二十五日目:新しい住人4
ノッカーを叩くと、中からぱたぱたと軽い足音が玄関に近付いてくる。
ドアを開けたエメルダは、美咲の姿を見ると目を見開いた。
驚いている様子のエメルダに、美咲はにっこりと微笑んでみせる。
「こんにちは、エメルダさん」
美咲の服装は、いつもと同じ、里で過ごす時の軽装だ。
武装は腰の剣帯に吊った勇者の剣と、スカートに隠れて見えない太ももの鞘に納められたダガーのみ。
このダガーはラーダンにいた時に買ったものだ。
何だかんだいって勇者の剣しか使わないことが多かったので、まだ残っている。
投擲などでも使う以上、ブランディール戦ならばともかく、その後のヴェリート内での戦いで使っていたら、そのまま失くしていただろう。
あの時は投げた武器を回収する余裕など無かったから。
「これ、差し入れです。今日は様子を見に来ました。昨日の今日ですけど、何か不自由していることはありませんか?」
気遣いを見せる美咲に、エメルダは恐縮している。
「すみません。助けていただいたばかりか、住む場所まで提供してもらっているのに……。不自由なんてそんな」
「いいんですよ。助ける余裕があったんですから、助けるのは当然です。二人とも、無事に助けられて良かった」
それは、美咲にとって本心だった。
助けたいと思っていても、自分に助けられるか不安だったのだ。
だって、あんなに自分を慕ってくれていた仲間たちでさえ、美咲は誰一人救うことは出来なかったのだから。
それどころか、アリシャもミリアンも失い、美咲の傭兵団は事実上の壊滅になってしまった。
生き残りは、美咲とミーヤの二人だけ。
離別を意識していなかったわけではないし、覚悟はしていた。
でも、ここまで早いとは思いもしなかった。
「良かったら上がっていってください。きっとティータも喜びます」
エメルダが玄関の扉を大きく開き、美咲を中に招き入れた。
里の家屋は、その多くが簡素な造りで家というよりも小屋といった方が正しい見た目と居住性をしている。
美咲が訪れたエメルダの住居も例外ではなく、美咲は靴を脱がずに家の中に入る。
そもそも玄関と廊下が分かれてないので靴を脱ぐ理由が無い。
もちろん玄関の土間があるわけでもなく、基本的には家の中でも靴は履きっ放しである。
脱ぐのは入浴と就寝時くらいか。
「その割には姿が見えませんね?」
こじんまりとした居間に着いた美咲は不思議そうな表情で辺りを見回す。
ティータの姿が見当たらない。
口に手を当てて、エメルダがくすくすと笑い声を漏らした。
「恥ずかしがっているんですよ。昨夜は美咲さんと、ミーヤちゃんのことばかり話していましたから。きっと、ティータには二人のことが、英雄のように見えていたんですね。だって、絶体絶命のピンチを助けてくれたのですから。……本当に、あなたたちには、感謝してもし足りません。ありがとうございます」
向けられたエメルダの瞳は、美咲に対する信頼の情で溢れていた。
魔族と人間という重大な違いがあるのに、そんな視線を向けられて、美咲は戸惑う。
「あら、それは……少し照れちゃいます」
僅かに顔を赤らめてエメルダから目を逸らした美咲は、玄関に続く扉とは別の扉が少し半開きになり、そこから小さな影がじっと様子を窺っているのを見つけた。
「あそこにいるのって、もしかしてティータくんですか?」
「ああ、そうですね。もう、あの子ったら。今連れてきますから、ちょっと待ってくださいね」
視線を追ったエメルダは、ティータを見つけるとため息をつき、申し訳なさそうに美咲に告げて、回り込むように扉の方へと歩いていく。
いったんティータの視界から消えている辺り、本気で捕まえるつもりのようだ。
扉の横まで来たエメルダが扉を開くと、中の様子を窺おうと身を乗り出していたティータが勢い余って床に倒れこんだ。
「げっ」
「ほら、こんなところにいないで、きちんと美咲さんに挨拶しなさい。私たちの様子を見に、わざわざ忙しい合間を縫って来てくれたのよ」
(すみません! 忙しいどころか、結構暇でした!)
ティータを叱るエメルダの様子を見ながら、美咲は二人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
忙しいのは里人であるミルデやグモくらいで、結局は居候に過ぎない美咲とミーヤは今後の方針を決める会議に出席を求められることもなく、時間を持て余している。
その分鍛錬に時間を取ったり、ミーヤやバルトとコミュニケーションの強化を図ったりできるので、それはそれで構わないものの、こう勘違いされると、いささか居た堪れなくなる。
「こんにちは、美咲姉ちゃん」
エメルダに引き摺られてきたティータは、顔を赤くして挨拶をしてくる。
「元気そうで何より。昨日は良く眠れた?」
「うん。久しぶりにベッドで寝れたし、母ちゃんも添い寝してくれたから」
美咲の質問に答えたティータは、何かに気付いたようにハッとした表情を浮かべて、赤い顔をさらに紅潮させた。どうやら母親に添い寝してもらったと告げたことが、今更になって恥ずかしくなったようだ。
難しい年頃である。
「今日は、一人だけ……?」
恐る恐る尋ねてくるティータは、ちらちらと美咲の背後を窺っている。誰かの姿を探しているようにも見える。
「ええ、ミーヤちゃんとは別行動よ」
そう美咲が告げると、ティータは露骨にがっかりした表情になった。
どうやらティータは、美咲よりもミーヤのことの方が気になるようである。
■ □ ■
それから、エメルダが手ずから美咲のために茶を淹れてくれた。
茶は魔族領で流通している一般的な茶で、この里でもよく見る血茶だ。
(……見れば見るほど、真っ赤だなぁ)
既にミルデに飲ませてもらったことがあるので、美咲は驚きはしなかったものの、相変わらずの赤さに苦笑しそうになる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
振舞われた茶は芳香な香りを乗せて湯気を立ち上らせている。
一口飲んで、美咲は少し驚いた。
(ミルデさんが淹れてくれたものよりも、美味しい)
あの時ミルデが淹れてくれた血茶も十分美味しかったのに、この血茶はそれ以上だ。
「どうかしら?」
「美味しいです。とても」
「良かった。お気に入りの茶葉なの。家から持ち出せたのは少しだけだけど、お口に合ったようで良かったわ」
どうやらこの血茶は、エメルダが魔族の街で暮らしていた頃から、愛飲しているものらしい。
もしかしたら、ミルデが所有する血茶の茶葉よりも、高級な茶葉なのかもしれない。
流通経路が限られ、入ってくる品物が少ない隠れ里よりも、曲りなりにもれっきとした街なのだから、高級品も手に入りやすいのだろうか。
「良かったら、これもどうぞ。以前街で買ったものだけれど、溶けないように氷魔法をかけてあるから」
皿に出してエメルダが美咲に勧めてきたのは、どこからどう見てもアイスクリームだった。
アイスクリームまで売っていたなんて、さすが魔族の街である。
しかもエメルダは氷魔法を定期的にかけて、保存していたらしい。魔法は本当に便利だ。
冷蔵庫が無くとも、魔法で似たようなことができてしまうのだから。
この分では、冬になったらストーブのように魔法で暖を取ることも可能かもしれない。
現に、美咲も野宿の際には魔法で熾した火の温もりに大分世話になった。
マントを敷いて寝るから多少緩和されるとはいえ、地面の上で寝るのは身体が冷えて辛いのだ。
「いいんですか? これ、私が食べちゃっても?」
「ええ。そのために出したんですから」
完全にアイスクリームに目が釘付けになっている美咲に、エメルダが微笑を浮かべる。
美咲は震える手で、アイスクリームと一緒に添えて出された木のスプーンを手に取る。
この世界でアイスクリームを食べられるなんて思ってもいなかったから、感動もひとしおだ。
まだエルナが生きていた頃、ザラ村でアイスクリームやケーキが食べたいと思ったことを思い出す。
あの村はミルクやミルクから作られる乳製品が特産品で、その多くは王都へと卸されていた。
知らないで出発してしまったから美咲は戻ることも出来ずに、結局何も食べられないままだった。
木のスプーンを差し込むと、硬すぎず、柔らかすぎず、ちょうどいい手応えが伝わる。
ソフトクリームのように柔らかいわけではないし、かといってきんきんに凍っているほど硬いわけでもない。
適度に冷えていて、食べごろだ。
と、何かが霧散するような感覚を覚えて、美咲は目を見開く。
「あら? 氷魔法が……すみません。溶けないように、もう一度かけ直します」
「ああ、お構いなく。すぐ食べちゃいますから」
慌てて魔法を使おうとするエメルダを、美咲は制止した。
原因は分かっている。
勿論、美咲の魔法無効化体質だ。
異世界人がこの世界に召喚される過程で身につくこの体質は、魔法であるならばそれが何であろうと強制的に無効化してしまう。
一部例外もあるものの、今の状況は何度かけ直したところで結果は同じだ。
口に含んで、まず感じるのは牛乳の乳とは違う、独特の甘さ。これは、原料となったミルクの違いだろう。
牛乳よりも濃厚で、まるで高級品のアイスクリームのような味わいがある。
バニラエッセンスやバニラビーンズは使ってないようだが、それでもこの世界にも似たようなものはあるのか、乳臭さは感じられない。
「美味しいです。とても」
「それは良かった」
微笑む美咲に、エメルダも胸を撫で下ろす。
助けてくれた美咲に少しでも恩返しが出来たことに、エメルダは安堵の息をついた。
美咲が美味しくアイスクリームを頂いていると、ティータが物欲しそうな表情でエメルダを見上げた。
「母ちゃん。俺も食いたい」
「ごめんね。持ち出せたのは、今美咲さんに出した分だけなのよ」
エメルダの返答にティータはショックを受けた顔をすると、美咲のすぐ側まで近寄ってきて、ちらちらと美咲を見上げては、アイスクリームへと視線を移し始める。
「こ、こら。ぶしつけに見ないの」
慌ててエメルダがティータの頭を叩いて止めさせようとするものの、美咲は苦笑して既に行動に移していた。
「ティータくんも食べたい?」
こくりと頷くティータに、美咲は木のスプーンでアイスを掬うと、ティータの口のすぐ側に差し出した。
「はい、あーん」
表情を輝かせたティータが、ぱくりと木のスプーンに食いつく。
「何やってるの、この子は!」
慌ててエメルダがティータを叱って止めさせようとするのを、美咲が制止する。
「構いませんよ。こんな小さな子を差し置いて私だけ食べるのも気まずいですし、何より美味しい食べ物は他人と分け合って食べたらもっと美味しいですから。ほら、ティータくん、もう一口」
雛鳥に餌をやるように、美咲はティータにアイスクリームを食べさせた。
結局、美咲は少し食べただけで、多くをティータにあげてしまった。
残りは三分の一ほどだ。
「すみません。器ごと少しお借りしてもいいですか? ミーヤちゃんにも、食べさせてあげたくて」
「ああ、なら、氷魔法をかけなおしますよ。せめて、それくらいのことはさせてください」
美咲に出したはずが、息子のティータが殆ど食べてしまったことに、エメルダは罪悪感を抱いているらしく、快諾する。
それどころか、ミーヤに持っていくまでに解けてしまわないように、美咲が解除してしまった氷魔法の再展開までやってくれるという。
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えますね。また解除しちゃうかもしれないから、ティータくん、ちょっと持っててくれる?」
「お、おう」
ティータにアイスクリームの器を預けると、エメルダは魔族語を唱え、冷気をアイスクリームの周りに集める。
これなら、美咲が迂闊に触りでもしない限り、ミーヤに届けるまでアイスクリームは溶けずに持つはずだ。
「それじゃ、ミーヤちゃんに届けてきますので、失礼しますね。申し訳ないですけど、ティータくんもついてきてもらってもいいですか? 責任持って面倒みますので」
「ええ、この子も退屈していましたから、連れて行ってあげてください。ちょうど、ミーヤちゃんに会いたがっていたんですよ」
にこやかに許可を出したエメルダに、ティータが顔を真っ赤にした。
「か、母ちゃん! 余計なこと言うなよ!」
エメルダとティータのやり取りは、本当に親子の情が感じられて微笑ましく、美咲はそっと目を伏せたのだった。