二十七日目:合流5
美咲に向けるルカーディアの笑みは、ある種独特だ。
彼女の場合、下半身が蛇であるだけでなく、髪も一本一本が極細の蛇だし、表情豊かな美人ではあるが、その表情自体がどこか蛇染みているので、信頼に満ちた温かな笑顔なのに、何故か美咲には獲物を前に舌なめずりをしている笑顔にしか見えない。
もちろんルカーディアにはそんなつもりはなく、美咲に対する好意とあわよくば蜥蜴魔将ブランディールを倒したほどの実力者である美咲を魔族軍に加えれば、魔将が抜けて戦力が低下した魔族軍の穴を埋めることができるのではないかという下心くらいしかない。下心の時点で大概ではあるけれども。
特に美咲の場合、魔族軍に加わればほぼ確実にミーヤとバルトが戦力としてついてくる。
ミーヤは魔物使いの笛なしではただの幼女なので、魔物使いの笛さえあればミーヤ自体に拘る必要性はないものの、やはり魔物との絆という観点から考えると、魔物使いの笛のポテンシャルを一番発揮できるのはやはりミーヤしかいない。
ヴェリートで美咲が気を失ってバルトによって運ばれた後、混血の隠れ里に着くまで戦い続けたのは、ミーヤとそのペットたちなのだ。
熊型魔物マクレーアであるクマ太郎は現状のミーヤのペットたちの中ではバルトを除けば単体戦力が最強クラスだし、女王ベウであるベウ子率いる蜂型魔物ベウの群れは、マク太郎とは逆に集団戦がとても強い。数は暴力という言葉を、一番体現している魔物だ。
ゲオ男とゲオ美はマクレーアやベウほど特筆すべき点はないものの、戦いを経て純粋に通常のゲオルベルたちより強い個体に成長した。
ゲオ男とゲオ美は番なので、そのうち子どもを生むだろう。
その子どもが成長してまた子どもを生み、群れを作り出せば、その群れはちょうどマク太郎とベウ子率いるベウの群れの中間のような性能になる。
マク太郎やベウ子の群れが攻撃的である分、ゲオルベルの群れはミーヤ自身の護身や戦えない魔物の護衛に重宝することだろう。
フェアリーのフェアもまた補助役としてとても有能だ。小さな身体とテレポート能力を駆使すれば斥候も務められるし、テレパシーで意思疎通もできる。
生憎フェアリーのテレパシーは魔族語に依存しない魔法由来の能力なので、魔法無効化能力を持つ美咲には伝わらないとはいえ、それでも魔物同士の連絡や、ミーヤとのやり取りで絶大な効果を発揮する。
特にミーヤの場合、美咲から譲り受けた翻訳サークレットのお陰で、本来はフェアが理解できない人間の言葉を、直接フェアに伝えられる。
何より、ベルークギア四兄弟姉妹のことを忘れてはいけない。
まだ幼体といえども、バルトのような竜種ではなく劣竜種でも、竜であることには変わりはない。
成体になれば、マク太郎を超える化け物が四匹も爆誕することになる。
問題は大きさで、大き過ぎて連れて歩ける場所が限られているのがネックか。
バルトと違って飛べないので、移動に地形の影響を受けるし、ブレスも吐けない。
ただ、咬力はバルトを超える数値を叩き出すし、地上の移動に限定すればバルトよりも素早く、格闘戦はとても強いのだ。
マク太郎と同じ魔物のマクレーアが逆に餌になるほどの強さである。
ただ今はまだ幼体なので、よちよち歩く可愛いマスコットに過ぎない。
ペリ丸も同じくマスコットとしてミーヤにアイドル的扱いを受けている。
特にペリ丸元々群れの長だった経験を生かし、同じペリトンが近くにいれば呼び寄せて従えることができるため、フェアと同じく索敵に向いている。
フェアリーがテレポートを生かした一方向の長距離索敵に向いているのとは違い、ペリトンは数を生かした他方向の短距離索敵に向く。
いつかどこかの不届き者がペリ丸のことを非常食扱いしたことがあるが、もちろん非常食ではない。
「気持ちは嬉しいんですけど、私の目的は、魔王の殺害なので……」
美咲はルカーディアの誘いを苦笑いして断った。
確かに、美咲は魔族という種を憎んでいるわけではないし、魔族軍の中でもアレックスたち分隊員のことは少なからず好ましく思う。
魔王の存在が無かったら、今までの戦いで美咲のために命を散らした仲間たちがいなかったら、あるいはこの世界に召喚したのがエルナではなく魔族軍だったなら、美咲は人族ではなく魔族の一員であることを選択して、人族を相手に戦っていたかもしれない。
まあ、魔族側戦力として召喚されるという可能性自体が極めて低いものだから、結局はイフの話でしかない。
魔族相手ならば有用な魔法無効化能力も、人族を相手にすると一部の人間にしか効果がなく、魔族とは違って飛び道具も普及しているため、弓矢などで狙い撃ちされると魔法無効化能力ではどうにもならず、美咲といえどもひとたまりもない。
今でこそ経験を積み、能力が効かない物理的威力を持った人族側の飛び道具に対しても、魔法で焼き尽くすなり剣で斬り払うなりできるが、ただの女子高校生でしかなかった美咲に最初からそれをやれというのも酷な話だ。
「いくらお前でも、陛下を殺せるとは思えんのだがなぁ」
初めこそ知らなかったとはいえ、今ではアレックスたちも異世界人であるという美咲の事情を知っている。
だがその事実を鑑みても、アレックスには今の美咲が魔王を倒せるとは思えない。
確かに美咲の魔法無効化能力は強大だ。
魔族は実力者であればあるほど魔法を重視する傾向があるから、美咲の能力はこの上なく刺さるだろう。
死霊魔将アズールなどはその典型だ。
ただしアズールは直接的な戦闘よりも搦め手、謀略の類を得意としており、真っ向から勝負を挑んでくるとは考え難い。もしアズール自ら真っ向勝負を挑まれたら、百パーセント罠の存在を警戒するくらいには。
蜥蜴魔将ブランディールは魔将に恥じぬ魔法の才能と、そこそこの身体能力があったが、魔法の才能を身体強化にほぼ全振りし、絶大な近接戦闘能力を得ていたから、美咲でも接近して自爆に巻き込みさえすれば勝機があった。
しかし魔将の最後の一人である牛面魔将と、魔王は違う。違うのだ。
牛面魔将には、他の魔将ほどの魔法の才能はなく、その分身体能力が高い。そして魔王は、魔法の才能と身体能力共に最高峰の水準に達している。美咲はこの二人にだけは相性が悪い。
もっとも、そんなことは美咲とて承知の上である。
だからこそ毎日鍛錬して、少しでも地力を上げようとしているのだから。
「ていうか、私が魔王を殺そうとしてることを知っても、捕まえたりしないんですか?」
美咲はもはや、自分の目的を隠そうともしない。
アレックスがミルデの親友である以上、ミルデ経由で自分の情報については筒抜けだろうし、そもそも美咲が蜥蜴魔将ブランディールを倒した時点で魔族軍に敵対しているのは明らかだ。
それでいて心情的には別に魔族そのものには敵意も害意もないのが美咲という人間で、自分や自分の親しい人間、自分が守るべきだと認識した人間を助ける以外では、魔族を倒すために剣を取ったりはしない。
もっとも、そう考えるようになったのは美咲が混血の隠れ里で過ごした経験があったからで、それより以前の美咲は明確に魔族を敵だと考えている節があった。
無理もない。
エルナこそ美咲自身の無知故に人間に殺されたが、それ以外の味方はことごとく魔族か、魔族に準ずる者たちによって殺されている。
騎士見習いのルアンは美咲が出した魔王討伐の旅の同行者を募る依頼を、唯一受けてくれた冒険者だった。
当時戦い方のたの字も知らず、冒険者としての知識もろくになかった美咲に、彼は剣術の基礎を教えてくれた。
教えてくれたのは時間の関係もあったから基礎の基礎で、結局ルアンには、美咲はへっぽこなままの姿しか見せられなかった。
もしかしたら、ルアンも本当は美咲に魔王討伐なんて出来っこないと思っていたかもしれない。
もうこんなところまで来たんだぞと、ルアンが生きていれば自慢したかった。
蜥蜴魔将ブランディールだって倒したんだよと、強くなった自分を見せたかった。
どちらも、もう叶わない願望だ。
ルアンと一緒に受けた討伐依頼で行ったゴブリンの洞窟で、美咲はルフィミアと彼女のパーティに出会った。
洞窟を住処にしていたゴブリンたちには上位種という予想外の敵がいて、結局無事に脱出できたのは美咲とルフィミア、そして成り行きで仲間になったグモというゴブリンだけだった。
そして何とかヴェリートに辿り着いたら、近々ヴェリートを巡って魔族との戦争が近くなっていて、美咲たちもラーダンに戻るためにある程度纏まった金が必要だったから、ルフィミアと一緒に美咲は防衛戦に参加した。
結果は人族連合軍の惨敗。
総数では勝っていたのに、魔族軍の魔法に人族軍は手も足も出ず、そして何より、竜を駆って戦場を自由に翔け抜ける蜥蜴魔将ブランディールが凶悪過ぎた。
指揮官だったベルアニアの騎士団長が蜥蜴魔将ブランディールとの一騎討ちによって殺されると人族連合軍の士気が崩壊し、一人だけ異世界人で身体能力が低かった美咲はたちまち取り残された。
当然蜥蜴魔将ブランディールに捕捉され、絶体絶命に陥った。
ルフィミアが決闘に応じることと引き換えに美咲の助命を嘆願しなかったら、美咲は確実に死んでいただろう。
この時美咲が生き残ったのは、弱過ぎて蜥蜴魔将ブランディールに見逃されたからに過ぎない。
そして何より、自分が死ぬ可能性が高いことを承知でルフィミアが美咲のために戦ったからこそ、美咲は生き残ったのだ。
ルアンの死と、ルフィミアの犠牲。この二つの経験で、美咲はこの世界では弱いということが、それだけで大きな罪なのだということを知った。
だからアリシャに頼み込んで鍛えてもらって、そうしたら仲間にも恵まれるようになって、また魔王に全ての希望を叩き潰された。
美咲の手に残ったのは、幼い命が一つだけ。それとて、美咲が助けたからではない。
仲間たちが、命を張って美咲とミーヤを逃がしてくれたからだ。
逃げるだけの時間を、自分の命を代償にしてでも稼いでくれたからだ。
強くなっても、結局誰かを失うことには変わりないのだ。
その絶望は、未だに美咲の胸に、コールタールのようにしつこくこびり付いている。
「ミーヤがそんなことさせないよ!」
その唯一であるミーヤが、どうして自分を捕まえないのかという魔族兵たちに対する美咲の問いに、雄たけびを上げる勢いで気炎を吐く。
仲間を失ったのは美咲だけではない。ミーヤだって、彼女たちのことを仲間だと思っていた。
ただ認識は違って、ミーヤにとっては魔王を倒すための仲間ではなく、美咲を守るための仲間だった。
幼いミーヤには、まだ魔王を殺すということが、どんなに危険なことなのかは漠然として分かっていない。
唯一の指標が、魔王がヴェリートに現れた時だった。
仲間は全員死んだ。美咲を守って死んだ。もう、誰も美咲のことを守ってやれない。
だから、今まで守られてきた分、皆の分までミーヤが美咲を守る。
そう決めたのだ。