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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十六日目:魔族兵の戦い1

 腹部に受けた衝撃に、美咲は反射的に飛び置きた。

 飛び退ろうとして、手足が縛られたままだったのでもんどりうって転がる。


(……痛い)


 じんじんと腹に鈍痛が走るところをみると、どうやら寝ている間に腹部を蹴られたらしい。

 美咲が恨みがましい目を向けた先には、やはりというか、予想通りというか、絶対零度の瞳で美咲を見下ろすエウートの姿があった。


「もう朝よ。さっさと起きなさい。私たちよりも寝坊するだなんて、生意気な人間ね。捕虜の自覚あるの?」


「……暴力反対。待遇の改善を要求する」


「やかましい。朝食を用意してあるから、さっさと食べなさい。あなたが起きないと、天幕を畳めないのよ」


 吐き捨てて、エウートが天幕から出て行く。

 相変わらずの冷たい態度にため息を吐きつつ、美咲は蹴られた腹部の状態を、相変わらず拘束されている両手で確認した。


(良かった。大した怪我じゃなさそう)


 ほっと安堵の息をつく。

 鈍痛はあるが、激しい痛みではないし、その鈍痛も少しずつ引いていっている。青痣くらいは出来るかもしれないけれど、これなら問題なさそうだ。

 異世界人の身体は不便なもので、魔法薬による瞬時の治療が出来ない。

 なので美咲は人一倍己の身体を丁寧に扱わねばならず、そのデメリットは魔法無効化体質というメリットを見事に打ち消してしまっていた。


(はあ。人生ってままならないわね……)


 何か悟ったような気分になりつつ、芋虫のように這いずって天幕から出る。

 両手両足とも拘束されてるので仕方ないけれど、情けない気分でいっぱいだ。

 外に出ると、煮炊きするいい匂いがした。

 どうやら、エウートの言う朝食の匂いのようだ。


(顔、洗いたいな)


 この世界に来てからも、起きてからはまず洗顔をするのが美咲の常だったから、それが出来ないというのは、些細なことでも美咲にストレスを与える。

 旅の最中は水を無駄遣いできないことくらい美咲も分かっているので我慢するしかないとはいえ、美咲の観点では明らかに自分の扱いが酷く、少しくらい贅沢しても罰は当たらないのではないかと思う。

 辺りを見回すと、ちょうどアレックスを交えて彼らの部下たちが焚き火を囲んで朝食を取っていた。

 談笑している彼らと、手足を縛られて移動にすら不自由している自分に、美咲は酷い落差を覚えた。


(泣くな。泣いちゃ駄目)


 疎外感と自分が置かれている状況の惨めさから涙が溢れそうになるのを、美咲は歯を食い縛って堪えた。

 今の状況は自分が選択した結果だ。

 覚悟の上で来たのだから、理不尽だ、横暴だと泣くなんて間違っている。

 地面に蹲る美咲が見つめる地面に、影が落ちた。

 見上げると、不機嫌そうな表情でエウートが立っている。


「たった今、分隊長にお前の食事の世話をしろと命じられたわ。天幕に戻るわよ。……どうしてこんなことを私が」


 エウートはスープが入った器とパンを持っていた。それが美咲の分の朝食らしい。

 そのまま、エウートがすたすたと先に天幕まで歩いていってしまう。

 苦労して移動していた美咲を助けるつもりはさらさら無いらしい。

 ため息をついて不満を押し殺すと、美咲は再び天幕に戻る。

 天幕の中で、エウートが美咲が食事を取りやすいように場を整えていた。


(初めからそうしてくれれば良かったのに)


「何か文句を言いたそうな顔ね」


 出来るだけ無表情であるよう務めていたのだけれど、うっすらと表情に感情が出てしまっていた。

 目ざとく見咎めたエウートが指摘してくる。


「いえ、別に」


 美咲は改めて表情を繕い直した。

 何故か面白くなさそうな顔のエウートは、他にすべきことがあるからだろうか、追求せずに鼻を鳴らすに留める。


「まあいいけど。こっちに来なさい。手足の拘束を解くことは許可できないから、食べさせてあげる」


 エウートは美咲と顔を合わせている時は大抵不機嫌そうな表情なので、美咲は彼女が食べさせてくれると聞いて、たちまち胃が痛くなってきた。

 あと、他人にまるで赤ちゃんに対するかのように食事の介護をされるのかと思うと、羞恥心のあまりどこかへ走り出したくなる。


「流石に恥ずかしいんですが」


「私だってやりたくてやってるわけじゃない。捕虜の癖に我侭言わないの」


 しかし、美咲の心配とは裏腹にエウートの態度には愛情が一ミリも感じられない。

 どうみても、要介護者の食事介護を事務的に行う職員のような態度である。

 意外だったのは、食べさせてもらったパンとスープが、ラーダンで食べていたものよりも味が薄く、ヴェリートでルフィミアと食べたものと同じくらい、物足りなかったことだ。

 散々征服を繰り返して材料だって豊富に取れるだろうに、薄味過ぎて美咲は驚いた。

 今までの日々の食事で美咲の舌が慣れていなければ、到底食べられはしなかっただろう。

 良く考えれば、魔族の街で食べた食事も、ラーダンで食べたものと対して変わらないか、それより味が薄めだった気がする。

 全体的に魔族側の食事の方が味が薄めになっていて、元の世界の味との落差が大きい。

 予想では逆だと思っていた。


(まあ、今ならこういうのも美味しいと思えるから、いいかな)


 この世界に召喚されてから、もうすぐ四週間が経つ。

 タイムリミットはもう間近に迫っているけれど、裏を返せば、それだけの時間を美咲はこの世界で過ごしたことになる。

 振り返ればあまりいいことなんて無かったと思う世界なのに、美咲は不思議な愛着を覚えながら、エウートの介助で食事を済ませた。



■ □ ■



 食事が済んでも、美咲は相変わらず縛られたままだった。

 これからまた移動するのだから足の拘束だけは解いてもらえたものの、相変わらず手の方は後ろ手に縄で括られている。


(転んだら痛そうだなぁ)


 現実逃避気味に、美咲はどうでもいいことを考える。

 いや、実際咄嗟に手をつけない現状では、ただの転倒でも美咲は大怪我を負う可能性が高い。

 手があれば急所を守れるし、最悪負傷するのは手だけで済むけれども、手が使えないのではどこを怪我するかは正直運次第だ。

 まあ、美咲の場合は治療が気軽に出来ない以上、負傷箇所が何処であろうと怪我を負った時点で大きなハンデを背負わされることには変わりない。

 よって、怪我を恐れるなら慎重に歩かなくてはならないのだが、そんな美咲の心配を魔族兵たちが汲んでくれるかどうかは怪しいものだ。

 慎重に歩いているのはのろのろしていると取られ兼ねないし、そうなれば早く歩けと叱責が飛んで来るだろう。

 美咲の事情を知っているアレックスはともかく、彼の部下、特にエウート辺りはいかにも言いそうなほど美咲に対して当たりが強い。

 同じ魔族兵であるニーナとの会話を聞いた限りでは、人間に対する悪感情こそ強いものの、根は真面目そうで悪い性格ではなさそうなのにも関わらずである。

 もし友人になれればこの魔族領において心強い味方になりそうなものなのだが、まあ、非現実的だ。


(人間ってだけで、凄い嫌い様だし……)


 思わず美咲の口からため息が漏れる。

 直接美咲自身がエウートに何かしたわけでもないのに、エウートの美咲に対する態度はかなり悪い。

 昨日の段階で既にその傾向は顕著で、美咲に対する言動の一つ一つに、美咲への嫌悪がびしびしと伝わってくる。

 人族全体への嫌悪であって、美咲自身への嫌悪ではないのが、また遣る瀬無い。

 美咲自体に原因があるのであれば、それは紛れもなく美咲が悪いのだし、何とかして改善しようという気にもなるけれど、原因が美咲には無く、エウートの人間への偏見なのでは、美咲には手の打ち様が無い。

 もっとも悪感情を抱いているのはエウートに限った話ではなく、魔族兵殆どに共通していることだ。

 比較的気さくに接してくれるニーナも、美咲に対してはしっかりと線引きをしていて必要以上に踏み込んでこないし踏み込ませない。

 人間に対して好意的であるミルデを好いているあのアレックスですら、人間には厳しい。

 ミルデと仲が良かったので、美咲は辛うじて例外に属することが出来ていたようだけれど、それも結局アレックスのミルデに対する好意を越えられるものではなかった。

 自分を魔族軍に売ったアレックスを、美咲は詰るつもりは全く無い。

 アレックス自身が魔族兵なのだから、彼の行為はそもそもその職責を果たしただけとも取れるし、ミルデを一番に考えるそのスタンスには、美咲も一定の共感を覚えることが出来る。

 もしかしたらミルデ本人に嫌われるかもしれないだろうに、そのリスクを犯してでもミルデの安全を選ぶその勇気には、共感を通り越して尊敬すらするかもしれない。

 自分の命を最優先にしている美咲よりも、ミルデの命を最優先にしているアレックスの方が、何倍も偉いと美咲は思う。

 しかもアレックスはそれに加え、魔族軍の分隊長として、九人の部下を率いているのだ。

 たかが分隊ではあるけれども、それでも部下を持つ者として、アレックスが責任を持って行動をしているのは確かなのだ。

 沢山の仲間の命を取りこぼしながら、がむしゃらに進むことしか出来なかった美咲とは、何もかもが違う。


(私の命と、皆の願いのために)


 今一度、胸の奥に宿った決意を噛み締める。

 いつしか燃え盛る炎となったその思いは、美咲の中で今もなお盛んに燃え続けている。

 異世界人ということで魔法無効化能力を持っていても、どうしようもなく、美咲自身は俗人で、凡人だ。

 他人のためだけに生きることは出来ない。

 いつだって自分が最優先で、他に目を向けることが出来るのは、あくまで自分自身が満たされていることを前提としている。

 安全な場所に居るから遠くの地で起こった悲劇に心を痛めることが出来るし、恵まれた境遇にあるから、恵まれない誰かのために身を切ろうという気にもなれる。

 少なくとも、この世界に来るまでの美咲はそうだった。そして、元の世界の殆どの人間が、美咲と同じ考えを持っていることだろう。

 それでも、美咲を守って散っていった彼ら彼女らは違う。

 彼らは安全な世界に生きていたわけでもなく、恵まれた境遇にいたわけでもない。

 仲間を失い、過去の自分を失い、自分の命すら失った彼らが満たされていたわけがない。

 それでも美咲のために戦ってくれた。その命を投げ出してくれた。

 根底にあるのは美咲への信頼だ。

 自分たちが命懸けで作った道を、美咲ならきっと歩いてくれると。

 その信頼を裏切るほど、美咲は自分勝手ではいられなかった。

 勿論、今でも自分の命が一番大事であることに、違いは無い。

 それでも、ぎりぎりまで踏み止まって命を賭けてみようと思う程度には、沢山の絆を育んできたのだ。

 何より、魔王を倒さなければ、美咲はどうせ死んでしまうのだから。


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