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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十七日目:呉越同舟3

 お披露目が終わると、美咲はアズールに呼び止められた。


「何ですか? まだ日没までは時間があるはずですけど」


「ホホホホホ。魔王様からのご命令を伝えるのを、忘れていましてな。さっそくですが、人魔将としての初仕事をしてもらいますぞ」


 アズールの言葉には、不思議な不気味さがあった。

 反射的に、美咲の全身が強張る。

 何をさせられるのかと、美咲が戦々恐々している間も、アズールは霞のような黒い靄がかった長いローブの裾をひらめかせ、歩いていく。

 まるで死体のような様相の割には、やたらと動きがかくしゃくしている。

 味方だと思うことに抵抗を覚える美咲だが、敵対していない立場で見せるアズールの態度は、案外ひょうきんさがある。

 そんな態度で、美咲にアンデッドとなったルフィミアの姿を見せ付けている。性格が悪いことこの上ない。

 今も、アズールの後を追う美咲の後ろを守るかのように、あるいは見張るかのように、ルフィミアが笑顔顔で歩いているのだ。

 笑顔を浮かべているルフィミアは生きている時と同じように見えるし、足取りもしっかりしている。しかし、表情が笑顔から全く変わらず、美咲か目線すら美咲に向けられたまま一切動く気配がなく、本当に死体のようだった。

 いや、実際に死体なのだ。ルフィミアは死んだのだから。


(ヴェリートで再会した時、最初の方は別れた時のルフィミアさんのままだった。おかしくなったのは、夜になってから)


 当時のことを思い出す。

 状況を思えば既にアンデッドになって敵に回っていたはずなのに、ルフィミアは美咲のことを気遣っていた。美咲たちに、早くヴェリートから出るように脱出を勧めていた。

 途中で様子がおかしくなって、夜になって完全に変貌してしまったけれど、少なくとも最初の頃は、普通だったのだ。

 その事実が示すことは、アンデッドとして蘇った状態でも、ちゃんと元の意思を宿した平常な状態を保つ方法もあるのだということ。

 そしてそれは、おそらくアズールが知っている。

 もちろん、美咲はルフィミアを眠らせてやるべきだと思っている。

 しかし、美咲がルフィミアを慕い、その死に責任を感じて悔やんでいるのも確かであり、本心でいえば、たとえアンデッドでも、ルフィミアがちゃんと精神と身体の状態を安定させることができるのならば、生きていて欲しいのだ。


「こちらですぞ。人間には少々暗いので気をつけなされよ」


 アズールは魔王城に何本も立つ見張り搭のうち、一つに入り、地下へ降りていく。

 地下だということに敏感に反応した美咲が、警戒心を増して立ち止まる。


「……あなたの私室に向かうの?」


「ああ、いや、違いますな。儂の部屋が地下にあるのは確かですが、この階段は牢獄に続いているのですよ」


 思わず美咲は顔を歪めた。

 牢獄という場所にはあまりいい印象がない。

 まあ、そんないかにも悲劇的なことが起きそうな場所で良い印象を抱くというのもそれはそれでどうかと思うけれども、そんな場所に連れて来られた美咲の悪寒は鰻上りである。

 出来ることなら、このまま回れ右をして、太陽の光を浴びてぬくぬくしたい。

 そんな現実逃避気味なことを考えるくらいには、光が差し込まない階段は暗かった。

 やがて階段が終わり、アズールと美咲の前に、頑丈そうな鉄の扉が現れる。

 アズールが懐から鍵を取り出し、鍵を開けた。

 扉の先には、ずらりと並んだ牢があった。

 牢に入れられた囚人たちを見て、美咲は瞠目する。


(……ああ、ここもか)


 美咲の胸の内を覆ったのは、落胆だった。

 実をいうと、美咲は少し魔族に期待していた。

 人族は蓋を開ければ最低だったけれど、人族ですら仲間として受け入れるくらいだし、もしかしたら魔族は違うかもしれないと思っていた。

 そんな美咲の甘っちょろい希望を、打ち砕く光景が目の前にある。

 牢に閉じ込められた、腹が膨らんだ無数の人族の女たち。

 着ているものは粗末な囚人服で、女たちのうち、臨月を迎えているでだろう女の囚人服は、はちきれんほどになっている。

 サイズが変わることを、考えられていないのだ。


「先代の魔王様の頃、ここは人間の女を集めた食料庫兼慰安所でしてな。まあ、儂はアンデッドではありますが、とうの昔に由来する衝動は克服しておりますし、性衝動も潰れて久しいので、利用したことは一度もないのですが。死体が頻繁に出るので、そういう意味では多いに利用させていただきましたが」


 扉を開けるのに使った鍵を、アズールは美咲に投げ渡す。


「今代の魔王様になってから慰安所は閉鎖され、女たちも多くが食料として処分されたました。しかし魔王様はこの孕んだ女たちだけは残されましてな。儂に世話を言いつけていたわけです。そしてあなたが新しく魔将となって、負の遺産を清算しようと考えたようですな」


 反射的に片手で掴み取った美咲は、アズールの言葉を聞いて耳を疑った。


「つまり、魔将としてのあなたの初仕事は、この女たちの処分です」


「……は?」


 美咲は決断を、迫られている。



■ □ ■



 唖然とする美咲は思わずアズールを見上げ、アズールはそんな美咲の表情が面白かったのか、クカカと小さく笑った。


「ああ、もちろんすぐにとは言いませんぞ。決心がついてからでよろしい。まあ、その間の世話は儂に変わって行ってもらいますが。次は管理室に行きますぞ。ここにいる人族奴隷たちの食料手配や死んだ場合などの移送手続きに必要な事務書類を作成する場所ですな」


 次に、アズールは美咲を牢の横の扉に案内した。

 初めに真っ直ぐ牢に入った時には気付かなかったが、牢の入り口のすぐ横の壁に、もう一つ扉があったのだ。

 どうやらここがアズールのいう人族奴隷の管理室だという。


「するべきことは、人族奴隷たちが死なないように食料を手配することと、定期的に牢内の洗浄を行うことです。他は管理人の裁量に任せられていますので、例えば生まれた赤子などの扱いは自由にしてもらって結構ですぞ。ゴミに出してもよろしいですし、書類手続きをすれば食料として出荷することもできます。ああ、もちろん儂に死霊魔術の材料として提供して下さっても構いませんぞ。相応のお礼はしましょう」


「……どの選択肢も有り得ないわ」


「ならば育てると? あなた一人でどうするのです? 魔都には混血の赤子を育てる施設などありませんぞ」


 思わず美咲は唇を噛んだ。

 混血が魔族にとっても人族にとっても迫害の対象なのは知っている。

 実際に混血の隠れ里でその話を聞いた。


「ああ、そうそう。赤子の提供の対価ですが、一匹提供するごとに一日その死人人形(しびとにんぎょう)をお貸ししましょう。名は確か、ルフィミアでしたかな?」


 今度こそ、美咲は我慢しなかった。

 できるわけがなかった。

 自分を守ってくれて、自身も慕っていた女性の死を汚されて、しかも品物のように扱われて、美咲が激昂しないはずがない。


「するわけないでしょう……!」


 右手で勇者の剣を引き抜き、アズールに突きつける。


「おお、怖い怖い。気に触りましたかな? 止しなさい。今のは敵対行為ではない」


 美咲の背後に向けられたアズールの制止に、美咲は驚いて振り向く。

 笑顔のまま、音もなくルフィミアが美咲に杖を向けていた。


「なんだ。そうなの? 残念ね」


 紡がれたルフィミアの声は別れる前と同じ声で、当時とは違い美咲に対する存分な毒を含んでいた。

 自分に向けられている杖と、ルフィミアを見比べた美咲が、傷付いた表情を浮かべる。

 アンデッドなのだから元のルフィミアと同一視すべきではないと分かってはいても、再会した時は普通だったのだ。どうしても態度を変えられない。


「ではとにかく、後は任せましたぞ。これが牢と管理室の鍵です。失くさないようにお願いしますぞ」


 アズールは美咲に鍵束を渡し、管理室を出て行く。

 ルフィミアが張り付いた笑顔のまま美咲に手を振り、その後を追う。

 二人がいなくなった後、美咲の身体が震え始める。

 まるで幽鬼のような足取りと表情で、美咲はゆっくりと壁に近寄った。

 握り拳で、壁を叩く。何度も、何度も。

 叩く音は次第に大きく、鈍く、激しくなっていく。


「ちくしょう……」


 歯を食い縛った美咲の口から、押さえ切れない怒りに満ちた声が漏れ出た。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……」


 何に対しての怒りか。

 アズールに対してか、魔王に対してか、ディミディリアに対してか、こんなどうしようもない世界に自分を呼んだフェルディナンドとエルナに対してか、自分に対して厳し過ぎる運命に対してか。

 それすら分からなくなるくらい憤りながら、美咲は嘆きを壁にぶつける。


「うわああああああああああ!」


 美咲の慟哭は、誰にも聞かれずに反響するだけだった。


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