二十六日目:占領された魔族の村3
交渉の結果美咲が手に入れた武装は、人族騎士の標準装備である剣と盾、そして鎖帷子に外套だった。
剣は鞘に納めて剣帯で腰に吊るしている状態でも、美咲にずっしりとした重みを伝えている。
覚えている限りでは、かつてアリシャに一時的に借りた剣よりも重く、剣自体が美咲の体格には大きめのようだ。
少々扱い辛いけれど、エルディリヒトの好意で用立ててもらったものなので文句は言えない。
背中には盾を背負う。
これは剣を両手で持っている時は背中を守ることにもなるし、もちろん左手で前面に持ってくる普通の使い方も出来る。
板金盾だと美咲には重過ぎるので、この盾は木製の盾を鉄で補強したものだ。板金盾と比べて脆いが、今の美咲なら背負っても大して苦にならない程度には軽い。
もっとも、それは今の美咲が鍛えられているからで、この世界に来たばかりの美咲であったなら、すぐに根を上げていただろうけれども。
左腰には剣、背中には盾。重量物を持ち歩くには、バランスが肝心だ。なので、右腰には道具袋を下げることにした。
普段から使っていたのと同じ大きさの道具袋だと、腰に吊るして持ち運ぶには大き過ぎるので、携行に適した小さい道具袋にする。
元々の道具袋だって、容量を取っていたのは毛布や着替えなどのあれば便利なものだったし、旅慣れた今では美咲もそれらが無くたって我慢出来る。最低限の薬と食料があればいい。寒さ対策は外套でどうにかなる。
外套は元々のものでも十分暖かかったけれど、それでも夜中は毛布が必要なくらい冷え込んだこともあったので、ただの布製ではなく、毛皮で作られた外套を用意してもらった。
しっかりなめされた毛皮の外套は、もこもこなのに柔らかく、触ればふんわりとした手触りを手に伝えてくる。
職人の技術の高さが窺える一品で、真っ白の毛並みが美しい。
ただ、ここまで綺麗な白だとすぐに汚れてしまいそうなのだが、そこは異世界クオリティ。
この外套に使われている毛皮は水棲の魔獣の毛皮で、水を弾く。つまり、血飛沫などを浴びても水で洗えばすぐに落ち、しかもすぐに乾くという手入れが簡単な優れものなのである。しかも汚れそのものにも強い。
旅において、手入れが簡単というのは何にも勝る長所だ。
いついかなる時も手入れが出来るとは限らないのに、手入れに大部分の時間を取られるのではたまったものではない。
剣も盾も鎖帷子も外套も、手入れが簡単であることを条件の一つに選んだ。
だから剣は斬れ味よりも重さそのもので叩き斬ることを重視したし、盾も錆び難くメンテナンスが簡単なように鉄の補強は最低限のものにした。鉄の補強は箇所が多ければ多いほど耐久力が増すけれども、相応に調整も複雑になる。
調整の観点から言えば、鉄板製の方が錆にだけ気をつければ大体何とかなるので、かえって簡単なくらいだ。もっとも、重さの問題で美咲は鉄板製の盾は持ち歩けないので、どの道選択の余地は無い。
身体を守る主要な防具は鎖帷子になる。
ルアンがくれた鎖帷子よりも編まれている鎖自体が大きくて、防御力はありそうだがいささか重い。
とはいえ板金鎧よりは軽いのは確実だし、美咲も鍛えられて余裕が出てきているから、問題の無い重さだ。
さすがに鎖帷子だけでは打撃や刺突といった攻撃を防げないため、上から鉄製の部分鎧をつけて補強する。
この部分鎧は鎖帷子とセットで着用することを前提とすることで、重さをできるだけ軽減するために面積を可能な限り減らしている。
よって守るのは本当に急所のみで、防御力には不安は残るものの代わりに追加しても殆ど負担を感じさせない一品だ。
エルディリヒトの命令でこれらを都合してくれた騎士は、防御力を重視するなら板金鎧の方が良いと美咲に勧めてくれたのだけれど、試しに着てみたら重くて走れなかったので諦めた。
むしろ歩き回れたことを、美咲としては褒めて欲しいくらいだ。あれは重過ぎる。今までの美咲なら間違いなく潰れて動けなくなっているに違いない。
現に、用立ててくれた騎士は「やっぱり無茶だったか」みたいな顔をしていた。問い詰めてみると、ワルナークに騎乗するのを前提に作られた鎧だったらしい。
ちなみにワルナークに騎乗する場合は、武器も剣ではなく槍を主に使うようだ。試しに持たせてもらったけれど、美咲の腕力では構えるのが精一杯で、ろくに振り回せたものではなく、美咲の武装にはなり得なかった。
エルディリヒトを含め、彼の配下の騎士たちは皆強化魔法を用いてワルナークに騎乗せずとも完全武装で槍を振り回す。
元々よく鍛えられた肉体を持つ騎士たちが、強化魔法でその身体能力を底上げするのだから、その戦闘力は一般的な魔族兵を凌ぐ。
異世界人の体質には助けられてきた美咲も、強化魔法が効かない自分の体質が恨めしく思える光景だった。
後は消耗品として薬に包帯、火打石、食料、後は幾許かの治癒紙幣などだ。
治癒紙幣は美咲自身には効果が無くとも、通貨としての側面を備えているし、他人に使うなら問題なく治癒の効果を発揮する。
(私も、結構成長したのかな)
他にも、以前は革製だった手や足の防具も鉄製のものに変わっている。
武装する際には下に綿入りの手袋や靴下、鎧下等を着込むので、長時間着用していてもあまり着用者の負担にならないようになっている。
それを鑑みても、美咲の身体能力は、確かに上昇していた。
実感できるのが少し嬉しい。
まだ日が沈むにはもう少し時間があるようだ。
店を出た後も、美咲は散策を続行することにする。
(さて、何処に行こうかな……)
村の見取り図でもあれば便利なのだけれど、さすがに来たばかりの美咲には当てが無い。
(まあいいか。ゆっくりいこ)
手探りでの探索も、それはそれで風情がある。
どうせミーヤが迎えに来るまで美咲はこの村を出ても行く当てが無いし、アレックスたちをこのままにしてさよならというのも寝覚めが悪い。何よりアレックスを死なせてしまうと、ミルデに恨まれそうな気がする。
(それにしても、本当に物々しいな。騎士や兵士たちあちこちうろついてる。しかも男ばかり)
同じ人間である美咲としては、戦力が充実しているというのは喜ばしいことだと理解しているけれども、村人を一人も見かけないというのが不思議だ。
(村の魔族たちは、抵抗して皆殺されちゃったのかな)
嫌な想像をして、美咲の背筋に怖気が走る。
でも、有り得ない想像でもない。
何しろ魔族は村人であろうと魔法の恩恵で高い戦闘能力を持つのだ。
それに比例するように好戦的でもあり、普通の人族騎士の部隊が魔族の村に攻め入れば手痛い反撃を食らうことは確定的で、この村が落とせたのはエルディリヒトと彼が率いる部隊あってのものだろう。
部隊に所属するエルディリヒトの部下たちも揃って手練揃いであるけれども、特にエルディリヒトは別格だ。
人間ならばアリシャやミリアン、魔族ならば蜥蜴魔将ブランディールや死霊魔将アズールといった強者たちに共通する凄みとでも言うべき雰囲気がある。
この独特のオーラは美咲にはまだ無いもので、美咲と彼らとの間に横たわる実力差を指し示す指標の一つになる。
美咲は魔族に対して抜群に相性が良いから、実力差があってもブランディールに喰らいつき、討ち取ることが出来た。
死霊魔将アズールも間違いなく死闘にはなるだろうけれども勝機は十分にある。
しかし、アリシャやミリアンに対しては、今でも勝てるイメージが全く沸かない。
そういう意味では、エルディリヒトに対しても同様だ。
(でもさすがに、皆殺しってことはないよね……?)
無いと思いたい。
半ば美咲の願望交じりであったけれども、皆殺しにしなければならない理由があるわけでもないのも確かである。
人族と魔族との間に横たわる溝を考えると、虐殺が起きていてもおかしくないと美咲でさえ思ってしまうが、そこまで救い様の無い関係ではないと美咲は信じたかった。
歩いていると民家らしき建物も見かけるのだが、多くは空き家になっているのか物音がせず、誰か居るのかと思えば兵士や騎士の詰め所代わりに使われていたりして紛らわしい。
(ん? この家も、人の気配がする……)
民家の一つの前まで来て、美咲は足を止めた。
窓はきっちりと落とし戸が下ろされていて中を覗くことは出来ない。
物音もほとんど聞こえず、一見すると誰かいるようには思えない。
だが、美咲の感覚は人の気配らしきものを捉えた。
具体的に言うと、押し殺した息遣いや、僅かな衣擦れの音だ。
誰も居ないから無音なのと、誰か居るのに無音なのとでは、ある程度鍛えられた感覚ならば微妙な差異を発見できる。
この世界に来たばかりの美咲では到底不可能だったこの察知技術を、今の美咲は習得していた。
玄関の扉は開かない。鍵が掛かっているようだ。
(何か、妙な感じ……)
少し離れて、美咲はまじまじと、家の全体を見渡す。
見た限りでは、普通の家だ。
建てたのが魔族であるから、人族の住居よりも快適そうな家である。
しばらく観察した美咲は、得心した。
(ああ、そうか。分かった。この家のドア、外から鍵が掛けられるようになってる)
本来ならあるべきはずの鍵穴が玄関に無い。
しかも、玄関扉全体に比べ、鍵の部分だけが妙に真新しい。
まるで、つい最近取り付けたかのようだ。
(落とし戸も開かない。嵌め殺しになってるのかな)
窓も固定されているようで、美咲が手を掛けてもびくともしない。
出入りは出来ず、しかし人の気配はする。
美咲はすっかりこの家のことが気になってしまった。
「その家のことが知りたいのかな、君は」
背後から声を掛けられると共に、肩に手を置かれ、美咲は飛び上がらんばかりに驚いた。
興味を惹かれ過ぎて背後への警戒がおろそかになっていたのだ。
人族が占領している村であるから、そもそも危険を感じていなかったのも油断した理由にある。
振り向いた美咲の後ろには、人族騎士が三人、どこか含みのある笑みを浮かべ立っていた。