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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十六日目:北部戦線の英雄1

 魔族兵たちが戦うのを背に、美咲はニーナに先導されて魔族領を奥に奥にと進んでいた。


「美咲ちゃん、もっと急いで!」


 振り返って叱咤してくるニーナに、美咲は叫び返す。


「とっくに全力で走ってるわよ!」


 主観でも景色はかなりの速さで後ろに流れており、自分が出せる速度の限界に達していることを、美咲は理解していた。

 もちろん美咲とて、これ以上の速度が出せるなら出したい。

 しかし、瞬間的にならばともかく、持続した速さという意味ならば、これ以上速度を上げるのは美咲には無理だ。

 強化魔法の恩恵を受けられない美咲では、素の身体能力で出せる限界の速度しか出せない。

 業を煮やしたニーナは羽を広げると美咲に向けて手を伸ばす。


「遅過ぎる! 私が運ぶから、美咲ちゃん掴まって!」


 自分に対して差し伸べられた手を見て美咲は一瞬悔しそうに唇を噛み締めると、険しい表情で首を横に振り、目線を前に戻す。


「悪いけど、それも多分無理! 強化魔法を当てにしてるんだろうけど、解けちゃうから!」


「え!? そういえば、何でよ!?」


 驚愕と、以前いきなり美咲に触れただけで強化魔法が解けて脱力してしまったことを思い出したニーナが、ぎょっとした表情で美咲を見る。

 どういうことなのか知りたそうなニーナの視線を感じつつ、美咲は足を動かしたまま素早く回りを確認する。

 見える範囲にいるのはやはり自分とニーナだけだ。

 少なくとも美咲の視力では他に人影は見つからない。

 しかし、これで逃げ切れたと考えるのは早計だということを、美咲は知っている。

 何しろ、こういう撤退時には自分こそが足枷になるのだということを、美咲は嫌というほど思い知ってきたのだ。

 ルアンを失った時然り、ルフィミアを失った時然り、美咲自身は気を失っていたけれども、皆が全滅した時でさえ。

 悔しさを歯を噛み締めることで堪える。

 今は悔しがっている場合ではない。

 まずは窮地を脱出することから考えなければ。

 いずれニーナに自らの事情を説明する必要はあるだろうけれども、少なくともそれは今じゃない。


「後で説明する! それよりこのまま走るよりも、身を隠せそうなところで追っ手を撒いた方が良いんじゃない!? 良さそうな場所知らない!? 魔族領でしょここも!」


 美咲の走る速度が上がらない以上、追い付かれるのは目に見えている。

 ならば、このまま闇雲に逃げるより、追い付かれることを前提に動いた方がいい。


「……仕方ないわね、こっちよ! 美咲ちゃん、ついてきて!」


「分かったわ!」


 転進するニーナに返事をして、美咲も後に続く。

 もはやニーナは走るのではなく、その背中の翼を震わせて空を飛んでいた。

 空を飛ぶといってもそれほどの高度ではなく、せいぜい美咲の頭上程度の高さだ。

 まるで美咲を先導するかのような高度を保ち、美咲が行き先を見失わないようにしている。

 土地勘が無い美咲では、分かりやすいニーナという目印が無ければ、何処に逃げればいいのかも分からない。

 ニーナが美咲を連れて逃げ込んだのは、雑木林だった。

 混血の隠れ里があったような日の光が殆ど差さない鬱蒼とした森ではなく、隙間から太陽の光が十分に降り注ぐ程度の林である。

 身を隠すには十分とは言えないものの、贅沢は言えない。

 それにそれなりに木々が密集している場所があるので、その辺りを選べば隠れるのは難しくない。


「木に登って! 頭上って案外死角だし、生い茂る葉が私たちの姿を見えにくくしてくれるわ!」


 先に直接適当な木の枝に降り立ったニーナが、美咲に木登りをするよう促してくる。


(……また木登り!)


 旅を始めたばかりの頃にエルナに言われて苦労して登ったことを思い出しつつ、美咲は手近な木に狙いをつけて助走し、木の幹を蹴って飛ぶと一番下の枝に手をかけた。

 そのまま懸垂の要領で身体を引き上げ、枝に腕を回して姿勢を保持しつつ、幹にもう一度足をかけて姿勢を安定させ、枝を支点に逆上がりの要領で上下を反転し、枝の上に自分の身体を持ってくる。

 後はバランスを保ちながら枝の上で立って次の枝に飛び移り、同じことを繰り返していく。


(あ、あれ? 結構簡単……)


 思いの他するすると登れてしまったことに、かなりの高さまで登った美咲は地上を見下ろした状態で固まってしまった。

 それは当然だ。

 エルナと旅をしていた頃は始めも始め、美咲は身体を鍛えてもおらず、女子高生気分を多大に引き摺っており、魔王を倒すといっても具体的なプランすら考えていない有様だった。

 自分は召喚された被害者なんだから、そんな面倒なことは他人こそが考えるべきだという認識すらあったかもしれない。

 それは美咲の甘さに他ならなかったけれど、当時はそんなことは気付きもしなかった。

 少なくとも、エルナの命という高すぎる代償を払うことになるまでは。

 ある意味では、あそこから、本当の意味で美咲の旅は始まったのかもしれない。

 感傷から目を背け、周りの気配を探る。

 木の側にいるせいか、葉鳴りの音が大きく良く分からなかったので、今度は目視で探す。

 美咲の目と耳では全く信用できないものの、一応はまだ見つかっていないらしい。


「美咲ちゃん、いったん小休止して様子を見ましょう。今のうちに、息を整えておいて」


 どうやら走っていた時点で疲労が蓄積していたのを、きちんとニーナは見ていたらしく、器用に美咲がいる木に飛び移って美咲に休憩を促してくれた。


「分かった。そうさせてもらうね」


 確かに、気付けば息が上がっている。

 跳ねる胸の鼓動を感じながら、美咲は身体を脱力させて木の幹にもたれかかった。

 地面が遠い。

 いくつかの枝がちょうど美咲の視界を切っていて、それは同時に下から見上げられても発見され難いことを意味している。

 完全に気を抜くことは出来ないとはいえ、多少は体力回復に努められそうだった。



■ □ ■



 休んで体力を回復させる間も、美咲とニーナは回りの警戒を怠らずに続けた。

 しかし、人族騎士も魔族軍兵士も姿を見せず、声も聞こえない。

 目に映るのは停滞した林の風景だけで、耳に入るのも風が通ることによる葉鳴りの音のみだ。


「誰も追いかけてこないみたいね」


 不安と安堵が入り混じった声音で、ニーナが呟く。

 誰も追いかけてこないというのは、おそらくニーナにとっては複雑な気持ちにさせる事実だろう。

 ひとまず敵の追撃が無いというのは間違いなく良いことではあるけれど、上司や同僚の魔族軍兵士たちも現れないというのは不安だ。

 まだ戦い続けているのか、それとも。


(……今なら、逃げられる)


 その選択支を残してしまっていることに、親身に接してくれているニーナに対して後ろめたさを感じながらも、美咲はそれを捨てることが出来ないでいる。


(でも、今逃げてもその後行く当てが無い)


 実際に行動に移さないのは、逃げても状況が好転しないことが分かりきっているためだ。

 仮に首尾よく逃げることが出来たところで、美咲は魔族領にろくな武装も無いまま一人きりで放り出されるだけに過ぎない。

 そんなことになれば、待っているのは間違いなくろくでもない結末だ。

 美咲は自分が魔族兵たちに気を許し始めていることを自覚していた。

 何せ、ニーナは美咲が命を助けたのを切欠にすっかり懐いてしまったし、アレックスは元よりミルデの友人で、ミルデ繋がりでアレックスの人格を多少なりとも知っている。

 裏切られたのは悲しいけれど、それで恨み言を言うつもりなど、美咲には無い。

 命は平等で価値に違いはないというが、そんなものはまやかしだ。

 虫と獣、獣と人間。元の世界で不快だからと屋内に迷い込んだ虫を殺す人間は沢山いただろうし、虫を殺すことに殺人と同じ位罪悪感や忌避感を抱く人間はいないだろう。

 人と魔族。これらの命が平等だとしても、価値観によってどうしても命の重みというものの差は生まれる。

 人間なら魔族よりも同じ人間の死を悲しむし、魔族ならばその逆だ。

 人魔両方の命を等価に捉えている美咲でさえ、赤の他人と顔見知りを比べれば、格差が生まれてしまう。

 どちらかを助けるならば、どうしても顔見知りの方を選ぶ。

 それが血の繋がった家族や、心を通わせた友人ならばなおさら。


「ねえ、これからのことなんだけど」


 自由に飛べる魔族の特徴を生かして回りの安全を確認したニーナが、美咲がいる木に戻ってきて美咲に話しかけてきた。


「私たちが選べる道は二つある。戻るか進むか。戻れば分隊長たちの安否が分かるけれど、敵が待ち構えているかもしれない。進めばまず逃げられるだろうけれど、その場合最悪分隊長たちは皆殺しにされて、なおかつ私たちにも追っ手がかかるかもしれない。どっちも一長一短だから、難しい。美咲ちゃんなら、どっちを選ぶ?」


 長文かつ早口な魔族語に、美咲は呆気に取られた顔で目を瞬かせた。

 どうやらニーナも冷静そうに見えて、あまり余裕は無いようだ。

 まあ、当然といえば当然ともいえる。


「ごめん、もう一回お願い。聞き取れなかった」


「あっ。そっか。こっちこそごめんね」


 美咲が魔族語に不慣れなことを思い出したニーナが、改めて美咲に現状を分かりやすく説明した。

 理解したところで、美咲の顔に苦笑が浮かぶ。


「……うーん。一応捕虜である身としては、戻ろうとしか言えないかな。先に進んだところで、きっと処刑なんだろうし」


「そ、そうだね……」


 ニーナも一応捕虜として護送中だったことを思い出したらしく、気まずそうに笑みを浮かべた。


「じゃあ、戻ってみる? 私も分隊長たちがまだ戦ってるなら、加勢したいし」


「あ、でもアレックスさんからはニーナちゃんはどう命令を受けてたんだっけ?」


 戻れるなら戻った方が、美咲にとっては有利に事が運ぶだろう。

 人族騎士たちは、美咲を魔族の手から助けようとしていたのだから。

 それでも、ニーナの立場を気にして躊躇ってしまうのが、美咲のお人良したる所以である。


「それは……急だったから、美咲ちゃんを護衛しながらこの場を離れろとしか。だから戻っても言い訳は効くと思うよ」


 幸いというか、ニーナは戻ることに乗り気なようだ。

 危機を脱してひとまず今は安全を確保出来ていることが、ニーナの気を少し大きくさせているのかもしれない。

 しかし、二人が来た道を戻る選択支を取ることは出来なかった。

 それよりも先に、新手が現れたのだ。

 それも、追いかけてきたのではなく、逃げ道を塞ぐ形で。

 来襲を告げたのは、魔法による閃光と、斬撃による鋼の煌めきだった。

 魔法は何とか美咲が無効化に成功したものの、樹上にいた美咲たちの目前に現れた一人の人族騎士の奇襲は速過ぎて美咲にはどうすることも出来なかった。

 美咲の目の前で羽を斬り裂かれたニーナが、驚愕の表情を浮かべる。

 その腹に、人族騎士は容赦なく剣を突き刺した。

 人族騎士が剣を引き抜くと、ニーナは驚愕を苦悶に変えて地面へと落下していく。

 地面に落ちたニーナは身を起こすと、手で腹部を押さえ、頭上を睨む。

 その手に隠された傷口からは、血が溢れ出していた。


「まさか、こんな場所で人間が捕まっている場面に出くわすとは。怪我は無いか?」


 不意を打たれたとはいえ、仮にも魔族兵であるはずのニーナに容易く深手を負わせた人族騎士が、音も無く美咲が座る枝に降り立ち、美咲を見下ろした。


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