二十六日目:占領された魔族の村2
魔族の村であるということは、当然そこは魔族領であり、最前線だ。
制圧されてからそう時間は経っていないであろうこの村は、物々しい雰囲気に包まれている。
村の入り口には兵士が必ず見張りとして複数交代制で立っているし、村の中では騎士たちが兵士を連れて巡回している。
元々の村民であるはずの魔族の姿はなく、行きかうのは人間ばかりだった。
(……何か、男ばっかり)
すれ違う兵士たちや騎士たちは男性ばかりで、女性が全く見当たらないことに、美咲は少し疑問を抱く。
男女比が極端で、魔族兵は女性もそこそこ見かけたのに、女性の人族騎士は全くと言っていいほど見かけない。
(そういえば、エルディリヒトさんの部下の人たちの中に、女の人は居たのかな)
エルディリヒトもそうだが、皆完全武装で兜を脱がなければ顔も殆ど分からないため、女性が居ても美咲には分からない。
それに、魔法や種族特性でどうとでもなる魔族に比べて、人族は男女の身体能力差が顕著に出やすい。
戦意高揚的な意味で役に立つことはあっても、純粋な戦力としては女性は活躍し辛いのかもしれない。
美咲自身も、異世界人の体質と攻撃魔法によるブーストが無ければ、戦闘能力は大幅に制限される。
アリシャに鍛錬をつけてもらってかなり基礎体力等が改善されたとはいえ、やはりそれだけではこの世界の軍人たちに敵うほどではない。
すれ違う兵士や騎士たちは皆美咲の知らない顔で、過去の戦争で見知った顔は見つからない。
(フランツ君とか居たら、詳しい事情が聞けるのになぁ)
ヴェリートで顔を合わせた青年騎士のことを、美咲は思い浮かべる。
性格的にあまり好きそうになれなかった騎士たちの中で、フランツは唯一の好青年だった。
思えば、彼ともヴェリートを脱出して以来音信不通のままだ。
(連絡が取れなくても、生きていてくれてさえいればいいんだけど)
それほど親しくはない間柄でも、知り合いに死なれるのは精神的にかなり来るものがある。
憂鬱な気持ちになって、美咲の口から自然とため息が漏れた。
少し歩くと、看板が見えてくる。
(店……かな? 何の店だろ)
魔族文字で何か書かれているのだけれど、魔族文字を読めない美咲には判別出来ず、何の店か分からない。
エルディリヒトは日が暮れる頃が夕飯の時刻だと言っていたので、その時には宛がわれた家に戻らなければならないとはいえ、生憎まだまだ太陽は上空で眩しく輝いており、日が沈むまでには今しばらくの時間がある。
暇つぶしという意味でもちょうどいいかもしれない。
(とりあえず、入ってみようかな)
気が向いた美咲は、扉を開けて店の中に入った。
店の中を見回してやはり一番に目に付くのは、本来なら商品棚に並べられているはずの商品が無いことだった。
(まあ、そうなるよね)
ヴェリートに突入した時、他の傭兵団や騎士団が金目のものを根こそぎ持ち出していたのを考えれば、十分予想できる結果だったので、美咲は特に驚かず、がらがらの商品棚から目を逸らす。
ただ、店主は居た。とはいっても、魔族ではなく人族だ。というか、完全武装こそしていないものの、どう見ても騎士である。
「いらっしゃい。あんたのことは殿下から聞いてるぜ」
馴れ馴れしく声を掛けられて、美咲はきょとんとした表情で騎士を見つめる。
まるで本当の店主のようにカウンターに座る騎士は、ニヤッと笑った。
「気付いてないのか? 殿下の命令でその服を用立てたのは俺だ。物資が限られてる割には結構良いセンスだろ?」
(……どうしよう。何言ってるのか分からない)
騎士が話しているのはベルアニア語であり、翻訳サークレットの恩恵が無い今の現状では、彼が話す言葉を理解できず、美咲は途方に暮れた。
黙り込む美咲に怪訝な表情を浮かべる騎士は、すぐに合点がいった表情になった。
「ああ、そういえば、ベルアニアの人間じゃないんだったな、あんた。ネェアレ、クゥオリィエヘェアヅウォデ?」
人族騎士の口から流れ出たのは、ベルアニア語の訛りが酷く強いものの、間違いなく魔族語だった。
魔法を発動させるという意味では落第点の出来だけれど、会話する分には支障は無い。
どうせ、美咲も魔法として覚えている以外の魔族語のレベルは似たようなものだ。
「ヘェアネシィエラァウヌゥ?」
騎士の魔族語がベルアニア語訛りが出ていると表現するなら、美咲の魔族語は日本語訛りが出ているというべきだろうか。
訛っているとはいえ、短期間で喋れるようになったのだから、美咲はそれだけでも凄いと開き直って自画自賛している。
「上手くないけどな。魔族語は発音が難しい。ここでは集めた物資の管理をしてる。必要なものがあれば言ってくれ。無料で提供しよう」
余りにも太っ腹な騎士に、美咲は目を剥いた。
集めた物資と銘打っているものの、その殆どがきちんと取引を経たものではなく、略奪品だというのは容易に想像がつく。
とはいえ、対価を取らないというのは、それはそれで驚くべきことだ。
「いいんですか?」
信じられなくて聞き返した美咲に、騎士は一枚の羊皮紙を取り出した。
「殿下から、可能な限り便宜を図れと命令を受けている。ヴェリートからここまで色々回収してきたから、割となんでもあるぞ」
美咲に向けて騎士が見せたのは、どうやらエルディリヒトの一筆らしい。
「例えば、どんなものがあるんですか?」
「そうだな。まあ、当たり前だが一番は食料だな。兵站の面もあるから限界はあるが、それでも一人分ならそう大した量じゃない。それなりの量を出せるぞ。後は武器防具の類だ。あんた、今丸腰だろ。元々持っていたものに釣り合うかどうかは分からんが、これも用立てられるぜ」
そういえばと、美咲は自分の格好を見る。
一応服装はきちんとしたものに着替えたので問題ないが、武装は全てミーヤに預けたままだ。
合流すればまた手に入るとはいえ、丸腰というのはどうしても安心感に欠けるのも本当なので、代用品が手に入れられるというのは悪くない。
「日用雑貨の類も勿論出せるぞ。無くても死ぬわけじゃないが、あっても困るものでもないし、欲しいなら言ってくれよ」
着の身着のまま連行されていたので、勿論美咲の手持ちは日用雑貨も不足している。というか皆無だ。
道具袋も無いので、まずはそこから揃えなければならないか。
さすがに細かなものが多い日用雑貨を道具袋も無しに持ち歩くのは無駄があり過ぎる。
「後はワルナークだな。徒歩で移動するには限界がある。何? 乗り方を知らない? 殿下に教えてもらえ。あの方は教えるのも上手いからな」
この騎士の言う通り、足の確保というのも重要だ。
今美咲が居るこの村も元々は魔族が住んでいて、今は人族連合騎士団が占拠しているとはいえ、間違いなく魔族領に位置している。
ヴェリートを取り戻し、蜥蜴魔将ブランディールが斃れ一時的に魔族の勢いが減じたとはいえ、人族連合騎士団がもう既に魔族領の奥地にまで楔を刺して橋頭堡を築いているとは考え難い。
混血の隠れ里とも村の位置は一日二日で辿り着ける距離であることは間違いなく、ヴェリートとこの魔族の村の距離は、ヴェリートが人族の手に戻った日から今までの約一週間の間で、人族連合騎士団が行軍できる程度の距離であると美咲は予想した。
(まさか、騎士の全員が徒歩で移動ってわけでもあるまいし。そりゃ徒歩の兵士もいるだろうけど、まずは足の速い人を物見に出して、安全を確認してから先に進むだろうし)
魔族軍にとって誤算だったであろうと言えるのは、その物見に出した人族軍の先遣隊が、その部隊だけで魔族兵を上回る錬度の高さを保持していたことだろう。
ヴェリートやラーダンは、異世界人の召喚をエルナに命じたベルアニア第一王子フェルディナントが居る王都から見て東部に位置し、そこを巡る戦場は東部戦線と呼称されている。
それに対し、王都から見て北部の都市を巡る戦場を北部戦線と呼び、この北部戦線は、美咲が経験した東部戦線よりも、遥かに激しい戦いを繰り広げていた激戦地でもあった。
前線には常に魔将軍の一人が出て圧迫を加え続け、しかしそれを跳ね除け続けたのが、今は東部戦線に配属が変わった第二王子エルディリヒト率いる人族騎士団の部隊である。
元々は北部戦線の兵士や騎士たちの寄せ集めに過ぎなかったのを、エルディリヒトがそのカリスマで多国籍部隊に纏め上げた。
エルディリヒト本人も超人だが、その部下たちも大概だ。
まず、部隊の全員が魔法として発現させられる精度の魔族語を習得しているというだけでも美咲にとっては驚きであるのに、人族の特徴として、それぞれが武芸にも秀でて戦闘技術も高い。
魔法に依存する性質上どうしても技術については遅れを取りがちな魔族とは違い、元々魔法が無かった人族の間では武術が発展してきたので、彼らはいわば、二つの種族の良いとこ取りをした部隊だといえよう。
北部戦線を長年苦しめ続けた魔将軍も、人族軍の物量とエルディヒトの部隊の突出した戦闘能力によって討ち取られ、北部戦線は一時的に人族有利となった。
一方の東部戦線も、結果的に多大な犠牲が出たとはいえ、美咲が蜥蜴魔将ブランディールを討ち、現れた魔王の猛反撃に遭いバルトの助けを借りてヴェリートから逃げ出した後、美咲の仲間たちの決死の抵抗によって魔王たちが撤退した後のヴェリートを、後詰の形で余裕が出た北部戦線から東部戦線に配属変更になったエルディリヒトが部隊を率いて攻め落とした。
そしてそれから僅か一週間で、エルディリヒトはここまで来た。
つまり、言い換えるなら、ヴェリートから混血の隠れ里に程近いこの魔族の村は、ワルナークに騎乗した騎士の部隊が一週間程度で走破出来る距離にあるのだ。
だが、これから先の距離までは分からない。
もっと時間が掛かる可能性があるし、そもそも悪路でワルナークが使えない可能性がある。
そうなれば美咲が刻限内に魔王に挑むのはほぼ不可能になる。
バルトの助けを借りれば時間内に着けると魔王城の位置を知るバルトからお墨付きを得ているので、美咲はこれから先、何としてでもバルトと合流しなければならない。
一緒にミーヤも居るはずだし、合流さえ出来ればかつての武装や道具類も取り戻せるだろう。
しかしそれらは今では無い。都合して貰うのは悪いことではないはずだ。
(問題は、私の馬術の経験が皆無ってことなんだけど……)
無事バルトと合流できるのであれば、馬術は無用の長物になるかもしれない。
しかし、必ず合流できるとは限らないし、そもそもこの村にやってこれるかどうかも未知数だ。
何しろ場所が場所である。
いつ魔族軍が逆襲してくるかも分からないうえ、バルトも人間であるミーヤを連れている以上、魔族軍に敵と見なされる可能性があるのだ。
というか、バルト自体がブランディールの存在有りきで魔族軍に加わっていた節があるから、バルトの方から魔族軍に反旗を翻しているかもしれない。
魔王が援軍に現れることが出来たのなら、何故美咲と蜥蜴魔将ブランディールが死闘を繰り広げているところに乱入しなかったのかという疑問があるからだ。
間に合わなかったといわれればそれまであるものの、もし魔王に手を出されていたら、今頃死んでいたのはまず間違いなく美咲の方だったに違いない。
(もしかしたら、バルトは魔王がブランディールを見捨てたと考えてる? でも、どうして?)
「で、どうするんだ? 注文は?」
浮かびかけていた疑問は目の前の騎士の催促によって断たれた。
そして美咲は騎士と物資の交渉をしているうちに、掴み掛けていた真実の欠片をすっかり忘れてしまったのだった。