二十六日目:彼女が見たもの3
突然、美咲はエルディリヒトに突き飛ばされ、地面に転がった。
驚く美咲の四肢を、周りにいた騎士や兵士たちが押さえつけた。
反射的に身体を強張らせる美咲を、エルディリヒトは冷たい目で見下ろす。
「……悪いが、君を人として扱うのは、もう止めだ」
「私を、犯させるつもり? 本当に……最低ね」
精一杯の美咲の憎まれ口も、エルディリヒトの反応を引き出すことは出来ない。
彼はただ、冷徹な目を美咲に向けている。
「君の思想は異端だ。放置しておくわけにはいかない。ここで我らの役に立って朽ちるがいい」
美咲の右腕を押さえつけた騎士が、エルディリヒトに確認を取る。
「彼女、兄殿下が召喚させた異世界人なんでしょう? 勝手に手をつけていいんですか?」
「構わん。彼女が仮に本当に魔王を倒せたとしても、兄上の手柄になるだけだ。ちょうど良い兄上への嫌がらせになるだろう。それに彼女の場合、魔王を殺したその足で魔族に寝返りかねんからな」
どうやらエルディリヒトは、戦後の兄との力関係を気にしているようだった。
兄と同じように、エルディリヒトも王位を狙っているらしい。
(王位がそんなに大切なの? 国が滅んだら、元も子もないのに)
何対もの色欲を含んだ視線が品定めをするかのように倒れた美咲に注がれる。
その視線のおぞましさに、美咲は必死にもがき、身を捩る。
……動くことは、叶わなかったけれど。
「本当に、抱いていいんですか?」
「好きにしろ。だが、彼女は魔法を使えるようだ。猿轡を噛ませることを忘れるなよ」
男たちが歓声を上げ、美咲の服を脱がしに掛かる。
「止めて! 触らないで!」
美咲の抵抗も、鍛えられた男たちの前では蟷螂の斧に過ぎない。
猿轡を噛ませようと、男の一人が布の塊を手に美咲の頭に手をかける。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ……!)
声を出すことを封じられたらお仕舞いだ。
抵抗することもできず、呪刻の刻限まで嬲られ続けて、刻限が来たら死ぬ。
(こんな終わり方をするために、此処まで来たわけじゃない!)
抵抗しなければ、全てが終わる。
でも、肉体的な抵抗は全て封じられた。
後もう少しで、魔法を使えなくなる。
使うなら、今しかない。
でも、美咲が魔法を使えば、人間だけでなく、囚われている魔族の女性たちも巻き込む。
助けるために来たのに、魔法に巻き込んで殺してしまったら、何のために来たのか分からない。
(諦めたら駄目……! 考えなきゃ!)
要は、敵を無力化できればいいのだ。
「ホォイケェアロユゥ!」
イメージするのは、爆発する光。
膨れ上がる閃光。
網膜を貫き、視界を奪う、暴虐的なまでの光の奔流。
ただし、光に破壊のイメージは込めない。
光に熱量を持たせてしまったら、美咲以外は全滅だ。人族騎士や兵士たちはともかく、囚われている魔族の女性たちまで巻き込んでしまう。
視界を奪い、しばらく目くらましをするだけでいい。
魔法は美咲のイメージ通りに眩い光を建物内に撒き散らした。
それと同時に、何かが砕けるような音が響いた。
「ぎゃっ!?」
「目が、目がぁ!」
「な、何も見えない!」
「何が起こってるんだ!?」
美咲を拘束していた男たちが光で潰された目を押さえてよろめいた隙に、美咲は立ち上がる。
時間との勝負だ。ニーナ、エウート、元人妻の女性魔族兵に馬乗りになっていた男たちを蹴り倒して退かす。
「あなた、どうして……! それに、今の、どうやって」
「いいから立って、早く!」
信じられないといった様子で呆然とし、目を見開いて美咲を見つめる元人妻女性魔族兵に一喝し、美咲は続いてニーナとエウートの容態を確認する。
「私はいいから、ニーナの方を、お願い……」
しゃがれた声でエウートが美咲を制止し、自分の足で立ち上がった。
苦痛に顔を歪めているものの、動くこと自体は出来そうだ。
問題は、ニーナの方だった。
跨っていた男を排除しても、ニーナはぴくりともしない。
呼吸はしているし、目も開いているのに、その視線は宙を向いたまま、虚空をぼんやりと見つめている。
「起きれる?」
尋ねると、のろのろとした動きで身を起こすものの、その動作は不安定で、酷く危なっかしい。
まるで歩き始めたばかりの子どものようにぎこちない歩き方で、すぐによろめいて転びそうになる。
(一人で歩かせるのは、無理か……)
ニーナが逃げるためには、誰かの介助が必要だろう。一人で村の外まで歩けるとは思えない。
美咲はエウートと元人妻魔族兵に向き直った。
「二人はニーナを連れて、外に脱出を」
真剣な目で、元人妻魔族兵が美咲を睨んでくる。
「あなたはどうするのよ」
元人妻魔族兵の問いに、美咲はまだ囚われたままの魔族の女性たちに視線を向けることで答えた。
「私は残って、あの人たちも助けられないか試してみます」
「危険過ぎるわ」
即座に止める元人妻魔族兵は、早くも落ち着きを取り戻し始めていた。
それに、人族を憎むあまり美咲にまで憎しみを撒き散らしていた今までと違い、今の彼女には美咲に対する気遣いが窺える。
もしかしたら、これが彼女の素なのかもしれない。
今までは、憎悪に囚われ過ぎていただけで。
「多分、アレックスさんたちも村の近くであなたたちを助ける機会を窺ってると思うんです。それに、私の仲間も竜に乗ってそろそろ近くに来ているはずです。騒ぎを起こせば、絶対に気付いてくれます」
少し前に、フェアリーであるフェアを、ミーヤの元へ帰した。
今は、戻ってきたフェアから事情を聞いたミーヤが、バルトを駆ってこちらへ移動しているはずだ。
元から囚われていた魔族の女性たちもそう多くない。
体調が万全な今のバルトなら全員乗せて飛べるだろう。
何なら村を探索して、馬車があれば奪ってもいい。道が整備されていない場所には踏み込めないものの、街道を行く分には馬車は便利だ。
「そう。そういえば、あなたはあの蜥蜴将軍を殺したんだったわね。竜というのは、彼の愛騎だったあの竜? 知恵ある古代竜が、よく言うことを聞いたわね」
元人妻の魔族兵が、不思議そうな表情を浮かべる。
まあ、事情を知らなければ確かに摩訶不思議な展開だろう。
バルト自身に魔族に与するという理由がブランディールとの友情以外に無く、そのブランディールの願いなのだから、バルトに断る道理はない。
それに、バルトには魔王に対する疑念もあったろう。
後からヴェリートに現れることが出来たのなら、どうしてもっと早く来てくれなかったのか。
早く来ていれば、今頃死んでいたのはブランディールではなく、美咲の方だったのは確かだ。
自分自身の生死に影響するので、美咲としては来なくて良かったと思うものの、バルトの気持ちも美咲には分かる。
まあ、一番美咲が思うのは、魔王なんか一生魔王城に引きこもってればよかったのに、という無駄な願望ではあるが。
仲間の死は、辛い。
「蜥蜴魔将本人が、譲ってくれました」
「死者に言うことじゃないけど、わざわざ敵に塩を送るなんて、蜥蜴魔将閣下は何を考えていたのかしら」
不思議そうに、元人妻の魔族兵は首を捻っている。
美咲と元人妻魔族兵の話を遮る声が上がった。
「無駄話してないで、早く逃げるわよ。目潰しもいつまでも効いてるわけじゃない。そろそろ復活する奴が出てもおかしくないわ」
「あら、動けるようになったの? さっきまでぴーぴー泣き叫んでたくせに」
意外そうに声をかける元人妻魔族兵に、声の主であるエウートがきつい眼差しを向けて言い返し、次いで少し気まずそうな表情で美咲にもエールを送る。
「うるさい黙れ。……ねえ、人間。あんたも、死ぬんじゃないわよ」
「……うん」
美咲を嫌っていた二人が、以前と比べて柔らかい態度になったことに、美咲は少し嬉しくなった。
助けられて良かったと思った。
■ □ ■
ニーナを支えながら出て行く二人を見送ることなく、美咲も次の行動に取り掛かる。
美咲を案内した魔族の少女の肩を掴み、美咲は尋ねる。
「ねえ、ここに囚われている村の女性たちは何人いるの?」
「私含めて、ご、五人です」
びくっと身体を震わせた魔族の少女が、おどおどしながら答える。
(五人……意識さえ取り戻してくれていれば、いけるか)
「で、でも、皆衰弱してるから、自力で歩くのは無理かも」
魔族の少女の言葉に、美咲は思わず険しい表情で舌打ちしてしまった。
それを見た少女が顔色を蒼白にさせ、土下座しようとする。
「ご、ごめんなさい」
我に帰った美咲は少女を怖がらせてしまったことに気付く。
(馬鹿か、私は。この子を怖がらせてどうするの)
「いいのよ。こちらこそ、舌打ちしちゃってごめんね」
遣る瀬無い微笑みを浮かべて謝ると、魔族の少女がぽかんとした顔で、美咲を見上げる。
村が人間に占領されてから今まで、人間にそんな態度を取られたことなど、魔族の少女には無かったのだ。
「あなた、魔法は使えるわよね?」
尋ねると、少女は怪訝な表情を浮かべた。
「は、はい。魔族ですから。ただ、この家は魔封じの結界が張られていますし、それを何とかしないことには……」
どうやら、囚われていた魔族の女性やニーナ、エウート、元人妻の魔族兵たちがろくな抵抗を出来ていなかったのは、そのせいらしい。
しかし、疑問が残る。
「え? でも、私普通にさっき魔法使っちゃったけど」
先ほど、美咲は自分を犯そうとする人族騎士や兵士を無力化するために、魔法で目潰しをしているのだ。
おもむろに魔法で自分の身体を洗浄した魔族の少女が、呆気に取られた顔をした。
「あれ? 変ですね。使えるようになってます……」
不思議がる少女を他所に、美咲は自分の行動を思い返す。
(そういえば、魔法を使った時、何か変な音と手応えがあったような……)
無我夢中だったので気付かなかったけれど、もしかして、あの時に結界まで一緒に消し飛ばしてしまったのだろうか。
何故か結界の中で一人だけ魔法が使えたのは、美咲が魔法無力化体質持ちの異世界人だからかもしれない。
基点をきちんと作って張る結界は基点そのものを壊さないと美咲でも無効化できないが、魔法で展開した簡易的なものならば、無理やり消し飛ばすことは不可能ではない。
人族に魔法が広まりつつあるといっても、その多くはまだまだ初歩的なものに過ぎず、基点式の結界のような複雑な魔法技術に関してはまだまだ魔族の独壇場のようである。
「まあ、使えるようになったのならいいか。それで。五人を魔法で浮かせて運べる?」
「それくらいなら。でも、多分魔法の維持で手一杯になります」
「十分よ。なら、あの人たちは任せるわ。その間、私があなたを守るから」
素っ気無く言った美咲に、思い切った様子で少女が尋ねた。
「あ、あの! どうして人間なのに、私たち魔族にそこまでしてくれるんですか?」
美咲が見つめると、少女は一瞬怖気付いた表情になりながらも、固唾を呑んでじっと美咲を見返してくる。
目を逸らし、美咲は呻いている人族騎士や兵士たちの様子を確認する。
もう、あまり時間に余裕はなさそうだ。
「別に、理由なんて大層なものはない。強いて言うなら、こういう女の尊厳を踏み躙るようなやり方は、同じ女として見逃せないだけ」
「……! ありがとう、ございます」
はっとして顔をくしゃりと泣き笑いの表情に歪めた魔族の少女の頭を、美咲は軽く撫でた。
「お礼は無事に村を脱出できた後でいい。直に目潰しした奴等も動けるようになる。早く取り掛かりましょう」
「は、はい!」
魔法で村の女性たちの身体を清め、浮かび上がらせる少女を眺めた美咲は、ふと目を逸らし、蹲るエルディリヒトに目を向けた。
目が見えずとも、声は聞こえる。
エルディリヒトは、気配を頼りに美咲を引きとめようと手を伸ばす。
「ま、待て……! 君は、そんなことをすれば、本当に人類の敵に」
その手をするりと避け、美咲は外へと続く扉へと歩き出した。
「……あなたにはがっかりよ。エルディリヒト王子。あなたも結局、フェルディナント王子と何も変わらなかった」
決別の言葉を残し、美咲は魔族の少女を伴い、家を出た。