二十七日目:魔王の目的1
現在人族は魔族の侵攻に遭っていて、美咲の活躍で少し盛り返しているとはいえ、戦況は魔族側に大きく傾いているというのが、美咲の認識だ。
(んー、思っていたよりも、人通り少なくない?)
仮にも魔族たちの国の首都だというのに、魔都の大通りの賑わいは、美咲が予想していたものよりも遥かに大人しかった。
ベルアニアの王都と同じくらいだろうか。物通の要だったラーダンも発展した街だったけれど、前線に近い分雰囲気が違った。
王都は華々しさに溢れていて、戦争中であるにも関わらず、少なくとも都の外に出るまでは平和なものだったし、それに比べればラーダンはもう少し物々しさがあった。
さすがに最前線の街だったヴェリートとは全く雰囲気が違うが。
(魔族の都だからなのかな? 雰囲気的には、王都よりもラーダンに似てる)
具体的に美咲が感じた印象を言うなら、魔都は王都よりも防衛する意図が強く感じられる。
何というべきか、ベルアニア王都よりも魔都の方が戦場になる可能性をより強く意識して作られているような、そんな感覚がある。
(変なの。攻められてるのはベルアニアの方なのに)
これはあれなのだろうか。攻める方は攻められる可能性を常に考えなければならないとか、そういう理念に基いて魔都の防備は固められているのだろうか。
不思議そうに首を傾げる美咲だったが、美咲に違和感を抱かせるのには、魔都の外観に原因があった。
魔族国家の首都である魔都は、当然仮想敵を人間ではなく、魔族として考えて都として成立した。
城壁の厚さはベルアニア王都の城壁の二倍以上あるし、高さもベルアニア王都の城壁を超える。
それだけでも物々しいのに、城壁にはしっかりと魔法対策が施されていて、城壁の内側と外側の両方に、びっしりと魔族文字が彫られてあった。
美咲はまだ自在に魔族文字を読むことができないけれど、周りにいる魔族たちは当然魔族文字も読める。
彼女たちに聞いてみると、魔都の城壁には少なくとも対衝撃、対魔、劣化防止、自動修復と四つの機能が備えられているらしい。
この四つは魔族の街の城壁ならば必ず刻まれているもので、魔都は首都ということもあり特に念入りに文字が彫られている。
城壁の少し外側から魔都はすっぽりと結界で覆われていて、結界はドーム上に魔都の上空を守っている。
この結界は空を飛べる魔族の街に無くてはならない防備であり、空からの侵入を防ぐ役目を担っている。
陸からの侵入は強化済みの分厚い城壁で拒み、空からの侵入は結界によって阻む。これが、魔族の街の基本的な防衛スタイルである。
強化された城壁は破城槌の衝撃でもびくともせず、結界は空だけでなく、攻城櫓による城壁への侵入自体を防ぐ。つまり街を攻めるならまず結界の基点を探し出して破壊しなければならず、そういう意味でも魔族の街は難攻不落だと断言していい。
ただ一つ惜しいのは、これらの防備を維持するのにはそれなりにコストが掛かり、最低でも街規模でないと採算が取れない。
なので、小さな村などは城壁も結界もなく、あるのは魔物避けの柵くらいで、防衛は村人たちの魔法に頼りきりだという点だった。
だからこそ、エルディリヒト率いる魔法を手に入れた人族騎士たちに占領される魔族の村が出てくるのだ。
(でも、ヴェリートみたいに皆が皆表情が暗くて兵士だらけで物々しいって感じもしないし、これが普通なのかな?)
城門で中に入るための手続きを行おうとすると、美咲とミーヤは魔族兵たちに囲まれた。
当然、皆美咲の知らない顔だ。
もっとも、美咲には魔族の顔の違いというのは分かりにくいので、絶対にそうだとは断言出来ないけれど。
「お前たちはこっちだ」
両脇をがっちり固められて、美咲は連行される。
「むきー! 放してー!」
ミーヤが片方ずつ脇を持って持ち上げられて、足をじたばたさせているのが背後の雰囲気とミーヤの声で分かる。
「美咲さんをどこに連れて行く気ですか!」
「カネリア、止めなさい」
魔族兵たちに食い下がろうとしたカネリアを、エリューナが止める。
彼らは己の任務を遂行しているだけだ。邪魔したところで何の意味もない。
美咲の助命を嘆願するなら、こんな末端ではなく、魔王の目に入るように嘆願書を提出しなければならない。
幸い、エリューナは村長の妻だ。
人族に占領された村の住民で生き残っている者たちの中では一番地位が高く、報告のために魔王か、そうでなくとも魔族軍の幹部一人と面会する機会があるだろう。嘆願ならその時に行えばいい。
「私たちは先に宿を探しておくわ! もし来れるようなら顔を見せに来なさいよね!」
歩かされながらこくりと美咲が頷いたのを確認し、メイラはさっさと連れて行かれる美咲から目を離して歩き出す。
そんなメイラに、マリルが声をかけた。
「た、助けなくていいんですか?」
マリルの視線は連行される美咲とミーヤに注がれている。
心配なのだ。
「気持ちは全員一緒よ。でも、今私たちが逆らってもどうにもならないわ。それに、逃げるのならあの子たちだって簡単に逃げ出せるはずよ。古竜が味方についているんだから」
ミトナの指摘は最もで、すぐに逃げようとしない美咲の態度は、この展開が予想通りであることを窺わせた。
もっとも、美咲にとっては自分は予想済みでもミーヤまで連行されたのは予想外で、内心少し焦ったりしていたのだけれど。
「……頑張って」
貝殻から顔を覗かせて、ルゥが美咲とミーヤを見送りながらエールを送る。
「あいつ、縛り首になるかな」
「どうだか。分隊長が口添えするだろうし、少なくとも尋問が終わるまでは無いだろう。さ、俺たちも分隊長たちに合流するぞ」
美咲とミーヤの護送を終え、アルルグとクアンタの二人は、カネリアたち元村民とも別れて魔都の魔族兵詰め所に向かった。
そこにアレックスたちもいるはずだ。
■ □ ■
連行された先はいきなり魔王城だった。
相変わらず美咲の両脇をがっちり固める魔族兵は明らかに美咲のことを警戒しており、逃げ出そうとすればすぐに取り押さえられるだろう。
背後にはミーヤが続き、ミーヤのペットである魔物たちは魔族たちに魔法で眠らされてどこかへと連れて行かれた。
バルトは魔都の外で待機しているから、美咲たちの今の状態には気付いていない。
何とか知らせることが出来ればいいのだけれど、そう簡単にいいアイデアは浮かんでこない。
美咲もミーヤも武装を取り上げられて、道具袋も没収されて、服だけにされた。
裸にされなかっただけマシだと思うべきだろうか。
城門を潜ると、中では見覚えのある魔族が待ち構えていた。
姿を一言で表すなら、二足歩行で歩く、牛だった。
牛は牛でも、家畜として飼われている乳牛や肉牛ではなく、大自然を生きるバッファローのような猛牛の方だ。
筋骨隆々かつ大柄な体格で、並ぶと美咲はその魔族の胸の辺りに頭が並ぶ。
その魔族の名を、牛面魔将ディミディリアといった。
「ご苦労。後は私が引き受けよう」
「ハッ!」
呆然と、美咲はディミディリアを眺めた。
脳裏をいつかの別れが過ぎる。
要塞都市ヴェリートで、彼女が現れた時、誰がその場に残ったか。
「うわあああああああああ!」
美咲は衝動的に魔族兵たちを振り払い、ディミディリアに飛び掛かった。
当然魔族兵たちは気付いて美咲を押さえ込もうとしたものの、予想外の力で抵抗されて逃がしてしまったのだ。
「貴様、抵抗するか!」
「ディミディリア様、お下がりください!」
「良い。私がやろう」
激情のままに行動した美咲には、ディミディリアを倒す明確なビジョンがあったわけではない。
ただ恐らくはアリシャを殺したであろう目の前の魔族が許せず、本人が目の前に現れて、自制の箍が弾け飛んだのだ。
憎しみは何も生まないとかエルディリヒトに偉そうに啖呵を切ったにも関わらず、美咲自身が心の内に憎しみを抱え込んでいる。
でもそれは美咲が出した結論に反するものではなく、誰かを憎む心を美咲自身持っているからこそ、その空しさに気付いているとも言えるだろう。
さすがに、いきなりアリシャの仇の一人目の前に出て来られて、冷静さを維持できるほど美咲は人間ができているわけではなかったが。
アリシャに全幅の信頼を置いていた美咲は、アリシャが魔将が相手といえども一対一で敗れたとは思わない。
しかし、もし一対一で魔将と激闘を繰り広げている時に、もう一人の魔将、あるいは魔王が増援として現れたらどうだろうか。
生存など、期待できるはずもない。アリシャもミリアンも、セザリーたちと同じように、きっとあの時に死んでしまったのだ。
魔族語を使うという対魔族戦闘の基本すら頭から吹っ飛ばして逆上した美咲の胸倉を、ディミディリアが掴み上げる。
強化魔法が無効化されるはずなのに、ディミディリアは楽々と美咲を腕一本で吊り上げる。
その行動が意味するのは、素の腕力だけで、ディミディリアはこれを行っているということ。
あの蜥蜴魔将ブランディールですら、強化魔法を剥ぎ取ってしまえば、素の腕力は美咲が拮抗できる程度でしかなかったのに、ディミディリアは違った。
頭に血が上っていた美咲が、ディミディリアの異質さを見て一気に頭を冷やす。
自分が取った行動を自覚して青くなった美咲を、──ディミディリアは投げた。
豪快に魔王城の床に叩きつけられた美咲の息がつまり、美咲は倒れたまま身体を句の字に折って咳き込んだ。
魔族兵に捕まったままのミーヤが叫ぶ。
「お、お姉ちゃんに乱暴しないで!」
「手加減はしている。怪我一つ負わせていない。今のは単なる指導だ。怒りで簡単に我を忘れるようでは話にならない。気持ちは分かるが。立て。頭は今ので冷えたろう」
「……ええ、お陰様で」
痛みを堪え、美咲はゆっくりと立ち上がる。
美咲がディミディリアを見上げる視線は未だ険しいが、今の状況で抵抗したところで、どうにもならないことは分かっている。
バルトを呼び寄せれば話は別だろうが、ミーヤの魔物使いの笛もきっちり没収されているので、バルトに連絡を取る手段が無い。
もし仮にバルトを呼び出すことが出来たところで、魔王が登場したらバルトの身もどの道危うくなるだろうから、状況は変わりそうにない。
「変な気を起こさず、私の後について来い。抵抗したところで無駄なのは、今ので学んだはずだ」
「……分かったわ」
ひとまずざわめく心を鎮め、落ち着かせた美咲は、ディミディリアの言う通りにすることを決めた。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫よ。手を繋いで行こう」
不安そうに見上げてくるミーヤの手を、美咲は微笑んで握る。
魔王城をずんずんと進んでいくディミディリアの歩幅は広く、美咲は早歩きでないと追いつけなかった。
ミーヤにいたっては、ほとんど全力疾走を強いられている。
「は、速すぎ! ミーヤちゃんがこれじゃ追いつけないわよ! まだ子どもなんだから!」
「ん? ああ、そうか」
「……ミーヤ、子どもじゃないもん」
嫌がらせとかではなく、ただ単純に歩幅の違いに思い至ってなかっただけらしく、ディミディリアは意図的に歩く速度を緩めた。
急がずとも追いつけるようになったのは良いが、子ども扱いされたのは気に入らないミーヤは、ぶすっとした顔になって、小声で文句を言う。
「ここだ」
「……え。ここ、どこ?」
行き先は牢獄か処刑場あるいは拷問部屋だとばかり思って戦々恐々としていた美咲は、案内された先を見てポカンとして立ち竦んだ。
下帯と胸覆いだけをつけた女魔族たちが四人、並んで美咲を出迎える。
「見れば分かるだろう。浴場だ」
「……綺麗に磨かれて、調理されるっていうオチ? カニバリズム?」
「お前が何を言っているのかいまいち分からんが、多分違うぞ。単に旅の汚れを落とさせたいだけだ」
どうやら本当に、ただ入浴させたいだけらしい。
ディミディリアの、そしてディミディリアに命じたであろう魔王の意図が、美咲には全く理解出来ない。
困難を覚悟して魔王城に乗り込んだというのに、展開が予想外過ぎて美咲は困惑しっ放しだ。
「お風呂入っていいの!?」
「ああ。そこに並んでいるのは風呂女だ。好きに使え」
「わーい!」
子ども故に状況を素直に飲み込むことに抵抗がないミーヤが、すっぽんぽんになって突撃していった。
その後に風呂女が二人笑顔でついていくが、子ども好きなのだろうか。
一応ミーヤも人族なのだけれど、彼女たちには人族に対する憎しみはあまりないらしい。
「ちょっと! 訳が分からないんだけど!」
「ふむ。説明が必要か」
「当たり前でしょ! いきなり風呂入れとか意味不明過ぎるわよ!」
憤慨する美咲を見て、ディミディリアは鷹揚に頷いた。
「ならば私も入るか」
「は?」
おもむろにディミディリアが服を脱ぎ始める。
唐突過ぎる牛面魔将の行動に、今度こそ美咲は絶句した。