二十六日目:魔族兵の戦い4
従えている群れのゲオルベルが次々その頭数を減らしていくのに業を煮やしたか、群れのボスらしい巨大なゲオルベルが他のゲオルベルに混じって攻撃を仕掛けてくる。
巨大なゲオルベルはその巨体に見合った能力を秘めているようで、従えている一般的なゲオルベルとは違い、魔法による妨害や迎撃を意に介さない。
「ちっ、こいつの毛皮、硬いぞ! 牙が通らねぇ!」
空中から喰らい付こうとしたスコマザが、思いがけず金属に噛み付いたかのような抵抗を感じて素早く離脱し、仲間たちに警告を発する。
間一髪で、つい先ほどまでスコマザがいた空間を、巨大なゲオルベルの爪が切り裂いた。
その巨体に見合う太い前足とがっしりした爪は、例え爪の部分に当たらなくても足で蹴られればかなりのダメージになりそうだ。
いやむしろ、体重を生かした体当たりだけでも、直撃すれば魔族であろうと重症を負うのは避けられない。
「こんなデカブツ、私の魔法で! ケェアジィエヌゥオヨオィベユ コォイロセェアキィ!」
木々から木々へと縦横無尽に飛び回るニーナが、眼下の巨大なゲオルベル目掛け魔法を放った。
発動した魔法は真空波となって巻き添えになったゲオルベルを斬殺しながら突き進み、ついでに木々の何本かも切り倒して巨大なゲオルベルに肉薄するものの、当の巨大なゲオルベルにはひらりと身を翻されて容易くかわされた。
必中に見えたニーナの魔法が外れたことに、美咲は驚きと恐怖を感じる。
(凄い威力……! そしてそれを避けるあのゲオルベルも尋常じゃない……!)
信じられない気持ちで、美咲はニーナと巨大なゲオルベルを見比べる。
放たれた真空波は不可視で、そもそも肉眼で確認できるものではなかった。
感覚が鋭敏であれば、空気の流れや音で分かるのかもしれないけれど、美咲には少なくともニーナの魔法の軌道を見切ることは出来なかった。
強力な魔法であることは疑い様がなく、威力の割には効果範囲が限定されていることから、魔法の制御力も申し分ない。
暴発させて無駄に広範囲を巻き込んでしまいがちな美咲とはえらい違いだ。
そしてそんな魔法を容易く見切って避けてみせたあのゲオルベルは、感覚についても優れたものを持っているらしい。
ニーナの魔法を回避した巨大なゲオルベルは、新しい魔法をニーナが用意する前に、ニーナに向けてカウンターを仕掛けてきた。
固唾を呑んで見守る美咲は他の魔族兵がニーナの援護に入らないのかと周りを確認するが、皆数だけは多い他のゲオルベルたちに手を取られており、とても助けに入れる状況ではない。
美咲などよりも早く正確に仲間たちの状況を把握していたニーナは、即座に自らの力のみで迎撃することに決め、魔法を唱える。
「ハァウシィエギ ブゥオアゥハァウアヒィエコォ!」
風が物理的な圧力を伴う壁となって、ニーナと巨大なゲオルベルを遮った。
巨大なゲオルベルは壁を打ち破ろうとするものの、その攻撃を風の障壁はしっかりと受け止める。
「これなら……」
自分の魔法の発動を見て、ニーナが安堵の表情を浮かべた。
一瞬生まれた隙を、天然の捕食者たるゲオルベルは見逃さない。
巨大なゲオルベルが一声吼えると、背後から他のゲオルベルが狙う対象を変え、ニーナに襲い掛かった。
「もう! 鬱陶しい!」
ニーナは巨大なゲオルベルを阻む風の防護魔法を維持したまま、身を投げ出して転がり、不意打ちを回避する。
どうやら、彼女は複数の魔法を同時に制御するということが出来ないようだ。
一番の脅威であろう巨大なゲオルベルへの魔法を優先したニーナの判断は、しかし裏目に出た。
地面に倒れて大きく姿勢を崩したニーナが立ち上がるよりも早く、巨大なゲオルベルがニーナの風の障壁を力尽くで打ち破る。
美咲の魔法無効化能力とは全く違う、肉体にものを言わせた力技だ。
だからこそ、それはニーナの度肝を抜くことになる。
「そんな……!」
基本的に、魔族は皆己の魔法に自信を持っている。
それは物心付く前から魔族語に親しんで育ったことによる自負の表れであり、幼い頃から魔法を操ることにより培われた技術の高さを示すものでもある。
当然ニーナの魔法も美咲の魔法とは比べ物にならない精度だったことは疑いようもなく、その魔法が破られたことは、ニーナに少なくない動揺を与えた。
ニーナの窮状に気付いたのはアレックスとゾルノのみで、他の魔族兵たちは目の前のゲオルベルたちを相手取るのに手一杯になってしまっていて気付かない。
「危ない! ……くそっ!」
「かわせ、ニーナ!」
気付いた二人も複数のゲオルベルを相手にして立ち回っており、すぐに救援に行くことはできない。
アレックスとゾルノとニーナが、絶望的な視線を交わす。
三人とも分かっているのだ。助けに入れないし、助けは来ないと。
そんな中、美咲だけが台風の目のような状態に置かれていた。
魔族兵たちに守られてゲオルベルたちは一匹たりとも美咲へと到達することはなく、おかげで美咲は場の誰よりも状況を認識できている。
(今、動けるのは私しかいない)
美咲は歯を噛み締めた。
(何を馬鹿なことを考えているの。丸腰で割って入って、それからどうするの?)
魔族とはいっても彼ら彼女らは軍人であり、美咲が守るべき対象ではない。
むしろ、美咲を殺そうとしている敵であることに間違いはなく、見捨てることこそが、美咲にとっての最善であることは疑いようはない。
そもそも武器が無いのだ。
でも、反射的に美咲の身体は動いてしまった。
見てしまった。
迫り来るゲオルベルを前にしてニーナが浮かべた、恐怖の表情を。
「死にたくない……。誰か、助けて……」
そんなニーナの呟きさえ、聞こえた気がした。
だから。
「ケェアジィエユゥ ワェアテソォイゥオハァウコォイツベソチィ!」
美咲はニーナ目掛けて踊りかかる巨大なゲオルベルの横腹に、体当たりを敢行した。
自分の行動によって自らがどれほどの危険に晒されるかなどは、一切頭に無かった。
普段はあれほど自分のことを必ず心の片隅に置くようにしていたのに、今この時に限って、頭から吹き飛んでしまっていた。
ただ、自分しか動けないのだから、自分が動いて助けなきゃと、そう思っていた。
魔法で自分の身体を弾丸に見立てた美咲は、その勢いそのままに巨大なゲオルベルもろとも吹っ飛び、木を何本も圧し折ってようやく止まる。
魔法無効化体質で魔法に起因するものなら魔法そのものではない現象によるダメージもカットしてしまえる美咲と違い、巨大なゲオルベルはそうもいかない。
少なくないダメージを受け、すぐには動けなくなっている。
しかし、巨大なゲオルベルの目は戦意を失っておらず、強い憎しみを湛えて美咲を睨んでいた。
その瞳の輝きに、美咲は本能的な恐怖を覚えた。
(……今やらないと、こいつはまた立ち上がる!)
反射的にゲオルベルの身体に手を当て、叫んだ。
「ベェアカァウヘタシィエユゥ!」
次の瞬間、美咲の視界いっぱいに、赤と白の光が溢れた。
■ □ ■
轟音と共に、美咲を中心に爆炎が吹き荒れる。
炎は美咲と巨大なゲオルベルに加え、少なくない数のゲオルベルを呑み込み、さらには森の木々へと延焼していく。
寸前で巨大なゲオルベルごと美咲が吹っ飛んでいて距離があったおかげで、アレックスとその部下たちに被害はない。
だが、多くの魔族兵たちが目の前で起きた光景に度肝を抜かれていた。
(……お人良しめ。自分の身を考えろ!)
唯一美咲の事情を知っているアレックスが、ぎり、と歯を食い縛る。
ミルデの安全を確保するためとはいえ、アレックスは一度美咲を裏切ったのだ。
アレックスのことを恨んで、その部下であるニーナを見捨てても誰も責められはしないというのに、美咲は彼女を助けた。
多くの嫌悪の感情が自分に向けられていることに、美咲とて気付いていないはずがない。
嫌われてなお、好かれようと努力できる人間は中々いないものだ。
好意には好意を、嫌悪には嫌悪を向けるのが普通で、その方がずっと楽なのだから。
「……私、生きてる」
寸前で美咲に助けられ、九死に一生を得たニーナが、呆然とした面持ちで呟く。
戸惑いに満ちた表情のまま、ニーナの目は美咲を探して彷徨い、爆発痕と延焼を続ける森林を見て絶句する。
ニーナの目の前で、辛くも爆発に巻き込まれずに生き残ったゲオルベルたちが、二、三度後退ると、身を翻し文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。
そのままゲオルベルたちは脇目も振らず、一目散に駆けて木々の奥へと消えていく。
統率も何もない、文字通りの壊走だ。
「分隊長。あの、ゲオルベルは」
「この状況で生きていると思うか?」
問い掛けるニーナに、アレックスは肩を竦めて答える。
美咲が魔法を暴発させた爆心地は、地面が捲れ上がり木々の根を根こそぎ吹き飛ばしてちょっとしたクレーターを作っていた。
クレーターを中心に激しく現在進行形で炎が燃え盛っており、その火の勢いは強く次々と周囲に延焼を始めている。
なまじ森林なので、燃えるものには事欠かないのが厄介だ。
瞳に恐怖を滲ませて、エウートが揺れる声で叫んだ。
「何かの間違いよ! こんな凄まじい威力の魔法を、あんな人間が使えるわけがない……! 第一、あの人間には隷従の首輪が嵌まっていたのに!」
慄くエウートをは対照的に、ゾルノは冷静に考え込み、美咲の魔法が齎した破壊痕を眺める。
地を抉り、木々を薙ぎ倒し、草木を炎で包み込み、ゲオルベルたちの群れを一撃で瓦解させた。
その威力は凄まじく、現在進行形で森林火災が続いている有様だ。
「……でも、魔法でこれだけの威力を出せるなら、確かに蜥蜴魔将でも屠れるかもしれないな。前情報があるならともかく、不意打ちで遠距離から撃たれたらまず反応できんぞこんなの」
ゾルノの言葉には、呆れと戸惑いが滲んでいる。
戸惑いの原因は、これほどの魔法を使えるのなら、何故自分たち魔族兵を始末して逃げようとしなかったのかということだった。
どうやら魔法対策に嵌めていた隷従の首輪は機能していなかったようで、現に美咲は魔法を使ったのだ。何故それを自分たちに向けようとしなかったのか、ゾルノには分からない。
ここで逃げても行く当てがないから、という理由くらいならば思いつくものの、それならばすぐにでも魔法で自分たちを始末していてもおかしくないし、今使ってもゲオルベルの脅威から逃れられるだけで行く当てがないということには変わりない。
魔族領を進めば進むほど、人族領に戻るのは困難になるのだから。
「解せない。あの人間は、ニーナを助けたように見えた」
ぽつりとアルベールが呟く。
彼が何を思っているのかは同僚である魔族兵ですら察し難いものの、声音である程度推し量ることはできる。
間違いなく、アルベールは困惑している。
「まさか。人間が魔族を助けるはずがねぇ。俺たちを見捨てて逃げようとして、結果的にああなっただけじゃないのか? ……多分だけどよ」
スコマザが決め付けるものの、そうだとするとやはり、何故今のタイミングで行ったのかという問題が残る。
彼自身疑問を感じているようで、歯切れが悪い。
「大切なのは」
「あの人間が」
「「生きてるか、死んでるかのどちらかを確かめることだと思う」」
二面でハモらせたオットーは、冷静に自分たちにとって、優先すべき事項を捉えていた。
「……そうだな」
相槌を打ったアレックスが、まだ発言していない残りの三人にちらりと目をやる。
エウートと同じくらい、或いはそれ以上に美咲のことを、正確には美咲に限らず人間を嫌っている三人だ。
そんな彼ら彼女らも、今は戸惑いで瞳が揺れている。
小さくため息をつくと、アレックスは気持ちを切り替えた。
「ひとまず、延焼を食い止めるぞ。それを済んだらあの人間の捜索だ」
現状、美咲が放った魔法の余波で森林火災が起きてしまっている。
早急に消し止めなければ煙に巻かれる恐れがあるし、大事な森林資源が燃え尽きてしまう。
「捜索って、死んでるんじゃないの? 爆心地に居て生きてるとは思えないんだけど。ていうか、人間はあんな欠陥魔法をわざわざ編み出して広めてるの? 狂気の沙汰だわ」
困惑を怒りに変えて吐き捨てるエウートの横で、ニーナが何も言わずに顔を伏せてきゅっと唇を噛み締めた。
「……どうしたのよ」
「何でもない」
怪訝そうに尋ねるエウートにも、ニーナは首を横に振るだけだ。
言える訳がなかった。
他に意図があったかもしれないのに、自分を助けてくれた美咲に、好意を抱きそうになってしまった。
良くも悪くも無関心で居られる程度の情しか抱いていないニーナと違い、エウートははっきりと人間を嫌っている。
なおさら言えるわけがない。
「同意見だが、魔王陛下は生きて御前に連れて来いとの命令だからな。死んでしまいましたでは俺たちもどうなることか」
ため息混じりにアレックスが漏らした言葉に、アレックスの部下たちが皆一様に顔色を青褪めさせた。
「これは、生きている方に賭けなきゃいかんですな」
やれやれと、ゾルノが頭を振る。
「そ、そういえばそうだった……!」
頭を抱えるニーナの横で、エウートが呻く。
「じょ、冗談じゃないわよ! 下手をすれば魔王様自らの手で処刑とかになったりするの……!?」
エウートの懸念を、空元気でスコマザが笑い飛ばした。
「さすがにそこまで極刑になさるとは思えねーけどよ。不可抗力だろこんなの。誰も予想できねーよ」
スコマザの目は思い切り泳いでいる。動揺しているのが丸分かりだ。
「……とにかく、生きていることに賭けるしかない。探しましょう、分隊長」
再び落ち着いた声音に戻ったオットーが、冷静にアレックスに意見を述べる。
「賛成」
「異議なし」
オットーが二面で口々に賛同しつつ諸手を挙げた。
「お前たちはどうだ?」
アレックスは美咲に結局自己紹介をしなかった三人にも、意見を求めた。
皆、複雑そうな表情をしている。
「……分隊長の判断に、従います」
ニーナとエウートよりも見た目が年上な、妙齢の美女姿である魔族兵が、それだけを述べた。
感情を堪えるかのように、己の尻尾の先を掴んで握り締めている。
上半身が人間の女性で、下半身が蛇の魔族だ。
彼女は夫を人間に殺されている。
だからこそ人族に対する嫌悪が強く、美咲が何故ニーナを助けたのかも理解出来ない。
美咲が損得を考えず、ただ見捨てられなかったから動いたなど、思いつきもしない。
人族に対する嫌悪で視野が狭くなり、そんなお人良しな人間がいるなどとは思えなくなっているのだ。
「オレは、どっちでも」
身体の所々が魚のような鱗や鰭に覆われている魔族の少年が、目を逸らす。
彼はアレックスの部下の中で一番幼く、彼自身にあまり人族を嫌う理由は無い。
人族を嫌うのは半ば彼が育った環境のせいとも言えた。
「探した方がいいと思います。個々の感情で語れば、また別ですけど」
最後に意見を述べたのは、身体を気体化させることが出来る魔族の青年だった。
彼は肉体としての身体を持っておらず、身体の密度を操作することによって、自由に実体化と気体化を操作することができる。
実体化している彼の輪郭は、彼の感情を表して時折揺らいでいた。
彼もまた、人族の手で妹を殺されている。
過去に生まれた村ごと襲われたのだ。憎むに足る十分な理由がある。
「……消火活動をしながら並行して探すぞ。お前たちの気持ちは分かるが、仕事だからな」
アレックスの号令に全員が頷き、美咲の捜索が始まった。