二十六日目:美咲と魔族たち1
美咲は逃げ出すこともなく、出来たクレーターの中心で放心したように座り込んでいた。
目の前には、すっかり焼け焦げて半ば炭化している肉の塊がある。
あの巨大なゲオルベルの成れの果てだ。
制御能力が皆無といえども、それ故に威力に全振りしている美咲の魔法が至近距離で直撃したのだ。
蜥蜴魔将ブランディールすら焼き殺した炎である。
規格外の体格を誇っていたとはいえ、たかがゲオルベル風情に耐えられるものではない。
(……殺したんだ。私が)
ブランディールと戦った時とも、遡って初めてゲオルベルと戦った時とも違う、爆炎がゲオルベルの肉体を焼き尽くす生々しい音と臭いが耳と鼻にこびり付いて離れない。
初めて、自分の命を守るものではない戦いで、何かを手にかけた。
命を殺めた動揺と、成し遂げた不思議な高揚感が、奇妙に美咲の心の中で同居している。
回りは炎に包まれている。
見渡す限りは赤い焔と立ち上る黒い煙ばかりで、魔族兵たちの姿は見つからない。
おそらくは、この炎の始末に手間取っているのだろう。
(考えなしにやっちゃったな。酷いことになってる。ミルデさんたちに迷惑が掛からなければいいけど)
とにかく火を消し止めなければと思い、魔法で水を出して消火を試みるものの、規模が大きすぎて正直焼け石に水だった。
美咲が一度に出すことが出来る水の量は、せいぜい飲料水や生活用水として一回分の必要量を確保できる程度でしかない。
同上の目的で使用するのならば十分な量でも、火事をどうにかできる量を生み出せはしない。
(参ったな。水の魔法、ちゃんと使えるように練習しておけば良かった)
ルフィミアから託された火の魔法、アリシャに教えてもらった風の魔法、ゲオルベルとの戦いでその有用性を知った雷の魔法は、その威力と美咲ならば身体強化に応用できるという特別な理由で磨いてきた。
しかし、水の魔法についてはせいぜい旅に困らない程度に使えればいいとしか思っていなかったので、全然練習していなかった。
これは別に美咲がサボったというわけではなく、ただ単に割り当てられる努力のリソースの問題である。
魔法においては全くの素人に過ぎなかった美咲が短時間で魔法の腕を一定レベルにまで引き上げるためには、制御を捨てて威力に全振りした上で、さらに属性を絞るしかなかったのだ。
特に美咲は炎と風の魔法に重点を置いており、この二つに比べれば、雷の魔法は今だ発展途上と言える。
故に、今居る場所のような森林地帯では、美咲が使える魔法は被害が大き過ぎるのは、分かりきったことだったし、美咲だって十分注意していたつもりだ。
(そのはずが、この体たらくだもん。我ながら、考えなしだよ……)
正直に言えば、魔法を使う前に、こうなることが予想出来なかったかといえばそれは否だ。
以前にゲオルベルに襲われた時は、そのために雷の魔法を選択したのだから。
しかし、今回は問題のゲオルベルが巨体過ぎて、攻撃魔法の中では一番不慣れな雷の魔法では仕留められる気はしなかった。
殺しきれなければ、武器を持たない美咲は確実にゲオルベルの反撃で殺される。
それが分かっていたから、美咲は火災が起きることを承知でルフィミアが得意とした火の魔法に頼るしかなかった。
ゴブリンの洞窟でのルフィミアが抱いていた気持ちが、今の美咲ならば少しだけ理解できた。
火の魔法は強力で範囲と威力を両立して出せるのが強みだ。しかし、その分制御が難しい。
自分が得意な魔法を使えば確実に切り抜けられたのに、回りの被害を気にして使えなかったルフィミアの心中はいかほどだったろう。
(……そういえば)
呆然としていた美咲は、ふと今の状況に思い至った。
(今なら、逃げられるんじゃないの?)
周りがこの有様なのだから、アレックスたちは確実に美咲のことを見失っている。
姿をくらますには絶好のチャンスであることは、疑い様がない。
(いや、ここで逃げ出したらまた考えなしだわ。逃げた先のプランがないと)
今ここで逃げることに成功したと仮定しても、美咲は森林の中で一人彷徨うことになる。
そうなれば美咲に出来ることといえば、当てもなく彷徨うか、何とかして混血の隠れ里に帰るかのどちらかだ。
しかし隠れ里に帰ったところで里の発覚を恐れる里長に再び突き出されるのがオチだろうし、森林の中を彷徨ったところで数少ない残り時間を魔族軍の人狩りに怯えながらサバイバル生活に費やすことになるのは目に見えている。
八方塞がりだと思いかけた美咲は、フェアの存在をようやく思い出す。
「あ」
現在の自分の姿と、置かれている状況も。
「フェ、フェアは!? あの子は無事なの!?」
美咲が着せられていた囚人服も、つけられていた隷従の首輪も全て焼け落ちて全裸状態なのだが、それどころではない美咲は慌てて自分の身体を確認する。
懐にフェアを隠していたのだ。
探した結果、フェアは美咲の髪の中に潜り込んでいた。
美咲の身体は、魔法の効果を受け付けない。例外はなく、火も熱も煙も、それが魔法によって起きたものであるならば、全てシャットアウトしてしまう。
つまり、髪の中に完全に隠れてしまえるなら、美咲の魔法から身を守ることが出来るのだ。
理論上では。
実際はそう簡単には上手くいかないのが現実で、召喚される前の長髪だった頃の美咲ならばいざ知らず、今の美咲の髪は肩に掛かる程度でしかなく、いくら小さい妖精であるフェアであっても、隠れ切るのは難しい。
現に、美咲が発見したフェアは、大火傷を負って意識が無い状態だった。
特に背中の部分が酷く、羽が焼けて無くなってしまっている。
「オィヨェアシィ!」
魔族語で治療を試みても、殆ど効果が無く、意識も戻らない。
美咲の治癒魔法の腕が低過ぎるのだ。
どうせ自分には効かないからと、後回しにしていたのが仇になった。
(こんなことなら練習しておけば良かった……!)
焦る美咲は次の手段を探す。
(そうだ! 治癒紙幣なら……!)
魔族の通貨である治癒紙幣のことを思い出し、一縷の望みを繋げた美咲は、次の壁にぶち当たる。
肝心の治癒紙幣を、今の美咲は持ち合わせていない。
捕まる前に持ち物は全てミーヤに預けてしまったし、そうでなくとも服すら燃えてしまった現状、持っていたところで灰になっている。
となれば、誰かに借りるしかない。
その誰かなど、言うまでもない。
アレックスたちしか居なかった。
フェアを大事に抱えたまま、美咲はゆっくりと立ち上がる。
(……馬鹿みたい。逃げ出すチャンスなのに)
自分のことだけを考えるのなら、フェアを見捨ててでも逃げ出すことの方が正しいはずなのに、美咲にはそれが出来なかった。
それが出来るのなら、そもそも魔族兵であるニーナを助けようとはしなかった。
一度ついてしまった決心は変わらない。
これ以上火に巻かれないように掌で大事にフェアを包み込むと、美咲は、今だ燃え残る火を避けてアレックスたちと合流するために走り出した。
■ □ ■
美咲はあっさりと見つかった。
というか、自分の方からアレックスたちを探して駆け寄ってきた。
顔を合わせるなり逃げ出すでもなく走り寄ってくる美咲に、アレックスは渋面になる。
「あいつは馬鹿なのか」
「……無事で良かった」
捕まるだけだというのに戻ってきた美咲に対し、アレックスが頭を抱えていると、隣からぼそりとニーナが呟くのが聞こえる。
「ん?」
「い、いえ、分隊長! 何でもありません!」
つい美咲が無事だったことに安堵の笑顔を浮かべていたニーナは、アレックスに見られているのに気付き、慌てて表情を取り繕った。
単純だと思われるかもしれないが、ニーナは美咲に対して感謝の気持ちを抱いていた。
美咲が助けなければ、ニーナはあの巨大なゲオルベルに襲われて死んでいた。
今もニーナが生きているのは、間違いないなく美咲のおかげである。
「自分の方から捕まりに来るなんて、何を考えているのかしら」
エウートはわざわざ戻ってきた美咲が自分たちに害意を抱いていて何かを仕掛けてくるのではないかと無駄に警戒している。
「ニーナ。警戒しなさい」
「考え過ぎじゃないかな」
助けられて美咲に対して心を開きかけているニーナは、エウートの態度に苦笑する。
「まさか、人間が魔族の、しかも軍人である俺たちを助けるなんてなぁ。しかも、自分を捕まえた相手を」
人間としては不可解な行動を取る美咲に興味を抱いたようで、ゾルノがまじまじと美咲を観察した。
見られている本人は、それどころではないので向けられる視線に気付かない。
「治癒紙幣を持っている人はいませんか!? お願いします、この子を助けてください!」
「へ?」
懇願する美咲に、スコマザが素っ頓狂な声を上げた。
よく見てみれば、美咲は手に何かを抱えている。
「……フェアリー」
美咲が抱えているものの正体を見て取ったアルベールが、ぼそりと呟く。
「でも」
「死に掛けてるね」
二面で美咲とフェアリーのフェアを別々に見たオットーが、目ざとくフェアが大火傷を負っていることを発見する。
「そいつは……」
美咲がミルデと一緒に魔族の街でフェアリーを購入していたことを知っているアレックスが、口元を真一文字に引き結ぶ。
魔族兵である彼らは治癒魔法を使えるが、専門家ではないので応急処置程度の効果しか出ない。それ以上の効果を得ようと思えば、治癒紙幣を使う必要がある。
言うまでもなく、治癒紙幣は金だ。使えば使う分だけ、金が減る。
(……だが、死なせればミルデが悲しむ。治療してやるべきか)
アレックスが脳内で自分の手持ちの治癒紙幣で治療が間に合うか試算していると、嫌悪を剥き出しにしてエウートが吐き捨てた。
「嫌よ。どうして私たちが、人間のペットになってる魔物なんかを助けなきゃいけないの」
憎悪に近い感情をぶつけられて、美咲の身体がびくりと震える。
それでも唇を噛み締め、美咲は俯きそうになるのを堪えた。
膝から崩れ落ちるかのように蹲り、その場に土下座する。
「お願いします……」
自分では助ける手段が無い美咲は、頼み込むしか出来ない。
先ほどの行為を手札に使おうとは思わない。あれは美咲が自分で勝手にやったことだ。見返りなど来ないと、美咲も分かっている。
それでも、美咲が今縋れるのは、彼ら魔族兵たちしか居ないのだ。
「くどい! ……え?」
激情のままに美咲を蹴り倒そうとしたエウートは、何か思い詰めた様子で前に出たニーナに、一瞬毒気を抜かれて呆ける。
「私が治療してあげます。見せてください。……それと、助けてくれて、ありがとう」
驚愕するエウートがニーナを凝視するのと同じく、顔を上げた美咲の表情も、驚きで彩られている。
そんな美咲の表情が、くしゃりと歪んだ。
「ありがとう」
美咲は震える手で、フェアをニーナに託した。
種族を超えて、善意が伝わった瞬間だった。