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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十七日目:呉越同舟4

 涙を拭った美咲は険しい目のまま立ち直った。

 未だに心の中では嵐が渦巻いているけれど、もうそれを外に見せようとはしない。

 心の奥底に封じ込め、しっかりと鍵を掛ける。

 管理室にも鍵を掛けて、女たちが閉じ込められている牢に戻った。

 彼女らを見て、反射的に激情が沸き上がりそうになるのを堪える。

 目を瞑り、意識して深呼吸をして、気持ちを押さえつける。

 いずれ来る、魔王との決戦。感情を爆発させるのは、その時でいい。

 目を開けてもう一度彼女らを見ても、感情は僅かに揺れるだけで済んだ。

 今は、囚われている彼女たちを何とかしなければならない。

 おそらくは、攻め滅ぼされた国の出身だったのであろう。

 ここ最近の人間ばかりではない可能性もあるから、もしかしたら、最初に捕まった女たちはとっくの昔に死んでいて、今牢の中にいるのは二代目、三代目である可能性もある。

 彼女らの見た目は人間だ。魔族には見えない。混じり気ない純粋の人間なのだろうか? それとも、魔族の血が混じった人間なのだろうか?

 この世界の遺伝法則は特殊で、ほとんどの場合母親の形質を受け継ぐ。

 母親が魔族であれば、混血の子どもは魔族と同じかそれに近い容姿で生まれてくるし、母親が人間の場合は人間に近い容姿か、あるいは姿形が完全な人間として生まれてくる。

 彼女たちがそうでないとは言い切れない。姿形だけでは人間か混血かが分からないのだ。

 牢の前をゆっくりと歩く美咲に、何人かの女の目が動く。美咲を認識しているのだ。

 それが分かって、美咲は不幸の中の幸いだと思い、すぐにそれを打ち消した。幸いになるわけがなかった。

 多くの女は、目を宙に向けたままだ。

 確かに生きているはずなのに、呼吸だってしているのに、美咲が檻越しに見ていることにさえ気付く様子がない。

 どれほどの時間を、ここで過ごしたのだろうか。

 どれほどの間、ここで虐げられてきたのだろうか。


(とにかく、意識がある人たちだけでも、解放してあげなきゃ。それで、混血の里に連れて行ってあげないと)


 牢の鍵を開けようとして止まる。


(でも、どうやって?)


 身重の彼女たちを連れ出して、それで何が変わるのだろう。

 美咲は魔将としての初仕事として、彼女たちの処理、あるいは世話を命じられた。

 決して(・・・)助けることではない(・・・・・・・・・)

 彼女たちを牢から出すことはできるだろう。もしかしたら、魔都を抜け出すことだってできるかもしれない。

 でも、その後は?

 広大な魔族領で、彼女たちを放り出すのか?

 そんなことをしてしまったら、母体も赤子も死んでしまう。それでは処理と変わらない。


(バルトに運んでもらう? でも……)


 悪くない考えのようにも思えたが、美咲の脳裏を不安が過ぎる。

 バルトは強い。ヴェリートで戦った時はアリシャに翻弄されていたとはいえ、あれはアリシャが桁違いにおかしかっただけで、その実力は間違いなく魔将級だろう。

 魔王と戦う時の大きな戦力であることは間違いなく、彼がいるといないとでは魔王を殺せる確立にぐっと差が出るだろう。


(魔王との戦いからは外せない。でも、それじゃあこの人たちを助けられない)


 戦いを優先するか、救出を優先するか、美咲は二つに一つの選択を迫られる。

 何しろ残り三日しかない。バルトの翼でも、混血の隠れ里へは片道で一日かかる距離なのだ。行き帰りで往復するとなると、少なくとも二日間はかかる。

 ということは、バルトが帰ってきた時には三十日目。もう日が無くなっている。

 その僅かな時間で、魔王を殺せるか。


(……やるしかない)


 欲張りになると美咲は決めたのだ。

 自分のことだけを考えるのではなく、かといって滅私の奉公で他人に尽くすのでもなく、自分を最優先にしつつ、助けられる人は全力で助ける。そう決めた。

 バルトを呼びに行こうと踵を返したところで、美咲は背後から聞こえる弱々しい声に足を止めた。


「殺して……」


「お願い、殺して……」


「もう、死にたいの……」


 それは、美咲を視認した、まだ正常な意識を保っていた女たちの懇願だった。

 生きることそのものが地獄である現実に心が折れた女たちの、精一杯の願いだった。

 美咲の心が揺れ動く。

 助けることが正しいと思っていた。今でもそう思っている。

 でも、彼女たちが望んでいないのに、生かすことは本当に正しいのだろうか。

 ふと、元の世界で末期ガンになったら安楽死を望むか望まないかという話をテレビか何かで見たことを思い出した。

 決して完治することのない不治の病に冒されて、ガンの痛みと抗がん剤の激しい副作用に苦しみながら、ただただ一秒でも長く、ベッドの上に横たわっていられるよう延命処置を行うのが、本当に本人のためなのか。

 意識が無くなって、眠り続けるだけになっても、僅かな可能性に縋り続けるのが、正しいことなのか。例え意識が回復したとしても末期まで進行した病気は治らず、結局は死ぬまで苦しみ続けるだけだというのに。

 彼女たちが望むのなら、引導を渡してあげるのも、一種の慈悲なのではないか。

 それに、彼女たちが死ねば、美咲はバルトを自由に使える。綱渡りのような真似をする必要もなくなる。


(違う。それは違う。そんな勝手な自分の都合で殺めていいわけがない)


 ──魔王を殺すのは、自分の都合なのに?

 そんな嘲笑う、自分の声を美咲は聞いた気がして、美咲は凍りついた。

 結局は、全部自分のためなのだ。

 元々、魔王を殺すのだって自分のため。

 他人のために戦うなんていうのは、全て後から得た理由に過ぎない。

 美咲は振り返り、静かに勇者の剣を抜いた。

 唇をきつく噛み締め、無表情のまま、静かに歩みを進める。

 無表情の奥では、殺すことを冷静に肯定する利己的な理性と、それを否定し憤る感情が交じり合って荒れ狂っている。


「あ……」


 一人目の女に静かに勇者の剣を向けると、女は一筋の涙を流し、安堵したように微笑んだ。


(なんで、なんで、なんで……)


 悲嘆に満ちて、美咲の顔が歪んだ。

 剣の腹に、美咲を見上げる女の顔が映る。


(どうして、そんなに綺麗に笑えるのよ……!)


「……ありがとう」


 そんなお礼、聞きたくはなかった。

 限界まで目を見開き、割れんばかりに歯をきつく噛み締めて、美咲は勇者の剣を振り上げた。



■ □ ■



 振り上げた美咲の手から、勇者の剣が零れ落ちる。

 勇者の剣は大きな音を立てて地面に転がった。

 剣の後を負うように、力なく、美咲の腕も下ろされる。

 どうしても、振り上げた手を振り下ろすことができなかった。

 だって、あんまりではないか。

 攫われて、犯されて、望まない子を孕まされて、その挙句結末が死だなんて、あまりにも救いがない。

 死こそが救いなんて嘘だ。だって死んだら何も感じられない。仮に本当に死が救いだったとしても、解放された後で幸せになることができないのなら意味がない。


「どうして……?」


「殺して、殺してよ……」


「お願い、ねえ……!」


 重い身体を引き摺って、女たちが牢の檻を掴んで、美咲に懇願する。私たちを殺してと請う。


「ごめんなさい……。私には出来ない」


 美咲は俯いて、しかしはっきりと首を横に振った。

 女たちの表情に、はっきりとした絶望が浮かんだ。

 そんな顔をさせてしまうことが心苦しい。

 いっそのこと願い通り楽にさせてあげた方がいいのではないか?

 そんな悪魔の囁きさえ聞こえてきそうだ。

 しかし、美咲はその選択を選ばなかった。

 死にたくないから、美咲だって今までこの世界で生きてきたのだ。

 辛いことや悲しいこと、憎しみで心が黒く塗り潰されそうな出来事を乗り越えて、美咲はここまで来た。

 生きていれば、良いことだってある。

 彼女たちも、本当は死にたくないはずだ。

 安全な場所に着いて、もう誰からも虐げられないと分かれば、生きていることをきっと喜んでくれると、美咲は信じた。


「でも、絶対助けるから。ここからあなたたちを連れ出すから。もう少しだけ、待ってて」


 当然、彼女たち本人は、美咲の言動に納得していない。

 今の彼女たちにしてみれば、ようやくこの地獄とも呼べる生が終わる可能性がやってきたのだ。

 少なくとも今の彼女たちは幸せになろうなどと思っていないし、そう思えるだけの心の余裕がない。

 彼女たちが望むのは終焉。死でもいいから、楽にして欲しいという彼女たちの願い。

 それらは、恨み言となって美咲の背にぶつけられた。


「殺してよ……同じ人間でしょ!」


「そもそもどうして、人間が魔族軍にいるの!?」


「魔族軍にいるから、あなたも私たちをモノとして扱うの!? ねえ!」


 檻を叩く音は弱々しい。

 彼女たちに、それほどの体力が残っていないのだ。

 それでも、彼女たちの精一杯の憤怒は、美咲にも感じられた。

 あなたたちを助けるためなのだと言いたかった。

 でも、自分の気持ちが通じないであろうことも、美咲は理解していた。

 何よりも、彼女たちには心の平穏が必要だ。

 安全な場所で、彼女たちに同情してくれる人たちに保護され、本当に自分たちが助かったのだと自覚できないと、彼女たちの精神状態は回復しないだろう。

 バルトとミーヤの助けが必要だ。


(行こう。ミーヤちゃんのところへ)


 美咲は牢獄を出ると、再びしっかりと鍵を掛けた。


 その鍵は管理室に戻さず、懐に入れる。

 この鍵は彼女たちを閉じ込めるものであると同時に、守るものだ。少なくとも、今は。


(ああ、あの人たちの食事を用意しないと。……あと、私とミーヤちゃんの分も)


 残り二日とはいえ、過ごしていれば普通に腹は減る。

 どうせだから、囚人の食事と一緒に用意してもらおうと美咲は考えた。

 人間で任命されたばかりとはいえ、今の美咲は仮にも魔将の一人だ。

 もしかしたら魔王城のコックたちも魔将に下手なものを食べさせるわけにはいかないと、囚人用のメニューも良い物に変えてくれるかもしれない。


(そういえば、ミーヤちゃん今どこにいるんだろう)


 今更なことに思い至って、美咲は青褪めた。

 敵地ともいえる魔王城で、ミーヤを一人きり。嫌な予感しかしない。

 一応、アズールが美咲についていたように、ミーヤにはディミディリアがついているだろうし、大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。

 慌てて美咲は走り出した。

 暗い階段を駆け上がると、一階に出て闇に慣れていた目が光にさらされ、ちかちかとする。

 明るさに目が慣れるのを待ってから、美咲は動き出す。

 魔王城を巡回している兵士の中から、質問に答えてくれそうな魔族兵を探して話しかける。


「ミーヤちゃん、いえ、従魔将と牛面魔将がどこに行ったか知らない?」


「はっ! お二人で魔王城の外に行くのを見かけました!」


 生真面目そうな魔族兵は、美咲に対しても侮った態度を取ることなく敬礼して答えてくれた。

 魔族兵に礼を述べ、美咲は歩き出す。


(外か……。でも、ミーヤちゃんを連れてディミディリアの奴外で何をするつもりなの?)


 ディミディリア本人が美咲とミーヤに対して気さくで親身に接してくれているので忘れがちだが、よく考えればディミディリアはアリシャを殺したかもしれない相手である。

 とはいえ、いくらディミディリアであっても、バルトを圧倒していたアリシャが単独でディミディリアに負けるとは思えないから、一番の容疑者は魔王だ。

 可能ならニーナたちも探して帰ってないようなら協力を頼みたかったが、残念ながら居場所が分からないし、探して見つかるならいいものの、見つからなければただ時間を浪費しただけである。

 自分で探した方が色々と手っ取り早そうだ。

 魔王城の外を目指して、美咲は走り出した。


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