二十六日目:夜明けまで3
バルムグの群れを返り討ちにした美咲たちだったが、今日はそれだけで終わりではなかった。
人族に占領された魔族の村で別れて脱出したニーナ、エウート、元人妻の魔族の女性の魔族軍兵士三名と合流することが出来たのである。
思えば、別々に脱出しても、方向さえ同じなら野営できる場所は限られているので自然と合流する可能性が高かったのだから、こうなるのは当然のことだ。
「良かった! 美咲ちゃん、無事だったんだね!」
美咲を慕うニーナが真っ先に飛びついてきて、勢い余って美咲を押し倒した。
「わあっ!?」
咄嗟に受け止めようとしたものの、堪えきれずに美咲はニーナごと地面に倒れる。
「大丈夫ですか!?」
転倒した美咲に慌ててカネリアが駆け寄っていく。
「本当に良かった。美咲ちゃんが無事で」
村から脱出する際に激戦があったのか、ニーナはかなりぼろぼろだった。
ぴんと立っていた頭の触覚はへろへろになっているし、背中を覆う虫羽も硬い外羽がひしゃげ、中の柔らかい飛行用の透明な羽が丸見えになっている。
カネリアに抱き起こされた美咲は、なおも美咲の腹に抱き付いたままのニーナの頭をそっと撫でた。
「ニーナの方こそ。無事、とは言えないみたいだけど、生きて再会できて私も嬉しい。でも、いきなり押し倒されるのは吃驚するかな」
「ご、ごめんね。嬉しくてつい」
どうやら自分が喜びで我を忘れていたのを自覚したようだ。
身を退けると、顔を赤くして、最初の喜びようからは打って変わってしおしおと項垂れる。
その身体を、美咲はそっと抱き締め返した。
「……ニーナの方も、元気になったみたいで、良かった」
思っていたよりも、ニーナの身体は細い。
背中の外羽こそ甲殻なので硬いけれど、皮膚そのものは人間と同じく柔らかい。
体温もきちんとあって、美咲はその温かさにホッとする。
「美咲ちゃんと合流できて嬉しいよ。ゲオルベルの時だけじゃなくて、また助けてもらっちゃった。いっぱい恩が溜まっちゃったね」
「そんなの、気にしないでいいのよ」
助けた相手が、こうして元気な姿を見せてくれる。ただそれだけで、美咲は嬉しい。助けて良かったと思えるのだ。
「礼がまだだったわね。……助けてくれて、アリガト」
顔を赤くして恥ずかしそうにそっぽを向きながら、ぶつぶつと礼を述べるエウートは可愛い。
今まで散々美咲に対して厳しい態度を取ってきたから、今更態度を改めるのが気恥ずかしいのだ。
エウートは頭の狐耳まで赤くなっていて、身体こそ平静を保とうと努力しているものの、全体的に赤面が隠せていないし、尻尾が落ち着き無く動いていて感情が外に駄々漏れになっている。
つんと澄ました表情と態度から滲み出るツンデレオーラは、エウートのつり目の顔立ちによく似合っている。
ツンが極端に多かった今までと比べて、デレの比重が増えているのも可愛さを助長している。
そして、そのエウートよりも変化が著しいのが、アレックス分隊の女性魔族のうち、まだ自己紹介も済ませていないままだった最後の一人だ。
下半身が蛇の女性魔族で、ミルデやアレックスと同じくらいか、それよりも少し上程度の外見年齢をしている。
どちらにしろ、妙齢の美女で、熟女というには若い。
というのも、魔族は一定年齢に達すると老化が極端に遅くなるか、或いは完全に止まる特徴を持つ者が多いからだ。
そうならないのは人間などからの転向組くらいで、魔物や別の種族から例外扱いで魔族に加えられている者ばかりである。
「私からもお礼を言わせて。あなたがいなければ、私たちは今もあの村のあの場所で、犯されるがままだった。それに、他の人たちまで助けてくれた。人間は嫌いだけど、あなたは別よ」
犯されていた間も憎しみを撒き散らしていた元人妻の魔族女性は、今は打って変わって落ち着いた表情をしている。
会話の内容も理知的で、感情のままに相手を罵倒していた時よりも、こちらの方が素のようだ。
「自己紹介が遅れたわね。私はルカーディア・フェディーレマイトよ」
彼女の顔で一番に目を引くのは、やはり爬虫類じみた瞳孔だろう。
白目が黄色く、光のある場所では黒目が極端に縦に細長くなる。
人間になら当て嵌まる「目で感情を語る」という表現はエルカーディアには不適切で、彼女の目は一見すると何を考えているか分からない無機質さがある。
それは本人も分かっているのか、心を開いたエルカーディアは感情表現が大げさで、爬虫類の冷たさと外見年齢に似合わぬ子どものような無邪気さが同居している。
顔以上に目立つのが、下半身の蛇体だ。
人型の二本足と魚尾の下半身を使い分けられるマリルとは違って、エルカーディアの下半身は完全に蛇体で固定されている。
銀色に光る鱗が綺麗だ。
当然人型の足になることはなく、下半身は骨格からして人間とは違う。
移動方法は人間のものとは違い、蛇のように下半身をくねらせて移動する。
その速度は二本足での移動と何ら遜色無く、地形の影響も何のそので木の根などがせり出してでこぼこになっている地面でも容易に踏破してしまう。さすがに下が溶岩など移動そのものが不可能な地形だとどうしようもないが。
髪の色も鱗と同じ銀色で、よく見ると風もないのにゆらゆらと揺れている。
腰までの髪から覗く背中のラインがとても色っぽく、透き通るような白い肌も相まってまさに白磁という表現が似合う肌をしており、本来なら目立たない組み合わせの色なのに、髪色の銀と肌色の白の対比が際立つ。
銀灰色の瞳はやや吊り上がっており、結構目力が強い。
雪景色に埋没してしまいそうな配色ばかりのパーツの中、やや大きめの口と唇だけが鮮やかに赤く色づく、迫力のある美人である。
「これで全員合流できたのね。あなたたちも無事で良かった」
ホッと安堵の息をついたのはエリューナだ。
全身がよく磨かれた石像のような光沢を持つエリューナは、女神像という表現が良く似合う。
迫力美人である下半身蛇のルカーディアとタメを張る美人であり、ルカーディアが悪役が似合いそうな美女であるのに対し、エリューナは清楚系の美女だ。
石像らしくエリューナの方がルカーディアよりも極端な白一色な体色をしているが、どちらも人妻だから外見年齢はそれほど変わらないように見える。
魔族の場合、大人になってしまうと実年齢は外見だけでは全く測れなくなるので、実際の年齢差がどれくらいあるのかは美咲には分からない。
「本来の任務とは外れているけれど、領民を守るのも私たち兵士の義務よ。でも、この子がいなかったら助けられなかった。私たちも捕まったまま、あのまま人間たちの嬲り者になってきっと死んでいたわ」
「わっ」
ニーナに抱き締められていた美咲は、今度はルカーディアに抱き抱えられ、頬擦りをされる。
半開きになったルカーディアの口から覗く舌は二股に分かれており、時折ちろちろと蛇がするように出し入れされている。
「随分、心を許すんですね。人間は憎くないんですか?」
額に皺を寄せてルカーディアに尋ねたのは、メイラだった。
背に自分の身体を覆うほどの大きさの、天使のような真っ白い翼を持っていたメイラは、魔族の中でも白翼族という種族に位置している。
白翼族はその名の通り背に大きな白い翼が生えているのが特徴で、その他は生粋の魔族でも人間と容姿が変わらない、魔族の中では比較的珍しい種族だ。
故に、彼らのアイデンティティはその翼に有り、それを捥がれたメイラが人間を憎むのは、仕方ないことと言える。
そんなメイラだから、犯されている最中も人間への怒りと恨みを表にし続けていたルカーディアが、いくら自分たちを助けてくれた相手とはいえ同じ人間である美咲に心を許したのが納得いかない。
自分自身がまだ、人間は人間、美咲は美咲と個を割り切って考えられないが故に。
「もちろん憎いわよ。私たちを犯していた男たちなんて、八つ裂きにしてやりたいくらい。でもさすがに、命の恩人にまで憎しみを向けられないわ。複雑な気持ちも無くはないけれど」
元々同じ感情を、より強く抱いていたルカーディアだからこそ、ルカーディアはメイラの懊悩の理由を察した。
頭では分かっていても、感情を納得させるのは難しい。
助けられたからって、すぐにころっと態度を変えられるニーナのような存在の方が珍しいのだ。
現に、ルカーディア自身も最初は名前すら教えたくなく、上官であるアレックスの命令を拒んでしまったくらいだ。
アレックスがルカーディアの気持ちを汲んでくれたから良かったものの、本来なら不服従は厳罰ものである。
まあ、人族に対しては公平さを無くして身内である同族に甘くなる傾向も無くはないので、元々下地はあったといえるかもしれない。
「あなたは?」
続いて、メイラはエウートに同意を求めた。
ルカーディアほどではないけれど、エウートもまた人族には憎悪を抱いているし、捕まって村に連れて行かれてからも人族に対する殺意を漲らせていた。
しかしルカーディアほど精神的には強くなく、陵辱を受けて心を折られ、美咲が助けに入る頃には泣き叫んで許しを請うようになってしまっていた。
屈してしまったことを責めることは出来まい。
エウートはまだ成長が止まっておらず、実年齢が外見年齢そのものになっている。
元の世界の基準で表現すれば、ティーンエイジャーなのだ。
魔族とはいえ高校生程度の実年齢でしかない少女に、そこまでの心の強さは求められまい。
「同じ気持ちよ。というか、私たちの場合は護送対象に助けられちゃったから、今更手なんて出せないわ。そこまで厚顔無恥にはなれないもの。上官命令が出たら仕方ないけどね。私たち軍人だし」
メイラとエウートやルカーディアを比べた場合、一番目に付くのがやはり職業の違いだ。
ただの村人であるメイラに対し、二人は曲りなりにも軍人である。
「その私たちの上官も、そこまで酷い命令を出す人ではありませんし、そもそも絶賛行方不明中ですしねぇ。たぶんどこかで逃げ延びてると思うんですけど」
そう言うと、ニーナが苦笑して肩を竦めた。