二十五日目:虜囚の身となって2
魔族軍に投降する前に、美咲は武器防具と道具袋を全てミーヤに預けた。
虜囚の身なのだから仕方ないとはいえ、エルナの形見である道具袋や、彼女が命懸けで取り返した勇者の剣を手放すのは抵抗がある。
しかしそんな美咲の心情を魔族軍が慮ってくれるはずもなく、そのまま投降すれば永遠に戻ってこないであろうことを考えると、美咲は手放さざるを得ない。
(……まあ、前も似たようなことしたしね)
以前にも、似たようなことを行ったことがある。
その時はティータを助けるために魔族の街の建物に忍び込む必要に迫られ、発想を転換させて捕まることで合法的に中に入った。
当然武装解除されることは予想していたので、前以てミーヤに預けておいて、無手でもおかしくない状況をでっち上げたのである。
「よし。じゃあ今から拘束するが、抵抗してくれるなよ」
縄を持ってやってくるアレックスが、美咲に暴れないよう念を押す。
ただの縄など魔法を使えば簡単に燃やせるので、拘束するのはポーズのようなものだ。
魔族にしてみれば美咲の魔法無効化能力は厄介極まりなく、魔法での拘束は通用しないし、縄などの道具を使った原始的な方法は美咲自身の魔法で突破される。
拘束と無力化に絶大な効果を発揮する隷従の首輪も、美咲にはただの首輪だ。
そのため、拘束することには見た目以上の意味は無く、本当に何も出来ないようにするのは、美咲に怪我をさせて物理的に弱らせるしかない。
魔法無効化能力の弊害で怪我を簡単に治癒できない美咲は、わざわざ暴れるつもりは微塵も無く、ただ不満げに頬を膨らませた。
「今更しませんよ。まあ、言いたいことは色々ありますけど」
暴れるつもりはないが、文句なら言う。
そんなことを言いたげな顔の美咲に、アレックスは澄ました表情で先んじて釘を刺した。
「恨み言は聞かんぞ」
アレックスにしてみれば、ミルデを守ることが一番優先すべきことで、ミルデが属する里に危険が迫っているとなれば、見捨ててはおけない。
ミルデ本人が気にかけている美咲を犠牲にすることに、多少の後ろめたさが無いといえば嘘になるものの、それでもアレックス本人の意思が変わるわけではない。
「知ってます。分かりますよ。優先順位の問題でしょう。私も同じですから」
理解しているからこそ、美咲は不満だった。
手に取るように想像出来てしまうから、憎みたいのにアレックスのことを憎みきれないのだ。
彼は、一番大切な幼馴染を優先しただけ。
美咲が自分の命を守るために、魔族が少なくない混乱に見舞われることを承知の上で、魔王を倒すことに決めたのと同じこと。
その混乱の最中で命を落とす魔族だって出るだろう。
予想出来ていても、美咲の決断は変わらなかった。
美咲にとって、見知らぬ魔族の命よりも、自分の命の方が大事だったからだ。
自分よりも他人の命を優先している分、ミルデのために憎まれることを承知で美咲を犠牲にしようとしているアレックスの方がまだマシといえるかもしれない。
(……まあ、かといって馬鹿正直に殺されるわけにもいかないのよね)
アレックスにはアレックスの事情があるように、美咲にも美咲の事情がある。
元の世界に帰るまで美咲は死ぬわけにはいかず、そして出来れば、本人が望むならミーヤも連れて帰りたい。
連れて帰ればそれはそれで新たな問題が発生するだろうけれども、戻ったところで一ヶ月近く行方不明だったことに変わりはないのだ。
一ヶ月ぶりに発見された美咲に一人おまけがついていたところで、大騒ぎになるという意味では大した差が無い。
一緒に暮らすとなると、戸籍とかの問題がそれはそれで色々浮上するのだろうけれども。
魔族軍の兵士が美咲を拘束するための縄も持ってやってきた。
「アレックスさんが縛るんじゃないんですね」
「生憎それほど暇じゃない」
確かにアレックスが言う通り、彼は部下の魔族兵の報告を聞いて指示を出すのに忙しく、美咲と会話をするのは片手間だ。
「それにしても、アレックスさんってただの門番じゃなかったんですか?」
「門番は下積み時代からの名残だ。本職は人族領駐屯軍の分隊長をやってる。そうだな、いい機会だから部下を紹介しておくか」
大人しく縛られることに身を任せている美咲のために、アレックスは己の小隊員を呼び寄せた。
一人は美咲を拘束している魔族で、他に魔族が九人集まってくる。
見た目から判断するに、おそらくだが男性が七名に、女性が三名。
(……魔族の性別って分かり辛いのもいるから、自信はないけど)
「じゃあ、まずはお前から。ほら、自己紹介しろ」
「えっ」
無造作に一番手を割り振られたのは、美咲の拘束を現在進行形で実行している魔族だった。
特徴的なのは、指が鎌のように鋭く尖っているのと、額のちょうど目の上辺りに複眼があることだった。
人間と同じような目も人間と同じ位置にちゃんと二つあるので、彼女は計四つの目を持っている。
今は鎌みたいな指にはキャップのようなものが嵌められ、触れたものを傷付けないようになっている。
でなければ、美咲を拘束など出来ないだろう。
そもそも触った縄が切れてしまう。
「ちなみに、お前が盗んだ軍服の元の持ち主がこいつだ」
「すみませんでした」
「あ、いえ、気にしてませんから……」
まさか本人とは思わず、即座に謝る美咲に、アレックスの部下である彼女は目を丸くしたのだった。
■ □ ■
当然だけれど、魔族であるアレックスの部下もまた皆魔族だ。
美咲を拘束し終えた魔族の女性が改めて名乗る。
「ニーナ・クルーク二等兵であります」
綺麗に敬礼のポーズを取ったニーナは、情けない表情になると己の上官であるアレックスに振り向く。
「あのー、一応この人、捕虜なんですよね?」
傍目から見ると、ニーナは縛られている美咲に自己紹介をしているのだ。
本人からしても奇妙に感じる。
「そうだが」
重々しく肯定するアレックスに対して、ニーナの眉尻が情けなく下がった。
「わざわざ自己紹介する必要、ありますか?」
困惑顔のニーナの質問に、ため息をついて説明する。
「それが不思議なことにな。上から丁重に魔都にまで護送しろって命令が来てるんだよ」
どうやら初耳だったようで、ニーナは呆れた表情になった。
「ええええ。さっくり処刑しちゃえばいいじゃないですか」
可愛い顔して怖いことを言うので、美咲は少し動揺する。
(処刑とか、冗談じゃない! 何の意図が分からないけど、すぐ処刑じゃなくて良かった、本当に!)
蚊帳の外に置かれながら美咲がだらだら冷や汗を流している横で、アレックスとニーナは会話を続ける。
「そういうわけにもいかんだろ。それに、何でも魔王様の勅命らしい」
軍の末端においてもしっかり魔王の存在と怖さは知れ渡っているらしく、ニーナの顔色が悪くなる。
「魔王陛下の御命令ですか……。断れませんね」
「だろ?」
同意を求めるような視線を向けるアレックスに対し、ニーナは故意か偶然かぷいと視線を逸らすと、己が拘束した美咲をじいっと見つめた。
「それほど重要そうな人物には見えませんけれども。ちんちくりんですし」
失礼なことを言われる美咲だが、縛られている現状では何も出来ない。
(ちんちくりん……)
確かに軍人からしてみればなんちゃって勇者の美咲など胡散臭さしか感じないだろうけれども、一応これでも実力で魔将を一人倒しているのだ。
いや、実力といってもその大部分は魔法無効化体質の恩恵を過大に受けているし、前以てアリシャやミリアンが露払いを引き受け一対一の状況に持ち込ませてくれたお陰なので、一概に実力とも言い切れないのも確かではあるが。
「まあ、こんな形でも仮にも魔将を倒した人間なんだ。直々に始末したいとか思ったんだろ」
どうでも良さそうなアレックスの台詞に、ニーナはじっとりとした視線を向ける。
実際、アレックスの一番大切な存在は幼馴染であるミルデなので、どうでも良いというのはアレックスにとって本心かもしれない。
「分隊長って割と国に対して忠誠心ありませんよね」
アレックスと違い、ニーナは人並みには魔王に対する忠誠心を持っているようで、己の上官を見つめる目は不満に満ちていた。
「何を言うか。俺ほど愛国心に溢れた魔族はそうはいないぞ」
いけしゃあしゃあと言うアレックスは、美咲が最初に出会った時と比べて、随分と素が出ていた。
何というか、言い意味で肩の力が抜けているというか、リラックスしている雰囲気がある。
「心にもないことを。ミルデさんと国を天秤にかけたら、どっちを取る気です」
(あ、これ面倒くさい奴だ)
元の世界でこれに似た「私と仕事、どっちが大事なの!?」という質問が多くの夫婦仲を崩壊に導いてきたことを知っている美咲は、関わりたくないと重いながらも、事態そのものには興味津々だった。
「黙秘する」
元々全く違う二つの事柄を天秤に乗せる行為そのものが無茶なので、アレックスが回答を拒否するのは美咲にとって不思議でも何でもない。
しかしニーナにはそれも不満だったようで、むっとした表情でアレックスに対して口を尖らせた。
「そこはせめて国を優先すると言ってください。だから忠誠心が無いなんて部下に陰口叩かれるんですよ」
「今まさに俺の目の前で陰口を叩いている部下がいるわけだが」
「陰で言っているわけではないのでセーフです」
何だかんだ仲が良さそうなやり取りを呆然としながら眺めていると、美咲の横から声がかけられる。
「驚いた顔してるな、人間の嬢ちゃん」
振り向くと、アレックスが連れてきた魔族兵の一人が美咲の横にしゃがみ込んでいた。
「魔族だって、一皮剥けりゃこんなもんだ。人間と大して変わらんだろ?」
ニヤッと笑う魔族に、美咲は同意を示す。
「それは、知ってます。魔族の友達もいましたし、最近お世話になった人も、魔族でしたから」
意外そうに、魔族は口笛を吹いた。
「へえ、随分柔軟な頭してるんだな。今まで捕虜にしてきた人間は、大抵魔族憎しな奴らばかりだったんだが」
「……そんなの、人それぞれですよ」
ちょっとむっとした美咲はやや強めの口調で言い返すが、魔族には美咲の感情は伝わらなかったらしい。
「まあ、俺たち魔族もそれだけのことをしてきた自覚はあるからな。だから少々、嬢ちゃんの態度は新鮮なんだよ」
喉の奥でくつくつと笑う魔族に、美咲は一番最初に抱いた疑問をぶつけた。
「ところで、あなた、誰なんですか」
「おおっと。そういえばまだ名乗ってなかったな。ゾルノ・バンだ。アレックス分隊長の副官やってる。こう見えても、分隊の中じゃ最年長なんだぜ」
自分を捕まえた魔族たちと、仲良くなってしまいそうな予感に、美咲はひっそりとため息をついた。