二十六日目:人族軍強襲斥候部隊2
本来なら、強化魔法を使える魔族と強化魔法を使えない人族の能力差はそれなりのものがあり、人族騎士二人掛かりでも魔族兵一人を抑えることは難しい。
しかし、アレックスたちが相対した人族騎士たちは皆錬度が高く、戦闘技術だけでいえばこの場の誰よりも高かった。
その理由としては、いくつかが挙げられる。
一つは、魔族兵たちの錬度そのものがそれほど高くはないという点だ。
魔族兵たちの強さは、その多くを強化魔法に依存する。軍人であるから、勿論強化魔法に頼らずともある程度身体を鍛えてはいるが、魔族であるならば、強化魔法の精度を高める努力をした方が効率が良いのだ。
それに、魔族には身体の頑強さは持って生まれるものであり、鍛えるものではないという常識がある。
多種多様な姿形を持つ雑多な種が集まっている魔族という括りにおいて、身体能力ほど格差のある物はない。
アレックスの部下に限定しても、ゾルノは身体の頑強さという点と引き換えに、素の敏捷さは相応に低い。岩肌という特性もあって、どうしても体重が増加し俊敏な動きが出来ないためである。
体重が重いということは利点であると同時に欠点でもあり、ゾルノの場合は人外の腕力を発揮できる分、身軽さが失われるのは仕方のないことではある。
両腕を振り下ろす何度目かの叩きつけが空を切り、地面を砕いて粉塵を巻き上げたところで、ゾルノが感心したような声を上げて相対する人族騎士二人に向き直った。
「ふうむ……。人族騎士程度どうということはないと思っていたが、中々強い。ワルナークの調練も良く出来ている。これでは、攻撃が当たらんな。強化魔法を特化させたのは失敗だったか」
対する人族騎士二人は、面頬を下ろした兜の奥の瞳を油断無くゾルノに向けている。
ゾルノが足を踏み出せばワルナークを操って同じ歩数分だけ距離を取り、決して不用意にゾルノを近付けさせない。
連携も巧みで、一人がゾルノの気を引いて攻撃の空振りを誘い、ゾルノが攻撃を空振りした隙にもう一人が槍を構え渾身のチャージを見舞う。
しかし、その突撃も全て強化魔法で引き上げられたゾルノの防御力を超えられはしなかった。
全てゾルノの岩肌の表面を空しく削るに過ぎず、全く有効打を与えられない。
無駄口を叩かず、淡々と同じ作業のように突撃を繰り返す人族騎士たちには兜で表情が隠されていることもあって焦りが見えず、妙な不気味さがあった。
何度目かの人族騎士の突撃を受け止めたゾルノの背後に、ちょうどアレックスがやってきた。
どうやら、アレックスも苦戦してるようだ。
「分隊長、注意してください。こいつら、手練のようです」
「そのようだな。奴ら、俺に対しては絶対に仕掛けてこない。その癖俺が他に援護に行こうとすると、途端に気を引くように仕掛けてくる。反応すればまた逃げる。嫌らしい戦術だが、すこぶる有効だ」
「特化型の弱点ですな。こういう時はこちらも味方にかき回させるのが一番ですが……数の差が意外にきつい。せめて援護があればいいんですが」
アレックスとゾルノは、揃ってため息を吐く。
人族騎士たちをけん制しながら視線を向けた先には、それぞれ人族騎士たちと相対して奮戦するニーナとエウートの姿があった。
「美咲ちゃんのところには、行かせない!」
元々身軽なニーナは強化魔法によってその長所をさらに引き上げており、人族騎士二人を完璧に翻弄している。
「よし、今のうちに分隊長たちのところに……って、また美咲ちゃんを狙うなぁ!」
自分を囮にして、己も剣を抜いて人族騎士二人と切り結びながら彼らを誘導し、美咲から距離を離してその隙にアレックスやゾルノに加勢しようとしているのだが、先ほどからその動作に入ろうとするたびに人族騎士たちは邪魔をしてくる。
執拗に美咲に向かい続ける様は、ニーナのことなど眼中に無いかのようだ。
ある意味では、それは間違っていない。
ニーナの強化魔法は攻撃に関してまでは強化してくれておらず、振るった剣が当たりはしても全て人族騎士が身につけている鎧に弾かれている。
ならばとワルナークを狙うも、ワルナークも急所はしっかり防具で覆われており、剥き出しの箇所を狙おうとしても、簡単に読まれて槍で受け止められてしまう。
無視すれば無防備な美咲を奪われてしまうし、ニーナでは攻撃が当たっても有効打にはならない。
速さでは人族騎士二人を翻弄しているものの、実質的にニーナは人族騎士二人に押さえ込まれてしまっている。
「ねえ、エウート、しばらくここ任せてもいい!? 分隊長たちに加勢したいの!」
「無茶言わないで! 四人の相手は流石に無理よ!」
焦れたニーナがエウートに人族騎士二人を擦り付けようとするが、即座にエウートが却下した。
まあ、当然である。
一般的に、平均的な魔族兵と人族騎士の戦力差は一対三だと言われている。
魔族兵一人に対し、人族騎士は三人をぶつけてようやく互角になる計算だ。
いくら魔族兵の方が強いとはいえ、四人を相手にするのは相当にきつい。
だが、人族騎士二人の状態ならば、まだエウートの方が上回っている。
強化魔法の恩恵を受けているエウートは正面からの殴り合いでは人族騎士を圧倒しており、常に優勢の状態を維持している。
これで増えるのが一人程度ならば、エウートなら互角に持ち込めるだろうけれど、一時的とはいえニーナが相手をしている二人がそのまま相手に加わるとなると、いささか厳しい。
(鬱陶しいわね!)
少しでも隙を見せればすかさず槍を突き出してくる人族騎士たちに、エウートは心の中で盛大に悪態をついた。
押しているのはエウートで間違いないものの、彼女も普段通りの戦い方が出来ているわけではない。
魔族であることの一番の利点は、何といってもやはり魔法に長けていることだ。
一から魔族語を学び、魔法を理論として真っ白な状態から自分たちに合うように最適化して組み立て直さなければならない人族に比べ、魔族は母国語という利点を最大限に生かし、全員が感覚的に魔法を扱うことが出来る。
もちろん個人によって向き不向きの傾向というものは生まれるとはいえ、魔法使いの絶対数というものは、魔族側に確実に分がある。
種族全体の総数ではいえば魔族は人族よりも遥かに少ないが、一人一人の質では大きく勝っており、それに加えて魔物を仲間に引き入れる技術や隷従の首輪のような数の差を補う代物も充実している。
人族もいつまでも魔族相手にやられっ放しでいるわけではない。
確かに人族の平均的な戦力は魔族には到底及ばないものの、物事には常に例外が存在する。
いわゆる、英雄と呼ばれる人間だ。
個人で卓越した武を誇り、単騎で戦況を覆すことの出来る化け物たち。
美咲が今まで会った事のある人間の中ではアリシャとミリアンがその域に至っており、美咲自身も今ならば異世界人としての特殊能力込みでその頂を望める位置に足をかけつつある。
そして、ベルアニアにはもう一人、英雄と呼ばれる人間が存在した。
■ □ ■
アレックス率いる魔族軍分隊は、美咲を魔都へと護送する旅の途中で人族騎士団と予期せぬ遭遇の結果、戦闘に突入した。
魔都は魔族領の中央部にあり、現在地との位置関係で言うならば、魔族領の奥地へと向かう旅になるはずだったのだから、出発してすぐというこのタイミングで襲撃されるのはある意味当然のことだったのかもしれない。
魔族兵たちにとっては不幸だけれど、逆を言えば人族騎士たちが美咲を発見するためには、このタイミングしか無かったのだ。
そして、彼ら人族騎士たちは、元々ヴェリートやラーダンで魔族と戦っていた騎士ではない。
ラーダンの遥か北西、ベルアニア王都の北部を防衛していた人族連合騎士団の騎士たちであった。
ベルアニア北部は長年一人の魔将軍が盛んに攻め立てており、人族側はその対応に追われていた。
最近、とはいっても美咲が召喚されるよりも前の話であるが、その魔将軍が人族との壮絶な一騎討ちの末、討たれた。
その魔将軍を討った人間こそが、ベルアニア第二王子エルディリヒトである。
第一王子フェルディナントの異母弟であり、実力、人望ともに兄を上回る逸材だ。
線の細い兄王子と比べて、武人らしく鍛えられた骨太の体格で、頭も良く、捕まえた魔族の捕虜から独学で魔族語を学び、魔法を習得してしまうほどの才能を持つ。
天才が努力をすればこうなるという良い見本で、アリシャやミリアンよりも年下ながら、実力的には彼女たちに勝るとも劣らない傑物だ。
エルディリヒトは北部戦線を安定させた後、ヴェリートが陥落したのを知って美咲がいる東部戦線に移る準備を進めており、彼が東部戦線に正式に配属変更になったのが、ちょうど美咲がバルトに乗ってミーヤと共にヴェリートを脱出した直後だった。
美咲たちが混血の隠れ里にいるうちに、エルディリヒトの加勢を得た東部戦線の人族連合騎士団は勢いを盛り返し、ヴェリートを魔族軍から取り返しただけでなく、さらに魔族領国境を越え、国境沿いの村里を荒らし回った。
彼らの多くはただ物欲や性欲を満たしたいだけであり、騎士も傭兵も関係なく、臨時収入に沸き立つ有様だった。
物は勿論、人であってもそれが人に近い容姿である程度見目の良い魔族であるならば、奴隷として売れば金になるし、戦争に付随する略奪行為は、見せしめと兵士たちのガス抜きを兼ねていたので見て見ぬ振りをされるのが常である。
もちろんそんなことが繰り返されれば魔族の間で人族に対する憎悪が募っていくのは当然で、それが人族への報復を呼び、彼らの憎悪は今度は人族の村里に全く同じ形となって牙を剥く。
これらの繰り返しが、今現在の両種族の関係にも繋がっている。
蜥蜴魔将ブランディールが斃れ、ヴェリートを奪還した後、第二王子エルディリヒト率いる精強な人族騎士たちが加わった人族連合騎士団は、そのまま東部戦線をじりじりと押し上げようとしている。
その尖兵として、偵察行為を行っていたのが、この騎士たちであり、彼らは第二王子エルディリヒトが北部戦線いた頃から命を共にしてきた部下であり、歴戦の騎士たちであった。
錬度が高いわけである。
裏話をすれば、彼らは蜥蜴魔将ブランディールを倒した人間がいるということは知っているものの、それが目の前の美咲であるとは夢にも思っていない。
ただ単に、魔族に連れ去られようとしているから助けようとしているだけで、美咲は人族狩りに遭った不幸な難民か何かだと思われている。
美咲の見た目はベルアニアでは珍しいものの、国境付近ではそもそも人種自体が入り乱れがちだ。
魔族との戦争で難民が大量に発生しているためで、国境付近の村や街ではベルアニアにはあまり見ない人種も見かけることが出来る。
故に、騎士たちが美咲のことを勘違いするのも、無理のないことだった。
そして、エルディリヒトの部下である騎士たちには切り札がある。
「「「「ケェアモォイユゥ! ワェアリィエレノォイトケレゥオエァテイェテメイ!」」」」
騎士たちは、一斉に魔族語で強化魔法を詠唱したのだ。