二十七日目:魔王の目的3
入浴を終えた美咲は、当然のように着替えさせられた。
(さようなら私のサーコート……)
占領された魔族の村で用立ててもらった服は女性の人族騎士が着る制服と同じで、貰った経緯はどうあれ動きやすくて美咲は中々気に入っていたのだが、案の定没収された。
美咲自身を受け入れはしても、これ見よがしに敵対種族の服装をさせることまでは許可できないのだろう。
そもそもどうして受け入れられたのかという一番の疑問があるので、美咲が服装の可否について異論を挟むことはない。
「そら、あなたはこれよ」
牛面魔将ディミディリアに手渡されたのは、女性用の魔族軍服、しかも上級士官服だった。
ミルデとアレックスの故郷だった魔族の街で軍服を失敬した時もそうだったし、ニーナやエウート、ルカーディアなどの軍装姿を見ても分かることだが、人族軍の軍服と比べて、魔族軍の軍服はかなり近代的だ。
人族軍騎士がサーコートなどを羽織っているのに比べ、魔族軍兵士の軍服は美咲の世界での軍服に近い。時代的には、第一次世界大戦頃の軍服がイメージ的に一番似ている。
ただ同じ魔族でも細かい種族差で結構細部のデザインは異なっており、魔族だからこれとは一概には言えない。
姿形が多種多様な種族である魔族は、軍服も同じく多種多様なようだ。
人族がほぼ一種類の軍服であるのと比べると、雑然としているというか、いやにカラフルな印象を与える。
(まさか、もう一度着ることになるとはね……。ていうか、前のより豪華だわ)
渡された軍服を着込めば、美咲はもう魔族軍の女軍人の姿である。
「ああ、そうだ。この際これも返しておくわ」
ディミディリアが差し出したのは、いつぞや美咲が魔族軍兵士の詰め所から失敬した猫耳だった。
「……つけろと?」
「ええ。つけた事があるんでしょ? ミーヤから聞いたわよ」
どうやら身体を流し合いしていた時に話が漏れたらしい。
確かにミーヤは美咲が魔族軍服を着て脱出してきた姿を見ているから、美咲がこの手の服装をした経験があることを知っている。
「まあいいわ。着替える」
ため息をついて軍服を広げた美咲に、ディミディリアが言った。
「ん、私は待ってるわ」
そのまま壁際によって寄りかかり、静観を始めるディミディリアに、美咲は怪訝な目を向けた。
「……着替えたいんだけど」
渡された軍服はしっかり下着まで揃えてあって、着替えるためには全裸にならなければならない。
一応同性ということになるのだろうけれど、ディミディリアは顔が完全に牛なのでもう性別以前の問題である。
恥ずかしい、とかそういう気持ちは薄いのだが、見られている中で着替えるのはやりにくい。
「私のことなら気にしないで着替えなさい」
牛の顔で笑いながらも、ディミディリアは美咲から目を逸らさない。
「なにゆえガン見するのですか」
特に二の腕や太もも、腹などにねっとりと視線を注がれ、美咲はとても気まずい気持ちになる。
「あれからどれほど鍛えられたかと思って」
なるほど、視線を向けていた意図は、筋肉がどれくらいついたかを見ていたらしい。
今はまだ着替えていないからせいぜい輪郭程度でしか分からないけれども、さすがに裸になればはっきりと分かるだろう。
「はあ。気になるんですか」
「重要なことだしねぇ。おっと口が滑った。今のは忘れてちょうだい」
慌ててディミディリアが口を押さえて咳き込む。
大げさなリアクション過ぎて、物凄く胡散臭い。
ディミディリアが言うあれからというのは、おそらく最初に会ったヴェリートでのことを差しているのだろう。
アリシャと戦う前に、牛面魔将ディミディリアは美咲を目にしている。美咲とアリシャは一緒にいたのだから当然だ。
あのわざとらしい失言が何を意味するのかは、いまいち美咲には分からないものの、見たいというのなら美咲は止めはしないし、その権利もあるまい。
これ見よがしに罪人として扱われないとはいえ、今の美咲は敵拠点のど真ん中にいるも同然なのだ。回りは敵ばかり。無駄に反抗してもいいことは無い。
それに、ディミディリアは女性だし、そもそも牛面なので恥ずかしがる気も起きない。こんなことを言っては失礼になるだろうが、牛を相手に恥ずかしがっているような微妙な気持ちになる。
着替える間、ディミディリアはふんふんと感心するように頷きながら美咲の裸体を眺めた。
正直に言えば気持ちは鬱屈するし、体中に刻まれた死出の呪刻を見られることにもなるので内心美咲は心穏やかではいられないのだけれど、それをディミディリアにぶつけても仕方ない。
「結構良い体つきになったじゃない。見違えたわよ」
「それはどうも」
「そうだ。ここは一つ手合わせでもどう?」
「拒否権はありますか?」
「あった方が良い?」
「それはもちろん」
「じゃあ無しで」
どうやら美咲とディミディリアの手合わせは決定事項だったらしい。
(問い掛けた意味は……?)
ディミディリアのはちきれんばかりに盛り上がった筋肉を見ていると、手合わせにかこつけてぶっ殺されそうで、美咲は嫌な予感にぶるりと身を震わせた。
洒落にならない。
「こっちよぉ」
着替え終わった美咲は、市場に売り出される子牛になったような哀愁を漂わせ、先に進むディミディリアの後に続いた。
■ □ ■
美咲がディミディリアに連れて来られたのは、魔王城の一角にある鍛錬場だった。
室内にしては中々の広さがあり、魔法の使用は自重しなければならないだろうが、戦うこと自体については支障がなさそうだ。
「はい、これ使ってね」
ディミディリアが放ってきたのは、美咲が持っていた騎士剣ではなく、ミーヤに預けていたままの勇者の剣でもなく、鍛錬場の備品の木剣だった。
「おっとと、うわっ」
木製のはずなのだが、片手でキャッチした瞬間予想以上の重みが腕に掛かって、美咲は慌てて両腕で木剣を持つ。
「何ですかこれ。木にあるまじき重さなんですけど」
「ガワだけよ。芯は鉄で出来てる。練習用に真剣と同じ重さに調節してあるわ」
美咲が両手で構える木剣と同じ木剣を、ディミディリアは片手で軽々と構えた。
同じ武器のはずなのに、美咲とディミディリアとではまるで違う武器を持っているようだ。
ディミディリアほどの巨体だと普通の大きさの木剣も小さく頼りなく見えるし、逆に美咲が持っている木剣はやや大きめで振り回すのが大変そうに見える。
「それじゃあまずは小手調べよ。打ち込んできなさい」
自然体のディミディリアは、右手に木刀を構えたまま左手で美咲に掛かってくるよう手招きする。
「なら遠慮なく」
大きく息を吸い込んだ美咲は、力強く地を蹴って足を踏み出し、木刀を振り被った。
瞬間壁のように視界一杯に迫る黒色の毛皮。
それがディミディリアの肩だと美咲が気付いたのは、思い切り弾き飛ばされて転がった後だった。
「は、反撃するとか聞いてないんですけど」
「そりゃ言ってないからねぇ」
辛うじて木剣を手放しはしなかったが、上下滅茶苦茶になりながら転がったから、美咲の三半規管はぐわんぐわんと揺れている。
悪戯が成功したガキ大将のように楽しげに笑っているディミディリアが憎らしい。
頭を振って立ち上がるも、美咲の足元はふらついたままだ。
前後不覚。正常に戻るにはもう少し時間が必要だろう。
ショルダータックルをした位置から一歩も動かないまま、ディミディリアは再び手でジェスチャーをして仕掛けて来いと美咲を挑発する。
「お互い魔法は無しにしておいてやるよ。とっとと掛かっておいで」
魔法があるからこそ人族と魔族の戦闘力は大きな差があるのであり、魔法が無ければ単なる身体能力差になる分身体を鍛える人族の方が強い。
それは異世界人である美咲ですら承知している常識中の常識で、当然ディミディリアにも当て嵌まるはずだった。
しかしディミディリアは牛面魔将。強さで言えば、文句なく超一流の戦士だ。
魔族としては珍しく、魔法はあくまで補助に、鍛え抜いた身体と獲物で戦う武器戦闘を極めている。
ディミディリアは美咲にとって相性が最悪と言って良い。
あくまで自分の肉体と技を駆使して武器を振るい、魔法を最低限の身体強化にしか使わない相手では、美咲に勝ち目はほとんどない。
美咲の体質で魔法を打ち消し、形勢を逆転するという美咲の十八番が使えないのだ。身体強化も落差に戸惑うほどの強化量ではないから、そもそも逆転の切欠となる隙が生まれない。
何度も打ちかかる美咲の攻撃を、ディミディリアは全て片手に持った木刀で弾いてみせた。
両手で握る美咲の木剣を、片手でだ。
その事実から分かることは、ディミディリアの腕力は、単純計算で少なくとも美咲の二倍以上あるということ。
容易く美咲の木刀を受け止めたディミディリアが、余裕を持ってお返しとばかりに木剣を振り下ろしてくる。
受け止めても無駄と判断し、飛び退こうとした美咲はガクッと抵抗を受けて体勢を崩す。
見れば、ディミディリアが左手で美咲の腕を掴んでいる。
そして落ちてくるディミディリアの木剣。
優しく叩きのめされ、美咲はボテッと床に転がった。
「だらしないわねぇ。一撃くらい当てられないの?」
無駄に女らしい口調にイラッとさせられる。
見た目が完全に屈強なミノタウロスなのに、声は女声だし口調も女で、違和感が凄い。確かにこれはディミディリアも演技をするだろう。
女言葉よりも男言葉の方がよほど似合っている。
でも、素になっている今の方が、ヴェリートで出会った時よりもディミディリアはよほど楽しそうだった。
それにどうしてだろうか。ディミディリアと打ち合っていると、アリシャに稽古を付けられていた時のことを思い出す。
アリシャも稽古の時は全然優しくなくて、倒れれば口で、時には実力行使で散々発破をかけられた。その度にむかっ腹が立って、美咲はこなくそとばかりに力を振り絞って立ち上がったものだった。
容赦なく打ち据えはしても、決して治らない怪我はさせてこない。
絶妙な力加減が、どこかアリシャを彷彿とさせる。
いつの間にか、立ち上がる美咲の顔にも笑みが浮かんでいた。