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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十五日目:虜囚の身となって5

 夕食は、一応美咲の分も用意されていた。

 ペリトンの肉の焼き串に、茸と山菜と虫入りのスープ。デザートとして果物とグラビリオン。


(まともなのが焼き串と果物しかない……)


 スープが入った器にはくたくたに煮られた得体の知れない蛍光色の茸に、その辺の野草を摘んできたかのような雑多な山菜、そしてそれらを以ってしても隠し切れない異様な物体が浮かんでいる。

 まあ、早い話が虫である。

 この世界には虫型魔物はいても虫そのものはいないので、厳密に言えばこれらも虫ではなく魔物なのだが。

 魔物なせいか、虫にしかみえないのにやたらと大きい種が多く、スープに入れられているのもそんな虫型魔物の一匹だ。

 適当な大きさに乱雑にカットされているのだが、普通に頭とか羽とか足とか形が中途半端に残っていて、とても見た目がグロい。

 虫嫌いな気のある美咲には、少々インパクトが強過ぎる。


(あ、足くらい毟ってくれてもいいじゃない!)


 早くも怖気付く美咲であるが、そもそもにして別の問題がある。

 食事を用意してくれたのは嬉しいのだけれど、手足の戒めを解かれていない。

 スープを見ないようにして焼き串を先に片付けようと思った美咲は、そのことに気付いて情けなくなった。


「あのー……」


「ん? なんだ」


 恐る恐る声をかけた美咲に反応したのは、アレックスの副官である岩肌男のゾルノだった。

 アレックスは食事の手を止めてちらりと美咲に目を向けたものの、先にゾルノが反応したことで彼に対処を任せると決めたようで、視線を逸らして再び食事に戻っている。

 ちなみに他の面々はというと、ニーナは興味深そうにゾルノと美咲を注視し、エウートは不機嫌そうに舌打ちして食事に集中しろとでもいうようにニーナの頭を叩きつつ、何故か美咲を睨んでくる。

 毛玉男のアルベールは黙々と焼き串の肉を毛玉の奥に突っ込む作業を続けていて、その茫洋とした視線は美咲の方を向いていながら、本当に美咲を見ているのか判然としない。

 鮫男のスコマザは美咲が虫型魔物を見て顔を引き攣らせていたのを見ていたのか、にやりと笑うと美咲の注意が逸れているうちに、こっそり自分のスープの虫を美咲のスープに移し始めた。

 もしかしたらスコマザも虫型魔物が嫌いなのかもしれないとはいえ、酷い悪戯である。

 二面男のオットーは片方の顔でペリトンの焼き串を食べながら、もう一つの顔で茸と山菜と虫型魔物のスープを啜るという器用なことをしながら、美咲に両面を向けている。

 彼らに共通しているのは、どんな感情を美咲に抱いているにしろ、興味を抱いているということだ。

 そして人間に対して隔意を持っているとしても、美咲に興味を持つ程度の下地は残っているということでもある。

 しかし、残りの三人は違う。

 結局今だに美咲に対して自己紹介をしておらず、また、誰も彼ら彼女らの名を呼ばないので、美咲には名前すら分からない。

 自己紹介を命じたアレックスとゾルノも、嫌がる部下に無理やりさせるつもりはないらしく、問題は放置されている。


「せめて手の縄くらいは解いてくれないと、食べれないんですけど」


「口で直接食えばいいだろ。何言ってんだ」


 美咲の主張を、呆れた声音でゾルノが却下した。

 岩肌でゾルノの表情は分かりにくいものの、その分ゾルノは声に感情がよく乗っていて、それが分かり辛い表情から読み取れる情報の補填をしてくれている。


「犬食いしろって言うんですか……」


「犬って何だ」


 無言で美咲は頭を抱えようとして、手が使えないので空を仰いだ。

 空は赤い。

 夕焼けが鮮やかで、後もう少しで完全に夜の帳が下りるだろう。

 それを見越して、既に焚き火が準備され火の管理もきちんと行われている。

 夕食の調理もこの焚き火で行われた。

 この世界には犬が居ないので、犬食いと言っても伝わらない。

 せめて翻訳サークレットがあれば、この世界に存在しない表現でも自動的にもっとも近い表現に置き換えて伝えてくれるのだが、今は手元にはないので無い物強請りである。

 そもそもミーヤに翻訳サークレットを貸しているのは美咲の意思だし、返そうとしたミーヤを説得してそのまま持たせることに決めたのも美咲の判断だ。

 明らかに自業自得である。


「片手だけでも何とかなりませんか? 食事の間だけでいいですから」


「流石に無理ですよ。捕虜なんですから諦めてください」


 わがままを言う問題児を窘めるような語り口でニーナに諭され、死んだ魚の目で美咲は用意された食事に目を向ける。

 美咲とて人間であり、生きているので活動していれば腹が減る。

 今後のことを考えれば食べなければならないのだが、それには人としてなけなしのプライドを捨て去らなければならないらしい。

 腹が鳴る。空腹には勝てない。

 迷った末に美咲は決断した。



■ □ ■



 決して人には言えない屈辱的な食事を済ませた美咲は、大切な人としての何かを失ったような気分になりつつ、それでも満たされて満足した腹に複雑な感情を抱く。


(悔しいけど、腹が減っては戦は出来ぬっていうし)


 ここで食べないと食事を突っぱねるのは簡単だが、それで得るものといえば、人としてのひとかけらのプライドのみで、それで状況が変わるかといえばそんなわけがない。

 むしろ食事を取らないことで身体が弱り、状況は悪化することはあっても改善するとは考えにくい。

 体調を好調に維持することが大事だと自分を納得させ、来るべき時まで体力を温存しておくのが大切だとやさぐれる気持ちを慰めておく。

 食事で出たゴミ類を始末したアレックスは、縛られている美咲が見つめる中、部下の魔族兵たちに指示を出した。


「朝まで三人一組で見張りをしつつ順番に睡眠を取れ。二人で魔物の警戒、一人は引き続き捕虜の見張りだ。最初は俺とニーナ、エウートで担当する。捕虜の見張りはエウートがしろ」


 他の面々は声を揃えて「了解」と敬礼をしたが、エウートは一人だけ不満げな表情を浮かべて抗議する。


「……分隊長。また、私ですか」


 ありていに言えば、エウートは美咲の見張りという役目が嫌いだった。

 美咲が嫌いというよりも、人間そのものが嫌いなエウートにとって、人間と長時間顔を合わせなければならないというのは、それだけで苦痛だ。

 そう考えているのは別にエウートだけではなく、むしろ殆どの魔族兵がエウートに近い考えを持っている。

 エウートでなくとも、誰が選ばれようと不満は噴出するだろう。

 捕虜を虐待してもいいなどという条件が付くなら、志願する者もいるかもしれないが。

 ミルデのために美咲を裏切ったアレックスも、虐待の許可を出すほど人でなしではないらしい。

 裏切られている時点で美咲にとっては十分人でなしだけれど、ミルデを大事にするアレックスの気持ちも分かっているので、怒るに怒れず、行き場のない感情を持て余し気味だ。

 アレックスはエウートを振り返ると、口元の端に笑みを浮かべてみせる。

 まるで、エウートの不満を見抜いているかのようだった。


「不服か? お前は注意深いし、適任だろう」


 信頼されていることに、エウートの表情に一瞬喜色が走る。

 しかしエウートは高い精神力で舞い上がった内心を押し隠し、生真面目に反論した。


「評価してくださるのは嬉しいです。しかし、ニーナでも良いのではないですか?」


 端的に言えば、エウートは人間が嫌いだという延長線上で美咲のことも嫌いなので、あまり美咲に意識を払っていたくはないのだ。

 部下から発せられた疑問に、アレックスは肩を竦めて答える。


「勿論、明日以降は変えるさ。でも今日はお前だ。一日に何度も担当を変えると、混乱の元になる。覚えるべき事柄は少ない方が良い」


 エウートは口の中で唸った。

 確かに、今までエウートが美咲を見張っていたのだから、今日はそのままエウートが続行するのは理屈に適っている。

 それに、この決定も今日だけで、明日からは別の人物に引き継がれるのだという。

 ならば良いと、エウートは己を納得させた。


「……分かりました。謹んでお受けします」


 改めて命令を受諾し、小さく頭を下げるエウートに、アレックスは薄く微笑む。


「おう、すまんな」


 不思議なもので、ベルアニアとは違い、魔族にはお辞儀や礼といった、「頭を下げる」という習慣がある。

 元々魔族が持っていた習慣なのか、それとも征服を繰り返す際にその土地の文化や風俗を吸収していった結果なのか、美咲には分からないけれど、共通するジェスチャーがあるというのは、コミュニケーションを取るにあたり大きな助けになる。


「いえ、分隊長が謝るようなことでは」


 恐縮するエウートはいかにも生真面目で、そんな彼女の緊張をほぐすかのように、アレックスはエウートの頭を軽く手で数回ぽんぽんと叩いた。

 振り向いて、見張りに選ばれなかった残りの人員に言う。


「というわけだから、お前らは早く寝ろ。寝不足になっても知らんぞ」


 自分からアレックスの注意が離れると、エウートは僅かに頬を染め、手を置かれた頭を押さえる。

 彼女の頬は桜色に染まっていた。

 口元も、普段の一文字に引き締まったものよりも、僅かに緩んでいる。


「子ども扱い、しないでください」


 上ずったエウートの声は小さく、側にいた美咲にしか聞こえなかった。


(アレックスのことが好きなのかな、この人)


 だとすれば、可哀想だけれどその恋は実らなさそうだ。

 アレックスは、ミルデのために美咲を魔族軍に突き出すほど、ミルデのことを好いているのだから。


「それじゃあ、分隊長のお言葉に甘えましょうかね」


 エウートのことをちらりと見て、その岩面ににやにやと面白がるような笑みを浮かべたゾルノが、一足先に天幕に入っていく。


「……寝る」


 その後を、アルベールがどこからが足か分からない毛に隠れた足を動かして、のそのそとついていった。

 一方で、スコマザは鮫の顔を夜空に向け、星や月の位置で大まかな現在時刻を確認し、そこから夜明けまでの時間を割り出す。


「三交代だから、睡眠時間は一人三レンディアってところか。何事もなければぐっすり寝れるな」


 鼻歌を歌いながら天幕に歩いていくスコマザの横で、オットーがおもむろに地面に身を横たえた。


「それじゃあさっそく」


「おやすみなさい」


 呆れた表情で、アレックスがオットーの二面の額を一回ずつ軽く叩いた。


「寝るなら天幕で寝ろ。外で寝るな。風邪引くぞ」


 地面というものは案外冷えるもので、夏場でも地べたに直接寝てしまうと体調を崩しかねない。

 今の季節は暑いとはいえないのでなおさらだ。


「これは」


「うっかり」


 あちゃー、と両手でひょうきんな態度で自分の二面を叩いたオットーは、自分の顔同士でセルフ雑談をしながら天幕へ向かった。

 そんな中、鼻歌を歌うくらい楽しそうにしている女の魔族兵が一人。

 虫の羽と複眼、触角を持つニーナである。


「ふんふーん」


 額から生えた触角は本人の機嫌を表してか愉快げにふりふりと振られているし、無表情なはずの額の複眼からも何となく楽しそうな気配が伝わってくる。

 そもそもにして、人と同じ位置にある本来の目は、露骨に愉しげに細められていた。


「……何であんたはそんなに楽しそうなのよ」


 呆れた表情で、エウートがニーナに問い掛ける。

 エウートとニーナと、後もう一人、女性魔族は合わせてもアレックスの分隊には三人しかいない。

 自然と同性同士仲良くなり、こうして時間の合間に自然と会話が増える。

 いつもはもう一人も積極的に加わってくるのだけれど、近くに美咲が居るからか、遠巻きに見つめるだけだ。

 彼女たちを通り越して美咲に向けられる視線は厳しく、美咲は八つ当たりされているような気分になった。


(理不尽……混ざりたいなら混ざればいいのに)


 ニーナは楽しそうな表情を崩さない。


「え? だって夜よ? わくわくしない?」


「するわけないじゃないの。あの人間が私たちに危害を加えないか気が気ではないわ」


「手足縛ってるし、心配のし過ぎだよ」


「お前は油断し過ぎなのよ。あのブランディール閣下を倒した人間よ?」


 その蜥蜴魔将ブランディールを倒した人間は、今現在彼女たちの足元で縛られて転がされているのだが、それでも油断していない辺りは、さすがエウートはプロの軍人といえる……のだろうか。


「私にはいまいち信じきれないんだよね。あの人間、確かにそれなりには鍛えてそうだけど、閣下が負けるほど強くは見えないんだけどなぁ」


「きっと何か奥の手があるに違いないわ。きっと魔王様もそれを恐れているのよ」


(何かすっごい評価されて警戒されてる……)


「おい。お前たち言い加減にしろ。無駄口が過ぎるぞ」


「ごめんなさーい」


「ハッ! 申し訳ありません!」


 最終的にはアレックスに窘められ、ニーナはアレックスと共に火の番と周囲の見張りに戻った。

 アレックスとニーナを敬礼で見送り、しばらくしてため息をついたエウートは、側に転がる美咲に目を落とした。


「……ちっ」


(また舌打ちされた……)


 嫌われているのは仕方ないけれど、一番近くにいる人にここまで悪感情を露にされていると、流石に少し凹む。


「立ちなさい、人間」


 硬質な声音で命令された美咲は、すわ何をされるのかとやや身構えながら、のろのろとした動作で立ち上がる。


「さっさとする! ちんたらするんじゃない!」


(無茶言わないでよ)


 本当なら直接口に出して抗議したかった美咲だったが、口答えして扱いがさらに酷くなっては笑えないので、心中で毒づくに留める。


「アレックス分隊長がお前のために、わざわざ個人用の天幕を用意してくださった。人間の捕虜としては破格の待遇よ。分隊長の温情に感謝することね! 案内する。ついてこい!」


 いかめしい表情で美咲に命令したエウートは、身を翻して歩き出す。

 尻の位置でふりふりと揺れるエウートの黄金色の狐尻尾を、美咲は立ち止まったままじっと見つめた。

 一向に美咲がついてこないことに気付いたエウートが、肩を怒らせて戻ってくる。


「ついてこいって言ったでしょ! 捕虜なんだから言う通りにしなさいよ!」


 素が出ているエウートに、美咲は目を半眼にした。


「手足を縛られている状態で、どう歩けと?」


「──ッ!」


 たちまち顔を真っ赤にして、エウートが怒鳴る。


「跳ねるでも転がるでもなんでもすればいいでしょ! 馬鹿なの!?」


 馬鹿なのはお前だと言い返したくなるのを、美咲はぐっと堪えた。

 明らかに火に油を注ぐだけである。

 深いため息をつくと、美咲はぴょんぴょんと飛び跳ねながらエウートの後を追った。

 こうして、美咲の捕虜生活一日目が終わった。


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