二十六日目:占領された魔族の村1
魔族の村は、そこかしこに戦闘の痕があった。
それは倒壊した家屋であったり、燃え尽きた建材、血飛沫にしか思えない赤黒い模様などで、顔色を青褪めさせた美咲に、エルディリヒトはこう説明した。
「魔族は非戦闘員という概念が存在せず、ただの村人であっても魔法によって高い戦闘能力を得ている。決して油断していい相手ではない」
「……激戦だったんですか?」
「そうだ。現に私の部下も何人か死んだ」
部下とは、エルディリヒトに付き従う人族騎士たちのことだろう。
彼らは一人一人が恐ろしい技量の持ち主だった。
しかも魔法まで使うので、完全に魔族兵との力の差が逆転してしまっていたほどだ。
(アレックスさんたち……大丈夫かな)
やはり、考えてしまうのは彼らの安否だ。
捕まって罪人という形で護送されていたというのに、美咲自身人が良いと思ってしまうものの、それでも死んで欲しいなどとは思わない。
彼らには彼らの事情があり、立場というものがある。責めることは出来ない。同じ立場ならば、美咲もそうしたに違いないのだから。
「あの、私を連行していた魔族たちはどうなりました……?」
それでも彼らの安否だけは知りたくて、美咲は思い切ってエルディリヒトに尋ねてくる。
怪訝そうな表情で、エルディリヒトが逆に美咲に問い返した。
「それを聞いてどうするつもりだ?」
もっともな疑問だ。
この世界の人間は、魔族に対して嫌悪や憎悪の念を抱いているのが普通であり、それが常識である。
もしかしたら、復讐しようとしていると考えられているのかもしれない。
「実は、あの魔族兵たちの中に、仲良くなった娘がいまして……。私に、優しくしてくれたんです」
「他に頼る者が居なかったのだから仕方ない面もあるが、感心しないな。魔族は敵だぞ。優しさの裏に何が隠れているか分かったものではない」
どうやら、美咲はエルディリヒトに魔族兵に対してストックホルム症候群のようなものを発症していると思われているらしく、諭すような口調で窘められた。
この世界でもストックホルム症候群という名称が当て嵌まるかどうかは美咲には分からない。しかし、同じような症状はこの世界でも既知のものであるらしく、エルディリヒトには驚いた様子は見られず、その態度は落ち着いたものだ。
「……でも、気になるんです」
食い下がった美咲にエルディリヒトはため息をついた。
「女を三人捕虜として得たが、残りには逃げられた。全員捕まえるか始末しておきたかったのだがな。逃げに徹せられるとどうしても魔法の習熟差が出る」
返された答えに思わず美咲は息を飲む。
ニーナ以外にも、二人捕まっている。
間違いない。エウートと、もう一人の女魔族だ。
なまじエウートについては顔と名前が一致しているだけに、衝撃的な事実だった。
彼女たちがどうなっているのか、心配だ。顔見知りであればあるほど、彼女たちの行く末が心に重く突き刺さる。たとえそれが敵であったとしても。
「そうですか……」
「すまんな。君の追っ手を撒く意味でも、情報を持ち帰らせたくはなかったんだが」
沈んだ美咲の表情を、エルディリヒトは残りを逃してしまったことに落胆しているのだと勘違いしたらしく、気まずげに表情を歪め、謝罪してくる。
「いえ、助けてくれただけでも嬉しいです。ありがとうございます」
「我らは責務を果たしただけだ。だが、助かった命があると知るのは、悪くない」
礼を述べる美咲に対し、エルディリヒトは口元に笑みを浮かべて美咲に視線を向けた。
「ひとまず、君に住む場所を暫定的に宛がおうと思う。こんな最前線の村で済まないが。何か要望があったら言ってくれ。可能な限り叶えよう」
「いえ、十分です。感謝の言葉がいくつあっても足りないくらい」
今度こそ、エルディリヒトは声を出して笑った。
「君は、無欲なのだな」
ひとしきり笑ったエルディリヒトは打って変わって真剣な表情で美咲に向き直った。
「ならばせめて、君の力になろう。魔王を倒すのは私たちにとっても悲願だ。この戦争は、私たち人族の勝利で終わらせなければならない」
エルディリヒトは、美咲の魔王討伐に協力してくれるのだという。
「旅に、同行してくれるんですか?」
「任務があるから、それは無理だ。だが、私たちが戦うことで、魔族の目は私たちに引き付けられるだろう。その隙に魔王城に向かうといい。移動手段の当てはあるか?」
一瞬期待してしまった美咲は、断られて落ち込んだ。
しかし、考えてみれば当然だ。エルディリヒトがここに居るのには当然理由があり、それを放り出していけるわけがない。
それにエルディリヒトは王族だ。軽々しく命を賭けられない。それだけでも、美咲の旅に同行しない理由になる。
移動手段と言われて、美咲が真っ先に思い浮かべたのはやはりバルトのことだ。ミーヤと合流できれば自然とバルトも居るだろうから、やはりミーヤとの合流を目指すべきだろう。
(後で、フェアを放すべきかもしれない)
俯いた美咲は、ミーヤと合流するタイミングを真剣に考え始める。
魔族に捕まっている状況からは脱せられたことだし、ちょうどいい。
「そういえば、ヴェリートの郊外で接収した馬車があったが、あれは君の馬車か?」
エルディリヒトの問いかけに、美咲は驚いて顔を上げ、振り向く。
彼が言っているのは間違いなく、装甲馬車のことだ。
死んでしまった仲間たちの顔が、美咲の脳裏を過ぎっていく。
彼らと過ごした思い出の塊でもあるあの馬車が、戻ってくるかもしれない。
美咲は期待に胸を高鳴らせた。
■ □ ■
美咲に宛がわれたのは、比較的状態が保たれている家だった。
小さな庭がついたちんまりとした家で、元々は小洒落た家だったようだけれど、今ではすっかり庭は踏み荒らされ、家の中も家捜しされた結果荒れ果てており、見る影もない。
(まあ、雨風を凌げる形で残ってるだけマシよね)
玄関から中に入った美咲は、がらんとした居間の内装にため息をつく。
見たところ、魔族の建築技術は人族よりも上なようで、魔族の家は美咲から見てもそれほど時代のギャップを感じさせない。
しかしだからこそ、人族にとっては略奪の対象になりやすいらしく、持ち運べるものは根こそぎ持ち去られている。残っているのは動かすには大き過ぎるベッドやテーブルなどの家具類くらいだ。
ずっと懐に入れていたフェアを、美咲は取り出した。
一度は美咲の炎で焼かれてしまったフェアは、それでも無邪気に美咲を慕い、美咲の様子を窺う。
何となく、フェアが用件を聞きたそうな顔をしている気がした。
「ミーヤちゃんに伝えて欲しいの。ひとまず危機は脱して、今は魔族領に侵攻してる人族連合騎士団に保護されてるから、この場所に迎えに来てって」
美咲の魔族語を聞いたフェアは頷いて、小さな身体を翻して窓から外に飛び出していった。
フェアを見送った美咲は、いつの間にか止めていた呼吸を再開させて息をついた。
(これで、ミーヤちゃんとはそのうち合流できる。……でも、やっぱりアレックスさんたちの安否も気になるな)
魔族でも、彼らは悪人というわけではなかった。
アレックスはミルデの友人だし、アレックスの部下のニーナは美咲に好意を示してくれた。美咲が人間である以上、もちろん美咲に対して態度がきついエウートのような魔族もいたけれど、それでも彼女は実直で、自分が抱える嫌悪とは切り離して美咲の見張りをし、時には魔物から守ってくれた。
助けられるなら助けたい。
無理だとしても、出来るだけの努力はしたい。
(そのためにも、ひとまずは村を見て回ってみようかな)
散歩を名目に、散策してみるのもいいかもしれない。
村の外に出るのは危険なので禁止されているけれど、家からの外出自体は止められてはいないから、出歩いてもいいはずだ。
(うん、行ってみよう)
そう思って立ち上がりかけたところで、玄関のドアがノックされた。
「私だ。当座の衣服と日用品の類を持ってきたのだが、今入っても構わないか?」
「あ、はい、どうぞ」
許可を出しながら、美咲はそういえばと自分の服装を見下ろす。
捕まった時に着せられたぼろぼろの貫頭衣一枚で、二の腕とか太ももとかが丸見えの酷い状態だった。同性である女性や、人間に見えない魔族たちならともかく、どうみても男性であるエルディリヒトに見られるのは正直恥ずかしい。
もちろん死出の呪刻は丸見えで、卑猥さよりも異様さが際立つのが、不幸中の幸いといえるだろうか。
何となく少しでも太ももが隠れるように、貫頭衣の裾を引っ張ってみるものの、かえって居た堪れなさが増すだけだったので美咲は諦めた。
(うん、さっさと服を貰って着替えよう。そっちの方が良さそう)
居間に入ってきたエルディリヒトは、むっつりとした真面目そうな表情を崩さず、居間に残っていた食卓の上に持ってきた荷物を広げる。
「先ほど言った通り、服と日用品を用意した。足りないものがあれば、その都度言ってくれ。可能ならば出来るだけ揃えよう。……早めに服を着替えることを勧める。正直、目に毒なのでな」
冷静に現在の服装を指摘されて、美咲の顔が熱を帯びた。
浮かべようとしていた愛想笑いが引き攣り、目の端に涙が溜まる。
「では失礼する。日暮れには共に夕食を取ろう。それまで自由にしていて構わない」
あくまで紳士的に、エルディリヒトは美咲に対して接して家を出て行った。
(は、恥ずかしい……!)
なまじエルディリヒトの気遣いが透けて見えたために、美咲は余計に居た堪れない。
エルディリヒトが用意した服は、どうやらあるものをかき集めた中から、美咲に合いそうなサイズを見繕ったものらしい。
おそらくは元の持ち主はこの里の人間なのだろうけれど、今は深く考えないことにする。
新品でないのも微妙な気持ちにさせるけれど、無いよりは遥かに良い。
服装を整えた美咲は、今度こそ家の外に一歩を踏み出す。
生きているならば、アレックスたちがどこかに捕まっているはずだ。
まずは、その場所を突き止めなければならない。