八日目:ゴブリンの巣壊滅作戦13
何とかゴブリンたちに見つからずに美咲たちが辿り着いたのは、鉄格子のある小部屋だった。
牢番らしきゴブリンが机に向かって椅子に座っている。今のところ、美咲たちに気付いている様子は無い。
肝心の牢には囚人が囚われていた。
角度の関係で、美咲たちが潜む入り口近くはお互いが死角になっていて、姿を見ることはできない。
「何匹いるか確認したい。ディック、偵察してくれ。少数なら気付かれずに始末できる」
「分かった。お前らちょっと待ってろよ」
ディックは抜き足差し足歩き、身体を壁につけてじりじりと近付いていく。
これ以上は進めない距離まで接近すると、ディックはゴブリンの会話に耳を傾けた。
会話を盗み聞きするわけではない。そもそもディックにはゴブリン語が分からないから、盗み聞きしたところで内容が分からないのだから意味がない。
内容ではなく、話している人数からゴブリンの数を推し量ろうとしているのだ。
人間がすぐ傍に隠れて聞き耳を立てていると気付かないまま、囚人のゴブリンは鉄格子にすがりついて哀れっぽく泣いており、牢番のゴブリンはその囚人を呆れた表情で見ている。
牢番と囚人は知己であるらしく、牢番は親しげに囚人に話しかけた。
「お前も馬鹿なことをしたもんだなぁ。よりにもよって人間の肩を持つとはよ。あいつらは俺たちの住処をことあるごとに奪い続けてきたにっくき宿敵じゃねえか。それを騙すこともせず、馬鹿正直に協力しただと? ベルゼ様が怒るのも無理ねえや」
おんおん泣いていた囚人は鼻を啜りながら、牢番に反論する。
「そんなこと言ってもよう、協力しなきゃわし、きっと殺されてた。まだ死にたくねえよ。それに、人間にも良い奴はいたんだ。他の人間からわしをかばってくれた。守ってくれたんだ」
会話を盗み聞いたディックが戻ってきて報告した。
「囚人と牢番の声が聞こえた。他の会話や気配、物音は感じなかったから、二匹だけだ。それ以上はいない」
報告を受けたエドワードは方針を決める。
「始末するのは簡単そうだな。俺とディックでやる。お前たちはこのまま隠れて待っていろ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
出て行こうとするエドワードとディックを美咲は慌てて呼び止めた。
可能な限り接近して聞き耳を立てたディックとは違い、遠くにいた美咲には会話は途切れ途切れにしか聞こえなかった。
だが、牢番が囚人の名前を呼んだことだけは聞き取れたのだ。
グモ、と。
(あの牢屋に入れられてるのはグモなの!? きっと私たちに協力したことがバレたんだわ。た、助けなきゃ)
このままだと牢番と一緒くたにグモまで殺されてしまう。美咲はそれだけは避けたかった。
それに、グモが捕まっているのは、自分のせいだと美咲は考えていた。
この世界の常識に縛られていない美咲は、グモと先入観なく接することで、今までのやり取りでグモにかなり心を許していたし、グモもまた単純な思考が影響してか、美咲の思いあがりでなければ、それなりに美咲に対して心を開いていたはずだ。
でなければ美咲たちのために、自ら見張りを連れ出そうなどとするはずがないのだから。
美咲たちを罠にはめようと敢えてそうしたとも考えられるものの、今のところそんな兆候は見られないし、美咲自身グモを疑いたくはなかった。
「む。何だ」
出鼻を挫かれたエドワードが厳しい顔つきに僅かに困惑を滲ませ、美咲へ振り返る。
「牢に入っているゴブリンは殺さないでください。たぶん、この地図を描いてくれたゴブリンです」
「どうしてそう言い切れる」
「私、このサークレットでゴブリンの会話が分かるんです。あの牢番のゴブリンは、牢屋にいるゴブリンのことをグモって呼んでました」
事情を知るルアンが、美咲の助命嘆願を聞いてまた始まったよと横でため息をついている。
エドワードは事の真偽を確かめようとルアンに確認する。
「……今の話は本当なのか? そんな高価な通訳道具を初心者の彼女が所持しているとは考えにくいが」
「あー、間違いないと思うぜ。実際にそのゴブリンと会話が成立してたのは俺も見た。本人は明確にしてないけど、亡国の貴族かなんかだと思うぞ。妙に世間知らずだったりするのはそれで説明がつくしな。魔族に攻められるまでは、この大陸にはいくつも人族の国が乱立してたって話だし、俺たちが知らない国があったとしてもおかしくない」
「なるほど。それならばある程度の信用性はあるか」
話を確認したエドワードが納得したのを見て、美咲は引き攣り笑いをしてしまった。
(うわぁ、勘違いが、広がっていく……)
回りを見れば、エドワードだけでなく、ディックやピューミ、ルフィミアまでもが得心したように頷いている。
ディックが美咲の全身にじろじろと視線を向け、特に美咲が腰に下げた勇者の剣に注目する。
「そういうカラクリだったんだな。防具は見た目相応だが、武器だけが妙に装飾が豪華だったから妙だと思ってたぜ。家宝か何かか?」
「あ、はい。そんなものです」
まさかこの国の王子様に貰いましたと素直に口にするわけにもいかず、美咲が咄嗟に返した返答はあやふやなものになった。
ルフィミアは顎に手を当て何かを思い出すかのように考え込んだあと、呟いた。
「思えば不思議だったのよね。家柄と職業柄、この辺りの貴族で新しく冒険者になるような子がいればすぐに私の耳に入ってくるけど、美咲ちゃんの場合は完全に初耳だったわ。ずっと遠い国の出身なのね」
間一髪に近い状況で美咲たちが駆けつけたことに一番深く感謝しているピューミは、自分の意見が聞き入れられるかどうか不安そうにしている美咲を安心させようと微笑む。
「では、そのゴブリンは必ず助けなければなりませんね。彼の助けが無ければ、そもそも私たちのもとへ美咲さんとルアンさんが来てくれることも無かったのですから」
「まあ、そういう意味では恩人っちゃ恩人だが、まだ罠の線も捨てきれねえからなぁ」
煮え切らない態度で難しい表情をしているディックの横で、考え込んでいたエドワードが結論を出す。
「それを含めて、地図の真偽を確認するいい機会だ。ならばあのゴブリンはいったん生け捕りにしよう。個人的には騙そうとしている可能性の方が高いと思うが、万が一ということもある。すぐに繁殖する危険性を考えると殺すのが一番だが、生かす方法も無いわけではないしな」
「そうなんですか、良かった」
安堵した美咲は、エドワードに頭を下げる。
「ごめんなさい、こんな時に無理を言ってしまって」
「気にするな。君には命を助けられた恩がある。この程度の我が侭なら許されても罰は当たるまい」
エドワードが浮かべた微笑は、その厳しい顔つきのせいで肉食獣が獲物を前にして浮かべるものにしか見えなかったが、そんなところに、美咲は彼の不器用な優しさを見た気がした。
「少し作戦を変更するぞ。牢番のゴブリンは予定通り俺が始末する。囚われているゴブリンには彼女に呼びかけてもらう。それで大人しくしているならよし、騒ぎ出そうとするなら十中八九罠だろう。その場合はディックが始末しろ。地図の真偽を確認したら先に進む」
「そのゴブリンが嘘をついて後で騒ぎ出す可能性もあるんじゃないか?」
裏切られる危険性を指摘するディックに、エドワードは頷く。
「もちろんその可能性もある。だが、騙そうとしているなら僅かでも兆候があるはずだ。ディックはしばらく奴から注意を逸らさないでくれ」
「了解した。しっかり見張っとくぜ」
ディックはニッと笑って己の獲物を握り直した。
いざとなったらその短槍で突き殺す気満々のようだった。
牢番のゴブリンとグモの近くに隠れたまま移動するエドワードは、共に移動している美咲の顔が緊張で強張っているのを見て取り、声をかけた。
「君はあのゴブリンに集中しろ。些事については我々に任せておけ。必ず上手くいく。あまり硬くなるな」
「はっ、はい。すみません、気を使わせてしまったみたいで」
恐縮する美咲に、エドワードがふっと笑った。
「気にするな」
精悍さ漂う頼りになりそうなその男らしい微笑みを見て、美咲は不覚にも少しときめいてしまった。
(ち、違うの! 私別におじさん趣味じゃないし!)
自分でも何に対して弁明しているのかよく分からなかったが、美咲は慌てて浮かんだ感情を打ち消す。
現役の冒険者であるエドワードはまだ中年という年齢ではないが、熟練であるからそれなりに歳は取っており、実は美咲とは一回りくらい年齢に開きがある。
元の世界では花の高校生だった美咲にしてみれば、充分おっさんだ。
恐ろしくて本人の前では決して口にできないが、ルフィミアでさえ、見た目は美咲の感覚でいえばおばさんである。
どうでもいいことだが、この世界の常識でいえば、女性はルフィミアくらいの年齢であれば結婚して子どもの一人くらいいるのが普通で、ルフィミアははっきり言えば嫁ぎ遅れの部類だったりする。
エドワードが立てた作戦にほとんど不満は無かったが、一つだけ懸念があったので、美咲はエドワードに進言した。
「牢番のゴブリンはなるべく気絶させるだけに留めていただけませんか。殺してしまうと、グモの態度に影響が出ると思うんです。私たちにとっては敵でも、彼にとっては仲間でしょうから」
「……それもそうだな。善処しよう。だが、牢番がおかしな行動をしようとするなら、殺さないわけにはいかん。それでもいいか?」
「はい。お願いします」
エドワードは頷いて了承の意を示すと音も無く牢番のゴブリンに忍び寄る。
牢番のゴブリンの興味は完全に牢屋に繋がれているグモへと向けられており、背後から近付くエドワードに気付かない。
だが真正面にいるグモにしてみれば丸見えなわけで、グモは驚いた表情で口を開けた。
「ごめん、グモ。ちょっと静かにしてね」
「み、美咲さん!? どうしてこんなところに」
グモの視界を塞ぐ形で目の前に躍り出た美咲を見て、グモの口から漏れようとしていた悲鳴は消えた。
突然の美咲の登場に牢番とグモの注意は完全に美咲へと注がれ、美咲越しの向こう側では、その隙に背後に忍び寄ったエドワードが牢番のゴブリンを絞め落とし意識を失わせている。
「あっ、デルゴは無事ですか。死んでないですか」
一瞬遅れてはっと我に返ったグモは、慌てて美咲の向こうにいるはずの牢番のゴブリンを視界に入れようとする。
だが狭い牢屋の中では気絶した牢番の姿は目の前美咲の影に完全に隠れてしまっていて、グモがいる位置からは全く見えない。
「大丈夫だよ。生きてる。気絶してるだけ」
グモの態度から察した美咲が横にずれ、グモが牢番のゴブリンを視界に入れられるようにした。
仰向けに倒れた牢番の胸が上下しているのを見て、グモはほっと胸を撫で下ろす。
「見事な手際ですな。彼と一緒にいるところを見ると、お仲間とは無事に合流されたようですね」
「ええ。グモのお陰よ。あなたが助けてくれなければ、たぶん、私たちは辿り着けなかったと思う」
事前に話を聞いていても、実際に美咲がグモと親しげに話す姿はかなり見る者に戸惑いを与えるらしく、エドワード、ディック、ピューミ、ルフィミアの四人は何ともいえない表情で固まっていた。
「わざわざ仲間の命を取らんでいてくれたのですな。気を使わせて申し訳ない」
「いいのよ。私たちに協力したせいで牢屋に繋がれちゃったんでしょ? 私たちの方こそごめんなさい」
「いいえ。いいえ。わしらは敵同士だったのですから、本来わしは殺されているはずで、今生きているのは美咲さんが命を取らんでくれたお陰です。そのうえ仲間の命すらこうして取らんでいてくれている。感謝こそすれ、恨む筋合いはありますまい」
感激のあまりグモは美咲を拝み出し、照れた美咲は取り繕うかのように言う。
「と、とにかく、グモをこのままにしておけない。出してあげるから、ちょっと待っててね」
「重ね重ね、申し訳ない。鍵ならデルゴの奴が持っとるはずです」
「牢番のゴブリンのことね? 分かったわ、探してみる」
気絶している牢番の懐を弄ると、牢屋の扉のものらしき鍵が出てきた。
発見した鍵を試しに鍵穴に差すと、カチリという音と、小さな手応えがあった。
美咲は牢の扉を開けることに成功したのだ。