊術については即断していただけないのですかな?」
一度保留を伝えたというのに、アズールはどういうわけか未練たらたらのようで、美咲に何度も確認を求めてきた。
「即断できるほど簡単な選択ではないということくらい、あなたの方がよく知っているでしょ? 私にとってすぐに決められるような話じゃないことは、理解して欲しいわ」
「むう。気持ちは分かりますがな。儂は死霊術を継いでからの戦闘をお勧めしますぞ。何しろ魔王様はとにかく強い。あなたのように特別な能力を持っているが故に強いのではなく、ただ純粋に強いのです」
「何? 私じゃ魔王には勝てないっていいたいの?」
「真に失礼ながら、おそらくは」
内心では美咲自身懸念していた可能性をはっきり口にされ、思わず美咲は黙り込む。
「お姉ちゃんは弱くなんかないよ! 蜥蜴魔将だって倒したし……!」
自分が慕う美咲の実力を低く見られたと感じたミーヤが反論した。
「それこそ、魔将と同格に考えるのは魔王様を甘く見過ぎというものですぞ。姿形とは裏腹にその実力は化け物そのもの。儂ですら、真正面からやりあうのは不可能ですからな」
アズールの言い様は、少し奇妙だった。
姿形とは裏腹に。
その言い方はまるで、見た目は化け物ではないとでも言いたげなような。
(……魔族の物差しだと、アレも人に近い範疇に入るのかな?)
謁見の際に見た魔王の姿を脳裏に思い描いて美咲は考える。
どう見たって人間には見えなかったが、姿形は人型を保っていた。
魔族の中には人型ですらない者もいるから、そういう意味では確かに人に近いと言えるのかもしれない。
美咲が知り合った魔族は比較的人型をしている者が多いが、それでも貝殻から顔だけ出ているような状態がデフォなルゥや、全身毛玉で毛の一本一本をまるで針鼠みたいに尖らせることが出来て、それこそ化け物みたいな捕食方法を持っていたアルベール、二足歩行しているだけでどう見たって鮫にしか見えないスコマザなど、美咲の感覚ではちょっと人型という括りから逸脱してるんじゃないかと思う対象はいる。
生憎、アルベールとスコマザはもう故人だが。
(アルベールさん……スコマザさん……。もっとよく話してみたかったな……)
彼らのことを思い返すと、美咲の胸に重い感情が圧し掛かる。
二人に加え、顔が二つある二面男のオットーと、アルベールの腹心であり、分隊の副隊長を務めていた岩男のゾルノが、魔族の村で味方を助けようとして命を散らした。
幸い捕まっていたニーナ、エウート、ルカーディアの女性魔族兵三名は後から美咲が助けることに成功したし、それに加えて村の住人だった魔族女性六人を助けることが出来た。
羊に似た角や巻き毛を持つカネリア、端麗な容貌も相まって、全身が硬質的な肌で女神像のようなエリューナ、翼を捥がれて人間とほとんど見分けがつかなくなったメイラ、人魚姫みたいなマリル、六本腕のオリエンタルな美女ミトラ、そして貝娘のルゥ。
魔族の女性だけで合計八名もの数を助けることができたのは、美咲としても正直嬉しい。
だが、犠牲が出てしまっていては喜びきれない。
結局、アレックス分隊の最後の二人、魚鱗で肌の大部分が覆われているアルルグと、一見すると普通の人間のようだが身体の輪郭が常に揺らめいており、肉体の気体化と固体化を自由に操作できるクアンタの二人とは最後まで仲良くなれずに別れてしまった。
それが、少しだけ心残りだ。
(そうだ。実際に行動に移す前に相談してみよう。魔王のことも、アズールのことも)
美咲はまだ魔都にいるであろうアレックスたち軍人やカネリアたち元村人の魔族の知り合いを訪ね、相談することにした。
馬鹿正直に魔王を殺すという単語を口にすれば絶対捕まるだろうから、それについては秘密にして、死霊術を継がないかと話を持ち掛けられたことだけを話すつもりだ。
(それに、このままお別れなのも嫌だしね)
月日に換算すれば短いが、密度としてはかなり濃い時間を美咲は彼ら彼女らとともに過ごしてきている。
ミルデの幼馴染ということで元々間接的に知り合いだったアレックスは元より、今ではニーナ、エウート、ルカーディアの三名とも仲良くなれている。元村人たちとも、今の美咲は心を通わせている。
きっと皆相談に乗ってくれるだろう。
さらに欲をいえば、アルルグとクアンタの二名とも、仲良くなりたい。
嫌われているのは知っているが、だからこそ、何とかしたいのだ。