二十七日目:ミーヤの力3
女たちを背に乗せ、バルトは飛び上がった。
身重の彼女たちが激しく揺れるバルトの背に耐えられるのかと最初は思っていた美咲だが、すぐに美咲自身の体質のせいでバルトが魔法を使えなかっただけだと気付く。
隠れ里がある方角に飛び去っていくバルトの背中はとても穏やかで、女たちも特に苦痛の表情を見せず、その姿を小さくしていった。
(バルトがいなくなるのは正直心配だけど、まあ、仕方ないよね)
魔王との戦いにバルトが間に合うかどうかは、微妙なところだ。
隠れ里と魔都を往復するのには二日ほどかかるから、合流予想時刻は何事もなければ二十九日、あるいは三十日にまでずれ込む可能性がある。
(ううん、他人の力を当てにするのは駄目だよね。自分で倒すくらいの気概がないと)
弱気になりかけた心を叱咤する。
助力を求めるのは悪いことではないし、美咲も仲間の存在は心強いしとても有り難く感じる。
でも、最初から他人が助けてくれることを前提に考えるのはいけない。
それでは、この世界に来たばかりの頃の美咲と、何も変わらない。
(本当は、ミーヤちゃんも巻き込みたくないんだけどな)
現在も自分の側にいるミーヤに美咲は意識を向ける。
ミーヤもまたバルトと女たちの見送りを美咲と一緒に行っていた。
できるなら、ミーヤには安全な場所にいて欲しい。それは美咲の本心だ。
しかしそれを本人が望まないであろうことも、美咲は承知している。
二人で一緒に、ここまで来たのだ。ならば最後まで、共に行く。
それが、ミーヤの望みを知って美咲が下した決断だった。
親しい人はいくらかできたけれど、明確に魔王討伐の際味方と呼べるのはミーヤだけ。二人きりの最終決戦だ。
(……問題は)
魔王を倒すための具体的な方法に、美咲は意識を向ける。
高い立場を得た美咲といえども、新参の身では一人で魔王に会わせてはもらえまい。ミーヤと二人でも無理だ。
恐らくは、ディミディリアかアズール、あるいはその両方の同伴が必須条件になるだろう。
魔将二人だけでも厳しいのに、魔王本人まで加わるとあっては勝負にならない。公式に魔王と会って戦いを挑むのでは勝機がない。
となると、魔王が一人でいる時を狙って忍び込むしかないのだが……。
(そもそもどうやって忍び込むのかっていう話よね。具体的なこと、全然分からないのに)
何しろ、魔王の居室の間取りも、位置も知らないのだ。
謁見をした広間に近ければいいのだが、最初から楽観的な予測で前提に動くのは危な過ぎる。
(ディミディミリアやアズールに聞いたって、教えてくれるとは思えないし)
美咲もミーヤも、つい最近まで敵だったのだ。
確実に理由を聞かれるだろう。どう答える? どんな理由なら不自然ではない?
無理だ。妥当な理由ならば教えてもらえるだろう。しかし、絶対ディミディリアかアズールがついてくる。それでは意味がない。
「もうすぐ、日が暮れちゃうね」
ふとミーヤが呟いて、美咲は我に返った。
バルトを見送った時はまだ日が沈むには早かったのに、気付けば地平線の端が夕焼けに染まっている。
まだ明るいが、暗くなるまでそう時間は掛からないだろう。
夜が来る。アズールが訪ねて来いと言っていた夜が。
そこには、少なくともルフィミアもいるだろう。そして、もしかしたら、ヴェリートで散った皆もいるのかもしれない。
何ともいえないもやもやを感じて、美咲の表情が歪んだ。
自分が抱く感情の意味が、美咲は分からず戸惑う。
アズールに対して抱く、どろりと淀んだ怒り。正当な怒りともまた違うように思える、その激情。
「……ミーヤちゃん」
「何? お姉ちゃん」
意を決して美咲が問い掛けると、ミーヤが静かな声で返してくる。
「今夜、アズールの部屋に行く約束をしてるの。でも一人で行くのは不安だから、ついてきてくれる?」
「当然だよ。というか、相談してくれなかったら、ミーヤそっちの方が怒るよ。ミーヤはお姉ちゃんの"あいぼう"なんだからね」
真剣なミーヤの言葉に、美咲は嬉しくなった。
一人ではない。自分を思ってくれる仲間がいる。それの、何と心強いことか。
「うん、ありがとう、ミーヤちゃん」
感極まって美咲がミーヤを抱き締めると、ミーヤははにかみ、てへりと笑った。
■ □ ■
闇夜に包まれた魔王城は、おどろおどろしさを大きく増していた。
魔族のことをほとんど知らなかった頃ならともかく、今では美咲だって彼らのことを少なからず知り、彼らも人間と同じ知性を持った生物であり、分かり合うことは不可能ではないということを知っているのに、暗闇から人間とはまったく似ていない魔族兵が現れると、美咲は一瞬ビクッとしてしまう。
まさに、ホラー映画で暗闇からぬっと化け物が出てくるのと同じような場面なのだ。
危害を加えられることはないと分かってはいても、突然鉢合わせるのは心臓に悪い。
足音などで事前に気付ければいいのだが、魔族の中には足音どころか足自体がない者も結構いるのがまた、美咲にとっては頭が痛い事実だ。
今も、月明かりだけが差し込む薄暗闇の中、口が大きく裂けて目が八個くらいあり、真っ青な皮膚の魔族兵が暗闇から唐突に現れて、美咲は思わず声が出なくなるくらい吃驚した。
「あ、どうも。お疲れ様です」
美咲が魔将になったことはお披露目も終えて周知されているし、いくら魔族が人族と敵対しているからといって、誰もが美咲を見れば襲い掛かってくるわけでもない。
魔族兵は美咲に対して笑顔で挨拶をしてそのまますれ違い去っていき、美咲は目を丸くした変な表情でその場に取り残された。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
ミーヤに太ももをてしてしと叩かれて我に返った美咲は、大きく深呼吸をしてばくばく高鳴る心臓を落ち着かせた。
当然、心臓の鼓動が早くなったのは恋とかそういうものではない。ただ単に焦りと恐怖を感じただけである。
「うん、大丈夫よ。少し驚いただけ」
手を軽く握ると、ミーヤも小さく握り返してくれるのが繋いだ手から伝わってくる。
今のミーヤの回りにはゲオ男とゲオ美が付き従っていて、今もミーヤだけでなく美咲のことも守ってくれている。
従魔将という地位を与えられてから、ミーヤは常に魔物を側に侍らせるようになっていた。
基本的に兎型魔物で索敵が得意なペリ丸、熊型魔物で戦闘力が高いマク太郎、番のゲオルベルで能力が安定しているゲオ男、ゲオ美、空を飛び配下を大量に従え、索敵と攻撃に特化し甘い蜜も精製する蜂型魔物のベウ子、成長すれば巨大な肉食恐竜に酷似した竜種になるベル、ルーク、クギ、ギア、フェアの幼竜四兄弟姉妹に、可愛らしい小人の女の子の容姿で背中に蝶の羽を生やしたフェアリーのフェアのうちの誰かが、必ず側にいるし、何かあればすぐに駆けつけられるような位置に控えている。
もはやミーヤ配下の魔物は彼らだけではなく、魔都の近くの魔物は大概ミーヤの勢力下に入っているので、ミーヤが一度笛で彼らを呼び寄せれば、少なくとも千に届く魔物が集うだろう。
それだけの数がいても、魔王と魔将二人に勝てるかといえば、軽々と無双される場面がありありと想像できてしまうのだが。
歩き続けて、美咲は肝心な事実に気がついた。
(……そういえば、アズールの私室は地下って聞いたけど、具体的にどこにあるの?)
このまま歩き続けても、辿り着ける保証はどこにもない。
たらりと美咲の頬を一筋の汗が伝う。
「お姉ちゃん?」
美咲の様子に気付いたミーヤが、不思議そうな顔で見上げてくる。
「私……アズールの私室が地下のどの辺りにあるのか、聞くの忘れてた」
「へ?」
さすがのミーヤも予想外だったようで、目を点にしている。
心なしか付き従うゲオ男とゲオ美にまで呆れた眼差しを向けられているような気がして、美咲は小さくなりたい気持ちでいっぱいだった。
「じゃあ、今まで闇雲に歩いてたの?」
「地下にあるって聞いてたから、このまま地下に向かっていれば着くんだと思い込んでて、肝心の地下への生き方を失念してたわ。ごめんね」
ミーヤに幻滅されることを覚悟していた美咲だったが、ミーヤはくすくすと嬉しそうに笑うだけだった。
もちろん、美咲の失敗を喜んでいるわけではない。
いや、ある意味では嬉しいのだろうが、失敗そのものが嬉しいのではなく、それで自分が美咲の役に立てることを喜んでいるのだ。
「じゃあ、ミーヤの出番だね。おいで、ペリ丸」
「ぷう!」
呼び声に答え、ミーヤにペリ丸が飛び跳ねて飛びついてくる。
ペリ丸を抱えると、ミーヤは毛皮を撫でながらペリ丸にお願いをした。
「死霊魔将アズールの私室の場所を探して欲しいの。できる?」
「ぷぷう!」
任せて! とでもいうように元気よく鳴いたペリ丸は、どこからともなく現れた他のペリトンと共に駆け去っていった。