二十六日目:囚われた魔族の行方2
昼間とは打って変わって、魔族の村は暗闇と静寂に包まれていた。
聞こえるのは虫の音と吹き抜ける風の音、そして身動ぎする兵士たちが立てる物音くらいだ。
(まずは、見張りが何処にいるか、どこを見てるか把握しなきゃね)
闇雲に歩いても、見張りの兵士に見つかるだけで良いことはない。
ここは急がば回れの精神で、一つ一つ見つかる可能性を潰していくことが重要だ。
魔族の村の地理は、昼間に散々散歩したので、ある程度頭に入っているので、そこに兵士たちの位置を書き込んでいけば良い。
昼間のように見回りの兵がうろついていたら対処が面倒だっただろうけれども、幸い夜中はたまに交代の兵士が歩いているだけで、基本的には出会い頭に兵士と遭遇することはない。
観察していると、交代時間が近い兵士は、露骨にそわそわし始めるので、交代が来るの予測するのは簡単だった。
(分かり易い……。見張りって、そんなに退屈なのかな)
今も物陰に隠れた美咲の目前で、兵士が三人、交代の人員を待っている。
「まだ来ないのか。待ち遠しいぜ」
さすがに全員が全員、常に緊張感を維持しているのは難しいのか、彼らは美咲がすぐ側に潜んでいるなど、思いもしていない様子で、雑談に花を咲かせている。
(職務怠慢ね……好都合だけど)
緊張感が無い兵士たちの様子に美咲は眉を潜めるが、むしろ美咲としては真面目に見張りの任務を全うされていた方が面倒だし困るので、だらけてくれているのは願ったり叶ったりだ。
「全く殿下様々だよな。あの人には頭が上がらねぇ」
もう一人の兵士が、最初にぼやいた兵士に言葉を返す。
続いて同じ兵士が発した台詞で、彼らの身分が知れた。
「俺たちみたいな貧民に対しても偉ぶらないしな」
どうやら、この三人の兵士たちは、平民、それもかなり貧しい家庭の出身なようだ。
まあ、騎士ならともかく、一般の兵士まで貴族というわけではないのだろう。
騎士とは違い、ただの兵士なら武器防具は上から支給されるし、騎獣も必要ないので維持費もほとんど掛からない。
少ないが給金も支払われるので、死にさえしなければ、それなりに金は貯まる。
まあ、給金といっても実際に上から支払われる額は少なく、その多くは魔族に対する略奪の許可で賄われているのが実情なのだが。
「ちくしょう、どうして俺だけまだ交代時間じゃないんだ」
一人だけ残らなければいけないらしい兵士が、ぼやいて残りの二人に恨めしげな視線を向けている。
「ははは。俺たちは一足先に楽しませてもらうぜ」
まだ見張りを続けなければならない兵士を、もうすぐ非番になる兵士二人がにやにや笑って挑発している。
その三人に、声をかける二つの影があった。
「おう、待たせたな」
「すまない、遅くなっちまった」
影ではなく、人間だ。暗闇なのでその表情を見て取ることは出来ない。ただ、声音などからその人物が笑っているらしいことは分かる。
「お、ついにか!」
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
ようやく交代の兵士が来たらしい。非番になる二人の声が弾んだ。
新しく来た兵士たちが、謝罪をする声が聞こえる。
「すまんすまん。急いだんだが、こいつがギリギリまで粘るもんでな」
「ついつい時間を忘れちまった。十回もしちまったぜ」
(……ん?)
何だかおかしな方向に向かう会話に、美咲は眉根を寄せる。
(十回? 何のこと?)
困惑する美咲に気付くはずもなく、謝罪しながらおどける交代の兵士の頭を、笑いながら非番になる兵士の一人が軽く叩いた。
「盛ってんじゃねえよ。微妙に戻ってねぇぞ」
さほど力が込められているわけでもなく、軽い突っ込みだったようで、叩かれた男はけろりとしているようだ
(ちょくちょくよく分からない表現が出てるのが気になるわね……戻ってないって何のことかな)
気になるものの、まさか出ていって尋ねてみるわけにもいかず、美咲としては想像するしかない。
その間にも、兵士たちの会話は続く。
「いやあ、あの場所の空気に当てられちまってよ。最高だぜ、あそこは」
「正直、もう次の非番が待ち遠しいぞ、俺は」
よほど、兵士たちにとって人気の場所があるらしい。
やたらと交代の兵士二人がその場所を良い場所だと強調するので、美咲は少し気になってしまった。
(早くニーナたちの無事を確かめなきゃいけないのに……)
優先すべきは魔族兵たちの安否確認であり、囚われている場所も分かっているのだから、そちらを優先すべきである。
しかし、彼らの会話の内容から窺える、彼らに人気らしい場所というのも、気になる。
「まあ、その意見には同意する」
「くそ、俺も交代時間になったら絶対行くからな!」
「おう。俺たちは一足先に楽しませてもらうぜ」
交代の兵士二人が残り、非番になった二人が歩き出す。
奇しくも、それは美咲の目的地と同じ方角だった。
(これは幸運、なのかな? ……後をつけてみよう)
見失わない程度の距離を取りつつ、物陰や暗闇に身を紛らわせ、美咲もその場を離れた。
■ □ ■
後をつけている間、兵士二人の会話を美咲は盗み聞く。
「今日は誰にすっかなぁ」
兵士のうち、一人が口を開いた。
並んで夜道を歩いている兵士たちはまさか自分たち以外の人間が近くにいるとは思ってもいないようで、後をつける美咲に気付かず、背後を振り返りもしない。
「そういえば、新しい奴が入ったらしいじゃないか」
最初に喋り出した兵士に、もう一人が声を掛けた。
「珍しいよな。粗方見つけたと思ってたんだが。隠れてたのかね」
会話を聞いているうちに、美咲は何となく、おぼろげながら彼らが言っていることの意味が分かってきた。
そしてそれは、次の会話で確信に変わる。
「いや、俺は別件で殿下が捕らえたって聞いたぞ。人間を捕まえて連行している最中だったんだと」
(きっとニーナだ!)
俄然目の色を変え、美咲は彼らの会話の盗み聞きを続行する。
どんな待遇を受けているのか不安ではあるものの、人族兵たちの会話から推測すると、少なくともまだ殺されてはいないようである。
「お、俺もその話聞いたぜ。魔族兵に捕まってた奴って女なんだろ? しかも妙齢の」
(これって、私のことかな……)
自分のことが話題に上がり、美咲は少し身体がむず痒くなってしまった。
まさか兵士たちも、話題に上げている人間がすぐ側に隠れて自分たちを尾行しているとは思うまい。
「かなりの美人らしいな」
(美人だなんて、そんな)
こんな時だというのに、容姿を賞賛されて、美咲は喜んでしまった。
こういう時にわざわざお世辞を口にするとも思えないので、彼らの美的感覚から見て、美咲は美人に見えるようだ。
元の世界にいた頃から容姿については少々自信があった美咲だけれども、それでもクラスで三番目くらいに可愛い程度でしかないと、美咲自身客観的に思っていたし、上には上がいることなんて、誰に言われずとも十分理解していた。
そしてこの世界に召喚されてからは、自分の容姿に気を払う余裕などなく、ただ我武者羅に歩いてきたから美について気にする余裕なんて無かった。
だからこそ、まだ美人という括りに自分が入れていることが分かって、美咲は少し嬉しい。
「くそ、魔族じゃないのか! できねえじゃねえか!」
ここまでの話の内容を聞いていれば、さすがに美咲も彼らが口にしている話題が何なのか、分かってくる。
(美人なら即やりたがるとか、こいつら、猿なの?)
気付かれていないことを良いことに、割と酷い言い草である。
「お前はそれしか頭に無いのかよ」
実際悔しがる兵士を、もう一人の兵士が窘めた。
「こんな場所じゃ娯楽らしい娯楽なんてこれくらいしかないじゃないか。早く王都に帰りたいぜ」
「まあ、確かにな」
(娯楽? 彼らが夢中になるような娯楽が、この先にあるの?)
どうやら、向かう先はなんらかの遊び場のようである。
(賭博か何かかな?)
美咲はタゴサクたちとサイコロ賭博をした時のことを思い出す。
彼らのことを思い出すと、タゴサクを残して逃げ出されたことを嫌でも意識せずにはいられず、少し胸が苦しくなる。
高ぶりそうになる感情を押さえ、美咲は己が冷静でいられるよう平常心を保つ努力をする。
(確かに、賭博は面白かったけど……)
引っかかるのは、ニーナの存在だ。
捕まった彼女が、どこかに幽閉されているのは間違いない。
そして話の内容によると、その場所は、彼らが行く場所とどうも重なっているようにも思える。
(まさか、ね……)
どうにも嫌な予感がして、胸騒ぎを覚えた美咲は、自分の直感が外れていることを祈った。
しかし美咲の祈りは届かない。
「よし、ついたぞ」
「よっしゃ、今夜も楽しむぜぇ!」
兵士二人が、建物の中に入っていく。
そこは、昼間にエルディリヒトが言っていた、ニーナが囚われている建物だった。
(嘘でしょ……)
顔を青褪めさせた美咲は、慌てて扉に駆け寄る。
近くに誰も居ないことを確かめて、跳ねる胸の鼓動を感じながら、扉に耳を立てて聞き耳を試みた。
(何の音もしない……。何かの方法で防音されてるのかな)
恐る恐る、扉の取っ手に手を掛けてみる。
鍵が掛かっているかと思ったが、良く考えてみれば先に入った兵士たち二人は鍵を閉めた様子は無かった。
大した抵抗もなく、扉が開く。
中は暗く、極普通の民家のようだった。
ただ、普通の民家と違うのは、地下室があるようで、床下の一部から光が漏れていることだ。
良く見ると、その光が漏れているところの床は、開けるように取っ手が付けられている。
(どうしよう。入ったら、絶対見つかるよね。でも、入らないと中で何が行われているか分からない)
美咲は迷った。
ここは、明らかに隠されていた場所だ。エルディリヒトが、美咲に見せまいとしていた場所だ。
ならば見るべきではない。美咲はここで引き返すべきである。
引き返したところで、美咲の魔王討伐の旅に、何か不都合が出るわけでもないのだから。
入ってしまったら、きっと何か取り返しのつかないことが起こる。
今まで信じていた何かが、決定的に壊れてしまう。
本能的な恐怖を、美咲は感じた。
足を、踏み入れるべきではない。知らなくてもいいことだってある。
(──違う!)
その恐れ全てを、踏み出した一歩で以って粉砕した。
強張っていた身体は、思い出したように真っ直ぐ地下室の入り口へと向かっていく。
だって、守りたいものを守ると決めたのだ。
無知なままではいられなかった。盲目的に人間を善だと信じて、魔族を悪だと断じることが、美咲には出来なかった。
綺麗なだけの嘘なんて要らない。美咲が求めるのは真実だ。
それを、美咲は暴いた。
地下室への、入り口を開いた。
開けてしまった。