二十五日目:風雲急を告げる1
グモの家への帰り道を、ミーヤと二人手を繋いで歩く。
太陽はちょうど真上に差しており、お昼頃ということも相まって、暖かな陽気を振りまいている。
風が吹いても寒いと感じることはなく、ちょうど良い塩梅でほどほどの爽やかさを感じさせる。
ペットたちは各々が食事に行って、今一緒にいるのはまだ幼くて独力では狩りが出来ないベル、ルーク、クギ、ギアのベルークギア四兄弟姉妹だけである。
とはいえ、四匹もいるので普段よりは少ないといってもそれなりに賑やかだ。
「ぴー!」
「ぴいい?」
「ぴっ」
「ぴい?」
元の世界の肉食恐竜に似ているベルークギアは、幼生体の段階でもやはり肉食恐竜に似ている。
しかし、幼生体の鳴き声は肉食恐竜とは違い、可愛らしい。
これが成長すると、恐竜と同じような野太く恐ろしい咆哮に変わるのだから、魔物というものは分からない。
仲良しのベルークギア四兄弟姉妹であるが、幼いながらも既に個性の獲得が行われているらしく、個々の性格には違いが出ている。
長女らしくベルはしっかり者のお姉さんだし、ルークはやんちゃ、クギはおませでギアは甘えん坊と、同じように見えてもしっかり判別がつくというのが、ミーヤの弁だ。
もっとも、それはミーヤが翻訳サークレットで意思疎通を簡単に出来るからで、普通は個々の区別などつかない。
四匹とも似たような顔だし、体型も似たり寄ったりなので、見た目が殆ど変わらないのだ。
彼ら彼女らは美咲とミーヤを親と認識して、とても良く懐いている。
特に、隠れ里で再会してからは片時も離れようとしない。
他のペットたちに止められて、しぶしぶ追いかけるのを止めるくらいで、生まれたばかりの頃よりは多少しっかりした足取りで、美咲とミーヤについていくことが多い。
今も、グモの家に帰る美咲とミーヤの足元で、甘えるように纏わりついている。
「もー。皆甘えん坊さんなんだからー」
にへら、とベルークギアの幼生体たちが可愛くてたまらないといっただらしのない笑顔を浮かべて、ミーヤが歩きながら一匹の頭を撫でる。
ミーヤに頭を撫でられた一匹は、残りの三匹を振り向いて、にやっと笑った。
(まだ区別はつかないけど、何となく表情は分かるようになってきたわね……)
羨ましさのあまり興奮して鳥の雛のような可愛らしい鳴き声で威嚇する三匹を見て、美咲はほっこりする心を止められない。
そのうちの一匹が、一際強く鳴くと、美咲目掛けて飛びかかってきた。
「おっと」
幼生体とはいえ、肉食恐竜そっくりの見た目らしく、彼らには既に鋭い爪が生えている。
じゃれようとしているだけというのは分かっていても、幼生体たちはまだ手加減というものを掴みきれていないので、対応を間違えれば大怪我をし兼ねない。
特に美咲は、回復手段が殆ど無いためこんなことで怪我をしたらほぼ詰みである。
「ぴいい……」
美咲に避けられた幼生体の一匹が、着地した先で美咲を振り向いて切なげに鳴いた。
「お姉ちゃん、酷いよ。ギアが甘えたがってるのに」
ミーヤが非難してくるのを、美咲は苦笑して自己弁護する。
どうやら、美咲に区別がつかずとも、ミーヤにはしっかり誰が誰だか分かっているようだ。
「でも、あの勢いで飛びつかれたら、こっちも怪我しちゃうから。ほら、抱いてあげるわ」
甘えん坊のギアを、後ろから美咲は手を伸ばして抱き上げた。
感じる重さは、可も無く不可も無くといったところ。
(うーん、微妙な感じ……?)
抱くのに苦労する重さではないものの、ずっと抱いているのは辛そうな絶妙な重さで、案外ずっしりとした重みがある。
「ぴいい♪」
抱かれたギアが嬉しげに鳴いた。
先ほどミーヤに頭を撫でてもらっていた一匹を含め、残りの三匹はギアに嫉妬の目を向けている。
腕が疲れてきた美咲はギアを下ろすと、入れ違いにもう一匹美咲の足に擦り寄ってきた。
「ぴーぴー」
可愛らしく甘えたような鳴き声を上げ、明らかに美咲に何かを強請っている。
何を強請っているかはお察しの通りだ。
「お姉ちゃん、クギも抱いて欲しいって言ってるよ」
残りの一匹の頭を撫でながら、ミーヤがクギの鳴き声から伝わる意思を代弁する。
最初に頭を撫でてもらっていたもう一匹が、ミーヤに再び鳴いてせがんだ。
「ぴー」
「もー、また? ベルも甘えん坊さんだね」
ミーヤは足を止め、片手に一匹ずつ、それぞれベルとルークの頭をわしゃわしゃと撫でる。
どうやらミーヤには四匹の区別がついているようで、美咲にも分かるように、わざと名前を呼んでいるようだ。
美咲に甘える二匹のうち、最初に抱いた方がギアで、これから抱く方がクギだ。
ミーヤに懐いているベルとルークに比べ、クギとギアはやや体が小さい。
卵から孵ったのは四匹ともほぼ同時なので、完全にここまで分かれたのは個体差が大きい。
ベルークギア四兄弟姉妹を可愛がりながらグモの家に帰った美咲とミーヤは、既に帰宅していたグモから、意外なことを聞いた。
■ □ ■
グモの家に戻ると、先に畑仕事を切り上げてきたらしいグモが戻ってきていた。
服装も、畑仕事の時に着る野良着から、普段着へと変わっている。
「ただいま、グモ。今日は早いのね」
挨拶をする美咲へ、グモが振り向いて挨拶を返す。
「おお、お帰りなさい、美咲さん。途中でミルデさんが連絡に来ましてな」
グモから興味深いことを聞いて、美咲はグモに詳しい話を聞いた。
「へえ、ミルデさんから? どんな?」
「なんでも、隠れ里がある森の周辺に、魔族軍の部隊が集結しているんだとか」
思わず美咲は息を飲む。
里の回りは基点設置式の結界で覆われているため、仮に誰かが森に迷い込んで里に近付いたとしても、方向感覚を狂わされて森の外へと誘われるようになっている。
空からも隠れ里は丸見えだが、同じように結界の効果によって隠されて見えないようになっている。
例外となるのは、里に一度でも入ったことがある場合で、そういう場合は、結界の隠蔽効果は働かない。
だからこそ、旅商人は隠れ里を訪れることが出来るし、里人は隠れ里を出ても再び戻ってくることが出来るのだ。
「……魔族軍? まさか、隠れ里の存在がばれたの?」
きな臭い状況であることを察した美咲の声が強張る。
表情も険しくなり、真剣な表情になった美咲を、ミーヤが不安そうに見上げていることにも気付かない。
「それは分かりません。ですが、里から脱走したヴァンドという旅商人のこともありますし、ミルデさんが連れてきた男から漏れた可能性もあります」
どうやら、グモは美咲とミルデが捕まえた偽札事件の犯人であるヴァンドと、ミルデの幼馴染で魔族の街に住み魔族軍の軍人であるアレックスのことを疑っているようだ。
そしておそらく、里の人間の多くは、新参者や部外者が里の存在をばらしたと考えるだろう。
もしかしたら、美咲にも疑いの目が向けられるかもしれない。
ミルデやマルテル、リーデリット、グモなどの美咲と親交が深い里人ならば、美咲が裏切ったなどという推測を聞けば一笑に付すだろうけれども、付き合いのない里人ならば疑うのは仕方ない。
それでも、無実を信じてもらえないのは悲しい。
例え、疑われるのが他人であったとしてもだ。
「あの旅商人は人間だし、アレックスは裏切ったりしないわよ。だって此処にはミルデさんがいるもの。彼、ミルデさんのことが好きなのよ」
美咲はアレックスのことをかばった。
特にアレックスが美咲にとって大切な存在というわけではない。
おそらくはミルデにとっては大切な存在なのだろう。しかし、昨日知り合ったばかりの美咲はそこまでアレックスに無条件で信頼を寄せられない。
それでも、心を許しているミルデがいるから、美咲もある程度信を置くことにしている。
里にミルデがいるからこそ、里を危険に晒すような真似はしないはずだ。
「人間でも魔族に降る例は皆無というわけではありませんし、本人が協力的でも脇が甘くて情報を漏らしてしまう可能性は有り得ます。そもそも、その二人以外に、情報の出所がありません。後は美咲さん方くらいですな」
まさかグモに疑われるとは思ってもおらず、美咲は激昂した。
「私たちは誰にも言ってない!」
もっともグモ本人はあくまで可能性の話として出しただけのようで、詰め寄る美咲に目を白黒させると、慌てて本心を口に出す。
「存じておりますとも。美咲さんもミーヤさんもお優しい方ですからな。ワシは信じております。おそらく、里の存在がばれたのだとしたら、情報の出所は間違いなくヴァンドの方でしょう」
何せ、旅商人ヴァンドには、既に偽札を里にばらまいた前科がある。
旅商人であっても人間なので大っぴらに魔族領で活動することは出来ないものの、それでも命惜しさや個人の利益を優先して裏で魔族と取引をする人間がいないわけでもない。何しろ、その一人がヴァンドだ。
「私、ミルデさんのところに行って、詳しい話を聞いてきます」
「お姉ちゃん、ミーヤお昼ご飯食べたい……」
すぐさまグモの家を飛び出そうとする美咲を、ミーヤが遠慮がちに呼び止めた。
元々、グモの家へは昼食を取るために戻ってきたのだ。
当然、ミーヤは腹を空かせている。
「そんなの後!」
美咲としては食事をしている場合ではないと思い、却下すると、ミーヤの顔がくしゃりと歪んだ。
「うう……」
見かねたグモが、食料庫から食料を持ち出してきた。
果物や保存食などの、調理が不要ですぐに食べられるものが中心だ。
「移動しながら食べられるように、二人分何か包みましょう。持っていってください」
ミーヤがパッと表情を輝かせた。
「ありがとう、グモ!」
「いえいえ、お昼抜きは子どもには苦しいですしな。美咲さんも、もう少し力を抜いてリラックスした方が良いですぞ。子どもがいるのですから」
グモに窘められた美咲は、ようやく自分に余裕が無くなっていたことに気付いて、項垂れる。
「……気を使わせちゃってごめん、グモ。気が急いてたわ」
「お気になさらず。今の状況では、誰だって不安になりますよ。実を言うと、ワシも少し恐ろしく思っとるくらいで。いやはやお恥ずかしい」
よく見ると、グモの手は震えていた。
せっかく得たはずの安住の地に危機が迫っていて、グモが恐怖しないはずがないのだ。
彼は、魔族はもちろん人間から見ても弱いただのゴブリンなのだから。