二十五日目:風雲急を告げる3
しばらくして、美咲の下に里長がやってきた。
猿顔矮躯の魔族で、その風貌は老人の如く老成している。
魔族は全体的に見た目が若く実年齢が一致しないことが多いのが普通なのにも関わらず、里長はいかにも長老とでも表現すべき容姿の持ち主だ。
その理由は単純で、それだけ長く生きているということである。
ミルデなどよりも、里長は余程長く生きているのだ。
挨拶もそこそこに、美咲をじろりと睨んだ里長は口を開いた。
「報告は聞かせてもらった。状況が知りたいということだったな」
「は、はい。お願いします」
みるからに気難しそうな老人に、美咲はかちこちに固まっている。
里長に関しては、一度ミルデと話しているのを見たことがある美咲だけれど、当時はもう少し柔らかい態度を取っていた。
(やっぱり、里が襲われるかもしれないから、ピリピリしてるのかな?)
雰囲気に押され気味になりながら、美咲はごくりと唾を飲み込んで里長の次の言葉を待つ。
眉間に皺を寄せて美咲を見下ろした里長は、やがて重々しく口を開いた。
「はっきり言えば、良いとは言えぬ。魔族軍の展開位置から予測すると、どうも隠れ里の森を半包囲しようとしているように感じられる。これは完全に、森に踏み入って何かを狩り出そうとする動きだ。此処最近、余所者を受け入れ過ぎた。外部に里の存在が漏れた可能性は否定出来ん」
「そこまで分かってるなら、何の問題で会議が長引いているんですか?」
思わず美咲が頭に浮かんだ疑問を口にすると、里長の眉間の皺が深くなった。
「抗戦するか、逃亡するかで意見が割れている。どちらがより良い選択支なのかという意味ではなく、同じ最悪でもどちらがマシかという意味でな。抗戦しても勝てる見込みは極めて少ない。逃亡しようにも行き先の当てが無い故に」
里長が言っていることは、よく考えれば当然のことだ。戦うのなら勝算が要るし、逃げるのならば受け入れてくれる逃亡先が無ければ話にならない。
隠れ里は隠れ住むという性質上、外部との繋がりが希薄だから、こういう場合に逃げ場が無い。
当ても無く逃げ出しても、途中で食糧不足で野垂れ死ぬか、人狩りに遭って奴隷の身に落ちるのが関の山だ。
場合によっては、死ぬ方がまだマシな目に遭う可能性もある。
部屋の扉が開いて、先ほど美咲に対して応対した魔族の女性が、ティーポットとカップを抱えて戻ってきた。
どうやら茶の用意をしにきたらしい。
何故か女性は顔面蒼白で、ティーポットやカップを持つ手が震えている。
茶を入れてテーブルに二人分の茶を置く手つきも危なっかしい。
そんな女性を見て、里長はため息をついた。
「怖がり過ぎだ。まだ始まってすらおらんぞ」
「で、ですけど、ですけどぉ」
美咲の目には、女性が里の存在が露見して自分たちが襲われることを、怖がっているように見えた。
もし本当に里の存在が露見したのなら、その一端は自分たちにもあると、美咲は思っている。
一時的にせよ美咲とミーヤを受け入れたことで、少なくとも隠れ里は襲撃される理由を持ってしまった。
言うまでも無く、蜥蜴魔将ブランディールを殺した美咲がいるからである。
人族にとっては偉業でも、魔族にしてみれば明らかな犯罪。十分に、美咲を捕まえる理由になり得る。
さらに、情状酌量の余地があるとはいえ、魔族の街で処刑寸前だったティータまで連れてきてしまったのだ。むしろ捕まえに来ない理由が無い。
「心配しないでください。もし本当に里に魔族軍が攻めてくるようなことがあれば、私たちも戦いますから」
己の胸に手を当てて宣言した美咲に、里長がもう一度確認を取る。
「ふむ。それは、里を守るためと考えていいのかね?」
「勿論です。助けてもらった恩は返します」
里の防衛戦力に美咲とミーヤが加わったくらいでは、劇的な変化は見込めないだろう。
それでも、自分たちが動くことで少しでも状況が変わるなら、関わる価値があると美咲は思う。
何より、一度助けられているのだ。
受けた恩を返さないのは、美咲の流儀に反する。
「彼女もそう言っておる。もう少し落ち着いたらどうかね。深呼吸でもすればいい」
「は、はいぃ」
女性が己の胸に手を当てて、深呼吸した。
里長に頭を下げた女性は、続いて美咲にも頭を下げて謝罪する。
「すみません、見苦しい姿を見せてしまいまして……」
「いえ、お気になさらず」
安心させようと微笑を浮かべて答える美咲の目の前で、里長が自分の前に置かれたカップを手に取り、茶を啜る。
「ふむ。美味いな。ああ、君はもう戻って良いぞ」
里長の言葉に、女性は露骨にホッとした顔で戻っていった。
そんな女性を見送った里長は、美咲に顔を向けて初めて笑みを浮かべた。
「君も飲みたまえ。茶菓子も遠慮せずに食べなさい。君たちのために用意されたものだ。食べて貰わねば無駄になってしまう。何なら持って帰るかね?」
「余ったならミーヤが全部持って帰る!」
完全に茶菓子に目が釘付けになっていたミーヤが叫んだ。
どうやら、今まで静かだったのは茶菓子に全ての興味が集中していたせいだったらしい。
「ならば後で包ませよう」
「あはは……すみません」
苦笑した美咲は、せっかく淹れて貰ったのだからと、カップを手に取る。
我慢しきれず一足先に茶菓子に手をつけていたミーヤも、喉を潤そうとカップに手を伸ばした。
二人で一口、茶を啜る。
ぐらりと視界が揺らいだ。
(……あ……れ?)
何かが割れる音がして、揺らいだ視界がそのまま傾いでいく。
そこから先の記憶はない。
■ □ ■
目覚めたら、牢屋の中だった。
以前、偽札事件で捕まえた旅商人ヴァンドを閉じ込めていた牢だ。
(……やられた)
自分の状況を確認した美咲は、まんまと里長にいっぱい食わされたことに気付き、悔しさで唇を噛む。
(そうだ。ミーヤちゃんは?)
一緒にいたミーヤのことを思い出し、美咲が慌てて辺りを見回すと、右隣の牢にミーヤが囚われているのを見つけた。
そして、左隣の牢には、ミルデが囚われている。
(え? ミルデさんまで?)
意外な人物が牢に繋がれているのに気がついた美咲は、吃驚してしまった。
(ミルデさんって、体調崩して寝込んでるって聞いてたけど、嘘だったんだね……)
里長が言っていたことは、ミルデがいないことを取り繕うことの言い訳で、実際は美咲よりも早く牢にぶち込まれていたようだ。
(でも、どうして……。ミルデさんは、同じ里の人間なのに)
分からないことは多々あるものの、いつまでも此処にいても状況は悪化こそすれ好転しないであろうことは、美咲でも予想がつく。
(とにかく、早く脱出しないと)
騙されて薬を盛られたとはいえ、美咲は里長の判断を責めることは出来ない。
里長が美咲とミーヤを捕まえた理由は、予想がつく。
間違いなく、里と里人を守るためだろう。
もしかしたら、今頃エメルダとティータも追われているかもしれない。
窓が無い建物の中なので、今が昼なのか夜なのかも分からない。
でもおそらくは、まだ日は沈んでいないはずだ。
時間が経てば経つほど、魔族軍が攻め込んでくる可能性が高くなる。
そうなる前に里長は手を打とうとするはずで、魔族軍に引き渡された後で目覚めたわけではないのだから、気を失ってからそれほど時間は経っていないことが予想できる。
まず、美咲は身体の状態を確認することにした。
(縛られてる。……当たり前だけど)
両腕を背後に回した状態で手首を縛られ、両足首も荒縄でしっかり拘束されている。
(魔法は、使えるかな?)
いつか同じように攫われた時のように、縄を燃やして戒めを解こうと考えた美咲は、魔族語を呟いてみるものの、何も起きずに終わる。
(やっぱり無理か。魔法封じの結界を張られてるのかな。ただの結界なら私には効かないはずだから、これは里全体を覆ってる結界と同じ、基点設置タイプの奴か。多分、基点は建物内を探せばあるんだろうけど)
せめて自由に体を動かせたらもう少し取れる選択支が増えるものの、身動きすら出来ないのではどうしようもない。
牢扉の鍵も、魔法で施錠しているのではなく、錠前が使われているはずだ。美咲は錠前破りの技術など持ち合わせていない。
隣の牢屋で、ミーヤが身動ぎするのが見えた。
どうやら目を覚ましたらしい。
「あれ……お姉ちゃん? ミーヤたち、どうしてこんなところに」
「ごめんね、ミーヤちゃん。私たち、里長に薬盛られて捕まっちゃったみたい」
美咲の言葉で一気に意識が覚醒したミーヤが、勢い良く身を起こそうとして芋虫のように跳ねた。
何のことは無い。ミーヤも手足を縛られているのだ。
「どっ、どうして!? 何でミーヤたちが捕まえられなきゃいけないの!?」
「多分、里長は私たちを匿うよりも、切り捨てる方を選んだんだと思う」
「そんな……! じゃあ、早く逃げなきゃ!」
ミーヤは戒めを解こうと、顔を真っ赤にして力む。
ころころと転がり、何とかして縄を緩めようとするものの、服が汚れるばかりで何も変化は見られない。
(参ったなぁ。本当にどうしよう。魔法は使えない。刃物も手持ちに無い。これじゃ脱出するどころか、拘束すら解けないよ)
「ひぐ……うっく……」
絶望的な状況に、ミーヤが泣きそうになっている。
(こういう時こそ、余裕を見せなきゃ。私まで取り乱したら、どうにもならない)
「泣かないで、ミーヤちゃん。絶対、助かるからね」
「ほんとう……?」
「うん。だから、まずは状況を整理して、一つ一つ問題を片付けていこう」
ミーヤを慰めた美咲は、まず自分たちの現状把握に努めた。
二人は縛られた上で牢屋に閉じ込められている。武器は没収されているものの、それ以外は手付かずのままだ。ただし、服装は普段着姿で、鎧とか道具袋とか嵩張るものは、グモの家に置きっ放しになっている。
習慣として、勇者の剣だけを帯剣していたので、取り上げられたのは仕方ない。
置いてあるとするならば、牢屋があるこの建物の中か、それとも里長の家か。
「まずは持ち物の確認だよ。ミーヤちゃんは取られたものはない?」
「ミーヤのは、大丈夫。魔物使いの笛もあるよ」
意外なことに、里長はミーヤの武装解除はしなかったようだ。
まあ、魔物使いの笛は辺りに懐かせられる魔物が居なければただの笛なので、見逃されたのかもしれない。里の真ん中に野生の魔物など出ようが無いのだから、あっても無くても同じだ。
美咲は現状把握と状況整理、そしてこれから取るべき行動の精査を続けていく。
「隣の牢屋にミルデさんが捕まってる。もしかしたら、エメルダさんとティータくんも後から捕まっちゃうかもしれないね。脱出するなら、出来ればティータくんは連れて行きたい。残していっても、ろくな目に遭わないのは目に見えてるし」
ティータたちに言及した時点で、ミーヤが口を挟んだ。
不安そうな表情で美咲を見上げながら、美咲の意見に反論する。
「でも、一人で行くのはきっと嫌がるよ。ミーヤだって、同じ立場だったらお姉ちゃんと離れるのは嫌だもん」
親子を引き離すのは美咲とて本意ではないので、微笑んでミーヤの頭を撫でた。
「そうだね。だからティータくんを連れて行くなら、自動的にエメルダさんも一緒になる。ここを脱出したら、エメルダさんとティータくんを迎えに行かなきゃね」
ミーヤと話し合いながら、美咲は自分の考えを整理していく。
一人で延々考え続けるよりも、こちらの方が気が楽だ。
「そのためにはまずミーヤたちが牢屋から出なきゃだね」
「魔法は使えない。縄は解けないし、鍵も私たちじゃ開けられない。となると、外から助けてもらうしか方法は無いわけだけど」
武器なし、魔法も禁止ともなれば、中から美咲たちが自力で脱出するのは難しい。
考え込んだミーヤは何か閃いたのか、パッと表情を輝かせた。
「そうだ! マルテルさんとリーゼリットさんに助けてもらおうよ!」
美咲は即座に首を横に振った。
「それは駄目。二人には二人の立場がある。私たちに関わらなきゃ何事も無くやり過ごせるんだから、巻き込んじゃいけないよ」
しょんぼりしたミーヤが、続けて美咲に質問する。
「じゃあ、グモは?」
「グモも同じ。そりゃ、助けに来てくれるなら嬉しいけど、彼もようやく里に腰に落ち着けたんだから、また追い出されるような目にあわせるべきじゃない」
「なら、どうすればいいの?」
逆に聞き返してきたミーヤに、美咲はにっこりと笑った。
現状を把握し、状況を整理した今、美咲の頭の中で、ようやく脱出の目処が立ち始めている。
「ミーヤちゃん、魔物使いの笛と翻訳サークレットを組み合わせて、ペリ丸を呼ぶことって出来ない?」
きょとんとした顔のミーヤに、美咲は笑みを深め、自分の計画を打ち明けた。